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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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 「わたげ」という曲を作ってもらったことで、とっても大きな広がりになりそうな予感がしています。


ミュージックサイン・わたげは4年前のユニバーサル映画上映祭からミュージック・サインを言う名前をつけて活動が始まり、最初は映画の挿入歌などを表現するにあたり、楽器やハモリの部分を従来の手話通訳の枠を超えて、数人が舞台に上がるという試みでした。

その映画をみたとても映画好きで、私の大好きなろう者が、「エンドロールに音楽が付いているなんて知らなかった、聴こえる人はずるい」という言葉を残して、会場を去って行きました。

彼は、いつもは初めて試みる手話通訳の試みはいつも喜んでくれて、励ましてもくれるそんな存在だったので、その反応は私は意外でした。

後日、いろんな話の中で、歌詞は伝えてくれてたけれど、そこで音楽が始まってどこで切れているのか、聴こえる人はその音楽によって回想したり、余韻に浸ることが出来るのだと65歳にして初めて知ったことの、ショックというか、驚き、そして、自分自身が聴こえない存在であることがきっと不満にも感じ、悔しかったのではないかと私は想像しています。

回を重ねるうちに、それが面白くなったり、蝉の絵をだし、長い時間それをミーンとわかるといいな・・と思いながら、絵に描いてひたすら揺さぶっていた武士の一分。
その時は、あの絵の意味はなんだ??と聞いてきました。

私は夏には蝉がずっと鳴いていてそれを聴くと、暑いなぁ。と感じるの。
風鈴はチリンとなって、それを聞いて涼しいと感じるの。

そう聴こえる世界では当たり前の感じることを話しました。

すると、「もしかして、お前たち(聴こえる人には)音が重なって聴こえているのか?」と聴いてきました。


その質問を聴いたときに、私は「やった!!」と心で叫びました。

手話通訳は一番大切なことを即座に伝える仕事なので、情報が重なった時に、一番大切な必要な情報を手渡します。

けれど、ミュージックサインは、同時にいろんな楽器の音が聞こえる、生活の中でのいろんな音があるんだ。
命には関わりないけれど、生活に音があるんだ。
スーパーでは、流行っている曲がずっと流れているんだ。
そんなたわいのない情報を伝えるのが役割です。

あってもなくても、そんなに命にはかかわりがない。
けれど、余暇や癒しの空間である音を伝える。

4年間の映画上映の中で、ピアノだけとか、歌は入らない映画とか、いろんなものをこなしていく中で、ユニバーサル上映では、ミュージックサインはどんどん広がっていきました。

そして、去年の春には「りぼん」「m○ka」さんたちと、DPIという障がい者の全国大会で音楽ユニットとのデビュー。

同時に教育大学の吹奏楽団とのコラボ。(その前には白百合高校とのコラボ)

聴こえない人たちには、音楽が届いていなかったということをしって、函館芸術会議ではハミングという新合唱団も作ってくれました。

そして、6月9月11月と上映祭での、音楽ユニットとのコラボ、ユニバーサルライブがデビュー。

12月にも、クリスマスナイトで、5人のろう者が音楽を楽しみました。


kasumi。
次はなにがあるんだ?

そう訪ねてきます。もっと広げろ。
日本中に。

函館発祥のミュージックサイン・わたげを広げろ。

そのためには何ができる?

そう訪ねてきます。


1月30日には、チョコレート募金のチャリティがあり、そこでりぼんのタッカは、「わたげ」やろうとメールしてきたのが、12月の中旬。

私は正直「げ!!」金森ホールでですか??と。(笑)

頑固で一途で時には冷たく、優しく、そして強く。

「やろう!」。

わたげを飛ばそう。

本来「人権を守りたい」と活動している私たちのしていることをいろんなところにミュージックサイン・わたげに乗せて障がい者のこと、虐待のこと、差別の問題、本当にいろんなことをわたげのようにふ~~~と「ちょっとでいいから考えてみて、そして行動してみて」と伝えたいと願っている私なので、「わたげを飛ばそう」はかなりの殺し文句にもなります。

ピアノでの伴奏を自分で作ってみたのが夏。

タッカは、春に出会い演奏を含め、いろんな場面で私たちの話に耳を傾け、また自分自身の難聴であった子どもの頃の心の痛みともよく向き合っての中で「わたげ」の歌ができ、それを早く飛ばしたいと思っていた。

けれども、彼は、私が歌うこと、ピアノを弾くことをとても強く願っていて「出来ない」と何度も言う私に「だれが一番喜ぶのか考えてみて」と何度も何度も繰り返し呪文のように語り続ける。

ミュージックサインは言葉じゃない。

単体の活動なんだよと、何度も音楽の世界に入ることをビビっている私に、繰り返し伝えてくる。

そして、歌うことも弾くことも本当に大昔にしてただけの私がチャレンジするのであれば、両方は一度には無理だから、まず歌だけ・・・。

ピアノは自分で練習できるけれど、歌はハモるのであれば、パートナーがいないとできない、だからそれには一小節ずつから歌うくらいのペースでお願いしたいと頼んだ。

出だしだけを練習したり、サビだけを繰り返したり、MDに録音したりしてくれて、「声でないもん」と投げだしそうになる私を、引っ張ったり、押したりを繰り返して、年明けにはなんとかハモっている?くらいになってきた。

そして、土曜日。

年末に管楽器をを入れて演奏できるかな?とお願いしていたことを叶えてもらえそうになった。

そして、今日初めて、トロンボーンが入っての練習になった。
しかも、ほかの楽器の人もなんとか入ってくれそうですと聴いたのが今日の3時過ぎ。


パソコンの音だけれど、全曲しあがったのもをCDにもらって、そしてまた私たちの練習の音を動画でとって、参加者に配ってもらって、それぞれに練習が始まりそう。

あと3週間。

なみちゃんに、「あとはkasumiの仕上がり具合だな」とプレシャーをほどよく(笑)かけてもらって、必死に練習することになりました。

自分が歌うことと、弾くことを両立するために、一度引っ込めた伴奏を今日、改めてガンガン間奏で入れてくださいってことになって、またそれを弾けるようにもならないといけない。

けれど、トロンボーンが今日入ったことで、「私、歌う!」って気になったのと、いろんな人の力を貸してもらって舞台に上げてもらうんだと改めて思った。
だから、ピアノも「できない」って思わないことにした。


娘にはMDを掛けながら歌の練習をしているときには、「ハモってないじゃん」と思われていたようだったけれど、今日は生演奏と歌を聴いてもらって「ハモれてるところもある」と評価をもらった。

「出来るようになると思う?」と聞いたら、「しないと、だめじゃん」ときっぱり…(笑)

残っている時間を有効に使って、舞台で持っている力を100%出せるように。

通訳の時は200%出すと宣言して仕事をしているけれど、今回は全部出せたらOKにしよう」(笑)

なんせ初体験だからね。

子どもの時出来なかったことをこれから楽しむんだ。
そう思って何度そういうチャンスが来るかなんてわからない。
だから、去年であったみんなと、楽しく演奏できるように、楽しむの。

そのために、必死で練習します。

ありがとう。チャンスを作ってくれて。

作曲、編曲ありがとう。

親分のなみちゃん、いつも失敗してるkasumiに、「失敗も含めて全部が演奏なんだよ」って教えてくれてありがとう。

管楽器に負けないでハープ吹いてね。今日の車の中でのなみちゃんの言葉、大事にします。

いつもありがとう。
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