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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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ある本との出会い

後でわかったことだけれど、私には自虐性があり、仕事の仕方も自分を忙しくす

 

ることで充実感を得ていたらしい。何年間も自分の手帳の予定は、真っ黒に埋まっ

 

 

ていた。

 

 

 父とのセックスでは、感じてしまってはいけない自分が常にいた。感じてしまった

 

 

後にくる、行為が怖かった。そのせいかセックスは、恋人がいても夫がいても私に

 

 

とっては、ある種の義務のようなものだった。一緒に過ごす時間は楽しかった。

 

 

でも、今考えると感じることを押さえて、早く終わって欲しいと願うだけだったように

 

 

思う。

 

 

ただ、ピトッとくっついているだけでよかった。

 


そばに誰かがいるという安心感が心地よかった。


そんな私を端から見ていた夫は、セックスに限らずいろんなことで「こいつはどうし

ようもない・・・」と感じていたらしい。私の唯一良いところは、子育てらしい。細かい

ことは、よくわからない。でも、今でも夫婦でいてくれることには感謝している。「かす

みさんのご主人って理解があっていいわね・・・・」この言葉も嫌いだった。私的には

理解のない人と思うところもあったから・・・・・・。(爆)


 そんなご主人である夫が、半年前ある研修に出かけた。その頃は良く知らなかっ

たが、子どもの虐待の世界では有名な先生で、本もたくさん書いている。夫から手

渡された「性虐待からの回復ガイド」をすぐ読むように言われたが、長い間蓋をして

きたものをあけるような気がしてしばらく、そばに置いたままだった。


 私は、変な体験のある人間だとは自覚していたが、自分がかわいそうな人だと

か、辛い経験をしたした人だとかというふうには、思ってなかったし、虐待を受けて

育ったという意識もなかったからである。


「私には関係ない」そんなふうに思っていた。

そんな私の気持ちをしってか、しらずかわからないが、夫はその先生の研修の後、

セラピーを受けられる方法を模索していた。HPを開き、研修を受けられるようにと

か、先生に連絡を取ったりとか、着々と準備は進んでいった。仕事を辞めてしまっ

ていたこともあって、そんな遠くまでいく必要性は、自分自身ではあまり感じなかっ

た。ただ同じような体験をした人の役に立ちたいという気持ちは強かった。そのた

めの研修は受けてみたかったので、夫の作戦に乗ることにした。


これが、森田ゆりさんとの、出会いの一歩だった。

研修に行く前に、本は読みきった。そして少しだけど、本の中に書いてあるセラピ

ーを体験したい気持ち、いわば興味深々と言う感じで出かけた。


(なんとも失礼な話だけれど、真実なのでどうしようもない。

 本当に偶然が偶然を呼んで、関わってもらったことを大切にしたいと思う。

 日本にはこのようなことをわかってくれる治療期間は少ないし、ここだ!というとこ

ろ はあまりないだろう。

 私はゆりさんに出合えたことで、うつ以外の診断名はもらっていない。

 また、日常生活に支障をきたした期間もとても短い。

 不眠こそのこっているけれど、薬で何とかなる程度でおさまっている。もし、あの

時あの偶然がなかったらどうなっていたのはわからない。私自身が別の道を見つ

けられた なかったのと同じくらいの確立だったと思う。

 違うのはもう子どもではないということ。

そして、私にしかできないこともあるということを知っていることだ。

自分でも思う、人生まだまだこれからさ♪。歌の歌詞にあったけれど、全くその通

りだ と思っている。)

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