虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/22 (Wed)
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- 2007/01/21 (Sun)
生い立ち
生い立ち
1985年の4月・・・
私たち夫婦は、ある障害者に対するボランティアで、知り合い結婚した。
けれども私には、夫には絶対いえない、いや他の人にも言ってはいけないことがあ
った。「近親相姦」・・・今では近親かんというらしい。
それを聞いたときは、そのとおり!!と思った。相姦ではないのだ。
10歳からはじまったそれは、ただ怖くて、逃げることもできず、黙って時間がたつ
のを待つだけだった。
父が怖い。嫌い。
父の子である自分も嫌い。できることならば、もう会いたくない。
早くこの世から消えて欲しいと願ったりもするが、皮肉にも長生きできる家系らし
い。(爆)
でも、娘が生まれたときに、私の感情だけで孫と祖父の関係を絶ってしまってい
いものなのか・・・?
孫には、やさしい。普通のおじいちゃんもそうらしいが、孫にはあまい。
私には、してくれたことのない遊びを娘としている。
しかし、一緒にいて耐えられる時間は、長くても2時間。夫がいなければれ
もできない。
それでも、毎年2回会いに出かける。
普通のおじいちゃんのように、孫が来るのを待ってるのがわかるから・・・・・・。
2002年の春、だったと思う。
育て直しをしているカウンセラーをとりあげた、TVの番組があった。
それを見ているうちに、『私も育て直してもらいたいな・・・』と呟いていた。
夫が「なんで?」という顔をしている。
結婚して18年目になっていた。過去に1度だけ、言おうと思って、勇気を振り絞ろう
としたことがあった。
でも、その時は娘もまだ生まれていなくて、そのことを知ったら、夫が殴りにいって
しまうのではないかと心配だった。
心配なのは父ではなく、夫のほうだった。あの父相手のことだから、証拠もないし、
どうせ私が変なんだとか、アホなんだとか言いくるめられるに決まっている。そのことで、夫が傷つくのが怖かった。
夫は、一度落ち込むとなかなか立ち上がれない。私のことで、必要のないエネルギ
ーを使ってもらいたくなかった。
それから、約10年。どうしてか、言えた。
父との関係、父にされたこと。なぜ16歳はなれている妹を自分が20歳の時にひき
とったのか。
妹には私と同じ経験はさせたくない。
ただそれだけだった・・・・・。そして、半年たったころ、子どもの虐待のための特別
な研修が、すんでいる街で開かれた。
自分も参加したかったが、夫に譲った。それが森田ゆりさんとの出会いだ。
その研修から帰ってきた夫は、目にいっぱい涙をためて、「生きていてくれて、あり
がとう。」と、私を抱きしめるのだ。
何のことかわからず?????の私は、その力がゆるむのを待った。
彼が言うには、研修で虐待を受けてきた子どもがどんなに心に傷をもっているの
か、どんなに苦しい想いをしながら、生き続けているのかを、勉強してきたらしい。
さっそく、習ってきた、「○○さん、あなたは大切な人です。」をしようというのであ
る。
私は自分が大切な人だと思ったこともないし、そういわれたこともない。
なんだか照れくさい。でも、あまりにも一生懸命勧めるので、仕方なく付き合ってあげた。
呪文のように「kasumiさん、貴女は大切な人です。」
「はい、私は大切な人です。」
これを繰り返すのだ。
照れくさくて、どうしようもなかったのに、それが終わった時に、身体中に血が流れ
ていくのを感じた。
私自身は、10歳の時に始まったお母さんの代わり、父が私の身体に触ること、妹
を育てること、それらのことが、そんなに大変なことだとは、思っていなかった。
「妹さんを育てて、大変だったでしょう。」といわれる度に、
「そんなことは、ありません。そういう境遇になったら、きっとみなさんがすることです
から・・・」と、きっぱりと強く否定してきた。