虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
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前回は、なみちゃんに「わたげ」の歌を初披露だったことと、トロンボーンのSくんにも生で演奏を聴いてもらうこともあって、緊張しまくり。
おまけに少し遅刻してバタバタと、模擬の演奏をCDで聞いてもらったり、「きっと、なにが起きてる?」と思っているだろうな・・・と感じながら、時間もあわただしく過ぎていく。
昨日は、コロポックルの家族会の日で、いろんな人がいて、終わったころにこんにちは・・とは参上させてもらった。
新年のご挨拶などを交わし、コーヒーを入れてもらったり、リンゴをいただいたりで、いろんな人と会話をしてから、練習だった。
いつもは、タッかと「わたげ」を主に練習をさせてもらっているのだけれど、二人で歌っていると、聞く人がいない。(笑)
ときどき「ヤスオ」さんが座っていてくれる。
新年に入ってから、初めて聴いていた。
それと、火曜日はあまりなみちゃんのハープが聞こえてこない。きっと、「俺いらないんじゃないの?」って思っているんだろうな・・・・と思いながら、ピアノの位置の関係で姿がみえない・・・。
昨日も、会話の中で「俺、いらないんじゃないか?」って笑いながら言うので、「必要ですから。なみちゃん、子分がこんなに頑張ってるんだから、応援してくれないと困ります。」となみちゃんのハープがあるのとないのじゃ違うんだから。
・・・・と当たり前のことをむきになって、すこし プンプンしながら、ふくれてた。
30日に演奏する曲の相談もして、りぼんの曲の「キャンドルナイト」はピアノは私が弾くことになった。
この曲はまだ、いつもピアノを担当しているパトリシアさんがまだ聴いていないのと、仕事や練習時間の関係が難しいのと、「kasumiさんが弾いてくれたら、私が助かる」と言われたのと、りぼんの二人の了解があったから。
ライブでも、ピアノなしでまだ一度しかご披露されていないので、「タッカ・・・・この間奏はどこまで伸びるの?」と合わせるたびに????ってなっっていて、タッカ自身も「そうだんだよね」と・・・・・。
来週はハモリのパートの確認と、音源を取ってもらうことをお願いして、今日はおーちゃんにささげる旅のうた「さぁ!」のピアノ譜を決めてしまおう。
ますます、30日は「kasumi次第にかかってる」と笑うなみちゃんに、「いっぱいいわないでよ」と耳をふさぐ私。
まだ、2週間、もう2週間しかないどう思うのか、これからだけど、とりあえず、毎日練習するのみ。
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最近母の私は診察室にずっと入っていなかったので、気になることを確認しました。
以前のように激しい人格交代は2009年の春くらいからはあまりないと自分では思っていますが、娘からみるとひそかに昨日は違うかーちゃんだったよと、言われる時があります。
その時に、根ほり葉ほり様子を聴くとまーさんは「いちいち覚えてない」ということがあるので、それを確認することはだめでしょうか?と主治医の確認を取りました。
確かに、会話の中身を覚えていないことは結構あるのだけれどそれって、単にボケているのか、本当に人格交代があるのか、人格が交代されないとならない事態だったのか?というあたりはあまりわかりません。
Drの話によると、「嫌なことを感じないようにする習慣」を持っている時間が長すぎて、今はそのアイテムを使う必要はないのに、回路がつながってしまって人格交代がされてしまうというのは、よくあることらしいのです。
なので、自分に「怖いことはもうないんだよ」といつも私がちいさなkasumiに伝えている方法は的確なんだなとわかりました。
それと、ど~~んと子どもの時のような気持ちになってしまいそうな時に、「kasumi」(本名もしくはかあちゃん)と呼んでもらって解離しそうになる私の脳の回路のスイッチを切ってもらうことは有効らしい。
それとトラウマ(PTSD)についても、消えないけれど薄くなっていくという感覚でいいのか?という質問には、「忘れる必要はないし、けれども、その悲しみの中に入っていく必要もない、それと無視するという選択肢ももってもいいかもしれない」というおアドバイスでした。
意識するとどうしてもそれにエネルギーを取られるので、スルーすることもできるときっと楽になれるわよ・・・。
私の中の小さなkasumiが小さいタッカとずっと遊んでいて帰ってこないと思っていたのは、私の中にいなくなったのではなくて、意識しなくても、私の中にいるということなのかもしれない。
今までは「小さなkasumiはどうしたいの?」と意識して話をしたり、お菓子を食べたり、あなたのしたかったことはなに?と常に「あなたはどうしたいの?」と尋ねてきた。
けれど、2009年のりぼんとの出会いから、ピアノ、歌、小さなkasumiが奪われた音楽をほんの少しだけれど、取り返そうと周りの力も借りて、歌ったり、弾いたりしている。
大人の私はつい「私ごときが・・・」とマイナスの方へ言葉が出てしまう。
それでも、年末にとった練習の時のMDよりも、今ははるかに声も出ているし、ピアノも下手は下手なりに、まとまってきてると自分が思う。
それを知っているSくんは、一昨日生の演奏を聴いて練習にも来てくれて、「kasumiさん、MDの時とは、全然違いますよ、あとはどれだけ練習するかですよ」と励ましてくれる。
それは「努力してるのがわかります」という言葉だろうし、もう少ししたら吹奏楽団の人たちの前で歌うこともしなければならないし、当然30日に自分の持っている力を100%出す自分を作ることもしなければならないと思っている。
今は自分自身の声がしっかり出ているか出ていないかしかわからない。
なんとかタッかの歌に乗っかること、リズムがずれないことそれだけに集中して一回うたうごとに、息が上がる。
半分は楽しく、半分は悔しい。(笑)
小さなkasumiは、「私がしたいこと」には~い!と手を挙げた。
それには、うまい下手は関係なくて、「~してみたい」「~になってみたい」夢だったんだと思う。
そのしてみたいことを実現しているタッカがいて、そのタッカが迷っているちいさなkasumiを見つけ、声をかけた。
そして「行こう!」と手をつないで話をしている。
手をつないでいるのはちいさいタッカ。
それってこうなんだよとか、へえ~~~とか。
小さなkasumiのしたいことを真剣に聴いてくれる人は誰もいなくて、でも必死に聴いてくれて、それを実現しようと大人の私を説得して「わかった」と言えるようにしてくれる。それは大人のタッカ。
また、「・・・」となる自分が消えたわけじゃないけれど、本当に「わたげ」を聴いて感動してくれたSくんのおかげで「スコア」として、形に残り、アンサンブルとして、一緒に演奏してくれる。
こういう状態って、人生の中でそうそう沢山あることじゃないよね。
怒り担当の男の子も最近出てこない。
怒りがないわけじゃないけれど、怒りの出し方が変化した。
以前は何番目の私ってわかったんだけれど、最近その境界線がぼんやりしてきてあまりはっきり何番目・・・・ってわからない。
通訳出来る人は4番目から6番目だけれど、なんとなくその分かれ目がはっきりしないし、その役割も分担されていないように感じる。
人格交代をしなくてもいい時間が増えたからなのかな。
もしかしたら、多重を意識しなくてもいいのかもしれない。
一番自信のない私。
それが主人格。
けど、努力すればなんとかなるかな??って思い始めたら、それもあまり気にならなくなった。
それとも新しいことがすでに始まっていて、それをなんとか形にしようって6人が会議してくれているのかな?
無意識に、楽しく過ごそうって決めてくれたのかな?
死にたい、消えたい、死んじゃいたいそう思って生きていた私ではあるけれど、生きているし、そろそろ自分のためだけに楽しいこともしていいもかもしれない。
自分のためにする楽しいことは、結果だれかのための楽しいことに絶対つながっているとは思うけれど、出発点が私からでもいいかな?と思い始めた。
今までは、出発点が「だれかが幸せになりますように」で、その結果自分も楽しかったり、うれしかったり、結果オーライだった。
周りから見たら、それはどっちも「すごい」ことを成し遂げているのだから、出発点はどっちからでも「すごい」ことになっていると思う。
年が明けてから「わたげ」の練習は時間が短くてもできるだけしている。
ときどきタッカが「kasumiさん、すごいわ」というのだけれど「??」となる私。
なにが??と聞いても具体的には言ってくれない。
そして、私は午前中発声練習をじっくり2時間かけてしているので、そりゃ・・・って思うから、「だって、練習してるもん」とありがとうの言葉に出来ず(笑)褒めてくれているんだろうとは思うけれど、「褒めてくれてありがとう」って言えない。
たぶん・・・・30日が過ぎて、自分と助けてくれる人の力を信じて歌って弾いて、終わったらじわじわと出てくる感情。
だってね。。。
楽しいことの後に、怖いことがあるかもしれないんだよ。
だから、あまり喜ぶと危険かも?って防御しているんだ。わたし・・・。(笑)
でも褒めてもらうことはうれしいから、褒めて。
けど、うれしくても「なにが?」ってきっと言い続けるよ。(笑)
よくわからない、自分の独り言です。
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「わたげ」という曲を作ってもらったことで、とっても大きな広がりになりそうな予感がしています。
ミュージックサイン・わたげは4年前のユニバーサル映画上映祭からミュージック・サインを言う名前をつけて活動が始まり、最初は映画の挿入歌などを表現するにあたり、楽器やハモリの部分を従来の手話通訳の枠を超えて、数人が舞台に上がるという試みでした。
その映画をみたとても映画好きで、私の大好きなろう者が、「エンドロールに音楽が付いているなんて知らなかった、聴こえる人はずるい」という言葉を残して、会場を去って行きました。
彼は、いつもは初めて試みる手話通訳の試みはいつも喜んでくれて、励ましてもくれるそんな存在だったので、その反応は私は意外でした。
後日、いろんな話の中で、歌詞は伝えてくれてたけれど、そこで音楽が始まってどこで切れているのか、聴こえる人はその音楽によって回想したり、余韻に浸ることが出来るのだと65歳にして初めて知ったことの、ショックというか、驚き、そして、自分自身が聴こえない存在であることがきっと不満にも感じ、悔しかったのではないかと私は想像しています。
回を重ねるうちに、それが面白くなったり、蝉の絵をだし、長い時間それをミーンとわかるといいな・・と思いながら、絵に描いてひたすら揺さぶっていた武士の一分。
その時は、あの絵の意味はなんだ??と聞いてきました。
私は夏には蝉がずっと鳴いていてそれを聴くと、暑いなぁ。と感じるの。
風鈴はチリンとなって、それを聞いて涼しいと感じるの。
そう聴こえる世界では当たり前の感じることを話しました。
すると、「もしかして、お前たち(聴こえる人には)音が重なって聴こえているのか?」と聴いてきました。
その質問を聴いたときに、私は「やった!!」と心で叫びました。
手話通訳は一番大切なことを即座に伝える仕事なので、情報が重なった時に、一番大切な必要な情報を手渡します。
けれど、ミュージックサインは、同時にいろんな楽器の音が聞こえる、生活の中でのいろんな音があるんだ。
命には関わりないけれど、生活に音があるんだ。
スーパーでは、流行っている曲がずっと流れているんだ。
そんなたわいのない情報を伝えるのが役割です。
あってもなくても、そんなに命にはかかわりがない。
けれど、余暇や癒しの空間である音を伝える。
4年間の映画上映の中で、ピアノだけとか、歌は入らない映画とか、いろんなものをこなしていく中で、ユニバーサル上映では、ミュージックサインはどんどん広がっていきました。
そして、去年の春には「りぼん」「m○ka」さんたちと、DPIという障がい者の全国大会で音楽ユニットとのデビュー。
同時に教育大学の吹奏楽団とのコラボ。(その前には白百合高校とのコラボ)
聴こえない人たちには、音楽が届いていなかったということをしって、函館芸術会議ではハミングという新合唱団も作ってくれました。
そして、6月9月11月と上映祭での、音楽ユニットとのコラボ、ユニバーサルライブがデビュー。
12月にも、クリスマスナイトで、5人のろう者が音楽を楽しみました。
kasumi。
次はなにがあるんだ?
そう訪ねてきます。もっと広げろ。
日本中に。
函館発祥のミュージックサイン・わたげを広げろ。
そのためには何ができる?
そう訪ねてきます。
1月30日には、チョコレート募金のチャリティがあり、そこでりぼんのタッカは、「わたげ」やろうとメールしてきたのが、12月の中旬。
私は正直「げ!!」金森ホールでですか??と。(笑)
頑固で一途で時には冷たく、優しく、そして強く。
「やろう!」。
わたげを飛ばそう。
本来「人権を守りたい」と活動している私たちのしていることをいろんなところにミュージックサイン・わたげに乗せて障がい者のこと、虐待のこと、差別の問題、本当にいろんなことをわたげのようにふ~~~と「ちょっとでいいから考えてみて、そして行動してみて」と伝えたいと願っている私なので、「わたげを飛ばそう」はかなりの殺し文句にもなります。
ピアノでの伴奏を自分で作ってみたのが夏。
タッカは、春に出会い演奏を含め、いろんな場面で私たちの話に耳を傾け、また自分自身の難聴であった子どもの頃の心の痛みともよく向き合っての中で「わたげ」の歌ができ、それを早く飛ばしたいと思っていた。
けれども、彼は、私が歌うこと、ピアノを弾くことをとても強く願っていて「出来ない」と何度も言う私に「だれが一番喜ぶのか考えてみて」と何度も何度も繰り返し呪文のように語り続ける。
ミュージックサインは言葉じゃない。
単体の活動なんだよと、何度も音楽の世界に入ることをビビっている私に、繰り返し伝えてくる。
そして、歌うことも弾くことも本当に大昔にしてただけの私がチャレンジするのであれば、両方は一度には無理だから、まず歌だけ・・・。
ピアノは自分で練習できるけれど、歌はハモるのであれば、パートナーがいないとできない、だからそれには一小節ずつから歌うくらいのペースでお願いしたいと頼んだ。
出だしだけを練習したり、サビだけを繰り返したり、MDに録音したりしてくれて、「声でないもん」と投げだしそうになる私を、引っ張ったり、押したりを繰り返して、年明けにはなんとかハモっている?くらいになってきた。
そして、土曜日。
年末に管楽器をを入れて演奏できるかな?とお願いしていたことを叶えてもらえそうになった。
そして、今日初めて、トロンボーンが入っての練習になった。
しかも、ほかの楽器の人もなんとか入ってくれそうですと聴いたのが今日の3時過ぎ。
パソコンの音だけれど、全曲しあがったのもをCDにもらって、そしてまた私たちの練習の音を動画でとって、参加者に配ってもらって、それぞれに練習が始まりそう。
あと3週間。
なみちゃんに、「あとはkasumiの仕上がり具合だな」とプレシャーをほどよく(笑)かけてもらって、必死に練習することになりました。
自分が歌うことと、弾くことを両立するために、一度引っ込めた伴奏を今日、改めてガンガン間奏で入れてくださいってことになって、またそれを弾けるようにもならないといけない。
けれど、トロンボーンが今日入ったことで、「私、歌う!」って気になったのと、いろんな人の力を貸してもらって舞台に上げてもらうんだと改めて思った。
だから、ピアノも「できない」って思わないことにした。
娘にはMDを掛けながら歌の練習をしているときには、「ハモってないじゃん」と思われていたようだったけれど、今日は生演奏と歌を聴いてもらって「ハモれてるところもある」と評価をもらった。
「出来るようになると思う?」と聞いたら、「しないと、だめじゃん」ときっぱり…(笑)
残っている時間を有効に使って、舞台で持っている力を100%出せるように。
通訳の時は200%出すと宣言して仕事をしているけれど、今回は全部出せたらOKにしよう」(笑)
なんせ初体験だからね。
子どもの時出来なかったことをこれから楽しむんだ。
そう思って何度そういうチャンスが来るかなんてわからない。
だから、去年であったみんなと、楽しく演奏できるように、楽しむの。
そのために、必死で練習します。
ありがとう。チャンスを作ってくれて。
作曲、編曲ありがとう。
親分のなみちゃん、いつも失敗してるkasumiに、「失敗も含めて全部が演奏なんだよ」って教えてくれてありがとう。
管楽器に負けないでハープ吹いてね。今日の車の中でのなみちゃんの言葉、大事にします。
いつもありがとう。
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我が家は築25年が過ぎている一軒家だから、とても寒い。
当時の作り方なんだろうけれど、柱が少なくて、窓が大きい。
だから、冬向きじゃない。
台所は経つのも嫌なくらい寒いのだ。
それでなくても、嫌なんだ。私・・・・。
わりと便利なもの食洗機もあるのに、使わないというか忘れてしまっていたり、食べるものを作る発想にならない私がいて、主婦とはあまり言えないかもしれない。アハハ(T_T)
夫が昨日、ホーマックに連れて行ってくれてその隙間風をふさいでくれたり、空気の循環を良くするのに、卓上の小さなサーキュレーターを買ってくれた。
実は天井に一台付いていて、団地に住んでいた時は、すぐれものと思っていたんだけれど、今の家に来てからは暖かいエアーカーテンにはあまりならず、ひろいこともあるのと、寒すぎる家なので効果がない・・・。
けど、今日それを冷蔵庫の上に置いて空気を上向きに流れるように設置したら、外から帰ってきたときの温度が違う!!って発見。
電気代いくらになるかな。
けど寒いよりはいいかもしれない。
寒いの嫌いな私。
けど一杯着ると肩こるし、いつもホッカイロがないと生きていけない。
今年は靴下持参して、いつでも・・・・って毛糸の靴下。
なんといっても、この時期風邪をひくと大変なことになるので、もう見かけより、体を大事にしないとって。
それでもやっと手袋とか、マフラーとか外でも使うようになって成長してきました。
寒いの駄目なのに、使えなかったんだよ。なんでだろうね。
なくしたらどうしようとか、いろんなこと考えすぎて使えないってなってたし。(笑)
さて・・・。
明日はまーさんがFMいるかに出演します。朝の番組ですが・・・。
早く起きて化粧しないとね。(笑)
別にしなくてもいいかもしれないけど、朝は血の気がないので、健康的には見えないので、色付けて外にでます。
山形さんの番組で、以前私もお世話になりました。
リクエストできる曲1つ持っていくのですが、綾香の「みんな空の下」と、授賞式の時に聴こえない人はいないし、受け入れられなかったらどうしようって、悩んだときに「一人でも感動したり、いいねって思ってくれる人がいるだけでもいいんだよ。勇気だしなよ」って励ましてくれた先輩がまーさんのためにかけてくれた曲。
どっちになるでしょう。
スタジオについたら決めるらしいです。
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この「「ハナミズキ」」の歌詞の意味は
【9.11テロ】のコトを詩にしているんです
「空をおしあげて手を伸ばす君五月のコト」の意味は、
五月にテロがあったある場所で手だけが落ちていたのが
発見されその手が空を押し上げて見えるからだそうです。
この歌はテロににより愛する人がいなくなってしまった人の思いを伝えようとしている歌なんです。
「どうか来てほしい みずぎわまできてほしい」は,
みずぎわ=三途の川 という意味で、早く成仏してほしいという意味らしいです。
「僕の我慢がイツか実を結び」は僕はアナタのコトをまだ思っているけど、
思ったままだとキミは安心して成仏できないから、僕は我慢するという気持ち。
「果てない夢」は、生きていた時の夢を天国でかなえてほしいとゆう意味。
「キミと好きな人が100年つづきますように。」は
キミの好きな人そのまた好きな人その又好きな人・・・が
100年続きますようにとゆう意味。 というのを発見しました。 9.11と関係があるのはわかっていたけれど、遺書っていうことも聴いていたので調べてみました。 一青窈さんの友人が9.11で亡くなっているようです。
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