虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
このブログにするまえに、HPで虐待のことを発信していた。
けれど、タグ打ちや更新することに限界を感じて、ブログにお引っ越しをした。
HP時代には、カテゴリー別にオルゴールを付けていて、訪問していただいた方々からは、割と好評だった。
けどブログになってからは、張り付けの方法や張り付けられるのどうかもわからないままになっていて、それを得意とする私と、そうじゃない私がいるので、なんていうか「ま・・・いいか」と思って過ごしていた。
YouTube も、最近張り付けられるようになったので、割と聴きたいと思った瞬間に探して、エンドレスにパソコンで音楽を聴いていることも増えてきた。
朝、記事を書こうと思い、パソコンを開いてなんか音がしてるなぁ・・・と思いつつも、ぼ~~~っとしていた。
いつまでたっても、鳴りやまないピアノ。
なんだろうなぁ・・・・と思って自分のブログを見たら、「着メロ」が張り付いている。(笑)
だれがしたんだろう・・って多分私だと思われるんだけれど、まったくもって記憶がない。
そのサイトにも行ってみたけれど、今曲を取りかえるのはどうするの?と見てみたけれど、わからない。(大爆笑)
よく見たらYouTube 経由で出来たみたいなので、しばらくこのままにしておきます。
うるさいと感じる方、もしくはベタベタ張り付けている私の好きだった・好きな音楽を聴きたい方は、大変お手数ですが、一度「★ Didier Merah『Remember Forever』ブログパーツ」 のスイッチを切ってください。
切り方は、MDプレイヤーなどと同じです。=のマークが縦になってるところをポチしてください。<m(__)m>
いつしたのかも記憶にないので、多分パソコン好きの私がちょこっと出て何かをしていたのだと思われます。
にほんブログ村
けれど、タグ打ちや更新することに限界を感じて、ブログにお引っ越しをした。
HP時代には、カテゴリー別にオルゴールを付けていて、訪問していただいた方々からは、割と好評だった。
けどブログになってからは、張り付けの方法や張り付けられるのどうかもわからないままになっていて、それを得意とする私と、そうじゃない私がいるので、なんていうか「ま・・・いいか」と思って過ごしていた。
YouTube も、最近張り付けられるようになったので、割と聴きたいと思った瞬間に探して、エンドレスにパソコンで音楽を聴いていることも増えてきた。
朝、記事を書こうと思い、パソコンを開いてなんか音がしてるなぁ・・・と思いつつも、ぼ~~~っとしていた。
いつまでたっても、鳴りやまないピアノ。
なんだろうなぁ・・・・と思って自分のブログを見たら、「着メロ」が張り付いている。(笑)
だれがしたんだろう・・って多分私だと思われるんだけれど、まったくもって記憶がない。
そのサイトにも行ってみたけれど、今曲を取りかえるのはどうするの?と見てみたけれど、わからない。(大爆笑)
よく見たらYouTube 経由で出来たみたいなので、しばらくこのままにしておきます。
うるさいと感じる方、もしくはベタベタ張り付けている私の好きだった・好きな音楽を聴きたい方は、大変お手数ですが、一度「★ Didier Merah『Remember Forever』ブログパーツ」 のスイッチを切ってください。
切り方は、MDプレイヤーなどと同じです。=のマークが縦になってるところをポチしてください。<m(__)m>
いつしたのかも記憶にないので、多分パソコン好きの私がちょこっと出て何かをしていたのだと思われます。
にほんブログ村
PR
結構今回は、長く函館で過ごして、今日朝、まーさんと歩いて駅までいった。
二人は歩くことが楽しい人たちで、そのゆったりとした時間いろんな話をして親子の別れを楽しむ。
父親とたわむる・・・。
そんな娘を見てて、親子ってこうなのかな?とか、父親が大好きな娘っているんだよね・・・などど自分の世界にはない感覚を目の当たりにする。
少し前まではたまらなく、それが「ずるい」とか「いいな」という嫉妬や憎悪の感覚を持ち、またその感情をもてあましてやりどころがなかった。
だから、長期休みがたまならく嫌だったし、夫が帰ってきている間、なんとか言いあいだけは避けようと、それなりに頑張ってきた。
それでも、「カチン!」と来ることはあるし、どっちもどっちだったり、単に私がごり押ししているのかもしれないな・・・と、気の強い母に似た、また言葉がとても乱暴な私がいるので、その人たちが表に出ているとすれば、悪いのは自分だからな・・・と、「どうせ悪いのは私」・・・
そのどつぼに入るとエンドレスに「迷惑をかけて生きてきた私はいらない」そう叫んでしまう。
いらないなら、近寄らないでよ。
いらないなら、慰めたりしないでよ。
わかったふりしないでよ。
私の出来ないことばかり数えて、責めるのはやめてよ。
25年間ずっとそうだった。
あれできない。これできない・・・・って。
駄目メッセージばっかりだった。
たしかに、いい人だよ。
けど、私だって、我慢してきたこと一杯あるよ。
だけど、これを言葉にしたら、いけないって 思ってきたから言わなかっただけだもん。
なんで、私を傷つけるの?
出来ないことをどうしてできないのか?って言われたってできないんだもん。
でも、出来ることもいっぱいあるよ、どうしてそれを認めてくれないの?
・・・・と娘がいるのに、叫んじゃったぜ・・・。(T_T)
些細な喧嘩でも、爆弾的な喧嘩でも先に謝るのは私で、25年間一緒にいるけれど、彼が「ごめん」を先に行ってくれたのは5回無いと思う。
自分が先に謝るのは、長引くのが嫌なのと面倒だから。
自分的には言いたいことを言ってしまえば、それでおしまいにしたい、特に出かける前には争わないというのを心に決めているから。
これは三浦綾子さんの積み木の箱という函館が舞台の小説(たぶん)に永遠の別れになってしまうシーンがあるから。
それはいやだなと思ってしないように気を付けていた。
けど、その日は私が出掛ける日で、夫が滞在している期間車を娘と使うので私は電車とか、バスを利用していたけれど、その日は2か所に行かなければらなく、車で出かけることにしていた。
けど、さあ出かけるぞという瞬間に、こんな会話になって、私は泣きながら、「なんで??」とかなしさと、やっぱり私ってだめじゃん。
ほかのいろんなことが出来たって、妻はできないってことじゃん。
母も失格ってことじゃんと、ボロボロだった。
けど、その日は広報の印刷をして、会議もあって。。。
喧嘩の原因とか、反省をしていては、ことは進まない。
こういうときは、「手話通訳のkasumi」さんが登場してくれて、頭のすみっこには夫の気持ちを考える人もいたけれど、今日は「家に帰らない」と思っている人も混在してて、それでも仕事モードで頑張っていた。
周りにはたくさんの人もいたし、私のお願いを聴いてくれて、それを着々と、進めてくれてたので、平常心というよりもっと心が揺らがないように踏ん張っていた。
すると、いいタイミングで電話とメールでごめんね。
私は、「どういたしまして」と返す。
言葉がみつからないからだ。
あとで聴いた話では夫は、「駄目メッセージは、子育てによくない」と職場で言いながら「家庭ではずっと言い続けていたなんて・・・」とショックを受けて、泣いていたのを娘によしよしイイコしてもらったらしい。
私は人格交代がある。
自分でもいつかわったのかわからない時もある。だから記憶のないところで、「嘘をついていた」と言われるととても悲しい。
私は自分で意図をもって嘘をついているわけではないし、誰かをだまそうと思っているわけでもない。
けど、結果それが「嘘」になっているということもあるのかもしれない。
特に夫はそれを長いこと見てきているわけだから、そう思うのも仕方がないことだと私は思っている。
でも、記憶が比較的に長く保持できている今を生きている私は「嘘」をついて生きているわけではない。
この日、私はうつになってからは、扶養家族に初めてなって、「一人では生きていけなくなっちゃったんだ」と自分の持っている力が弱くなった気がしてた。
年末調整も、働ける金額を気にしながら、限度額を超えないようにしてきた。
今年は、それを気にする必要がないくらいの仕事量だったから、気が楽だった。
けど、最後に家を出るときに、「もう私は一人でも生きていける。だから、扶養にならなくても別にいい。私が必要ないんだったら、離婚でもいいよ」
そう言った。
いつまでもそう責められているのも限界だからもういいよ。
本当にそう思っている人がいるんだな・・・と、自分でもびっくりだけれど、一人でなんとか出来るって思う自分もいるんだ・・・と、病気をして以来、もう朝から晩まで働けないだろうな・・・とあきらめている自分じゃない自分もいることを知った。
こういうことは、長いこと夫婦でいるとあって当たり前だけれど、仕事らしい仕事もないのに、こんなことも考えちゃうのね・・と同時に夫は夫で、「25年責められてばっかり」と思っている私と対面してそれもショックらしく、イライラして私を見ている表情が優しくなっていた。
確かに面倒な私ではあるんだけれど、だからと言って私だけが悪いのだろうか。
結構私だって、彼の悩みや、想いは聴いてきたし、はちゃめちゃな部分で傷つけてきたこともあるけれど、それはお互い様な部分でもあるんじゃないのかな?と私は考えてきた。
これで「離婚」が成立することはないと思うけれど、「多重人格」の私がごめんなさいと思っていたこと、けど「違う」と思っていたことがはっきりわかった日でもありました。
その後、ご飯を食べ、昨日は百人一首をし、朝に弱い私は見送れずに、布団の中から「バイバイ」と手を振った冷たい妻ですが、それなりに起きて、「ゴミの日だよ」という言葉に、「わかった」と返事をして、別れました。
外は雪です。
函館より寒いところに帰るわけだれど、彼の家は割と新しく我が家より暖かいそうで、昨日は暖房費を節約する窓の所に置く壁を買ってもらい、心なしかいつもより暖かいような気がします。
夫がいる時に喧嘩をしないという宣言は破ってしまったけれど、心の内を伝えられたこと、それを真摯に受け止めてもらっていること、それにはとても感謝しています。
たしかに迷惑をかけていることは私の方が多いのだけれど、だからと言って、傷つく回数が多くてもいいということにはならないんだよね。
それは伝えてもいいんだよね。
そういう気持ちは我慢しない方がいいのかも?と思った時間でした。
昨日は夫の念願の焼き肉で、「まだ食べるんだ」というくらい娘と食べていました。
また、車の運転再開です。
にほんブログ村
二人は歩くことが楽しい人たちで、そのゆったりとした時間いろんな話をして親子の別れを楽しむ。
父親とたわむる・・・。
そんな娘を見てて、親子ってこうなのかな?とか、父親が大好きな娘っているんだよね・・・などど自分の世界にはない感覚を目の当たりにする。
少し前まではたまらなく、それが「ずるい」とか「いいな」という嫉妬や憎悪の感覚を持ち、またその感情をもてあましてやりどころがなかった。
だから、長期休みがたまならく嫌だったし、夫が帰ってきている間、なんとか言いあいだけは避けようと、それなりに頑張ってきた。
それでも、「カチン!」と来ることはあるし、どっちもどっちだったり、単に私がごり押ししているのかもしれないな・・・と、気の強い母に似た、また言葉がとても乱暴な私がいるので、その人たちが表に出ているとすれば、悪いのは自分だからな・・・と、「どうせ悪いのは私」・・・
そのどつぼに入るとエンドレスに「迷惑をかけて生きてきた私はいらない」そう叫んでしまう。
いらないなら、近寄らないでよ。
いらないなら、慰めたりしないでよ。
わかったふりしないでよ。
私の出来ないことばかり数えて、責めるのはやめてよ。
25年間ずっとそうだった。
あれできない。これできない・・・・って。
駄目メッセージばっかりだった。
たしかに、いい人だよ。
けど、私だって、我慢してきたこと一杯あるよ。
だけど、これを言葉にしたら、いけないって 思ってきたから言わなかっただけだもん。
なんで、私を傷つけるの?
出来ないことをどうしてできないのか?って言われたってできないんだもん。
でも、出来ることもいっぱいあるよ、どうしてそれを認めてくれないの?
・・・・と娘がいるのに、叫んじゃったぜ・・・。(T_T)
些細な喧嘩でも、爆弾的な喧嘩でも先に謝るのは私で、25年間一緒にいるけれど、彼が「ごめん」を先に行ってくれたのは5回無いと思う。
自分が先に謝るのは、長引くのが嫌なのと面倒だから。
自分的には言いたいことを言ってしまえば、それでおしまいにしたい、特に出かける前には争わないというのを心に決めているから。
これは三浦綾子さんの積み木の箱という函館が舞台の小説(たぶん)に永遠の別れになってしまうシーンがあるから。
それはいやだなと思ってしないように気を付けていた。
けど、その日は私が出掛ける日で、夫が滞在している期間車を娘と使うので私は電車とか、バスを利用していたけれど、その日は2か所に行かなければらなく、車で出かけることにしていた。
けど、さあ出かけるぞという瞬間に、こんな会話になって、私は泣きながら、「なんで??」とかなしさと、やっぱり私ってだめじゃん。
ほかのいろんなことが出来たって、妻はできないってことじゃん。
母も失格ってことじゃんと、ボロボロだった。
けど、その日は広報の印刷をして、会議もあって。。。
喧嘩の原因とか、反省をしていては、ことは進まない。
こういうときは、「手話通訳のkasumi」さんが登場してくれて、頭のすみっこには夫の気持ちを考える人もいたけれど、今日は「家に帰らない」と思っている人も混在してて、それでも仕事モードで頑張っていた。
周りにはたくさんの人もいたし、私のお願いを聴いてくれて、それを着々と、進めてくれてたので、平常心というよりもっと心が揺らがないように踏ん張っていた。
すると、いいタイミングで電話とメールでごめんね。
私は、「どういたしまして」と返す。
言葉がみつからないからだ。
あとで聴いた話では夫は、「駄目メッセージは、子育てによくない」と職場で言いながら「家庭ではずっと言い続けていたなんて・・・」とショックを受けて、泣いていたのを娘によしよしイイコしてもらったらしい。
私は人格交代がある。
自分でもいつかわったのかわからない時もある。だから記憶のないところで、「嘘をついていた」と言われるととても悲しい。
私は自分で意図をもって嘘をついているわけではないし、誰かをだまそうと思っているわけでもない。
けど、結果それが「嘘」になっているということもあるのかもしれない。
特に夫はそれを長いこと見てきているわけだから、そう思うのも仕方がないことだと私は思っている。
でも、記憶が比較的に長く保持できている今を生きている私は「嘘」をついて生きているわけではない。
この日、私はうつになってからは、扶養家族に初めてなって、「一人では生きていけなくなっちゃったんだ」と自分の持っている力が弱くなった気がしてた。
年末調整も、働ける金額を気にしながら、限度額を超えないようにしてきた。
今年は、それを気にする必要がないくらいの仕事量だったから、気が楽だった。
けど、最後に家を出るときに、「もう私は一人でも生きていける。だから、扶養にならなくても別にいい。私が必要ないんだったら、離婚でもいいよ」
そう言った。
いつまでもそう責められているのも限界だからもういいよ。
本当にそう思っている人がいるんだな・・・と、自分でもびっくりだけれど、一人でなんとか出来るって思う自分もいるんだ・・・と、病気をして以来、もう朝から晩まで働けないだろうな・・・とあきらめている自分じゃない自分もいることを知った。
こういうことは、長いこと夫婦でいるとあって当たり前だけれど、仕事らしい仕事もないのに、こんなことも考えちゃうのね・・と同時に夫は夫で、「25年責められてばっかり」と思っている私と対面してそれもショックらしく、イライラして私を見ている表情が優しくなっていた。
確かに面倒な私ではあるんだけれど、だからと言って私だけが悪いのだろうか。
結構私だって、彼の悩みや、想いは聴いてきたし、はちゃめちゃな部分で傷つけてきたこともあるけれど、それはお互い様な部分でもあるんじゃないのかな?と私は考えてきた。
これで「離婚」が成立することはないと思うけれど、「多重人格」の私がごめんなさいと思っていたこと、けど「違う」と思っていたことがはっきりわかった日でもありました。
その後、ご飯を食べ、昨日は百人一首をし、朝に弱い私は見送れずに、布団の中から「バイバイ」と手を振った冷たい妻ですが、それなりに起きて、「ゴミの日だよ」という言葉に、「わかった」と返事をして、別れました。
外は雪です。
函館より寒いところに帰るわけだれど、彼の家は割と新しく我が家より暖かいそうで、昨日は暖房費を節約する窓の所に置く壁を買ってもらい、心なしかいつもより暖かいような気がします。
夫がいる時に喧嘩をしないという宣言は破ってしまったけれど、心の内を伝えられたこと、それを真摯に受け止めてもらっていること、それにはとても感謝しています。
たしかに迷惑をかけていることは私の方が多いのだけれど、だからと言って、傷つく回数が多くてもいいということにはならないんだよね。
それは伝えてもいいんだよね。
そういう気持ちは我慢しない方がいいのかも?と思った時間でした。
昨日は夫の念願の焼き肉で、「まだ食べるんだ」というくらい娘と食べていました。
また、車の運転再開です。
にほんブログ村