虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
飽きてきたかもしれない。
けど、やっつけなければならなかった広報紙も出来たし、あとは印刷だけだよん。
明日はどうしようかな?
夜はろう者が「kenと語る会」をビクトリアで夕方から用意してくれているし、昼過ぎに札幌を出てくるらしいので、自力で外に出てないと、それに参加できない・・ってことになってしまう。(笑)
映画も年末みてしまったし・・・。
なにしようかな??
自分に課した宿題は出来たし。エヘン!って感じ。
まーさんは、ブックカバー欲しさに前売り券を買った映画「ワンピース」も制覇したようなので、お金が無駄にならないでよかったわ~~~~。
しかも2枚買ってしまった母が悪い。
函館では上映しないのがわかっていたので、夫が帰る時にでもくっついていって見に行けるといいなぁ…って感じで購入してしまう。
しかも、そのチケットの引換券をなくしてしまって、とあるローソンにごめんなさい・・ってしながら、でも、支払いは終わっているはずなのに、請求されて・・・。
確かに払ったんだけど・・・・って30分くらい待って、やっと手に入れたしろもの。
去年は渡辺美里のチケットの先行予約でドキドキしたし、前売りってなくしたらどうしようが、ついてくるのであまり好きじゃないわ。
大切なものをしっかりどこにしまうっていう習慣がないので、いつも・・・。アハハです。
そもそも大切なものってなんだろう?って感じだから、その辺に置いちゃう。
(T_T)
ピアノとパソコンばっかり使っていたので、腕が少しダルダルになってきたので、明日はお休みしようかなぁ・・・・。
机もピアノも低い位置で使っているんだけど、やっぱり似たような状態になるから、肘付き椅子でも限界があるのでした。
そうそう、ピアノも所定の位置にもどさなければ・・・・。(笑)
車がないとちっとも外に出たがらないんだね…私。
仕事がないってこういうことになるんだね・・・。
そのわりには、忙しかったから倒れないですんだのか?(笑)それとも、3年培った掃除の仕事のおかげだったのかはわからないけど、少し太ろうって真面目に思うんだ。どうやったら太れるんだろう・・・。謎・・・。(?_?)
にほんブログ村
けど、やっつけなければならなかった広報紙も出来たし、あとは印刷だけだよん。
明日はどうしようかな?
夜はろう者が「kenと語る会」をビクトリアで夕方から用意してくれているし、昼過ぎに札幌を出てくるらしいので、自力で外に出てないと、それに参加できない・・ってことになってしまう。(笑)
映画も年末みてしまったし・・・。
なにしようかな??
自分に課した宿題は出来たし。エヘン!って感じ。
まーさんは、ブックカバー欲しさに前売り券を買った映画「ワンピース」も制覇したようなので、お金が無駄にならないでよかったわ~~~~。
しかも2枚買ってしまった母が悪い。
函館では上映しないのがわかっていたので、夫が帰る時にでもくっついていって見に行けるといいなぁ…って感じで購入してしまう。
しかも、そのチケットの引換券をなくしてしまって、とあるローソンにごめんなさい・・ってしながら、でも、支払いは終わっているはずなのに、請求されて・・・。
確かに払ったんだけど・・・・って30分くらい待って、やっと手に入れたしろもの。
去年は渡辺美里のチケットの先行予約でドキドキしたし、前売りってなくしたらどうしようが、ついてくるのであまり好きじゃないわ。
大切なものをしっかりどこにしまうっていう習慣がないので、いつも・・・。アハハです。
そもそも大切なものってなんだろう?って感じだから、その辺に置いちゃう。
(T_T)
ピアノとパソコンばっかり使っていたので、腕が少しダルダルになってきたので、明日はお休みしようかなぁ・・・・。
机もピアノも低い位置で使っているんだけど、やっぱり似たような状態になるから、肘付き椅子でも限界があるのでした。
そうそう、ピアノも所定の位置にもどさなければ・・・・。(笑)
車がないとちっとも外に出たがらないんだね…私。
仕事がないってこういうことになるんだね・・・。
そのわりには、忙しかったから倒れないですんだのか?(笑)それとも、3年培った掃除の仕事のおかげだったのかはわからないけど、少し太ろうって真面目に思うんだ。どうやったら太れるんだろう・・・。謎・・・。(?_?)
にほんブログ村
PR
彼は友達・・・・という存在が極端に少ない。
娘は逆に全国中に彼女の存在を喜んでくれる人や、不登校時代に励ましたり、マイナスの感情をプラスにするために、支えてくれた人もたくさんいる。
ただ同年代の友人が少ないのは、ほんの少し彼女が大人なのだろうと私は思っている。
日曜日に友達と遊んではいけない・・・という日常であれば、友人は少なくて当然だし、それに加え、転勤族だったので、札幌、滝の上、東京、そして函館と環境が変わっているのだから、それも仕方がない。
夫は周りからいい人だと評価される。(笑)
仕事も子どものためにはとても必死だし、娘にも大切にされている。
仕事の関係で暴力や子どもの人権にかかわる研修を受けてからは、本当にいろんなことに努力をしている。
私が父親と対峙するように、夫も自分の両親と対峙し、彼なりの人生を歩いている。
私にできることがあるとすれば、彼が両親に言いにくいと思っている彼の気持ちを伝えること。
ただ、攻撃的にはしない。
電話などで、彼のことに関して愚痴が出てきたら、「それは彼を否定してることになるんですよ」と伝える。
スパルタとされていた教育は兄を見てるだけで、怖かったというし、次男だからそれなりにかしこく立ち回ったと思う。
今、彼は大好きだったおじさんと対話してるのだろう。
実家を地獄のような場所という子どもが悪いのか、そうしてしまった親が悪いのか、そんな単純な問題ではないと思うけれど、居心地が悪いのは確かなのだ。
そんな状況でいて、私の妹の子どもとゆっくり遊んであげたいと思っていたのにそれが出来ない・・・と残念そうに電話で話す。
そして、それを妹に伝えてほしいと・・・(笑)
妹に電話したら、「仕方がないっしょ」と2歳と、4か月の子を背負って、出かけ来たさ~~~とあっけらかんに話す。
計画通りに進まないととても残念がる夫。
けど、人の命に関わる時には、優先してもいいと思うんだけれど、「ごめん」って思うんだろうね。
子どもにだけは、心が全開になる夫は、その時間が少なくなってしまって悔しいやら、おじさんと会えなかったことが残念やら多分複雑な気持ちだろうね。
けど、呼んでくれてたと私は思うよ。
夫は人の死にはあまり直面していない。
最初の葬儀は高専時代に自殺した友人の、空っぽの棺。
詳しくはリンクしている「網走探信」を読んでいただければわかると思うけれど、19歳で何人かの友人が自殺している。
逆に私は3歳から、葬儀にたった一人で祖父の家にいて体験した。
私の親戚にも自殺が多い。
12月には103歳まで生きた祖母が亡くなった。
父はその葬儀に妹たちがいたことも覚えていない。
どちらも認知症だから、幸せな人生かもしれないね。
さて、私も自分の死生観をしっかりもって、生きていくよ。
しっかりまーさんに私たちの後ろ姿を見てもらって生きていくよ。
にほんブログ村
娘は逆に全国中に彼女の存在を喜んでくれる人や、不登校時代に励ましたり、マイナスの感情をプラスにするために、支えてくれた人もたくさんいる。
ただ同年代の友人が少ないのは、ほんの少し彼女が大人なのだろうと私は思っている。
日曜日に友達と遊んではいけない・・・という日常であれば、友人は少なくて当然だし、それに加え、転勤族だったので、札幌、滝の上、東京、そして函館と環境が変わっているのだから、それも仕方がない。
夫は周りからいい人だと評価される。(笑)
仕事も子どものためにはとても必死だし、娘にも大切にされている。
仕事の関係で暴力や子どもの人権にかかわる研修を受けてからは、本当にいろんなことに努力をしている。
私が父親と対峙するように、夫も自分の両親と対峙し、彼なりの人生を歩いている。
私にできることがあるとすれば、彼が両親に言いにくいと思っている彼の気持ちを伝えること。
ただ、攻撃的にはしない。
電話などで、彼のことに関して愚痴が出てきたら、「それは彼を否定してることになるんですよ」と伝える。
スパルタとされていた教育は兄を見てるだけで、怖かったというし、次男だからそれなりにかしこく立ち回ったと思う。
今、彼は大好きだったおじさんと対話してるのだろう。
実家を地獄のような場所という子どもが悪いのか、そうしてしまった親が悪いのか、そんな単純な問題ではないと思うけれど、居心地が悪いのは確かなのだ。
そんな状況でいて、私の妹の子どもとゆっくり遊んであげたいと思っていたのにそれが出来ない・・・と残念そうに電話で話す。
そして、それを妹に伝えてほしいと・・・(笑)
妹に電話したら、「仕方がないっしょ」と2歳と、4か月の子を背負って、出かけ来たさ~~~とあっけらかんに話す。
計画通りに進まないととても残念がる夫。
けど、人の命に関わる時には、優先してもいいと思うんだけれど、「ごめん」って思うんだろうね。
子どもにだけは、心が全開になる夫は、その時間が少なくなってしまって悔しいやら、おじさんと会えなかったことが残念やら多分複雑な気持ちだろうね。
けど、呼んでくれてたと私は思うよ。
夫は人の死にはあまり直面していない。
最初の葬儀は高専時代に自殺した友人の、空っぽの棺。
詳しくはリンクしている「網走探信」を読んでいただければわかると思うけれど、19歳で何人かの友人が自殺している。
逆に私は3歳から、葬儀にたった一人で祖父の家にいて体験した。
私の親戚にも自殺が多い。
12月には103歳まで生きた祖母が亡くなった。
父はその葬儀に妹たちがいたことも覚えていない。
どちらも認知症だから、幸せな人生かもしれないね。
さて、私も自分の死生観をしっかりもって、生きていくよ。
しっかりまーさんに私たちの後ろ姿を見てもらって生きていくよ。
にほんブログ村
今朝早く電話が鳴った。
昨日の夜、夫が唯一安らぎをくれた母方の親戚のところによるかどうか、迷っているとのことだった。
Drで、いろんな経験をしながら、いろんな話をしてくれた人でもあり、結婚してから何度もあったわけではないけれど、確かに夫を一人の人として、見守ってくれていたんだろうと思うような人だった。
認知症もあり、すっかり弱っていたと聞いていたので、今年はもう会えないかもしれないから寄ってくると夫は話していた。
実家にもまーさんが「おばあちゃんのつくる旨煮とお雑煮が好きなんだよね」と電話で話していたのだけれど、「明日行くよ」という電話のあとで、「来てもいない」と祖母から折り返し電話が来た。
夫は、自分たちが行くことが迷惑なのか?というモードに入り、そのおじさんの所に行くもの、母から「来ないで欲しい」と言われ、どう思う?と電話相談だった。
その声は暗く沈んでいて、彼らしくない。
夫も自分を責める性格だから、「来ないで欲しい」と言われると自己否定をされたようで悲しくなるのだろう。
でも、私は「年齢を考えたら来年はないかもしれないし、
行こうと思ったときに行動しておかないと後悔するよ。
自分で決めたことだから、お母さんは関係ないよ。
kenちゃんがしたいことをするべきで、
そしてその責任も自分が持てばだれもなにもいわない。
だから、行っておいで。
もしお母さんにあったら、自分の気持ちで来たんだ。
そういえばいいし、もうお母さんにコントロールされる必要はないんだよ」と
母の言葉からの呪縛から解いた。
・・・で今朝の電話は、そのおじさんが亡くなったという知らせだった。
実家にいっても、祖母はいないと連絡を受けていたのだけれど、
急遽その祖母を乗せてそのおじさんの所に行くことになったから・・・と。
「kenちゃんを呼んでたんだよ。
しっかりありがとうって言ってきたらいいよ。」と電話を切った。
実家を訪問するにあたり、私は最近行かないので、どんな評価を受けているのかわからない。
いつだったか、電話で彼の母に
「条件付きの愛情は彼にとってつらかったと思いますよ」と話したことがある。
彼の父は軍人であったこともあるのと、4男で「必要のない子ども」として生まれ育った。
けれど、植物を愛し、それなりの地位まで仕事で功績を得た。
だけど、言葉の端端に、私の父と同じ匂いがする。
秋葉原の大量殺人事件の時に、両親の会見があったあと、
夫が電話で聞きたいことがあるんだ。
あのお父さん、誰かに似てないか? と聞いてきた。
それは、どう答えてほしいのかすぐわかった。
「あなたのお父さんでしょ」
「やっぱりそうだよな」
彼は誕生の時に、仮死状態で生まれ、(へその緒が途中で切れた)
そして、蘇生し喜んだのもつかのま、頭が大きいことから、水頭症を疑われ、
幼児期は斜視であることで何度も検査や手術を受けた。
そのたびにがっかりする両親の顔を見るのが嫌で、
自分の意思で手術をしない道を選んだ。
彼が彼であるために。
日曜日に友達と遊ぶ約束をすると「お父さんと遊ぶ日だろう」と怒られてきた。
その遊びは目の訓練のための、キャッチボールで、死を想像するくらい怖いボールだったらしい。
それはわが父も同じで、どんな時も、真剣に投げてくるから、子どもの私たちでは
「怖い」以外何物でもない。
そんな状況にあるkenをすくってくれたのが、そのおじさんだろう。
多分葬式には出られないので、最後の別れだと思う。
いっぱい泣いて、その姿をまーさんに見てもらって欲しい。
形だけの葬儀だけが別れじゃない。
心の奥底でたくさん泣いてきてほしい。
私たちは、結婚するときに誓う。
健やかなる時も病める時も、愛をはぐくむことを誓いますか?
どんな夫婦も離婚の危機があったり、死別があったり、
それは結婚した時にもう決まっている道なのかもしれない。
私は夫にいろんな経験をさせてしまったけれど、
夫のインチャイにも楽しいことや、
うれしいことがたくさん訪れがあればいいなと思っている。
えっとちゃんは、3歳くらいでとてもかわいい。
多分斜視が発見される前のころだろうと思うけれど、
そんなに大変な障がいでもないのに親が必死になってしまう。
子ども自身が「自分はだめなんだ」と思ってしまう。
けれど、「命」さえあれば、なんとでもなるんだじゃないのかな。
この歌は、きっと結婚式でたくさん歌われるだろう。
もし自分がそんな機会に恵まれたら、想いをこめよう。
それぞれが大切な存在で、これからもそうなんだよ。
だから、これからの人生は、自分たちが作っていってほしい。
自分たちの価値観を大切に、時には喧嘩して、気持ちを言葉にして、よく話しあって夫婦ってなに?って考えて行ってね。
そんな気持ちを込めて歌いたい。
けど、もう結婚式なんてないか・・・・。(笑)
にほんブログ村
1975年だから、15歳。
深夜ラジオから流れていたと思われる。
だから、歌っている人の姿を見たのはつい最近。
名前も思い出せなくて、なんだっけ? 歌詞も覚えてないから、見つけられない(笑)
いつだったか、やっとつながってCDを買った。 中3か高校一年か・・・。
やっぱり受験の年なのかな。 夜は起きてないと危険だから、ずっと起きていたよ。
父が寝てしまうまでね。 このときは、もう再婚してたから、Yさんが妹になっていて、同じ部屋で過ごしてた。
彼女は、ピアノも習っていて、勉強ができて自慢の娘だったよ。
あとで大人になってから、話した時には、「勉強するしか、道がなかった」って聞いた。
そうだよね。あの暴力からは逃れられない。特別な子どもでいないとね。
そんなときに、聞こえていた「愛がすべて」なんだ。
にほんブログ村
年末に駅伝の映画を観たのもあって、気になって携帯のテレビで見ていた。
そもそも、あまりテレビを見ないので、CMとかが突然うるさくなるのも好きじゃないのよね。
タスキを繋げられなかった大学もあって、悔しいとか悲しいとか単純な言葉では表現できない感情を抱えているだろうな・・・と思いながら見ていた。
去年、途中棄権をした選手を先輩がどんなふうに支えてきたかとか、様々な思いを抱えていることをテレビは伝えています。
タスキがつながったとか、つながらなかったとか目に見えるものだけじゃないってことを伝えているのかもしれない。
映画でも駅伝は「速さではなく、強さ」なんだって言ってたけれど、1人1人の心の持ち方なのかなと、思う。
私の父は結構スポーツ万能な人で、高校野球でもあと一歩で甲子園だったらしい。けれど、いつまでも、「あいつが球を落とさなければ・・・」と過去の栄光にこだわっていた。
私はそれが嫌で、スポーツにはあまり興味がない。
それなりに、できるけれど、選手になろうなんて思わなかった。
いつまでも他人のせいにしている姿は子どもの私から見ても、いい感じがしなかった。
それは小学校に入る前の話で、父はよく野球を地元の高校のグランドでしていたけれど、弟が球に当たって顔面をぶつけた時も、私を叱るだけで、弟の心配はしていなかった。
なんていうか、自分の体験、対面だけが大切で、それを守るだけで必死なんだろうね。
それだけ悔しい想いをして生きてきたってことだろうけれど、その悔しさを子どもに八つ当たりされてもね・・・・って思う。
昨日雪の中、妹夫婦と一緒に年始に行ったまーさんと夫は、「やせてるけど、いつものHIROSHIさんだったよ」と報告。
大腸ガンプラス認知症が進んでいるので、本人は楽しそうらしいです。
天気を気にして、「早く行け」と何度も言うので、長居はしなかったようだけれど、いつもの自分でいられることはよかったねと本音の部分で思う。
それは、悲しそうにしてたよなんて聞いてしまうと、罪悪感に苛まれるからだ。(笑)
また、私のせい??って気持ちになってしまうから、そのままのHIROSHIさんでいてもらわないと、困る。
私は自分のことは、もう嘆いたりしない。
何度も、同じことを言っているように見えるかもしれないけれど、たくさん人格がいる分何度も同じことを宣言していかないと、全員が納得しなければ、進めない。
ただ、過去に振り回されてる時間がもったいないかも?とは実感できた2009年だったから、来月誕生日もくるし、前向きじゃなくて、前を向いて歩こうって思う。
下ばっかり向いていたから季節もわからなかったし(笑)
今日はいつ?っていうのも朝確認しないと、わからないし。(笑)
曜日もわからないから、毎日確認だし、まーさんがいないと、本当にわけがわからない人になってしまいそう。(笑)
人との距離がわかるようになってきたけど、もう少し習慣化されるといいな。
今日来た年賀状に、EXILEのSHOKICHIは僕の教え子です・・・って書いてあった。(笑)
自分に出来ることを自慢するんじゃなくて、出来るようになったことを伝えたられる大人になりたい。(基本あまり自慢ってしたことってないかもしれない)
もっと褒めて!!
っては、言ってるかもしれない。
自分のしていることはそんなに大したことではなくて、誰でもできるしぃ・・・。
…と思っていたから。
自分の基準が最低だと思っていることも多いけど、中には、人の悪いところを探すのも得意な私もいる。(これは母が得意だった)
彼は、とても歌がうまくて、大学からピアノを始めた人だったけれど、すぐ♪がかけていつも「いいなぁ。。。。」って思っていたんだ。
けど、何時も心配してくれてて、話をし始めると、お互いとまらない。
何年も離れているけれど、すぐ青春時代に戻れるんだ。
そういえば、若いころを知っている貴重な人かも知れない。(笑)
よく彼の車から、飛び出したっけね。(笑)
その彼の母校と関わっているのもなにかの縁なのかもしれないね。
若い時に経験できることって、人生の栄養になるんだね。
HIROSHIさんは、何を栄養にして生きてきたんだろう。
楽しいことはありましたか?
もう少しで、人生が終わっちゃうよ。
楽しんでくださいね。
私は私で、自分の歴史を作るから。
あなたがいつも言っていた「くだらない」ことをこれからいっぱい経験して、私の歴史を作るから。
もっと人間として、いろんな話が出来る親子でいれたらよかったなと思うけれど、私は、もう「くだらない」と言われるのが嫌だから、あなたの世界には入らない。
いつもとかわらないHIROSHIさんでいて、その世界で楽しんでほしい。
お友達や、だれかに愚痴を聞いてもらってください。
今、駅伝や映画とか、音楽とか、いろんなことで感動出来るのは、「くだらない」ことを一生懸命続けてきた人からもらったものだと思う。
あなたのいう、「くだらない世界」とっても大切だったよ。
それをあなたに伝えられないのは残念だけれど、もう娘としては努力しない。
疲れたよ。
どんな親でも、親だから・・・・って言われるたびに反抗していたけれど、「そうなんだな」って近頃思う。
親であってほしくないけれど、親の影響ってすごい。
やっぱり背中をみて過ごす力というか、影響ってものすごい。
刷り込みや思い込みってすごい。
アルバムの写真を見て、3歳までは普通のお父さんだったんだねって、わかったよ。ありがとう。
それもなければ、私はどうなっていたんだろうと想像すると怖いね。
母の言葉を思い出した。
弟が生まれる前までは、父が大好きだったのにね・・・。ビールをついであげたり、よく遊んだりしたのに、どうして嫌いになったんだろうね・・・・と人ごとのように言った言葉を思い出した。
だって、大好きなママに暴力をふるうパパは嫌いだろう。(笑)
大好きなママは、弟が生まれると、私を置き去りにしたんだもん。
どっちも嫌いだよ。
大切にしてもらってないんだから。
けど、好きになってもらいたかったから、頑張ったんだよ。
ピアノも、買い物も、部活にも入れずに・・・。
それでも「お姉ちゃんは出来が悪い」って言ってたよね。
それが悲しかったし、つらかったから、父からの暴力にも立ち向かってあなたを守ろうとしたのに、私を本当に何の説明もなく、置き去りにしたから、小さなkasumiが誕生したんだよ。
そこから、小さなkasumiにであうまで、長かったよ。
まるで、箱根駅伝みたいだよ。
1人でタスキをつなげてきたけど、応援してくれた人もいたし、見守ってくれていた人もいたし、支えてくれた人もいたし、待っていてくれた人もいたってことなんだね。
・・・・って考えると結構いるね、つながっていた人。
にほんブログ村
そもそも、あまりテレビを見ないので、CMとかが突然うるさくなるのも好きじゃないのよね。
タスキを繋げられなかった大学もあって、悔しいとか悲しいとか単純な言葉では表現できない感情を抱えているだろうな・・・と思いながら見ていた。
去年、途中棄権をした選手を先輩がどんなふうに支えてきたかとか、様々な思いを抱えていることをテレビは伝えています。
タスキがつながったとか、つながらなかったとか目に見えるものだけじゃないってことを伝えているのかもしれない。
映画でも駅伝は「速さではなく、強さ」なんだって言ってたけれど、1人1人の心の持ち方なのかなと、思う。
私の父は結構スポーツ万能な人で、高校野球でもあと一歩で甲子園だったらしい。けれど、いつまでも、「あいつが球を落とさなければ・・・」と過去の栄光にこだわっていた。
私はそれが嫌で、スポーツにはあまり興味がない。
それなりに、できるけれど、選手になろうなんて思わなかった。
いつまでも他人のせいにしている姿は子どもの私から見ても、いい感じがしなかった。
それは小学校に入る前の話で、父はよく野球を地元の高校のグランドでしていたけれど、弟が球に当たって顔面をぶつけた時も、私を叱るだけで、弟の心配はしていなかった。
なんていうか、自分の体験、対面だけが大切で、それを守るだけで必死なんだろうね。
それだけ悔しい想いをして生きてきたってことだろうけれど、その悔しさを子どもに八つ当たりされてもね・・・・って思う。
昨日雪の中、妹夫婦と一緒に年始に行ったまーさんと夫は、「やせてるけど、いつものHIROSHIさんだったよ」と報告。
大腸ガンプラス認知症が進んでいるので、本人は楽しそうらしいです。
天気を気にして、「早く行け」と何度も言うので、長居はしなかったようだけれど、いつもの自分でいられることはよかったねと本音の部分で思う。
それは、悲しそうにしてたよなんて聞いてしまうと、罪悪感に苛まれるからだ。(笑)
また、私のせい??って気持ちになってしまうから、そのままのHIROSHIさんでいてもらわないと、困る。
私は自分のことは、もう嘆いたりしない。
何度も、同じことを言っているように見えるかもしれないけれど、たくさん人格がいる分何度も同じことを宣言していかないと、全員が納得しなければ、進めない。
ただ、過去に振り回されてる時間がもったいないかも?とは実感できた2009年だったから、来月誕生日もくるし、前向きじゃなくて、前を向いて歩こうって思う。
下ばっかり向いていたから季節もわからなかったし(笑)
今日はいつ?っていうのも朝確認しないと、わからないし。(笑)
曜日もわからないから、毎日確認だし、まーさんがいないと、本当にわけがわからない人になってしまいそう。(笑)
人との距離がわかるようになってきたけど、もう少し習慣化されるといいな。
今日来た年賀状に、EXILEのSHOKICHIは僕の教え子です・・・って書いてあった。(笑)
自分に出来ることを自慢するんじゃなくて、出来るようになったことを伝えたられる大人になりたい。(基本あまり自慢ってしたことってないかもしれない)
もっと褒めて!!
っては、言ってるかもしれない。
自分のしていることはそんなに大したことではなくて、誰でもできるしぃ・・・。
…と思っていたから。
自分の基準が最低だと思っていることも多いけど、中には、人の悪いところを探すのも得意な私もいる。(これは母が得意だった)
彼は、とても歌がうまくて、大学からピアノを始めた人だったけれど、すぐ♪がかけていつも「いいなぁ。。。。」って思っていたんだ。
けど、何時も心配してくれてて、話をし始めると、お互いとまらない。
何年も離れているけれど、すぐ青春時代に戻れるんだ。
そういえば、若いころを知っている貴重な人かも知れない。(笑)
よく彼の車から、飛び出したっけね。(笑)
その彼の母校と関わっているのもなにかの縁なのかもしれないね。
若い時に経験できることって、人生の栄養になるんだね。
HIROSHIさんは、何を栄養にして生きてきたんだろう。
楽しいことはありましたか?
もう少しで、人生が終わっちゃうよ。
楽しんでくださいね。
私は私で、自分の歴史を作るから。
あなたがいつも言っていた「くだらない」ことをこれからいっぱい経験して、私の歴史を作るから。
もっと人間として、いろんな話が出来る親子でいれたらよかったなと思うけれど、私は、もう「くだらない」と言われるのが嫌だから、あなたの世界には入らない。
いつもとかわらないHIROSHIさんでいて、その世界で楽しんでほしい。
お友達や、だれかに愚痴を聞いてもらってください。
今、駅伝や映画とか、音楽とか、いろんなことで感動出来るのは、「くだらない」ことを一生懸命続けてきた人からもらったものだと思う。
あなたのいう、「くだらない世界」とっても大切だったよ。
それをあなたに伝えられないのは残念だけれど、もう娘としては努力しない。
疲れたよ。
どんな親でも、親だから・・・・って言われるたびに反抗していたけれど、「そうなんだな」って近頃思う。
親であってほしくないけれど、親の影響ってすごい。
やっぱり背中をみて過ごす力というか、影響ってものすごい。
刷り込みや思い込みってすごい。
アルバムの写真を見て、3歳までは普通のお父さんだったんだねって、わかったよ。ありがとう。
それもなければ、私はどうなっていたんだろうと想像すると怖いね。
母の言葉を思い出した。
弟が生まれる前までは、父が大好きだったのにね・・・。ビールをついであげたり、よく遊んだりしたのに、どうして嫌いになったんだろうね・・・・と人ごとのように言った言葉を思い出した。
だって、大好きなママに暴力をふるうパパは嫌いだろう。(笑)
大好きなママは、弟が生まれると、私を置き去りにしたんだもん。
どっちも嫌いだよ。
大切にしてもらってないんだから。
けど、好きになってもらいたかったから、頑張ったんだよ。
ピアノも、買い物も、部活にも入れずに・・・。
それでも「お姉ちゃんは出来が悪い」って言ってたよね。
それが悲しかったし、つらかったから、父からの暴力にも立ち向かってあなたを守ろうとしたのに、私を本当に何の説明もなく、置き去りにしたから、小さなkasumiが誕生したんだよ。
そこから、小さなkasumiにであうまで、長かったよ。
まるで、箱根駅伝みたいだよ。
1人でタスキをつなげてきたけど、応援してくれた人もいたし、見守ってくれていた人もいたし、支えてくれた人もいたし、待っていてくれた人もいたってことなんだね。
・・・・って考えると結構いるね、つながっていた人。
にほんブログ村