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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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 今日はライブでした。

非常に快感です。(笑)

あんな広いところで、のびのびと表現できるなんて、本当に夢のようでした。

実は人前に立つのがこんなに「好き」(笑)だなんて新発見です。

・・・というのも、りぼんやm○kaさんや、わたげのみんなと気持ちを共有できるからで、一人で何かをしても、こんな気持ちにはならないだろうね。プププッ (*^m^)o==3

楽しかった。
うれしかった。

もっと、もっと広がるといいなぁ。。。

あっという間の時間だった。

もっと歌いたい、もっと表現したい。
そんな気持ちでいっぱいだぁ~~~~~~。

しかも、歌いたくなってきた。練習しよっと。(笑)

腹筋と暗譜だな・・・まずは・・・。

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 ユニバーサル上映映画祭の前夜祭という名目で、旭山動物園の上映の前にとっても大きな舞台で、私たちの活動が披露できる。

こんな日がいつか来たらいいなぁ・・・なんて、ぼんやりとした夢を持っていたけれど、まさか「今年?!」と驚いた。

りぼんに出会ったのは今年の春。
m〇kaにであったのも、春。


いつも、舞台の袖に近いところで、必死に頑張ってきたけれど、今日は舞台の真ん中に立つ。

音楽と手話の融合というか、音楽つき手話。

今までは手話つき音楽。

今日は音楽も手話も、一緒に絵の具の色が混ざり合うようにそれぞれを尊重しながら、それぞれを主張してみている、聴いている人に楽しんでもらいたい。

こんな、音楽もあるんだ・・・っていう気持ちを持ってその気持ちを誰かに伝えてもらいたい。

それが広がって、どんどんわたげが飛んで行ってあちこちに種が蒔かれて、それぞれの花を咲かせてもらいたい。

もちろん、一緒に活動したいっていう人が増えてくれるたら、もっとうれしいし、願ってもないことだけれど。




私たちが届けたいのは、人を受け入れる心。
どんな人でも、優しくされる社会。
差別や偏見のない意識を持つ人をたくさん増やすこと。

普通に、なんでもできる人だけが幸せになるのが当たり前の世界から、どんなに生き難い人でも、一分でも2分でも「生きてて良かった~~~」と思ってもらえる瞬間を作り出すこと。


そして、明日も頑張るか~~と、思ってもらえること。

人格否定や、性格が悪い、勉強ができないと、~~ができない人を非難する社会ではなくて、できることを発見できてそれを認めていける社会を作ること。

どんな人にだって夢があってあたりまえ。

夢は叶うもの。

最初に考えていた形とは違っても、願い続ければいつか叶う。

それをいろんな人に伝えたい。
どうせ・・・・私なんてっていう人を減らすこと。

今より、頑張らなくってもいいよって。
辛い時は、立ち止まってもいいんだよ。
他の人と比べる必要なんてないんだよって。


旭山動物園物語の、園長役の台詞に、「自然界では、弱者は淘汰されます。けれど、人間だけは言葉を持っていて、弱者を排他しない動物なんです」がある。

本来は、人ってそうだったんだろうと思うけれど、今の社会はどうだろう?

いじめ。
人と違うことをすると、いやみ、ねたみ、嫉妬いろんな感情で、その人を排除しようとする。
それは競争社会にしてしまった教育の、産物。
これって、だれが作ったのかと考えると人間なんだ。

けれど、これだけ社会問題になって小さな命が消えて行ってしまう。

虐待もしかり、自殺もしかり。

私は人格が分かれなければとっくに死んじゃっている。

だから、私には人格がたくさんいることは、私の命綱だった。

いまからでも、小さい時の忘れ物は取りに行ける。



行こう。取りに行こう。








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・・・つづきはこちら

 第4回北海道ユニバーサル上映映画祭です。

なんのこっちゃ・・と思われる方、検索して見てくだされ。(笑)


第3回までは、ミュージックサインの私たちに、まだ名前もなく、ほそぼそと地道にコツコツと、活動を続けてきました。

去年は「石井ちゃんとゆく」でも紹介されました。

今年はNHKで北海道版と、全国のニュースでも取り上げられました。

さて、なんでしょ?と思う方にちょこっとだけ説明を。

kasumiこと、私は長いこと手話の世界で死ぬほど頑張ってきました。

・・・・・・2回死ぬかと思ったんですが、それは子ども時代の私の悲鳴で生き延びたことになります。

仕事そのものは大好きでしたし、やめたくはなかったのが本音です。

ですが・・・。


もっと楽しくしてよ・・・と大人の私の体裁などおかまいなしに、心が叫びました。
そして、体も叫び、家族も叫んだので仕事をやめました。詳しくは快復編を。


それで、インクルーシブ友の会の島太郎こと、代表と出会い、(* ̄3)<<《愚痴愚痴愚痴愚痴愚…をいっぱい聴いてもらって「kasumiさんは、間違っていませんよ」と何度も何度も呪文をかけられ、お世話になった聴こえない人たちからの笑顔で、生き延びました。
もちろん、そこには家族(現)の愛もあって・・・・・。

その島太郎さんはたいへんな策略家で「kasumiさん、ミュージックサイン広げましょう」という一言で、どんどん策略は進みます。

明日は、その策略のひとつで、おおきな舞台でご披露します。
りぼん、m〇ka との演奏です。


もう少ししたら、ミュージックサインつきの映像がとれて、ネットに上がると思うので、その時まで待っててね



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自分で、きっとこういうことが違うんだろうな・・・と思うことを羅列して見る。

一番大きな違いは、人格が別れているってこと。

自覚したのは、3年くらい前かな。

うすうすとは解っていたけれど、子ども時代の体験で自分の奥底にインナーチャイルドが置き去りにされてて、ずっと私を待っていてくれて、その子とであえたことで、自分が抱えてきた悲しさ、悔しさ、恨み、憎しみ、痛さ、辛さという感情があるってことを知った。


それ以前から、「人が変わったようになる」と言われたこともあったけれど、自分自身は謎(?_?)だらけだった。

娘が生まれてからは、「母親になると人が変わるね」と声のトーンも、態度も、本当に別人に見えたらしい。


それがあとから、「別人」だったと言うことが解って、納得もしたけれど、私が生きてきていろいろなトラブルに巻き込まれるのは人格交代があるからだと、悟った。


記憶が途切れているのは、幼少期、学童期、中学、高校と家を離れるまでの18年間の中が一番多いし、突然授業の内容が(?_?)はてなになる。

けんかした記憶のないひとと、仲たがいをする。
それを周りの人は、「ちょっとやりずぎ」と非難していた。

何かをしたのだろうけれど、本人は別な人のしたことだから、もちろん記憶にはない。

最近、多重の関係の本を読むと、「これこれ、私」だと笑ってしまう。

ある程度、心の傷の回復作業は進んでいるし、それぞれの人格さんたちとアプローチできるので、今はあまり困っていない。

けれど、娘の反抗期にはやきもちを焼く、男の子が出現していて、困ったことも多くある。

娘も夫もその状態の私を良く理解してて、「母ちゃん自身じゃない人がしていることだから」と割り切ってくれることもあったり、「まったく、何人に話せば納得するんだ」ということも、あったりする。

なので、今はそんなにないけれど、「ここはどこ?私はだれ?」みたいな人生だった。(笑)

それが私にとっては「普通」のことで、自分の記憶を頼りに考えると、一人の人格でいたことってあるのか、ないのかわからない。

一番小さい私は「座布団の上で泣いている赤ちゃん」
この赤ちゃんは、最近出会ったんだけれど、お腹がすいているみたいだし、だれも抱き上げてくれない。
そして、そのうち泣くのをやめる。

こういうことがいっぱいだから、私は泣けないんだろうと思う。

次の私は3歳で、弟が生まれてからだれかも見向きもされなくなった長女。
食べてないから、細いしかわいらしくない。
たしかに、弟の方がかわいいお顔だったけれど、彼が生まれる直後、私は祖父の家に預けられて、(なぜそうなるのかがわからないまま汽車に乗っていつまでも泣いていたと高校生の時に、祖父から聴いた。)
そのころの写真も、暗い顔をしてる。

それでも、母親を離れる時に、大泣きしたということだから、どんなに無視されても、子どもとしての母親の存在はあったのかもしれない。


次の私は10歳くらいで、母親がずっとDVにあっていて、いつも怪我をしていたし、その治療に連れて行くのは私の役目だった。
それでも私は母を守りたくて、喧嘩のど真ん中に入って、変わりに殴られたり蹴飛ばされたり、時には体が飛んでよく頭や背中を打った。

私が蘇生能力が高いのは、このおかげだと思う。(笑)

たぶん母は精神を病んでいて、入院したり、実家に帰っていたのかもしれないが、実のところなぜ突然消えるのかわからない。

いつものように、家に帰るとだれもいない、ご飯もない、そんなことはエンドレスにあった。

だから私は自分ひとりだと食事を用意できない。

次の私は中2の男の子。

男だったらこんなことにならなかっただろうと思っている自分がいる。
もし、私が男の子だたら、もっと大事にされていただろうし、父親からの性暴力はなかっただろう。
第一子で女の子だったから、性的な暴力にもあってしまった。
だから、男の子。

この子は、娘のまーさんがうらやましい。けれど、守ってあげたい気持ちも多くて、わりとアップダウンが激しい。けど、不登校の彼女の気持ちが一番わかっていたのも彼だし、「てめぇ あまえんじゃねぇ」と思っていたのも彼だろう。(笑)

実家を出てからは人格が新しく作られることはないけれど)
ざっと数えて社会人適応人格と、何があっても適応する人格もいれるとやっぱり6人か。

本来の私は自信のない、人と関われないくらい性格だからともすると、その主人格がいることも忘れている。

・・・・っていうか、一番影が薄い。


今赤ちゃん人格と、その自信のない主人格と、いろいろ話をしたいのだけれど、あまりでてこない。

だから、楽しいこと経験すること、おいしい経験をすること、好きだったことをすること。
ピアノが好きだったのはその主人格さんだから、歌うことは彼女のためなのかもしれない。


自分のために流す涙はとっても大事なんだ。
いつも、いつも「泣くもんか!」と戦ってきた私には泣くことが自分を労わることになる。

泣いていいよ。頑張ってきた私たちに、いっぱい泣こうね。

これが人と違うところかな。

私は夜が怖くて眠れない。
誰かがいやなことをするんじゃないかって、脳の回路がつながっているから、
寝ないで、番をしている男の子がいる。

もう眠っていいよ。

岩崎広美の「マドンナたちのララバイ」が好きなのも、こういう理由があるのね。きっと。(笑)


美里ちゃんの歌が気になるのは、こんな青春時代だったら楽しいだろうなと思うからだ。

娘よ。
いっぱい恋をして、いっぱい勉強してくいのない未成年時代を過ごしておくれ。

キャピ、キャピしている君を見ているのが一番楽しい。

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・・・つづきはこちら

 かねてからの懸案事項の肝心な手話の活動の広報紙を作っていた。

パーソナル編集長というソフトを手にいれたので、それを使っていたのだけれど、いまいち肝心なところでパソコンが固まる。

古いソフトだからなのか、使い方が悪いのか、パソコンの初心者みたいなことをしでかして、やっと、校正をしてもらえる段階になった。

こういうことは、苦手だから避けてきたのだけれど、最近はあえてチャレンジみたいなこともしている。
それなり・・・・・なんだけれど、完璧主義がじゃまをして、納得が行かない。

けれど、ま・・・いいかって感じで、あまりこだわらなくなったけど・・・。

パソコンは新しいのに、技がないって笑える。

天気がよくないっていうのもあって、あまり気持ちが晴れないなぁ。

楽しいことが終わるといつもこうなんだ。

また、楽しいことがあるはずなのに、次の日ってそう思えなくなる自分がなんだこりゃ・・・って。
こういう時こそ「認知療法」なんだけどね。

・・・とうだうだしているうちに、またここから抜け出せってことで、4日にライブをする曲の変更が・・・。

しかも、新曲で。


これからその世界に======☆(((((((((^ー^*)ノイッテキマース♪ 

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