忍者ブログ

虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 我が娘・・・。
先日テレビのニュースで活動が取り合げられて、いろんな反応が・・・ありました。

ひとつは大阪からオファー(笑)が・・・というより、問い合わせ。

これはたった3分といっても、全国放送の効果ですね。

今日は、電話でと、知り合いからねぇねに、応募したらいいと思うよっという案内をもらいました。

本人は、友人たちとお泊りなのでまだ知りませんが、ある生命会社の企画のボランティアについての大会?のようなものがあるらしいです。

ブロックでの受賞や全国でのフォーラムや、応募者の中から2組がワシントンへ留学・・・っていう道もあって、受賞できると賞金もあるんだよ・・・って。

ある人は、ミュージックサインを広めるチャンスだから、ぜひ全国発信して欲しいと。

もう一人の人は、ニュースでミュージックサインのねぇねを見てからずっと探していたんですって。

たまたま地方局のFMで私は7月に、その人は昨日同じ人の番組に出て、たまたま話題になって、「kasumiさんの電話番号を教えたので、だれ?っていわないでお話聞いてくださいねえ、私もねぇねにぜひ応募して、全国に伝えて欲しいって思うので・・・」と笑っていた。


さて・・・どうなりますか。

ちなみに、ねぇねを探してくれていた人は、高校3年くらいだろうと思って、今年が最後のチャンスだと思って、必死だったんです・・・と、実はまだ一年生なんですよというと、「しっかりしているから18歳くらいかと思ってました」。


そうそう取材の時は、しっかりしているんですね。(笑)
しかも話すこともコンパクトで、伝わるような言葉を選んでいるし。。


ミュージックサインってなに?って思う方。
ちょっと勇気をだして、見てもらいたいと思います。
うたのユニットの人たちがリボンの3人。

手話、楽器をしているのがミュージックサインわたげ
今回は、コーラスに白百合高校の吹奏楽部のみなさんが参加しています。
http://www.youtube.com/watch?v=c3LGWTMa4vk&eurl=http://blog.goo.ne.jp/ribon-nami&feature=player_embedded


拍手[0回]

PR
 娘がいじめを機に不登校を実施した時に、私は思った。取り合えず、自宅は安心できる場所なんだ・・・と。

それでも、反抗期を経験していない私が、娘をねたましく思い、思わず手が出てしまった時には、思い切り家出をした。
自分のことをよくわかるようになってからは、娘には児童相談所の存在と、家出するならこの順番で・・・と話し合っていた。

何かあった時に困る・・・(たとえば父が交通事故にあうとか)ので、連絡先は伝えること、それから、親として家出先には「よろしくお願いします」と連絡できること。
準備してた。

そうなる予感がたぶんあったんだろうね。

普通の家庭では想像できないだろうけれど、娘は夫からも同じことを言われていた。
かあちゃんが、何かしたら逃げろと。

夫は私がとんでもないことをするかもしれないと言う予想ができている。
それは25年連れ添った彼だからこそわかるのだと思う。

それが人格交代していることがわかったら、すっきりしたけれど、私的にはなんでそんなに攻められるんだろうと思っていた(笑)

だって、私には記憶がないのだから。




拍手[0回]

・・・つづきはこちら

  ちょっとしたきっかけで、ある事件に関わっている。
もちろん自分の娘も、まったく心配がないか?というと、危険な世の中だからゼロではない。

ただ、娘の時にはなかったことがいっぱいあって、今の子どもって大変だな・・・と。
それはなにかというと、自分の家に居場所がないこと。

特別、問題児でもない子が、家に帰りたくない。
携帯のメールとかサイトで、暇な人を探して、その日その日を過ごす場所を見つける。

それを「友達」っていう。

なんとも不思議な感覚だけれど、どこかで聞いたことがあるなぁ・・・と思ったら、水谷修さんの講演会だった。

中学3年生くらいで、外泊が何日も続く。
しかも、親は居場所を知らない。
なのに、「いつものことだ」と捜索願もださない。


私は、同じ中3のころは、親に見切りをつけて、「こんな親のせいで自分が不良だとレッテルを貼られるのはごめんだ」と思って、非行に走るのをやめた。

たぶん、その子らの親と同じで、何も気がついていなかったと思う。
・・・っていうか、暴力の嵐だったから、気がつかれないように行動していたと言うのが、事実。

私自身が親をあきらめ始めたのは、小5の時。
特別欲しくもない筆入れやら、便箋を万引きしていて、つかまった時の母の反応。
私の方など見向きもせず、弁解ばかりしていた。
「なに不自由なく育てているのに・・・」

そう、物には不自由していなかったけど・・・・。

お買い物は私のお仕事でした。
あなたは働いていたわけでもなかったのにどうして???

お使いのレベルじゃなくお仕事でした。

そして、会話もなく夜へ。
父が帰ってきたら、殴られると覚悟していた。

「俺に恥をかかせやがって」と言われるだろうと思っていた。
かたづを飲んで・・・。

けど、何も反応がなかった。

その一日を過ごした時に、私は期待もされないし、私の気持ちを誰もわかってもらえないのだ・・・と悟った。



拍手[0回]

・・・つづきはこちら

 まーちん、おめでとう。

そしてありがとう。


8月1日。
花火の日でもありますが、愛娘の誕生日。

93年のこの日は奥尻の地震があった年で、花火は自粛されました。

家の近くの病院で、わっしょい・・・・のパレードの音が聞こえてきました。

今思うと、あのストレスだらけの職場で良くぞ無事に生まれました・・・ってくらい。
だから、彼女は忍耐強いのかもしれない。

母は、妊娠中毒症に軽くかかり、安静にしてないと入院だよと、Drから言われました。

そのときの上司は、別に妊娠なんて病気じゃないんだから、産休なんてとらなくても別にいいんだぞ・・・と8週前からとれるやすみもとれず、やっと6週を切ったところから休ませてもらいました。

今考えると無知というのは恐ろしく(笑)、そうなんだ・・と納得してしまっている私もいたりして。


利尿作用のあるすいかを毎日食べていました。(笑)

拍手[0回]

・・・つづきはこちら

  あまり数は気にしていない私ですが、本日「6万回」このブログが開いてもらえたことを今、知りました。

2003年にHPを作って、6年の時間が過ぎました。
それで、6万ヒットってことは、1年間に1万回このページを開いて読んでくれたってことになります。
ま・・・そのうちの3分の2は自分かもしれないけれど・・・・。

今、とても大変な事例をファシリテートしていまして、先月研修に行ったのはこの事例のためだったのかもしれないと、学んだことを思い出しながら、毎回復習しながら、週1回の会議を進めています。

毎度のことながら、お金にはつながらないことだけれど、少しでもかかわっている人たちが幸せになれたらそれでいいかな?と思ってその重責を担っています。

私が気になっているのはそこにいる子どもたちで、本当に居場所をもとめているんだなぁ。。。。ってことと、心配している大人もいることに気がついてほしいという気持ちで、関わっています。

明日は、その子どもたちと一緒に、ある作業所に行ってきます。
どんなことでもいいから、「気づき」があって、自分の居場所、自分自身の大切さ、関わってくれる人に出会ってもらいたいです。




拍手[0回]

   
Copyright ©  -- 虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by Crambon / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]