虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
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父へ手紙を書いた後いろんなことがあり。(笑)
私の後頭部はこぶだらけ。
それをきいてくれる友人。
日曜に
教会の礼拝に、出かけた。朝に弱い私はそれなりに踏ん張らなければならなく、大変だった。それでも出かけたのには訳があって、賛美歌を聴きたかったのと、神様へ報告したかった事と、その手紙を里親さんのWさんに読んでもらいたかった。
礼拝堂の中に行くと、宣教師夫人が迎えてくれるのだけれど私は親切にされるのはとても苦手で近寄って欲しくない。何度か他の教会でも同じ事を失敗しているので、流石にここでは同じ事はしたくない。だから離れたい。
少し前に小さい子の感情があふれてとまらなくなった時に、パニックになった時も、背中をトントンしてくれるが私はそれは「バンバン」と叩かれているように感じていて、とても耐えられない。
本当は『やめて!!』と叫びたいが大人の私は「さすがにここは教会だからやめようね」とたしなめてしまう。
聖書を読む時も、ここよ、そこよと勝手に私の聖書に触る。
これは私の聖書なの。
勝手に触らないで。
自分でできるんだよと、小さい子は心の中で叫ぶ。
大人の私は「自分で出来ます。」「自分で探せますから」と身振り手ブリを交えながら伝えて見るけれど、一向に変化はない。
いよいよ正餐式が始まる時に、からだが震えだした。小さい子が怖い、この人の隣にいるのは嫌だと限界が来たと私に伝えだした。
だから部屋を出ようとした。
すると夫人は心配してついてくる。
私はこう言うとき、広いところで一人にならないと余計パニックになる。なのに狭い階段を登らせ、二階に連れて行こうと必死だ。
小さい子は、もう歩けない、嫌だ、この人怖いよと、足がすくむ。
うずくまる。小さく小さくうずくまる。
からだも硬くなる。
もう歩けない、やめて、やめて。
それでも手を引っ張り、からだを引きずり二階まで拉致された。(笑)
そのあと、尋問。
どうしたの?聖書の箇所が嫌だったの?賛美が嫌だったの?
祈りがダメだったの?
どうして話してくれないの?
話さないとわからないわよ。
泣いて、泣いて、やめてといっている私に。
ただただNO!と違うと首を横にふるしかない私に、質問攻めだった。
そのうち、私は本当に解離に入った。
聴きたくない。この人嫌だ。どこかに行って。あなたが行かないのなら私が消える。
頭を壁にガンガンとうち続けた。
びっくりしたらしく、その部屋からやっと去って行った。
そこにいた子どもたちは、「どうしたの?泣きたいの?ティッシュそこにあるよ」と持ってきてくれた。
「苦しいの?」
「いっぱい泣いたらいいんだって」と。
そばに寄らず、声をかけてくれただけだけど、優しかった。私を受け入れてくれた。
変な人だと思わずに、普通に接してくれた。
そのあとまたその夫人は、別な部屋に私を連れて行き二人だけにし、話をして落ち着いたら食事に行きましょうと鍵をかけた。
いろんな人が入ってこないようにという配慮なのだろうけれど、私は自分が信頼していない人と二人きりでそれも密室なんてありえない。
ふと階下を見るとカレーライスを準備していたので「手伝っている方が気がまぎれるから下に行きます」といい、その場を離れた。
そして、Wさんの近くて食事の手伝いをして、手紙を書いた事、せっかくの正餐式だったのに残念だったなと伝えた。
Wさんは、手紙を読んで、そのあと、鍵をかけられた同じ部屋に私のために祈ろうと連れて行き、泣きながら「kasumiさんは、やっと重荷を神様に委ねることが出来たと思います、けれども薄くはがれたばかりの心はまだ痛みが伴うことが多いと思うのでどうかイエス様がいつもそばにいて彼女の心に寄り添っていただけるように、彼女にしか出来ない働きを守ってください」と祈ってくれた。
Wさんは「kasumiさん、じぶんのために祈れる?」と聞くので「頑張るかな?」と笑うと「好きに祈っていいんだよ」と。なので「まだまだ天の父なる神様という言葉に馴れませんが、この手紙をきっかけに自分なりの父なる神はどこにいるのかを探していけるように、いつでも空を見ていたいと思います。父をどうかすこしでも楽しい人生だったと言うほうこうに導いてください。」と祈ってきました。
階段で引っ張られた手は筋肉痛、引きずられたからだはあざになっています。
私はやせているし、筋肉が細いのでちょっとした力でも内出血になります。
その事について3人の人に相談したら、二人はその私の気持ちを伝えてくれる事になりました。
それから、その教会を紹介してくれた、
Yさんには「kasumiはどうしたい?」と聞くので、
わたし「教会には行きたい、また逃げたら同じ事になるし、変なひとになるのはヤダ」というと笑って、
Y 「じゃ逃げたらいい
夫人の横に座らなければいいじゃん。(笑)」
わたし「だって、あとから来るんだよ。」
Y 「NO!っていったら?」
わたし「言ってもしてくるよ。」
Y 「ふふ・・。うん、そういう人だから、仕方がない(笑)
そしたら、べつな席に移動だね。(笑)」
わたし「それをしてもいいと思う。?」
Y 「また自分よりも他人が優先の癖が出てきてるよ。
いいじゃん、自分を守るためには何をしてもいいよ。
kasumi、CAPでしょ。(彼女は宣教師でもありますが、CAPでは私若干先輩でし)」
安心できるところを選びなさいよ。出来る事をする。そしてすきな事、嫌な事 をちゃんと自覚することが出来れば、kasumiは楽になれる。わかる??」
(シンガポール人ですが日本語堪能です、言葉が手話っぽいので私かなり彼女の話しかたが好きです)(笑)
彼女は若干年齢的には5歳くらい下なのですが、お姉さん的な人です。さすが快復が終わっている人って感じです、はい。
私には、いつも他人を優先する癖を変えたらもっと楽になれるのにと悟りを開いてくれます。
時系列は前後しますが、この教会のあとyooさんのいる場所に行きCDを受け取りました。
そしておかんに会い、話を聴いてもらいまたまた背中が楽になりました。
根っこがない・・・Σ(=o=;)ギク!!なので、根を生やすために、朝、家中の窓を全開する事、塩もりをすること、海か山に行って深呼吸を10回すること、自分の出来ないと思っている事に勝つ練習をしなさいとのお達しでした。
昨日は湯の川の熱帯植物園の海、今日は五稜郭公園。
何の気なしにいって気がつきましたが、解離をして行方不明になって発見された場所でもありました。(笑)
海は何度入っても泳いで帰ってくる人格がいるので死ねないんだとあきらめた事を思いだしました。
五稜郭公園は雪の中を裸足でパジャマで走った場所でもあります。(笑)
今週は誕生日前の一週間なので中島みゆきの「誕生」を聴きまくります。
今まで出会っていただいた方、話を聴いてくれた人、全ての人に感謝です。娘は今日ひょうひょうと、先生はしょせん先生でしかないと学校に行きました。受験はあと2週間です。
ちなみに私に後頭部はたんこぶだらけです。(笑)
私の後頭部はこぶだらけ。
それをきいてくれる友人。
日曜に
教会の礼拝に、出かけた。朝に弱い私はそれなりに踏ん張らなければならなく、大変だった。それでも出かけたのには訳があって、賛美歌を聴きたかったのと、神様へ報告したかった事と、その手紙を里親さんのWさんに読んでもらいたかった。
礼拝堂の中に行くと、宣教師夫人が迎えてくれるのだけれど私は親切にされるのはとても苦手で近寄って欲しくない。何度か他の教会でも同じ事を失敗しているので、流石にここでは同じ事はしたくない。だから離れたい。
少し前に小さい子の感情があふれてとまらなくなった時に、パニックになった時も、背中をトントンしてくれるが私はそれは「バンバン」と叩かれているように感じていて、とても耐えられない。
本当は『やめて!!』と叫びたいが大人の私は「さすがにここは教会だからやめようね」とたしなめてしまう。
聖書を読む時も、ここよ、そこよと勝手に私の聖書に触る。
これは私の聖書なの。
勝手に触らないで。
自分でできるんだよと、小さい子は心の中で叫ぶ。
大人の私は「自分で出来ます。」「自分で探せますから」と身振り手ブリを交えながら伝えて見るけれど、一向に変化はない。
いよいよ正餐式が始まる時に、からだが震えだした。小さい子が怖い、この人の隣にいるのは嫌だと限界が来たと私に伝えだした。
だから部屋を出ようとした。
すると夫人は心配してついてくる。
私はこう言うとき、広いところで一人にならないと余計パニックになる。なのに狭い階段を登らせ、二階に連れて行こうと必死だ。
小さい子は、もう歩けない、嫌だ、この人怖いよと、足がすくむ。
うずくまる。小さく小さくうずくまる。
からだも硬くなる。
もう歩けない、やめて、やめて。
それでも手を引っ張り、からだを引きずり二階まで拉致された。(笑)
そのあと、尋問。
どうしたの?聖書の箇所が嫌だったの?賛美が嫌だったの?
祈りがダメだったの?
どうして話してくれないの?
話さないとわからないわよ。
泣いて、泣いて、やめてといっている私に。
ただただNO!と違うと首を横にふるしかない私に、質問攻めだった。
そのうち、私は本当に解離に入った。
聴きたくない。この人嫌だ。どこかに行って。あなたが行かないのなら私が消える。
頭を壁にガンガンとうち続けた。
びっくりしたらしく、その部屋からやっと去って行った。
そこにいた子どもたちは、「どうしたの?泣きたいの?ティッシュそこにあるよ」と持ってきてくれた。
「苦しいの?」
「いっぱい泣いたらいいんだって」と。
そばに寄らず、声をかけてくれただけだけど、優しかった。私を受け入れてくれた。
変な人だと思わずに、普通に接してくれた。
そのあとまたその夫人は、別な部屋に私を連れて行き二人だけにし、話をして落ち着いたら食事に行きましょうと鍵をかけた。
いろんな人が入ってこないようにという配慮なのだろうけれど、私は自分が信頼していない人と二人きりでそれも密室なんてありえない。
ふと階下を見るとカレーライスを準備していたので「手伝っている方が気がまぎれるから下に行きます」といい、その場を離れた。
そして、Wさんの近くて食事の手伝いをして、手紙を書いた事、せっかくの正餐式だったのに残念だったなと伝えた。
Wさんは、手紙を読んで、そのあと、鍵をかけられた同じ部屋に私のために祈ろうと連れて行き、泣きながら「kasumiさんは、やっと重荷を神様に委ねることが出来たと思います、けれども薄くはがれたばかりの心はまだ痛みが伴うことが多いと思うのでどうかイエス様がいつもそばにいて彼女の心に寄り添っていただけるように、彼女にしか出来ない働きを守ってください」と祈ってくれた。
Wさんは「kasumiさん、じぶんのために祈れる?」と聞くので「頑張るかな?」と笑うと「好きに祈っていいんだよ」と。なので「まだまだ天の父なる神様という言葉に馴れませんが、この手紙をきっかけに自分なりの父なる神はどこにいるのかを探していけるように、いつでも空を見ていたいと思います。父をどうかすこしでも楽しい人生だったと言うほうこうに導いてください。」と祈ってきました。
階段で引っ張られた手は筋肉痛、引きずられたからだはあざになっています。
私はやせているし、筋肉が細いのでちょっとした力でも内出血になります。
その事について3人の人に相談したら、二人はその私の気持ちを伝えてくれる事になりました。
それから、その教会を紹介してくれた、
Yさんには「kasumiはどうしたい?」と聞くので、
わたし「教会には行きたい、また逃げたら同じ事になるし、変なひとになるのはヤダ」というと笑って、
Y 「じゃ逃げたらいい
夫人の横に座らなければいいじゃん。(笑)」
わたし「だって、あとから来るんだよ。」
Y 「NO!っていったら?」
わたし「言ってもしてくるよ。」
Y 「ふふ・・。うん、そういう人だから、仕方がない(笑)
そしたら、べつな席に移動だね。(笑)」
わたし「それをしてもいいと思う。?」
Y 「また自分よりも他人が優先の癖が出てきてるよ。
いいじゃん、自分を守るためには何をしてもいいよ。
kasumi、CAPでしょ。(彼女は宣教師でもありますが、CAPでは私若干先輩でし)」
安心できるところを選びなさいよ。出来る事をする。そしてすきな事、嫌な事 をちゃんと自覚することが出来れば、kasumiは楽になれる。わかる??」
(シンガポール人ですが日本語堪能です、言葉が手話っぽいので私かなり彼女の話しかたが好きです)(笑)
彼女は若干年齢的には5歳くらい下なのですが、お姉さん的な人です。さすが快復が終わっている人って感じです、はい。
私には、いつも他人を優先する癖を変えたらもっと楽になれるのにと悟りを開いてくれます。
時系列は前後しますが、この教会のあとyooさんのいる場所に行きCDを受け取りました。
そしておかんに会い、話を聴いてもらいまたまた背中が楽になりました。
根っこがない・・・Σ(=o=;)ギク!!なので、根を生やすために、朝、家中の窓を全開する事、塩もりをすること、海か山に行って深呼吸を10回すること、自分の出来ないと思っている事に勝つ練習をしなさいとのお達しでした。
昨日は湯の川の熱帯植物園の海、今日は五稜郭公園。
何の気なしにいって気がつきましたが、解離をして行方不明になって発見された場所でもありました。(笑)
海は何度入っても泳いで帰ってくる人格がいるので死ねないんだとあきらめた事を思いだしました。
五稜郭公園は雪の中を裸足でパジャマで走った場所でもあります。(笑)
今週は誕生日前の一週間なので中島みゆきの「誕生」を聴きまくります。
今まで出会っていただいた方、話を聴いてくれた人、全ての人に感謝です。娘は今日ひょうひょうと、先生はしょせん先生でしかないと学校に行きました。受験はあと2週間です。
ちなみに私に後頭部はたんこぶだらけです。(笑)
弘様
ご無沙汰しています。
今朝の夢にあなたが出てきました。何も話してはいませんでしたが、淋しそうな表情をして小さくなって行ったので気になりました。
去年の夏、妹の家に行った時に、同じ娘として誕生したはずなのになぜこんなにも扱いが違うのかと考えもしましたが、それはそれであなたの考え方なのだろうと妹とも話し合いました。
妹は妹で、「どうせ私はお姉ちゃんの代わりなんだよ」と泣いていました。
その言葉の意味があなたにわかるかどうかは、私にはわかりません。そしてこれから書く私の今まで考えてきた気持ちもどう伝わるのかも想像はできませんが、伝えることが出来なかったと後悔するよりは、伝えておいたほうがいいだろうと思い手紙を書くことにしました。
夫が以前伝えたように、私はあなたや今は亡き母から虐待を受けたと私は思っています。そしてその後遺症で現在も苦しんでいます。
けれどもそれであなたや私たちをおいていったことを恨んでいるわけではありません。たぶんあなたたちも子ども時代に苦しい事があったのだろうと察することが出来るようにはなりました。
けれども、「だからといって、私が殴られたり、蹴られたり、ましてや性的な行為をされて良かった」とは思えません。
高校生の時にも、学校の先生や、大人になってからも「嫌だ」と言う事が言えずに同様の事が何度もあり、それも今でいうトラウマになっています。
私は今、教育大学や福祉専門学校で非常勤講師として、手話を教えて10年になります。大学も出ていないのにそれが出来るのは、わかって欲しいとか、知って欲しいとか、話をしたいとか、伝えたいとか、子ども時代の気持ちを誰かにわかって欲しかったと聞こえない人たちの気持ちに似た感情を伝えたいと思って頑張ってきた成果だと自分では思っています。
また、娘はその私や健二さんの姿を見て、福祉や教育の世界を目指して今受験に取り組んでいます。
何度も「何のために生まれてきたのか?」と自殺もしようとしたし、人間関係でも苦しみ、辛く長い時間だったけれど、それなりに社会貢献できているのは反面教師としての親の姿があったからだと思います。
今は生まれてきた事を嘆いてはいないし、あなたの娘である事を嘆いてもいません。
なので、残り少ない人生を楽しんでください。
私が残念に思うのはたった一度でいいから、「頑張ったな」と褒めてもらいたかった。
それだけです。
お金も、家もいらない。
「おれの娘もたいしたもんだろう?」と褒めてもらいたかった。それだけです。
私は来月で49歳です。記憶の中で褒めてもらったことは一度もない。
そんな事でと笑うかもしれないけれど、私の欲しかった言葉はそれだけです。
弘さん、あなたの一番最初の娘の名前は三千に恵まれると書きます。その名のとおり、たくさんの人脈には恵まれています。助けてくれる人もたくさんいます。
ですが親には恵まれませんでした。無償の愛をもらった実感がありません。とても残念なことです。けれども、私は娘には無償の愛を手渡していると思っているし、彼女もそれをたぶん実感できていると思います。それは名づける時にいろんな想いを授けてくれたおかげかと思います。ありがとう。
いつもあなたが言っていた「きちがい」という状況に私はたぶんなっています。私の中に何人もの人格がいます。(たぶん6人です)
それを治療できる人は日本には一人しかいないそうです。
その人格の中に一人、とても怒りを持っていて、中学生の男の子がいます。あなたのお葬式にその男の子に人格が交代してしまう可能性があると思います。もしそうなると葬式そのものをぶち壊す可能性があるのであなたの葬式には参加しません。
それが私の最後の親孝行です。
あなたの娘は「きちがい」かもしれないけれど、社会では貢献度が高く、なかなか世間では「いい人」として活躍しています。
たぶん彼女も世の中で役に立つ大物になると思います。
クリスマスには、娘にお小遣いをありがとう。
子どもの時に、私にも欲しかったなと、思いました。
それでは、人生最後の瞬間まで楽しく過ごしてください。
三千恵
ご無沙汰しています。
今朝の夢にあなたが出てきました。何も話してはいませんでしたが、淋しそうな表情をして小さくなって行ったので気になりました。
去年の夏、妹の家に行った時に、同じ娘として誕生したはずなのになぜこんなにも扱いが違うのかと考えもしましたが、それはそれであなたの考え方なのだろうと妹とも話し合いました。
妹は妹で、「どうせ私はお姉ちゃんの代わりなんだよ」と泣いていました。
その言葉の意味があなたにわかるかどうかは、私にはわかりません。そしてこれから書く私の今まで考えてきた気持ちもどう伝わるのかも想像はできませんが、伝えることが出来なかったと後悔するよりは、伝えておいたほうがいいだろうと思い手紙を書くことにしました。
夫が以前伝えたように、私はあなたや今は亡き母から虐待を受けたと私は思っています。そしてその後遺症で現在も苦しんでいます。
けれどもそれであなたや私たちをおいていったことを恨んでいるわけではありません。たぶんあなたたちも子ども時代に苦しい事があったのだろうと察することが出来るようにはなりました。
けれども、「だからといって、私が殴られたり、蹴られたり、ましてや性的な行為をされて良かった」とは思えません。
高校生の時にも、学校の先生や、大人になってからも「嫌だ」と言う事が言えずに同様の事が何度もあり、それも今でいうトラウマになっています。
私は今、教育大学や福祉専門学校で非常勤講師として、手話を教えて10年になります。大学も出ていないのにそれが出来るのは、わかって欲しいとか、知って欲しいとか、話をしたいとか、伝えたいとか、子ども時代の気持ちを誰かにわかって欲しかったと聞こえない人たちの気持ちに似た感情を伝えたいと思って頑張ってきた成果だと自分では思っています。
また、娘はその私や健二さんの姿を見て、福祉や教育の世界を目指して今受験に取り組んでいます。
何度も「何のために生まれてきたのか?」と自殺もしようとしたし、人間関係でも苦しみ、辛く長い時間だったけれど、それなりに社会貢献できているのは反面教師としての親の姿があったからだと思います。
今は生まれてきた事を嘆いてはいないし、あなたの娘である事を嘆いてもいません。
なので、残り少ない人生を楽しんでください。
私が残念に思うのはたった一度でいいから、「頑張ったな」と褒めてもらいたかった。
それだけです。
お金も、家もいらない。
「おれの娘もたいしたもんだろう?」と褒めてもらいたかった。それだけです。
私は来月で49歳です。記憶の中で褒めてもらったことは一度もない。
そんな事でと笑うかもしれないけれど、私の欲しかった言葉はそれだけです。
弘さん、あなたの一番最初の娘の名前は三千に恵まれると書きます。その名のとおり、たくさんの人脈には恵まれています。助けてくれる人もたくさんいます。
ですが親には恵まれませんでした。無償の愛をもらった実感がありません。とても残念なことです。けれども、私は娘には無償の愛を手渡していると思っているし、彼女もそれをたぶん実感できていると思います。それは名づける時にいろんな想いを授けてくれたおかげかと思います。ありがとう。
いつもあなたが言っていた「きちがい」という状況に私はたぶんなっています。私の中に何人もの人格がいます。(たぶん6人です)
それを治療できる人は日本には一人しかいないそうです。
その人格の中に一人、とても怒りを持っていて、中学生の男の子がいます。あなたのお葬式にその男の子に人格が交代してしまう可能性があると思います。もしそうなると葬式そのものをぶち壊す可能性があるのであなたの葬式には参加しません。
それが私の最後の親孝行です。
あなたの娘は「きちがい」かもしれないけれど、社会では貢献度が高く、なかなか世間では「いい人」として活躍しています。
たぶん彼女も世の中で役に立つ大物になると思います。
クリスマスには、娘にお小遣いをありがとう。
子どもの時に、私にも欲しかったなと、思いました。
それでは、人生最後の瞬間まで楽しく過ごしてください。
三千恵
昨日通院だった。
あることがあって、脳波の乱れからそれを安定させる薬を飲む事になった。それ以降眠りがうまく行かない。
主治医はトラウマとか、乖離とか、アメリカ的な考え方をしない精神科だと昨日初めてわかって、ウ~ンってなった。
じゃ・・・・私のこの状態はなんなんですか??って聞くと、「いま、いろいろ調べているからちょっと待って・・・・」って返事なんだわ。
取り合えず、カウンセリングを再度挑戦する事にしたんだけれど・・・。
ある人からの薦めで認知療法をしたらいいかも・・・ってことでね。
けれどさ。。。
クライエントにわかるように説明して欲しいなぁ。。。
もう過去はいいんだけれど、それを手離したいんだよね、私。
その方法はどうしたらいいんじゃい??
言葉では簡単なんだけれどさ・・・。
アメリカ的な考えがNOだったら、じゃどこの国の考えがいいわけ??
読んで見たらいい本教えてちょ。(笑)凹み・・・・・。
あることがあって、脳波の乱れからそれを安定させる薬を飲む事になった。それ以降眠りがうまく行かない。
主治医はトラウマとか、乖離とか、アメリカ的な考え方をしない精神科だと昨日初めてわかって、ウ~ンってなった。
じゃ・・・・私のこの状態はなんなんですか??って聞くと、「いま、いろいろ調べているからちょっと待って・・・・」って返事なんだわ。
取り合えず、カウンセリングを再度挑戦する事にしたんだけれど・・・。
ある人からの薦めで認知療法をしたらいいかも・・・ってことでね。
けれどさ。。。
クライエントにわかるように説明して欲しいなぁ。。。
もう過去はいいんだけれど、それを手離したいんだよね、私。
その方法はどうしたらいいんじゃい??
言葉では簡単なんだけれどさ・・・。
アメリカ的な考えがNOだったら、じゃどこの国の考えがいいわけ??
読んで見たらいい本教えてちょ。(笑)凹み・・・・・。