虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
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2011.03.16
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためでなないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。
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五稜郭の地下道路で、ライブ続けてお金を送ろうとしています。
様子が上がっていたので、紹介します。 本当は応援に行きたいんだけれど、寒いと調子が悪くなるので、すぐ近くでライブしてたのに・・・。 私も参加したいよ~~~(笑)
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↑ ココを開くと、賛同できるページに飛び、メールで署名出来るようになっています。
このような時の書き方は、都道府県から、番地、など正式な住所を書いてくださると、有効な数になります。
たとえば、20番25号のように。。。20-25だと20丁目?という事にもなるので、住民票と同様に書いて下さるのが一番です。
下記ミクシーの友人の記事です。
今回、福島原発があんな惨状になるのは予想していました。
スマトラの地震と津波の力を知って
そのスマトラ級に耐えられない構造だったからです。
数年前、「原発震災」というキーワードを知り、その関連の本二冊を読んで、浜岡原子力発電所の危険性を知った。
なぜ危険なのか?
理由は、いくつかある、三枚のプレートの上にある、地盤が緩い、津波に弱い、老朽化している、爆発したら東京まで約6時間で放射能汚染するなど条件が悪い。
今まで何もないのはミラクル。
下記は、転載。
世界各国では今回の事故を受けて原発を停止して行っています。
冷静にこの状況を考え直す為にも止めましょう。
浜岡原発停止要望の署名を明朝17日、朝7時まで募っているとのことです→http://
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たぶん・・・
飛行機の中にいるかな。
いてほしい。
静岡の地震の影響が少なくて。
無事飛行機に乗れていたら、再会できるはず・・・・。
こっちじゃなくても、あっちでもいい、無事ついて。
そう祈るしかない。
放射能についての報道はどっかこっか、矛盾を感じるので、「大丈夫」という言葉は信じていない私・・・・。
ただ、これを機に原子力発電について、真剣に考えれる日本人になれたらいいなと思う。
自分の家の近くじゃないから・・・・って考えてこなかった分、考えて欲しいの。
大間に作ろうとしている処理場も、函館が裁判を起こしているの。
一番近くて、被曝をうけるのは私達だから。
使った後に処理ができないものは、使うのやめてほしいと、切に願う。
目に見えないもので怯えながら暮らすのはいやだから。
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東北地方太平洋沖地震に伴い発生した原子力発電所被害に関する放射能分野の基礎知識
平成23年3月14日 13時50分更新
1.原子力発電所の事故により、周辺地域の住民が気をつけることは何ですか。
①まずは、ラジオやテレビ、あるいは市町村からの情報(広報車や防災行政無線、有線放送など)から情報を入 手します。正しい情報に基づいていないものもありますので、うわさには惑わされないようにします。地方自治 体から、屋内待避あるいは避難の指示があった場合は、速やかに対応して下さい。
②屋内待避の場合、窓やドアを全て閉め、換気扇を止めるなどして、外からの空気が入らないようにします。次 の指示が出ることもありますので、情報には十分気をつけてください。
③避難する場合は十分時間の余裕があるので落ち着いて行動します。
④避難区域内の作物については、安全が確認されるまでは、摂取を控えてください。
2.住居から避難するときには、何に気を付けたらよいですか。
①放射性物質を体内に吸い込まないために、屋外ではタオルや木綿のハンカチを折って、水でぬらして固くしぼ り、口や鼻を保護してくだい。ほとんどの放射性物質の吸い込みを防護することができます。
②帽子をかぶるなど、できるだけ肌を出さないようにしてください。
3.大気中の放射性物質は、人にどのような影響がありますか。被ばくした量との関係についても、教 えてください。
大気中の放射性物質は、地表面や建物などに沈着して、環境中にとどまることがあります。この場合、放射性 物質の沈着した飲料水や農作物を摂取することにより、放射性物質を体内に取り込む場合があります。
また、大気中の放射性物質は、直接吸入することもありますので、外出するときには、直接吸入しないように 口や鼻を保護してください。
放射線に被ばくすると健康に影響を及ぼすことがありますが、その影響の有無と種類は被ばくした量で違いま す(図)。被ばくした放射線量が、例えば100mSv(ミリシーベルト)以下では、ただちに健康に影響を及ぼすこ とはありません。また、被ばくした放射線量が高いほど数年後から数十年後にがんになる危険性が高まると考え られますが、その危険性は、例えば100mSv(ミリシーベルト)の放射線量で0.5%程度です。これは喫煙や食事 などの生活習慣を原因とするがんの危険性よりも数十分の一程度低い値で、過度に心配する必要はありません。
4.安定ヨウ素剤の服用について
放射性ヨウ素を体の中に取り込んでしまった場合(内部被ばく)には、避難所等で配布される安定ヨウ素剤を 指示通りに服用することが重要です。
これは体の中にはいると甲状腺に集積するので放射性ヨウ素が入る前や直後に安定ヨウ素剤を服用し、放射性 ヨウ素の取り込みを阻害したり、希釈して甲状腺への影響を低減させようとするものです。
しかし、ヨウ素剤の服用によってはアレルギーなどの副作用をおこす場合もあります。また、安定ヨウ素剤 は、放射性ヨウ素が体の中に入った場合のみに有効で、外部被ばくや他の放射性核種には効果がありません。
従って、服用の必要があるかないかは、環境中への放射性ヨウ素の放出量から受ける被ばく量を推定し、医学 的観点から決定すべきものです。
5.報道で伝えられる数値の意味を教えて下さい。
・100,000cpm(双葉避難所で避難住民の靴から測定された値)
報道で伝えられている100,000cpmについて、一般的に放射線測定に使われているGMサーベイメータで測定した と想定した場合、表面汚染レベルは、400Bq/ cm2となります。
ただし、測定する機器が異なった場合には、有感面積・機器効率が違うため、計算結果は同じにはなりません。
核種をヨウ素‐131と想定し皮膚に付着した場合には、皮膚の吸収線量率の試算は次のとおりです。
皮膚表面汚染密度1Bq/cm2あたりの皮膚吸収線量率(nGy/h)は、ヨウ素‐131の皮膚の深さ70μmの とき、係数は1319(nGy/h)/(Bq/ cm2)となり、皮膚(深さ70μm)の吸収線量率は0.53(m Gy/h)となります。
皮膚の除染を行うことにより、吸収線量率はさらに小さくなります。
ヨウ素‐131の半減期は8日です。汚染は、入浴や皮膚の代謝交換によって除かれると考えられます。
皮膚障害は2~3Gy以上で紅斑がでますので、0.53(m Gy/h)ではまったく問題がありません。
・1015マイクロシーベルト(3月12日午後 福島原子力発電所正門付近で測定された空間線量率の値)です。1時 間この場所に居つづけると、1015マイクロシーベルト(1.015ミリシーベルト)の被ばくとなります。
原子力発電所に関して定められた一般の方の一年間の線量限度は1ミリシーベルト/年です。しかしこの限度量 を超えたからといって、健康影響があらわれるというものではありません。一般に生活しているだけで、自然界 から被ばくしている線量は、1年間で2.4ミリシーベルトです。世界の高線量地域では10ミリシーベルトという場 所もあります。(参考図)
6.福島県に住んでいます。福島県を通りました。
・影響はありませんか?
放射性物質が放出されたことが報告されていますが、すでに国や県が万が一に備えて、必要な住民の方には屋 内退避や避難を実施しています。これは、放射性物質からの被ばくや放射性物質が体表面や体内に入らないよう にするためです。どのようなルートで福島県を通過されたかによりますが、1015μSv/hが測定された3月12日に正 門近くで1時間立ちつづけたとしても1ミリシーベルトですから、健康影響を心配する必要はありません。
・何をしたらよいでしょうか?
避難や退避勧告の対象となった地域の住民以外の方や、旅行などで短期的に福島県を訪れた方は、基本的には 何もする必要はありません。
<参考> 放射線の単位
・シーベルト(Sv)
人体が放射線を受けた時、その影響の度合いを測る物差しとして使われる単位。
・ベクレル(Bq)
放射能を表す単位。1ベクレル(Bq)は、1秒間に1個の放射性核種が崩壊することである。
・グレイ(Gy)
放射線が当たった物質が吸収した放射線のエネルギーで表される放射線量。1Gyは物質1kg当たりに1ジュール (J)のエネルギーが吸収されることを意味する。
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