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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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 ●子どもには早期教育が大切
私は孫が赤ちゃんのころからずっと面倒をみてきました。
そして、孫娘たちは、家族の中でだれが性的な虐待を働いたかと皆知っています。
しかし、私は孫たちに「ジョーおじいさんから離れていなさい」とはいいません。
「おじいさんは性的な加害者だから、家に来ることができないのよ」と言います。
「子どもの大切な場所を触るから。あなたたちにもそういう事が起こってほしくないからね」と。

このサイクルを断ち切るには、子どもたちが非常に小さい時から教育を始めなければなりません。


それについては手短に説明します。


孫娘が3歳の時です。突然「おばあちゃんには、お母さんがいないの?」質問してきました。彼女が3歳の時です。私は非常にショックでしたが、「いますよ」と答えました。


「お母さんはどこに住んでいるの?」「遠くに住んでいるのよ」「おばあちゃんは、お母さんに会う事があるの?」「長い間会っていないわ」「なぜ?」と言うふうに、3歳の子どもは非常にしつこく質問してきます。なんでもなぜ?と聞きたがります。

私は「お母さんは私に腹を立てているのよ」と答えました。彼女は「なぜ?」とまた聞きました。私はそろそろ映画でも見せて質問をそらそうか、話題を変えようか、もしくは嘘をつき続けようか、いろいろと考えを巡らせました。
しかし、こう言いました。

「私が小さかった時、お父さんが私の触ってはいけないところを触ったの。そしてお母さんに言ったら、お母さんが私を叱ったのよ」そういったとき、3歳の孫娘ははいずりながら、私の所にやってきて、私の頬に手をあてて「おばあちゃん、あたしたちはあなたのことを愛しているわ」と言ったのです。


その日、私はそのことを娘に伝えるのを忘れていました。すると、次の日、娘から電話があって、「ブリット二―になにを言ったの?」と聞かれました。娘が言うには、孫娘が家に帰ってから「おばあちゃんは小さい時にお父さんから気づつけられrたんだって。だから、あたしたちは特別におばあちゃんを愛してあげなくちゃ」と言ったのだそうです。

一般的に、私たちは、子どもたちをじゅうぶんに信じていないと思います。そのため、彼女たちを守るために彼女たちが知らなければいけないことを情報として伝えていないことがよくあります。


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 今、来週から始める講座の関係で電話をしたら、「明日、庭でなっているぶどうを持っていくよ」って。


今少し弱っているので、そういう気遣いがとてもうれしい。

ああ…友達できたんでしょ、みちえちゃん。

一人ぽっちから、解放されてきたんでしょ。

私はブドウの木、あなたがたはその実である。

遠くて見えないけれど、つながっているでしょ。



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 ●赦すのは私の役目ではなかった
皆さんに是非分かって頂きたいことがあります。
これはよく受けられる質問なのですが、「自分の父親を許しましたか?」と。
私はよく人から
「忘れろ、そして許せ」と言われます。
「過去に起こったことなんだから、水に流せ」と。

皆さんもこのようなことを聴かれた事があると思います。
でも私は「いいえ」と答えます。

私にとっては、自分の父親が性虐待の加害者であるという事を受け入れる、受容することの方が重要だったのです。そして、それは変えることはできないことを、私自身が受容することが重要でした。

許すとひとことで言っても、その人その人にとって、その言葉はどのような意味を持つのでしょうか。
父は私を虐待し、私に許しを請いました。私は許しました。
しかし、彼はまた虐待しました。ですから、許すことは私には大きな意味を持たないのです。

北米で有名なテレビ番組で、オブラ・ウィンフリーのトークショーがありますが、彼女はこう言いました。
「仮にあなたが許したらといって、再び許しの対象になった人を自分の人生の中に迎い入れる必要はない」と。

それから、実は一番重要な事を司祭に言われたことがあります。司祭のひとりが「あなたは父を許しましたか?」と聞きました。私は非常に自己防衛の本能が働いて、「ノー」と答えました。するともう一人の司祭がはっと立ち上がって、最初に質問した司祭にこう言ったのです。


「そもそも、彼女を裁くなんておまえにどんな権利があるのか。おまえは聖書をわかっているのか」と。

キリストが十字架にはりつけになったときでさえ、キリストは自分をはりつけにした人たちに、あなた方を許す、とは言っていません。キリストはこういいました。

「父よ、彼らを許してください。なぜなら、彼らは自分の行いを知らないのですから、許してあげてください」と神に祈ったのです。

そこで司祭はこう言いました。
「許すことは彼女の役割ではない、加害者たちは彼女に許しを求めているかもしれないけれども、許しを請う相手を間違っているのだ」と。


その時許さなければ行けないという重荷から私はようやく解き放たれました。
その重荷は私に課せられているのではないとわかったのでした。



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 私の中の沸点は、理不尽だと感じた時に爆発する。

「ふざけるな!」と思う時。

常々、これって嫌なんだよねと伝えている人から、あえてそれをされる時とか、辞めてほしいと言っているのに、わざとするとか。

学校の先生とか、人を見下している方々に多いと私は思っている。

私は、知的障がいの施設で働いていた時に援農といって、近所の農家の手伝いを利用者さんと一緒に指導員として出かけていた。実は、あまり好きじゃない。

けど、かぼちゃを磨いたり、縄を編んだり、トウキビをもいだり、お仕事として関わる時は、技術はあるのさ。(笑)
完璧主義者だからね。

あの時代、利用者さんは「生徒」と呼ばれていた。学校でもないのに「生徒?」と疑問もあったけれど、経験のある指導員がそう呼ぶのだ。

そして、指導員からの性暴力が女性の利用者さんにあった時も、「ふざけるな!」と職員会議で一人で怒っていた。そのころは、またそれが女性に対する暴力だという認識はなかったれど、ないものにしようとする男性指導員に腹が立った。

受け入れるということは、喜んでいるのだという神話にも、腹が立った。

自分のされたことが、性を乱用した暴力だったという認識はまだなかったけれど、理不尽な怒りをもっていた。


私も、30年前のことだから、指導員としてどうよ?ってこともあった。
利用者さんが、大人だから、20才そこそこの私はなめられないようにという言葉を真に受けて。

それでも、めーせんせい(みー先生という意味)が大好きと転園したさきで、ずっと言っているというのがわかった時は、ありがとうって思った。
いまだに来る年賀状。

そう、私たちは、数少ない知らない親戚のような存在なのだ。

何年経っても、ウエルカムで喜んでくれる。

その器の大きさ。

見習おう。


ろう者もそうだけれど、受け入れる器は大きい。

唯一の自信のある手話の世界でも、私ははみ出した。
なぜ?って当事者の側に立つのをやめなかったから。


聴こえる人に寄り添わなかったから。

それでも、私が活動できるのは当事者が、私を呼ぶから。
それは、私が育ててもらったお庭があるから。

それを、土足で入ってくる。
侵入的に、意図的に・・・。境界線を持たずに、無遠慮に入ってくる。見下して・・・。

そういう人はたくさんいる。たくさん見てきた。
いつも5年我慢しよう、そう思って来た。

当事者を大切にしていない人は、自分から消える。

そういう意味では、私は我慢強い。(笑)


だから、手話でだったら何にでもなれる。
ろう者がそこにいれば、私は歌手、女優、落語家。

オペラ歌手。
何にでもなれる。

おたおたなんてしたことは、一度もない。
緊張もない。

そこにろう者がいるから。

情報が欲しいと待っているのだから。
怖いことなんてなんにもない。


泣きたくなったら、泣きに帰る場所があるから。
愚痴を言いたくなったら、言いに行く場所があるから。

これが、「実家」に帰るってことかもしれない。

目には見えないけれど、帰る場所があるってことなのかもしれない。

その帰る場所を奪おうとする人には、俄然ファイティングモードになる。
これって、私にとってはあたりまえのことでいいのかも。


私の大切な人を傷つける人は赦さない。

赦す必要なんてない。そう思っていてもいいんだよね。(笑)


もちろん、必要以上には言わないけどね。
何度も同じことされたら、かみつくよ。


怒らせると怖いんだよ、わ・た・し。


そう思われてるんだろうな・・・。(笑)



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よくよくカウンターを見ると…。


10万を超える日が近々訪れるみたい。

2003年から書き続けて来たものが10万回扉を開けていただいたことになるんですね。

自分で開けている回数もあると思うけど(笑)


特別意識はしていないし誰かが「私も同じなんだ」と思ってくれて生き延びて少しでも幸せになるキッカケをもってくれたらいいなと思って書きはじめたもの。


まだその頃は人格が交代しているなんて思いもせず小さいカスミがいるんだと意識し始めたころ。
けど蓋を開けたら全部で6人。やっと主人格なるみちえが登場してきてまだ時々混乱するけどなんとかあまりジェットコースターになりないようになりつつある(笑)


段々楽になってきてるのは確実だから。でしょ。 ブログランキング・にほんブログ村へ
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