虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
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本音シリーズを書いていると、自分の気になっていたこと、無理に世間と自分をすり合わせようとしていたこと、アブ・ユーズな子どもだったわけだから、その習慣を持って大人になっていると、アブ・ノーマルなのは私的には、普通のことだった。
わからないんだもん、世間の普通。
けど、生きていていいのよってたくさんの人に言われたし、同じように悩んでいる人には、「生き延びていてくれてありがとう」と、思うし、自分にもサンキューって思う。
けれど、消してしまいたいという気持ちは、多分消えないんだと思う。
私にできる事は、それが薄くなっていくくらい楽しいことやうれしい事でこれから先いの時間を使うこと。
あと10年生きていたら、それが達成できるかもしれない。
何度も死のうと思っても、死ねなかったし、どんなことをしてみても、怪我をすることもない。
きれいに傷も消えていく。
だったら、生きる道しか今は無いってことで、それだったらしたい事をして、達成感をいっぱいもらう、誰かの力を借りて、助けて助けられて、生きる。
それが全うできたら、それでいいじゃないか。
そう思えてきた。
一人じゃないんだよと、言ってくれる人がいるだけでいいんじゃないか。
私の力が足りないところはきっと誰かが助けてくれる。
自己否定していたら、肯定的な言葉に変えてくれる。
できること、生きてきたことを褒めてくれる。
そういう仲間に囲まれているんだって、そう思うと、すごいかもしれないね。
それは小さなkasumiの力が大きいってことだ。
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その新車の持ち主が!!
音を取り、CDに焼いて音源をメンバーに渡すという作業をアイフォンで割と良い音でそして簡単にできる事がわかった私の「愛 フォン」を「ねぇ…kasumi。昔さ・・・。」と話しかけてくる。
「なに?」って真面目に聞いているのに、「昔、CMで象が踏んでも壊れないってふで箱あったじゃん」と・・・・。
音を均等に取れるようにと床に置いてある
「愛フォン」を踏もうとする・・・・。
最初はピンと来なくて??だった私もやっと気が付き
「やめてよ!!」と。
その後、「これって防水?」といって、わざとペットボトルをすぐ横に置く。
何度もするので、「ガルルル~」となっている私を休み時間ずっとおちょくって遊ぶ、この真新しい靴の持ち主。
なみちゃんです。
「ちょっと!!!壊れたらCDに出来ないじゃん」って真剣にいうのに、まだおちょくる。
そこで考えた。
タッカの譜面台の下に避難させよう。
それでも、「あ!つまづいた」とかすれば、踏めるな・・・とか。
あのねぇ・・・・。楽しいのはわかるんですけど・・・・。
こんなにいじめられているのに、次の日にはCDにして、持っていくkasumiってけなげ・・・・。(笑)
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そのエンディングでに新妻聖子(主役もしているが)さんが歌っている。
その動画を探したけれど、なく、別なものを。
映画たくさんの人に見てほしいです。
親のレールに乗れない子どもに、ばかばかしい、くだらないという父。
父のご機嫌ばかり、伺いおどおどしている母。
性虐待こそないに、引きこもれる家だから、まだ愛のある家なんだろうと思って、我が家のミニ番の中で自分を見つけられていく主人公に私は、エールを送りたい。
引きこもるにはエネルギーがたくさんいる。
不登校頑張れ。
引きこもり頑張れ。
親を社会を変えていこうって、そう思う。
私はこの「アンダンテ」のピアノが弾きたい。
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今朝のニュースでも大阪で幼児虐待とかで赤ちゃんが殺されてますね?
最近は幼児虐待や子が親を殺すといった報道が盛んですね?我が夫婦には子供はまだいないのですが、原因はガキがガキ作って教育出来るのか?と実際的には勇気の無い教育者どもに渇を入れたく思い記事に!
多くの教育関係者よ!聞け!読め!・・・と言う主旨で記事ってみたのです。タイトルは:『多くの幼児虐待事件?日本の学校教育者にモノ申す!渇だっ!』です。
毎度の楽しんで戴きたいユニーク:おもしろ画像写真では、
「児童虐待フリーイラスト」
20歳:人式を終えた後の暴走儀式」
上戸彩にいたずらでも、お尻にカンチョウする様な子供」
「湯船につかって気持ち良さそうな赤ちゃん」
「可愛い上戸彩」等々写真を貼りました。<m(__)m>・・どうぞ!
遊びに寄って見てやって下さい。\(◎o◎)/!』
このようなコメントがついておりまして、公開にする気にはならず、URLもクリックすることなく、消し去り、そして、他人の赤ちゃんの写真をブログに貼ること事態、私は児童ポルノに近い状況だと思っています。
人権侵害にもあたると思うからです。
自分の子どもだとしても、世界中のどんな人が見るかもわかないところに、私は写真を貼ることなんてありえないし。
犯罪にだって巻き込まれるかもしれないと思うと気持ち悪くてたまりません。
・・・・・ってことを、つらつら書いているのに、わざと上記のようなコメントを書くなんていやがらせにもほどがあります。
・・・・といちいち反応するのも相手の思うつぼだったりするので、3日たったら、消します。(笑)
一言いってもいいかな?♪(シュガーのウエディングベル風)
くたばっちまえ。アーメン。
夫から注意指導がはいりましたので、『 』をつけてみました。(笑)
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私は虐待のことでは精神科にかかってはいないというか、話をしてもいい方向にいかないので、不眠の対策だけしています。
だから、診断名はうつだったり統合失調系うつだったりします。
自立支援法を使ううえではやむをえないんですね。
ここから書くことは、いろんな本を読み漁った時期があるので、すべて知っているけれど、単純なPTSDではくくれない部分があるので、経験のない心理士さんと関わると余計大変なことになると、自分では思っています。心理士さんを否定しているわけじゃないけれど、人間性とか、資質的なものとか、いろいろあると思うんです。
さて・・・・。
コピーですが、私の日常は、人格障害ってところです。
性格でしょ・・といわれれば、そうだし障害…と言われればそうかもしれないけれど、私のパーソナリティは、虐待を受けたこと(身体的、精神的、ネグレクト、性虐待)で、形成されちゃったもの。
それでも人生長くいきてきたから、それでどうしよう?って悩んでいるわけでもなく、それとどう仲良くしていこうかな?と思っているので、「障害」ではないと思う。
今でも解離をしようと思えば出来るので、DID(昔でいう多重)であることは間違いない。
だた、主治医はその言葉を使う人ではないから、診断されていないボーダーってなっているのかな。(笑)
診断名が大切なんじゃなくて、自分をよく知っているッテことがポイントなのだと私は思う。
ここからコピーです。
複雑性PTSD
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ご自身の健康問題に関しては、専門の医療機関に相談してください。免責事項もお読みください。 |
複雑性PTSD(ふくざつせいぴーてぃえすでぃ、
Complex post-traumatic stress disorder、C-PTSD)とは
児童性的虐待など長期反復的トラウマ体験による心的外傷後ストレス障害で
ある。
DESNOS(Disorder of Extreme Stress not otherwise specified)とも呼ばれる。
概説 [編集]
複合的な心的外傷後ストレス障害は(C-PTSD)は、暴行、性的虐待、
家庭内暴力、拷問及び戦争のような長期の対人関係の外傷に起因する臨床上で
認識された病気である。
PTSDはC-PTSDに比べ慢性的な安全の感覚、信用、自尊心などの損失、
再被害傾向などが起こらない。C-PTSDは、DSM-Vの考慮の下にある。
C-PTSDは感情的なこと、そして対人関係の機能の多くの領域における慢性的な
困難が特色である。
その症状としては感情調整の障害、
解離症状、
身体愁訴、
無力感、
恥、絶望、
希望のなさ、
永久に傷を受けたという感じ、
自己破壊的および衝動的行動、
これまで持ち続けてきた信念の喪失、敵意、社会的
引きこもり、
常に脅迫され続けているという感じ、
他者との関係の障害、
その人の以前の人格状態
からの変化などが含まれる。
そのため、DSM-IVに載っている戦争や事故などによるものは
単純性PTSDと通称し、
それに対しレイプ体験など複雑な体験によるものは
複雑性PTSDと呼ぶことを治療者は提唱した
(DSM-IV-TRでは一症状として取り上げられた)。
もしくはこれを指して
DESNOS(Disorder of Extreme Stress not otherwise specified)と
呼ぶことを提唱している研究者もいる。
その研究者としてはジュディス・ハーマンやvan der Kolkなどが知られている。
しばしば外傷にさらされた子供及び介護人は、心的外傷後ストレス障害の
いくらかの特徴的な徴候に苦しむ。
子供は悪夢及び外傷後の経験によって外傷を再び経験するかもしれない。
また、もしくはその行動からの回避を示す。
しばしば外傷にさらされた子供は、発達の混乱、素行問題、愛着関係の問題に
苦しみ、そして児童養護施設や障害性の学校で育つ。
Judith Hermanは著書『心的外傷と回復』において「過覚醒」「侵入」「狭窄」という
PTSDの3つのステージを述べている。
「過覚醒」は絶えず危険を予知するための極度の不安、
「侵入」はフラッシュバックや悪夢による過去の体験の再体験、
「狭窄」は変化した意識状態や麻痺状態などの無力状態を指す。[1]
一方、van der Kolkによると、
PTSDは「過剰な反応性」と「表面上の無感覚」の二様相からなり、
刺激に対する過記憶や過剰反応、
トラウマの再体験と同時に、
心理的麻痺、回避、健忘、無快感症(アンヘドニア)が並存するという。
これらの結果として脳の変化が起こり自律神経システムは崩壊し、
認知的・行動的変化の原因となったり、その促進材料になったりする。
Burgessは、子供時代のトラウマによる一種の記憶への刷り込みを
「Trauma Learning」と名づけ、
PTSDにおける記憶の特徴を再演
(回想、断片化、フラッシュバック、強烈な感覚的経験)、
反復(再被害化、攻撃者や被害者への同一化)、
置き換え(トラウマの加工、異常な性幻想、異常性愛、精神病様反応)の
3つに分類した。また、
PTSD発症が遅延している状態として、
回避(性行動回避、鎮静系の薬物依存、身体化、抑うつ反応)、
攻撃(危険な行動、反社会的行為、刺激系の薬物依存、性行動過多)の
二つを挙げた。
PTSDとの違い [編集]
現在トラウマによる後遺症全般がPTSDという言葉で流通している。
ところが、性的虐待の後遺症は愛着の持ち方、
人格形成など広範な影響が認められ、
精神障害の診断と統計の手引き(DSM-IV)に
載っていたPTSDとは明らかに異なることが明らかとなり問題となった。
PTSDパラダイムとして問題化されたのは、以下の点である。
- 現在の場合、何年も経った場合PTSDではないとされるが、
外傷的事件とトラウマ反応との直線線的因果関係は、事故や災害など一度限りの
事象を捕らえることには適しているのだが、
現実の性的虐待においては複数の外傷的事件が重なって起こるため、
きれいな因果律は描けないのである。
事件の影響でドミノ的に別の事件を呼んでしまったり、
二次的被害が起こったり、フロイトの言うところの「事後性」(後付の解釈)により
外傷的な作用が作り出されたり、些細な事により過去の事件が
フラッシュバックで再演したりしてPTSDが発症したりするのである。
・レイプなどの事件がさほど重視されない傾向があるが実際にはそんなことはない。
この原因は外傷的事件の事例を「生命や身体の保全に関わる危機」や
「恐怖・無力感・戦慄」に限っているため、モラル意識や社会的タブーの意識の
侵犯、喪失や屈辱などの暴力、被差別体験やマインドコントロールが、
軽視され、罪悪感や裏切り、存在否定など主観的経験が
二次的なものとしてしか扱われないところにある。
・PTSDに属さなければトラウマでないと誤解されがちであるが、
実際には欝、不安、パニック、解離、嗜癖、自傷行為、摂食障害などは
よく起こるもので、現在のPTSD概念はそれらの症状に対し、
複数の病名を付けることを医師に余儀なくさせている。
免疫力の低下が起こり、身体疾患に罹患しやすくなることもある。
また、トラウマが固定化し人格障害の形をとることもある。
また、アルコール依存や薬物依存もPTSDの過覚醒状態における自己投薬とも
言われ、ヒステリーや身体化障害、疼痛や不定愁訴などの症状も認められる。
また、境界性人格障害の患者の多くがインセストの体験者であるという
データもあり、実際には内因性ではなく外傷性の事件によって引き起こされた
境界性人格障害の患者が非常に多いとも推測されている。Stone(1981)によると
75%が近親姦の体験者であるとされており、多くの境界性人格障害患者が
性的虐待を受けているというのは間違いない。
ただし、愛着関係に障害があったために性的虐待のターゲットにされてしまった
可能性を否定できないため、これに関してはさらなる研究が必要である。
トラウマの反応としては、概して境界性人格障害、
自己愛性人格障害、
反社会性人格障害、
妄想性人格障害、
解離性障害、
転換性障害、
身体表現性障害、
摂食障害、
アルコール依存、
薬物依存、
強迫性障害、
非行、犯罪、
性的逸脱、
性同一性障害
とされているもの原因にはそれらの外傷的事件が関与している場合がある。
もちろん内因性の場合もあるが、それは外傷性の事例を否定することには
ならない。
例えば白血病は内因性のものも放射線によるものも存在する。すなわち原因が
全く異なっていても全く同じ症状が現れることがあるので、それらはいずれの
可能性も考える必要がある。
外傷的解離 [編集]
複雑性PTSDの主症状は解離である。
解離現象は現在、それまでのジークムント・フロイト(1900)の抑圧の理論に
変わって重視されている。
解離は抑圧の理論を提唱したフロイトを始めとして、
多くの学者が早期のトラウマ体験の症状として述べたものであり、
ジャン=マルタン・シャルコー(1887)や弟子のピエール・ジャネ(1887)が
提唱したものである。
解離とは意識に上る前にある心理内容と、
他の内容との連結を無意識的に断絶する事を指す。
一方で抑圧というのはそれらを積極的に追い出すことで葛藤が
もたらすものを支配することを指す。
それゆえ解離状態の体験が意識化された際は本人の苦痛は激しいが、
抑圧の場合はそれがない。
解離状態は精神的苦痛から自己を守ろうとする自己誘発性催眠により発生し、
結果別々の心理内容は接点を持たず並存し、精神的な不調和を警告する
繋がりが消滅し、同じ対象に対する自己内部の異なる感情は全くの矛盾なく
並存しうるため、過去の心理的外傷を混乱した感情から分離する事が可能と
なる。
その混乱した感情自体は意識に表出する事はなく、言語に象徴化されない。
人間は通常広義で経験を解離するがこれは非防衛的なものであり
「整理されていない体験」と呼び「広い意味で」解離しているとする。
解離の能力は人間の人格発達においての構成要素の一つでもあり、
通常の人間は「非自己」に対し「厳密な意味で」解離現象を起こし、
一貫した自己感覚を確立する。
van der Kolk(1996)は心的外傷に関する解離現象の推移を研究し、
一次解離、二次解離、三次解離の順に推移するとした。
まず、一次解離においては圧倒的恐怖により知覚が断片化される。
二次解離においては離人症や現実感の喪失が見られ、痛みや苦痛の
感覚の消失が起こる。
最後の三次解離の状況においては外傷的体験を担うため別の自我状態が現れ、
この時点において具体的な解離性障害の臨床像を呈することになる。
外傷的解離は心理的外傷を生み出す圧倒的状況に対する精神的適応反応で
あり、それらは日常体験としての白昼夢等の解離現象の一端の解離連続体と
される。
連続体仮説はBernstein、Putnamらにより提唱されたもので、
健常な解離(normal dissociation)、
解離性健忘(dissociative amnesia)、
解離性遁走(dissociative fugue)、
特定不能の解離性障害
(dissociative disorders not otherwise specified、DDNOS)、
解離性同一性障害(dissociative identity disorder、DID)の順に
複雑性が増していくとされる。
この外傷的解離により自我から分離した体験は、
自我の認知処理能力を超えた情報であり、象徴化されない原情報のまま
保存される。
自我は分離し、複数の自己状態が作り出され個々に組織化され、
互いに異なった思考、記憶、感情、行動を持ち、それぞれ別々に麻痺と侵入の
機能により意識に上る。
その際、それらの分離した自己状態は侵入的印象、暴力的再演、極度の悪夢、
不安反応、心気的症状、極限的身体感覚等を与え、自己の存在を示す。
外傷的解離は情報処理メカニズムを閉鎖し、心理的苦痛の感覚及び記憶の
新たなる侵入を防ぎ、心的外傷による自己の崩壊を回避する事が可能となり、
その状態において統合された自己感覚の保持に成功するのである。
Hermanは著書「心的外傷と回復」においてこれを「解離的技巧」と呼び、
性的虐待を受けた人はこれにより現実検討能力を低下させ自らの苦痛を
複雑な健忘の内部に隠してしまうことを述べた。
しかしこれには弊害があり、Hermanは「心的外傷と回復」の増補版において
自らが解離を防衛機制として評価しすぎたことを反省し、解離がレイピストたちによ
る再被害を容易にさせてしまうことを述べている。[1]
その状況は心理的外傷を生み出す圧倒的状況が過ぎた後も保持され、
自己の本来的な感情、記憶、危機意識を麻痺させ現実検討能力の全般的低下を
もたらす。また、解離の働きが不完全な場合、保障行為としての解離的適応行動と
しての一時的防衛の一つとして嗜癖行動等をきたす。
さらに解離の働きが不完全となりそれらの防衛が突破されると、性的強迫観念に
基づく不特定多数との性行為など危険な行動を起こす。
この性的強迫行動をGold(2002)は「性嗜癖・強迫衝動
(sexaladdiction/compulsivity、SAC)」と呼ぶ事を提唱した。
SACの状況においては通常の性の喜びは存在せず、単純な性的興奮及び麻痺、
屈辱感、不快感がもたらされる。
また、解離性トランスも促しており、痛覚消失物質オピオイドも同時に発散されてい
る。
多重自己状態 [編集]
古典的なアプローチは自己の内的葛藤の解決をすることにより問題の解決を
しようとした。だが、1990年代に入り多くの学者により、多重自己状態(multtiple
self-states)と呼ばれる状態がポスト構造主義的な立場により一般的にも適用され
うるとされ、状況は一転した。実際には、人はみな多重自己状態にあるのであり、
それが時とともにその非連続性に気づくよりも、自分自身が一人の確固たる人間
であるという必要不可欠である錯覚を人にもたらすようになるのである。Rivera
(1989)は「自己の統一性」などという概念は、単に文化的規範を押し付けているに
過ぎない危険なフィクションと呼んだ。
Rivera(1989)によると通常は個人の中心的意識において異なった自己状態におけ
る複数の視点や感情状態を同時に抱える事ができるとされ、これを「パラドックス
に耐えうる能力」と呼んだ。Pizer(1996)はこの立場における多重自己状態は人格
に標準的に解離が組み込まれているため「配置された多重自己」と呼び、一方外
傷的解離によるものは組織化されたものであるため「解離した多重自己」と呼ぶこ
とを提唱した。配置された多重自己と解離した多重自己の最大の違いは、健康な
場合はそれぞれの自己状態間の相互連結が容易に出来るのに対し、心的外傷を
受けた場合この行動が行われない事である。
Putnam(1997)は「離散行動状態」として、解離のために欲望されると応じてしまうと
いう関係が複数生じてしまうために、結果的に自分自身の人間としての整合性を
失うような場合に適用されるというモデルを提唱している。これは近似し、また重複
しているものの解離性同一性障害とは限らない。解離性同一性障害の場合ははっ
きりと異なっているが、この場合様々な多重自己のコーラスのようになって自分の
行動が決定される。
このように、対人関係の分だけ人格があるという考えは、古くは小説家のマルセ
ル・プルーストや、精神分析家のハリー・スタック・サリヴァンも述べている。だが、
こうした考えはコンセンサスが必ずしも取れているわけではない。
参考文献 [編集]
- ^ a b 『心的外傷と回復増補版』(ジュディス・ルイス・ハーマン、1992、翻訳1996、増補版1999)ISBN 4-622-04113-8
- 『少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(リチャード・B・ガードナー、1999、翻訳2005)ISBN 4-86182-013-8
- 『トラウマとジェンダー 臨床からの声』(宮地尚子、2004)ISBN 4-7724-0815-0
- 『心的外傷と回復増補版』(ジュディス・ルイス・ハーマン、1992、翻訳1996、増補版1999)ISBN 4-622-04113-8
- 『子どもの虐待 子どもと家族への治療的アプローチ』(西澤哲、1994)ISBN 4-414-40172-0
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