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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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多分この一年タッカの歌を一番多く聴いているだろうと思う私。

ライブ、練習を含め、函館一番だろうし、ろうあ者も目の前で聴く(視る)のも多いだろう。当然と言えば当然だけれど、毎度反応が違うし、同じ歌なんだって多分知っているだろうと思う。

聴こえない人たちは、同じ歌を2回聴くことは、今までは、ほとんどなかったことだろうし、まして、同じ人の歌を自分の意思で、その場に参加しにくることも今まではなかった。


昨日は、いつも廉売横丁を手伝っているS夫婦と、先日チョコ募金のイベントで偶然私たちを見かけ、そのままステージにくぎ付けになってしまったHさん。

次の日に、会議で「昨日さ、偶然だけどHさんがセンターにいて、最後まで視てくれたんだ」というと、「知ってるよ、メールが来てて楽しかった~~って言ってたよ。次はいつあるんだ?って聞いてたから今度はお知らせしてほしいみたいだよ」という会話になった。


そして、「1月30日も参加できるかもしれない。お前たちは何時にでるんだ?」

「どうやって連絡したらいい??」と話しながら帰って行った。

タッカが、りぼんのブログで4割の聴力を失ったと書いてあったけれど、それってけっこう不便だろうと思う。
けど、手帳がでる範囲じゃないってことは、まわりには理解してもらえないこともたくさんあるってことだ。


最近は、どのあたりが聞こえにくいのかは、なんとなくわかるので、あまり聴こえてないみたいだな?と思うときは、正面を向くまで待って、同じことを伝える。それでも伝わらないなぁ…と思うときは身振りを入れると、「ああ~~!」って顔になる。

私は先日聴力を測る機会があって、機械ではものすごく音が聞こえる人だとわかった。

けれど、聴こえがいいからと言って、歌がうまいのか?いうと、それは訓練されていないから、普通かもしくはそれ以下。音はとれるけれど、奏でるということが出来ないし、一人で歌うのも無理。

ピアノも同様で西田敏行さんの「もしも、ピアノが弾けたなら・・」みたいに、少し弾けるけれど「人に聴かせる腕はない」って感じ。

音楽は勉強してきた時期があるので、それは理屈としてわかるけれどそれが感性に結びついているかというと、あまりないと思う。

それは私自身が感情を抑える習慣を持って生きてきて、自分のために「感情」を出すことがとても苦手。

じゃ、なんで手話ならできるのか?

他人の感性を自分を通じて通訳するという経験の長さと、言葉の解釈の勉強はかなりしたから。

それと、子ども時代で得た特殊な5歩くらい先を読む…習慣(笑)

メロディも、先読みできたり、言葉も先読みがかなりできる。

一度聞いたことがあれば、次の言葉はミュージックサインを必要としている場所であれば歌っている人と同じタイミングで出来る時が多い。


昨日、英語の歌を翻訳して持ってきてくれたマックス。
もちろん、知っている曲じゃないっていうか、どこからどこがこの訳で・・・なんてことは打ち合わせる時間も無かったし、私は英語がわからない人だから。

でも日本訳を読んで、知ってる英語の単語を思い浮かべて、多分この単語が聴こえてきたら、こうだろう・・・みたいなもので、一緒に演奏した。

マックスの歌は、わりと私的には即興でも、自分らしく表現しやすい。
どうしてかはわからないけれど、初めましての時から、すぐ日本語に訳してくれたり、私が表現しやすいように、なんとなくしてくれてるのがわかる。

自然にそれが出来るということがいつもすごいなぁ…って思う。


私は楽譜をみて、これはこの音だと理解は出来るけれど、それを奏でる力は努力していないので、ない。けれど、伝えたい気持ちは人一倍あるので、手話に変換するとか、聴こえない人に伝えるというアイテムを使うと普段の私にはできないこともできるようにスイッチが入る。

この2カ月と少し、発声に時間をかけて、ピアノも出来るだけ毎日弾いて、♪にもしてみるとか、いろいろ自分に出来るかもしれないことをしてみた。


毎日それを努力している人たちにはかなわないし、出来なくて当然。

それは私に「手話うまいですね」と言ってくる手話を習いたての人の言葉と似ているのかもしれない。

私なりに時間をかけて習得した技術だし、勉強したし、いろんなことを犠牲にしてきたこともあったわけだし、私は「比べないでほしい」と思うんだ。

「出来ていいよね」という人には、「じゃ同じだけ病気になったり、研修に行ったり、人に指導する経験をしてみてね?って言ってはならないことを思ったりする。

タッカにとっても同じ感じなのかな?

日常的に「歌えているよ」と私が伝えても納得しない。
おもしろいくらい、「違う」という表情をする。

言葉では「うん」と言っていても表情が納得していない。

これは手話通訳をしている私だから、わかることかもしれない。


大丈夫だよという答えの時に限って、表情も声も「違う」と言ってるんだな・・・・。と感じる。

自尊感情の低い私からすると、なんでここまで自虐的??と思うくらい、追い込む。


けれど、その追い込み方はとても懐かしい感じもする。

でも、私は体力、気力が持たなくて体を壊した。

私の場合、仕事も、好きなことも「手話」だったから、朝から晩まで「手話」だらけ。

特に仕事は、上司との関わりが難しくて、当事者を守りたいと願えば願うほど自分が追い込まれていった。

それでも、戦う。

声なき声にこたえるために。

今は一般人としてとても自由に発言できる。

機械で測る聴力レベルと、音楽に必要な聴力は、まったく違うと私は思う。

音楽に関わっている時のタッカの耳は、音感がちがうし、なんでここまで聴こえてるんだろうと思うこともたくさんある。

それが自分でわかるから苦しいのかもしれない。

けど、音楽の世界にいる時のタッカに医学的な聴力のレベルは関係ないって私は思う。


ただ、それだけ緊張もするし、その緊張が解けた時に、聞こえにくいとか、人ごみの中にいると話が聴こえないとか、不便さは音楽で聴こえる耳になったあと、その分ギャップを感じるのかもしれない。

私は通訳している時の、耳は本当に聴こえる。
けれど、それがひと段落したときは、がたっと落ちる。

それは仕事ようの耳と普段使いの耳だから。

タッカが体感してきた音、歌は、本物だと私の周りの人はいう。

音楽の世界にいた人たちも私に伝えてくる。

私が歌うことをまた始めたのにはタッカの存在と、想いがあったから。
ろうの人たちに、自分で歌って伝えようと何度も何度も伝えてきた。

「ありえない」から、「それもいいかも?」そして、「わかりました」と変化してきたのは、タッカの想い。

それが私につながった。

私の想いを聴き、感じとって、「わたげ」を作った。

それを一緒に歌う、ピアノを弾こう。

それをみて誰が一番喜ぶと思う?

確かに、昨日は「ピアノ弾けるのをどうして隠してたのか?」と怒られた。

知らなかった・・・・って。

弾けるけど下手だし…と笑うと関係ない!!って。確かに直接は聴こえないから関係ないんだと思う。

けれど、その姿をみて、また話題が増えるんだね。

kasumiがピアノ弾くの知ってる?見た?  
見た見た!

俺は、まだだ。。。

次はいつなんだ?って

生活の中で今までとは違う会話が増えるんだね。

あいつ歌は下手らしいけれど、一生懸命だもんな・・・とか(笑)

私は、実親には褒められたことないけれど、通訳者として育ててくれた聴こえない父や、母にはいっぱい褒められた。

いつも「頑張って偉い」って言ってもらえる。

その言葉が欲しいから頑張っているわけじゃなくて、もっと聴こえない人の生活が豊かになって欲しいって思うから、出来ることをして、その結果がどんどんいろんな人に理解してもらえたり、わたげに関わってくれようとしてくれる。

通訳を介さなくても自由に話が出来る時代になればいいなと、その時代を函館から起こしたいし、顔見知りの人がたくさん増えてくれたら、あちこちで手のひらが舞う・・・。

声で話すのは緊張するけれど、手話だったら…っていう人もいるかもしれない。

そういう意味では、私の挑戦もタッカのパラリンピックではないけれど、デフリンピックとか、聴こえない世界でミュージック・サインが広まることは同じくらいの力でのトライになるかもしれない。(ろう者自身が音楽を奏でたり、演じることは進んでいるんですが、演奏者とコラボ・・・が定期的にできているのは、函館くらいだと思う。)


私には、直接目の前で表現できるもの、対象者がいるので、今日の出来具合もすぐわかる。

だからそんなに悩まない。

逆に聴こえる人はどう感じているんだろう?と、悩むことはあるかな?

それと演奏者がうけいれてくれているのかどうか?とか。

けど、それは30年以上それを繰り返して訴え続けてきた私もいるから、特別なことじゃない。
まだ、聴こえない人がいるってことを知らない人がいるんだな・・・くらい。

見たことがなければイメージがつかない。

聴いたことがなければ、イメージを持てない。

それは当然のこと。

だから、聴いてもらう、視てもらう。

自分も結構地味な努力をしている人間だと思っていたけれど、タッカには負けるかもしれない。(笑)

出来ないと思っていたらば、それは出来ない。

出来るかも?と思えば「出来ちゃった」になる。
夢は逃げていかないと、夢から逃げているのは自分だと、何年か前の義家さんが講演会で言ってたけれど、(通訳もしたような)本当にそうかもしれない。

私はいつ、どんな歌で依頼があっても、「できません」とは言わないようにしよう。

もちろん、いままでも「できません」と言ったことはないし、出来たら「させてください」と頼んできたよ。(笑)


時間をかけて作ったミュージックサインとは違うけれど、その場で楽しんでもらえるものはすぐ、表現出来る力が私にはあるんだった。

それは、 タッカのまだ行ける・・・(行きたい)という想いに似ているかもしれない。

練る時間があったら、もっともっと、伝えられるのに。

そう思う。

けれど、目の前にいたら、できませんより、「こんな感じの歌、音楽」と伝えればいい。そして終わってから、こうだったんだよ~~~って、話題にしていけば、いつか、「あの時のこの歌だったんだ」と私たちが聴いてなつかしいと感じる音楽にろう者もなるんだろうね。

ストレスでなった突発性難聴の時は、音がうるさくて、このまんま聴こえなくなってもいいな・・・・って思うくらい「音」が煩わしかった。

人の声よりも、外の葉づれの音、ビー玉が転がる音。

話声が聞こえないって疲れるし、孤独になるんだよね。

だから、テレビの音嫌い。

本当にみたい時にしかつけない。

歌も今までは、本当に聴きたい時と、必要な時以外は聴かなかった。

私のお仕事用の耳になってしまうから。

けど最近はなんとなく流れてくる音楽を楽しめる耳にもなってきたから、人間って変化するんだな…と思いました。

変わりたいと思ったら、いつでも変われるのかもしれません。


 

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