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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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いまだ鼻声のカズくんですが、「練習したいモード」で、私は一人でしていると勝手に自分のひきやすいように編曲するという癖があるので、二人練習をしました。

私は楽譜を読むことと、コードで音を探すことができます。

カズくんは、楽譜は読めないけれど、音を聴き分けられて、それを曲のイメージにあわせて、編曲する力があります。

それで、わたげモードで演奏する時の伴奏を考える作業をしながら、お互いの得て、不得手を補いあって、アレンジ作りをしていました。

日本語音階では分からないけれど、Aとか、Bとかで音を伝えるとささっと、それをメロディに変えて「こんな感じ」とヤマハの名前がわからないけれど、いろいろ入力できる機械で伴奏の楽器の数を増やしながら、イメージを作っています。

私はコードで決まっている音をバラバラにして、アルファベットにして、長さを伝えてると、カズクンのしたいピアノの伴奏が作れていくのです。

おもしろい。

明日も、その2があります。

1曲出来上がるとcdに出来るので、楽しみです。

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いろんなブログを拝見すると、「自分誰?」とか、「自分なに?」とか彷徨っている若い人が多いんだなぁ。。。。と感じる。

多分私が今20代なら、同じように悩むのかもしれないけれど、その倍をいきてしまったから、私の場合「多重」であることが分かってとてもすっきりした。

悩まないのか?と言われれば、考えることもあるけれど、周りにもそれを分かっていて関わってくれる家族や、友人、仲間がいることで子どもになってしまったら「母さん!」と叫んでもらうことで戻してもらうとか、過去に浸りすぎたら、「kasumiさん。kasumiさん、過去があって今のkasumiなんだよ」と何度も何度もつぶやいてくれる人がいたり、「それこそ冒険じゃん」と笑う仲間、誰にも体験できないことをやってのけてるだけですごいじゃんと、私がその世の中に存在することを否定しない人たちがたくさんいる。


私は今のままでもいいかなと思うのだけれど、どうしても埼玉の先生のところに行きたいと願っている人格がいて、金曜日から出かける千葉での研修の後その先生のところにセッションを受けに行く。

バラバラになるかもしれないし、どうなるかわからない。
けれど、嫌だという人と、行きたいという人がいて、今は「行ける」ことで安心感を持っている人が多いので、その後どうするかはまたあとで決める。


私自身では聴けない心の叫びを聴いてくれるかもしれない。

過去に浸るのではなくて、過去に区切りをつけたい。
自分的にはもうすでに区切りをつけた気持ちになっているのだけれど。

ときどきその世界に入り込んでしまい、抜けられない。
その時には、誰かに聴いてもらわなければ、苦しくてたまらないのだ。

けれど、その手の話は誰にでも出来るものではないし、昔はブログで書いていたけれど、ただ嘆きたいだけ、語りたいだけ、それなのに、優しい手が差し伸べられる。
それはあまり好きじゃない。

相談をしているのではなくて、ただ聴いてほしいのだ。

私の心から吐きだしてしまいたいだけなのに、多くの人はこうしたらいいんじゃない?とアドバイスをしてくれる。
けれど、それはすでに自分でしているのだ。

そっか・・・と聴いてくれる人って意外に少ない。

そうなると、明るく楽しいkasumiにならなければとサービス精神旺盛なkasumiさんが出てきてしまうので、「私のために暗い気持ちにさせてごめんね」と、聴き手を励ましてしまうのだ。(笑)


それはとても疲れる。

多重にならなければ、とっくに死んでいただろう出来事に耐えるというか、生き続けるために解離から、人格へと発展していった私の脳。

今は命を奪われるような悲しいことも、危険なこともないし、すでに大人として生きているわけだから、その危険も回避できる力を備えている。

経験で培ったものもあれば、学んだもの、いろいろある。

けれど、習慣でスイッチが入ってしまうことも多く、危険じゃないのに人格交代が起きたり、心が痛いと感じるとこもってしまう、そしてこもりすぎて小さなkasumiになったり、さらにもっと小さい年齢の私になっていることもある。

自分でそれを入れ替えることもできるのだけれど、自然になってしまっている時は、記憶が途切れる。

そこを寝るとか、声をかけて我に戻してもらうとか、仕事モードに入るとか、きっかけを作らないとどこかに行ってしまったままになるのだ。
(笑)
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6月に上映予定の「アンダンテ~稲の旋律~」

歌、気持ちいい。

ユニバーサル上映、七飯町文化センターです。

詳しくはあとでね。(笑)




ひきこもりだった彼女が自然に触れて行くことで自分を取り戻すという原作がある映画。 新日本出版社 旭爪あかね  ブログランキング・にほんブログ村へ
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教育大学のウインターコンサートの初打ち合わせ。

その後ピアノを借りて。。。


2時間、弾いてました。

調律したばっかりなので、どの部屋のピアノも、高温がきれいに出るんです。


・・・・っつか、そういうことが分かる耳になっているっていうのも驚きなんだけれど、すごくきれいな音なんです。

そうなると、きれいに弾きたくなってきて、いつもより丁寧にという気持ちが出てくるんですね。

そうすると、しっかりゆっくり弾こうとか、もっと早く弾きたいとか、いろんな気持ちが出てきて、とても楽しいおもちゃのようになってきます。

キャンドルナイトの伴奏の仕方も変化してきて、あまり変えると、自分で歌が歌えなくなってしまう・・・という悪い作用もでてきます。

けど、どんなパターンでも弾けるといいのかもしれない・・・と考え方を変えて、弾きたいように弾くパターンと、歌を歌うバターンと2つ、3つ・・・。

なんて書くと、なんでも弾ける見たいだけれど、曲として弾けるのは「わたげ」と「キャンドルナイト」だけです。

あと、アンドレギャニオンの「愛につつまれて」をとってもゆっくりだったら・・・。
そんな技術しかないので、練習をしています。

ひさしぶりに五指を均等に使うので、小指と薬指が力が弱く当たり前だけれど、動きが悪いし、音がバラバラなので、意識して練習をしていますが、なんせ手話では自由自在の自分の腕と指だけれど、ピアノはまた別の力が必要なので、努力しか道がありません。


歌も、腹筋が弱いので、自分の肺活量にあった声がでてきません。

なんというか、すべてがバランスが悪いのはわかってしまうので、それを意識して、声を出す発声とか、昔の記憶などを思い出しながら・・・・・。


今日から、腰痛防止のためにも腹筋をしていきます。
多分、そう何回も出来ないと思うけれど、毎日しているときっと出来るようになるはず。

もともとは体育会系なんですよ。(水泳部)

腹筋200、背筋100。
中学はこれが終わらないと次へは行けなかったし、そのおかげで高校の体育では困ったことはない・・・くらい、体は柔らかかった。

音楽を始めることで、出来ていたことも思いだしてきたし、かなり面白い現象がおきています。

なによりも、いろんな人との出会いが一番面白い。

何もすることがないと、たばこを吸ってたんだな・・・ってことも思い出し、今はそれがピアノに移行したんだ・・・って。

とりあえず、いつでも弾ける場所に電子ピアノは移動したので、いつでもスイッチを入れると音がなる。

さずがに夜中はないけれど、ずっとあるだけだったコンポが動き出す。

こういう世界は30年ぶりかな。
私が聴きたい音楽を聴く・・・。

なかなかいいかも?(笑)
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