忍者ブログ

虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。









この音源の日本語訳

羽を広げ  飛んでいきたい

空の彼方まで

自由になることを

どれだけ夢見ているだろう

悲しみも無く 痛みも無く

怒りも無く 憎しみも無く

どれだけ夢見ているだろう

羽を広げ  空に飛び立つことを


もしも 今願いが  叶うのなら

翼が欲しい

鳥のような翼

空に高く飛ぶ  鳥のような

宙に 高く舞い上がる

白く光り輝く  翼を抱き・・・・

どんな  富も権力も

私の心を 

それほど満たしてはくれないでしょう


*羽を広げ 飛んでいきたい

空の彼方まで

自由になることを  

どれだけ 夢見ているだろう

悲しみも無く 痛みも無く

怒りも無く 憎しみも無く

どれだけ 夢見ているだろう

*refrain  (繰り返し)

The  sky・・・・     (訳 カノン)




声はとても素敵で、この歌も初めて手話を付けてピンで歌った曲でもあるし、けど弾き語りで大失敗した曲でもあって超微妙な歌。

なにが・・・って私の母を思い出すんです、この人を見ると・・・・。(笑)


夫にも話したら、「やっぱりそうだよね」(笑)ってことになり結果、声は好きだけど、あまり印象はよくないけれど、英語だったら、フラッシュバックにもならないかもしれないと思い(笑)聴いています。

けど、その母によく似ているってことは、私も似ているのかな?

声は似てみたい。
けど、母に似ているのは、断固拒否したい。

もういないんだけれど・・・・・。

冬は誕生日も2月だし、いろんなことを思い出すので、なんとか払拭したいね。。。


人生勝ち負けじゃないけど、自分のマイナスな面からは勝ちを取って行きたいなぁ・・・・。

ホームランじゃなくていいから、ヒット・・・・しました・・くらいで、行けるといいなぁ・・・。



私は赤い鳥がうたっていた歌詞よりも、こっちの日本訳の方がしっくりきます。
・・・というか手話訳はこっちの言葉を使っていました。
すごい偶然。


言葉って幅広いって改めて思いました。


私自身は鳥になって自由になるよりも、想いを飛ばす方を選らんだってことだとになります。

森田ゆりさんの「タンポポ作戦」を地道に自分で道を作っていたんだね。

偉い偉い。

だから、ゆりさんにもつながるんだね。





ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

拍手[0回]

PR








私はユーミンの歌が好きだった。
だから、結構ピアノで弾いて歌っていた。
小学一年から中3の春まで住んでいた家での記憶だから、その頃に「翳りゆく部屋」をずっと弾いていたんだと思う。

そのピアノ曲集の中にあった「ダンデライオン」もとても好きだった。
もしかしたら、記憶違いかもしれないけれど。。。。
(年齢が・・)

「ピアノを弾きながら、歌うことが私には無理」って思ったのは高校生になってからなので、怖いもの知らずで弾いていたんだろうと思うし、その年齢まではまだ家にいる時間も長かったし、練習もしっかりしてたんだろうね。

大人がいない家だったし、一軒家だったから。

父が再婚してからは、一緒に住むことになった妹もピアノを持っていて、自由に弾けなくなった。

10畳の部屋にピアノが2台あったわけだけれど、一緒に弾くとか練習するとかした記憶がないので、二人ともお互いに遠慮しあっていたのかもしれない。

去年、りぼんのタッカに「わたげ」の曲を作ってもいいかな?って言われて「もちろん」ってあまり深く考えないで返事をした。(笑)

その時には「自分たちで歌う」なんてことは、考えつきもしないし、もっと考えていなかったのはピアノを弾くこと。

いろいろ論議の末、「自分たちで伝えなければ意味がないんだ」ということに納得した自分が今いて、そして今歌うことをしていくのが自分自身なんだ・・・って半信半疑でゆっくり練習をしていました。


ミュージックサイン・わたげで活動したいことの一つにろう者が入所している施設に訪問することを掲げています。
そのためには、歌ってくれる人と一緒に行くこと、そして、自ら演奏することも視野に入れていくことが必要になりました。
歌と、ギターはタッカがわたげのメンバーにもなってくれたので、出来ることが増えたけれど、みんなで歌おうとなった時に、鍵盤で弾ける曲があったら、楽しいかも?と演歌の伴奏をしたこともある自分を思い出して、「弾いてみる?」という選択肢も持ってみました。

コードはわかるので、それなりに・・・(笑)

けれど、歌の「わたげ」に関しては、もっともっと、練習して納得してから・・・じゃないと嫌だなぁ・・。

だって、一緒に歌うのはタッカだし。(歌える人ならこの意味わかりますよね。)

披露はもっと先と。(笑)

原曲は、今まだ私の声は歌にならない音域のところがあって、またまたタッカは「kasumiが歌うんだよ」とあきらめずにハモリのパートを作ってくれて、(それがまた難しい)一音一音耳でコピーしながら、「よくわからない。。。」と泣きたい気持にもなったりして、けど、音源を作ってもらったり、会議などで出会ったときに、「ここ歌って」と頼んだりして、ようやく自分の歌うメロディを把握できた。

自分だけがわかる楽譜を何度も書いて、「弾いて歌う」を目指そうって何度も「嫌だ」という私に(大人の)リタイヤの道を認めてくれないタッカの想いと小さなkasumiの想いがとっても強力に私を引っ張っていく。

私は、手話通訳の指導の時に「うまい下手じゃない。伝えたいという気持ちの問題」といつも言ってきた。

けど、自分が歌う?って思うと、それが消えてしまう。

その気持ちを伝えるたびに「kasumiが歌っているのを見て一番喜ぶのは誰だと思う?」とタッカに投げかけられる。

「kasumiがピアノを弾いている姿を見て喜ぶのは誰だと思う?」。

この半年、何度言われたかわからない言葉。

うまくないというより、弾けないと思うよ。(笑)けど、努力してみる。
歌えるなんて思ってないよ。けど、練習してみる。
そう思うようになったのは12月くらい。

呼吸とか発声とか意識して、丸2カ月。
やっと低音が体に共鳴してくるようになる・・・ってわかってきた。

・・・っていうか思いだしてきた。

それと、他人とは比べない。

それも手話通訳の指導でずっと言ってきたこと。
最初の一歩の自分と比較してみましょう。
そうしたら必ず努力した自分と出会えるはずです・・・って伝えてきた。
それを自分に投げかける。

自分でも「まだまだ・・・」って思う歌とピアノだけれど、披露してみる日を決めました。

そして、その本番前に、ミュージックサイン・わたげ付きで依頼のあったライブで人前で歌ってみる練習をさせてもらえるように、タッカに頼みました。

失敗するかも?だけれど、チャレンジすることにしました。
そこには、ろう者が来るから。

あと、2週間。
そして、本番まで3週間。

自分なりに精いっぱい練習して、頑張ろうと思います。

それを支えてくれる人に感謝。
関わってくれる人に感謝。

タンポポになって、わたげを飛ばす。

かなりの遅咲きです。(笑)




 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

拍手[4回]

本日担任の先生と教育長と遺族が証人として尋問される山場でした。

担任の対応。

去年のことを彷彿とさせるような言葉ばかりで未だに現職で先生をしてるなんて許せない

駄々っ子が「僕一人が悪いんじゃないもん」って背中が言ってました。

教育長の答弁もノラリクラリとまあ時間稼ぎですかって感じだった。

続きは帰ってからゆっくり(笑)
ただ今室蘭に向かっています。

さて続きです。

民事裁判だから、なんていうか被告っていうわけでもないし、けれど、学校の対応や、教育委員会がとった行動は客観的にみて、

「いじめ隠し」だし、担任の先生の言葉の中で、「いじめも自殺の要因ではあったかもしれない。

けれど、「家庭の事情にも・・・」っていう言葉がなんどもあって、偏見も甚だしい。
 
昨年の講演会と今回の2回しか会っていないけれど、人間的にどうというお母さんではないしむしろ、暖かい家庭だったろうなと私は思った。

先生がした行為は、いじめっ子3人と当事者を同時に呼んで話し合いを何度もしている。

その場では仲直りという形にしたいから、そうする。
 
けれども、その後いじめられている側の子どもが4倍にも5倍にもやられてしまうという論理は、頭の中にないようだ。

修学旅行の班ぎめも、どうように当事者の12歳の子どもをクラス全員の中で、「だれか班に入れてくれる人はいないか?」と3回もさらしものにしている。

しまいには、昼間の行動は男子の班に異性である彼女を一人だけ入れて、寝る部屋はそのいじめっ子3人と同室にしている。
 
そのいじめっ子たちは、鍵を閉めて、彼女が部屋に入れないようにしてしまい、夜エスカレーターの所で登ったり降りたり時間をただ過ぎるだけを待っていたと聴く。
 
担任でなくても、同行した旅行会社の人でも、「おかしい」と感じるような光景があっても、学校は「いじめはなかった」と言い張った。

その会見後、何千何百という抗議のメール、電話があり会見の3日後、自分たちの言葉を180度ひっくり返した。

その誠意のなさ。

遺書が何通もあり、実名でいじめられたと書いてあったのに、それは自殺のメインの原因ではないと言い張る。
 
人間一人の命を何だと思っているのだろうか?

もう少しかしこい担任だったら、もう少し感のいい先生だったら・・・・。

本当にこんなんでいいのか?学校教育。

この担任は夕張の小学校の一年生を受け持っておられる。

そして、そのいじめっ子3人は中学の時に「いじめ撲滅運動」を生徒会でしている。

が・・・亡くなった子の遺族にはなんの反応もないと聞く。

いじめは犯罪。 暴力です。
 
それを止めずしてなんのために先生、教師が学校にいるのだろうか?

あまりにも、無神経であまりにも、知識がなくて、吐き気がする裁判だった。

あらためて、私たち親子の戦いは間違いじゃなかったと、過去3年間を振り返る。

 ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

拍手[6回]




朝から、あまり積極的な気持ちになれず、かかってきた電話にも出ないでいたけど、年末から結構SOSが来てたものあって、こちらからかけた。

そんなに大変なことじゃないんだけれど、Drから「よくなっています」って言われたと、超喜んでいたので、「いっきに薬をやめれるって思ってないよね?」ってかくにんしたら、「あれ、ばれてる」っていう会話だった。

あのねぇ・・・・。それを何度もしてきたから、繰り返してるじゃんね。 お願いだから、それはもうやめようね。

そんな対応をしていたら、いっきに気持ちが沈んじゃって、孤独になりたいモード。

ハア・・・・。今日は父の誕生日でした。

昭和8年っていくつになるんだろう。 覚えてますか?

誕生日、お祝い準備してた私たちは、子どもの手で、お寿司を作って待っていました。

けれど、父は帰ってこなくて、夜中に「くだらない」って言われた。

「ありがとう」だと思うんだけれどね。 私って、うらみがましいでしょうか?

お正月が憂鬱になるのも、この6日があるからかな。


忘れたい。だれか忘れさせて。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

拍手[0回]


 





20代前半かしら??

妹も4歳くらいだったけど、8トラのカラオケでよく歌いました。
歌いましたというよりも、地域のお祭りで歌わされました。(笑)

自分の結婚式の時にかけてほしかった曲があったんだけれど、「メリージェーン」に変わってしまっていて、ピキ!!としたことがあります。(笑)

よりによって、嫌いな曲の一つが結婚式でかかるなんて・・・・(T_T)


ゲオでレンタルできるだろうか?

探検してこようっと。(*^^)v

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

拍手[0回]

   
Copyright ©  -- 虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by Crambon / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]