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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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さっき終わったばかりの映画の影響。(笑) この歌も柴崎コウも好きです。 ブログランキング・にほんブログ村へ
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そういうところがお母さんに似てるよね・・・。

何気ない夫の一言でプチンと切れた涙腺。

ぽろぽろと、流れる涙。

すかさずまーさんがフォローを入れたが・・・・。


「母ちゃんは、まーをおいて行ったりしないしむしろまーが先に歩いていく方が多いけど・・・・。」(笑)



夫いわく、「母に置いていかれ、子どもにも置いていかれて大変だね。」

かなりむかつきモードになり・・・。


そこで、さらに焦げパン気分に。
床にねっ転がってポロポロ涙。

「かあちゃん泣かした~~~」と娘がいろいろ肩を貸してくれたり、ナデナデしてくれたり。。。


だから、お正月嫌なんだよね・・・・。


そもそも冬が嫌いなんだ。
置いていかれたのも、冬だし、吹雪の中だったし。


雪かきもいっぱいしたし。



あ~~~もう。

嫌だ!!って気持の方が多くなってきた。

今日は、ちゃんこ鍋でした。

食べる係だけでした。(笑)


それは、楽なんだけど・・・。(*^^)v




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 いつも、テンプレートを替えるのが遅くて、今年は早々にクリスマスモードにしたのに、終わってからもまだクリスマス・・・気分で、あ!!終わってたんだといまころ、変更をしました。

生まれた年の占いによると健康にちょっぴり気をつければあとはよろしいようで、副業に運がいいらしいですが、どれが副業??って謎の部分もあり。(笑)



春からは、まだ大学やら専門学校などがつながるみたいですが、あとは、仕事らしいもの・・・って。
あまりないんですね。(笑)

けど、講師をしたりするので、時々お金が銀行に入っている・・・・みたいな生活。
それも夫がいるからできるわけで・・・・。


今日大学の学生さんから情報をもらって「函館音楽教育研究所」というところの演奏会を聴きにいきました。
ピアノと管楽器が主でしたが、小さなピアニストがたくさんいて、あの姿勢は見習いたいです。

小指が・・・きれいなんです。


私は発表会はなんどか・・・っつか年に一度は経験していましたが、失敗してはいけない演奏会だと思っていました。
ので・・・・。

今日の演奏者のように音楽を楽しんでいたか?というと、ただ緊張していただけのように思います。


先生は「大丈夫よ」視線を送り、吹奏楽やアンサンブルになって、指揮を振る時はとてもわかりやすく・・・・。

多分足を骨折か・・・ひびが入っていると思われるような、固定された状態でも、ステージに上がり、力いっぱい手をあげて演奏者にエールを送り、またそれが楽しそう。


たぶん、個人個人はそれぞれの楽団でソリストをしているだろうな・・・という人ばかりでしたが、それぞれの個性をそのまま吹奏楽の演奏としてできるのを見ると、やっぱり人って心一つで変化するんだな・・・と思いました。

ちょっと支える人がいるだけでぐんぐん伸びる。

お願いことをしたい吹奏楽団のみなさんに会えたので直接話したら、とってもこころよく快諾。

来年早々楽しいことが始まるかもしれません。

わたげ・・・。

来年はかなりたくさん飛ぶ予感がします。



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今日小春日和にいってま-さんの父をご披露(笑)してきました。

つまりは私の夫ですがゆりちゃんとまきちゃんの感想はなんと「あたたかい」そうで三人で「そうなんだ~」とテレテレして来ました。

娘と夫は基本とても仲がよいので同じように表現されることは多いけれど私も含めて「あたたかい」と言われるのは初めてなのでチョピリ「うふふ」的な気持ちです。


ま-さんが暖かいので自然にそうなるのだろうけれど「暖かい家庭」に憧れていた私としては「この状態が暖かいっていうんだ~」と新発見でもあります。

チョコレート募金のチョコレートを取りにいった時の出来事でした(笑)



今年は娘の手作りケ-キを食べ幸せだったかな。


やっぱり無償の愛は娘からもらっているんですね。
夫は「母性ガンガンあるし」と私のことを表現しますがどこでもらったのかわかりません。神様がくっけてくれた能力でしょうか? ブログランキング・にほんブログ村へ
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もしかして、心配してる人がいる?と気がついたので、診断書について言い訳を書くことにしました。

2000年から、心療内科(つまりは精神科)に通っているわけですが、はじめは不眠から始まって、うつの入り口ってことで、抗うつ剤を飲み始めました。

抑うつっていうのは、たとえば「あなたはガンです」といわれると、だれでも気持ちが憂鬱になると思います。
その状態を「抑うつ」というのだそうです。
大切な人が急にいなくなっちゃったとか、一緒に住んでいたわんちゃん、にゃんちゃんが迷子になったりすると、気持が沈む。
これが抑うつです。


その抑うつが長いこと続いてしまい、慢性的になった状態が「うつ」です。
もともと日本人は「うつ傾向」が極端に外国よりも、多いので4人に1人はうつなわけ。

それは文化的なことで、建前と本音を使い分ける人種なので、それは仕方がないことかもしれません。
ただそれがつらいと感じて、通院するか、自分で我慢してしまうかの違い。

そして、生真面目な私は一生懸命うつの勉強をして、半年でよくなるはずのものを3年かけてしまったのです。
その間状態が良くなっても抗うつ剤はいきなりやめると大変なことになるので、症状がなくても薬を飲んで、すこしつづ離して行きました。
薬は、不思議なもので必要がなくなれば、自然といらなくなっていく。


もしかしたら、私は自力で無理をすれば睡眠時間が短くても生きていけるのかもしれない。
けれど、常に「かなしばり」にあっている時間が長いので、熟睡ができません。

それと、導入部分の脳の回路がつながりが悪く睡眠剤だけでも、熟睡できません。

人間は食べること、寝ること、働くことが生きていくために必要で、私の場合働くことはやめることが難しい。

それに加えて、食べる。
これも、1人で放っておくと食べなくなるので、生きていけなくなる。

そして、寝ることが1人では出来ないので、薬を飲む。
睡眠薬を飲むと癖になるとよく言われますが、必要がない時は、飲まなくてもいい状態になるので、(30代の時に経験しています)それは精神薬に対する偏見だとおもいます。

抗うつ剤の時に、自分で無理してやめようとたくらんだりしたおかげで長引いたので、それはやめようと心に決めています。
それでなくても、自分で命を縮めたりしてるので、労らないとね。(笑)


その精神薬は、一般の薬よりもお高いのです。

なので、自立支援法を使って保健所に毎年、薬代や診察料金を30%から5%に変えてもらうために、診断書を毎年書いてもらい保健所に出します。

身体障がいの自立支援とちがうのは、症状が固定されるわけではなく改善されるべきことなので、毎年審査があります。

けどね・・・。

少し症状が軽くなると、あっさり却下されてしまいます。
なので、

どれも似たような症状がダブっているものは、病名を変えたりするわけです。

ちなみに、私は毎年病名が違います。
これは慢性的な疾患がある場合、鍼灸も、治療箇所を変えて申請につかう診断書を出すのと似ています。

整骨院などで、保険をつかう場合も同様です。

私自身は、自分の状態がなぜこんな風なのか?
それを知って、とても楽になりました。

PTSDはあるので、フラッシュバックもあるけれど、次は「いらない」と打ち返すつもりでいます。

それは森田ゆりさんの「癒しのエンパワメント」に書いてあるように記憶がよみがえった時に、自分だけがカギを持っていてあけたりしめたりできる箱を持っているから。

開けたいときに開け、開けたくなければ開けない自分の記憶の箱。

今まで、自分の過去に向き合うために、よみがえった記憶は大切に向き合ってきたし、嘆いてもきたけれど、すべてを思い出さなくてもいいのではないか?そんな気持ちに今はなっています。

それは、祖母が亡くなった時に、「過去を切り取って…嘆くのはやめよう」という友人の言葉で「あれ?」って思ったことと、もう長いこと向き合ったし・・・という気持にもなれたので、したいようにすることに決めました。

嫌なものはいやって思う。

泣いてもいいよ。

我慢してみてもいいよ。

自分でしたいようにしてていいよと、自分を許容することにしたら、とても気持ちがいいのです。

食べないで、いるとやせてしまうし、寝ないでいると倒れるだろうし、そうなると働く(お金に関係なく)ことができなくなるので、薬は飲む。(笑)

感情もない人だったのが、少しわかるようになったこと。
それがDrからみると、感情がないように見えるだけ。

もともと、感情がない人だからね。

怒れば怒るほど冷静になってしまう。
それが、外に出せるのは私にとっては進歩。(笑)

だから大丈夫。

ただ、診断書みて「こんなふうに書かないと、だめなんだ・・・」って驚いたわけです。

年々良くなっているのに、あっちこっちに病名が変わる。
わかっていることだったけれど、理不尽な気持ちになったのです。

かといって、30%を年間支払うのも、今の家庭の事情では無理なので(笑)

これも一つの差別かしら?とも思う。


母に似ているといわれ続けた私は、私もうつになって人間失格になるのだと思い込んでいました。
けど、実際うつになってみたら、それを受容するのは半年時間が必要でした。

そして、今は「だから?」って思うし、あえて使うけれど父の言っていた「きちがい」ではないと思うし。

私は父よりも、一般的な人に近いし、虐待を正当化なんてしない。

眠れない以外は心配することないので、心配してくれた人には、ありがとう。

心配されることも、嫌じゃなくなったよ。(笑)

まえはうっとおしいって思ってた。その頃の人たち、ごめんなさい。<m(__)m>

ただ、言葉も最低6通りは考えてしまうのは、人数分だから仕方がないかな・・・。

くよくよしているわけじゃないけど、まわりからはくよくよしていると思われやすいのは、多重だからなんじゃないかな・・・と、自己診断。

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