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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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もしかして、心配してる人がいる?と気がついたので、診断書について言い訳を書くことにしました。

2000年から、心療内科(つまりは精神科)に通っているわけですが、はじめは不眠から始まって、うつの入り口ってことで、抗うつ剤を飲み始めました。

抑うつっていうのは、たとえば「あなたはガンです」といわれると、だれでも気持ちが憂鬱になると思います。
その状態を「抑うつ」というのだそうです。
大切な人が急にいなくなっちゃったとか、一緒に住んでいたわんちゃん、にゃんちゃんが迷子になったりすると、気持が沈む。
これが抑うつです。


その抑うつが長いこと続いてしまい、慢性的になった状態が「うつ」です。
もともと日本人は「うつ傾向」が極端に外国よりも、多いので4人に1人はうつなわけ。

それは文化的なことで、建前と本音を使い分ける人種なので、それは仕方がないことかもしれません。
ただそれがつらいと感じて、通院するか、自分で我慢してしまうかの違い。

そして、生真面目な私は一生懸命うつの勉強をして、半年でよくなるはずのものを3年かけてしまったのです。
その間状態が良くなっても抗うつ剤はいきなりやめると大変なことになるので、症状がなくても薬を飲んで、すこしつづ離して行きました。
薬は、不思議なもので必要がなくなれば、自然といらなくなっていく。


もしかしたら、私は自力で無理をすれば睡眠時間が短くても生きていけるのかもしれない。
けれど、常に「かなしばり」にあっている時間が長いので、熟睡ができません。

それと、導入部分の脳の回路がつながりが悪く睡眠剤だけでも、熟睡できません。

人間は食べること、寝ること、働くことが生きていくために必要で、私の場合働くことはやめることが難しい。

それに加えて、食べる。
これも、1人で放っておくと食べなくなるので、生きていけなくなる。

そして、寝ることが1人では出来ないので、薬を飲む。
睡眠薬を飲むと癖になるとよく言われますが、必要がない時は、飲まなくてもいい状態になるので、(30代の時に経験しています)それは精神薬に対する偏見だとおもいます。

抗うつ剤の時に、自分で無理してやめようとたくらんだりしたおかげで長引いたので、それはやめようと心に決めています。
それでなくても、自分で命を縮めたりしてるので、労らないとね。(笑)


その精神薬は、一般の薬よりもお高いのです。

なので、自立支援法を使って保健所に毎年、薬代や診察料金を30%から5%に変えてもらうために、診断書を毎年書いてもらい保健所に出します。

身体障がいの自立支援とちがうのは、症状が固定されるわけではなく改善されるべきことなので、毎年審査があります。

けどね・・・。

少し症状が軽くなると、あっさり却下されてしまいます。
なので、

どれも似たような症状がダブっているものは、病名を変えたりするわけです。

ちなみに、私は毎年病名が違います。
これは慢性的な疾患がある場合、鍼灸も、治療箇所を変えて申請につかう診断書を出すのと似ています。

整骨院などで、保険をつかう場合も同様です。

私自身は、自分の状態がなぜこんな風なのか?
それを知って、とても楽になりました。

PTSDはあるので、フラッシュバックもあるけれど、次は「いらない」と打ち返すつもりでいます。

それは森田ゆりさんの「癒しのエンパワメント」に書いてあるように記憶がよみがえった時に、自分だけがカギを持っていてあけたりしめたりできる箱を持っているから。

開けたいときに開け、開けたくなければ開けない自分の記憶の箱。

今まで、自分の過去に向き合うために、よみがえった記憶は大切に向き合ってきたし、嘆いてもきたけれど、すべてを思い出さなくてもいいのではないか?そんな気持ちに今はなっています。

それは、祖母が亡くなった時に、「過去を切り取って…嘆くのはやめよう」という友人の言葉で「あれ?」って思ったことと、もう長いこと向き合ったし・・・という気持にもなれたので、したいようにすることに決めました。

嫌なものはいやって思う。

泣いてもいいよ。

我慢してみてもいいよ。

自分でしたいようにしてていいよと、自分を許容することにしたら、とても気持ちがいいのです。

食べないで、いるとやせてしまうし、寝ないでいると倒れるだろうし、そうなると働く(お金に関係なく)ことができなくなるので、薬は飲む。(笑)

感情もない人だったのが、少しわかるようになったこと。
それがDrからみると、感情がないように見えるだけ。

もともと、感情がない人だからね。

怒れば怒るほど冷静になってしまう。
それが、外に出せるのは私にとっては進歩。(笑)

だから大丈夫。

ただ、診断書みて「こんなふうに書かないと、だめなんだ・・・」って驚いたわけです。

年々良くなっているのに、あっちこっちに病名が変わる。
わかっていることだったけれど、理不尽な気持ちになったのです。

かといって、30%を年間支払うのも、今の家庭の事情では無理なので(笑)

これも一つの差別かしら?とも思う。


母に似ているといわれ続けた私は、私もうつになって人間失格になるのだと思い込んでいました。
けど、実際うつになってみたら、それを受容するのは半年時間が必要でした。

そして、今は「だから?」って思うし、あえて使うけれど父の言っていた「きちがい」ではないと思うし。

私は父よりも、一般的な人に近いし、虐待を正当化なんてしない。

眠れない以外は心配することないので、心配してくれた人には、ありがとう。

心配されることも、嫌じゃなくなったよ。(笑)

まえはうっとおしいって思ってた。その頃の人たち、ごめんなさい。<m(__)m>

ただ、言葉も最低6通りは考えてしまうのは、人数分だから仕方がないかな・・・。

くよくよしているわけじゃないけど、まわりからはくよくよしていると思われやすいのは、多重だからなんじゃないかな・・・と、自己診断。

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