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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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 先日のりぼんのライブ。

クリスマスソングが2つ。
一つは、去年も歌ったと思われる「クリスマスディ」
もう一つは、りぼんとしても新曲の「ありがとうにありがとう」


どちらも、単純に手話訳をつけるのは・・・(現実にはどれも単純にはつくっていませんが・・・)と思っていたので、詩を書いたなみ親分へリサーチを。

そして、曲を作ったタッカさんにも、リサーチを。

私自身はクリスマス嫌い派なので、その気持ちが表現にでないように、細心の注意を。(笑)

失恋ソングと言うなみちゃんの心境の確認を・・・・。
けっこう私なりに、神経を使い(笑)
手話の位置を確認をするには、細かく聞かねば・・・って。



そして、練習の時に、みてもらって了解の上でご披露。

ありがとうにありがとうは、もみの木にりぼんをのいきさつをリサーチ。
そして、人との出逢い、関係性、どんな気持ち?を確認して、目の前にあるもみの木をそのまま指差し、感謝しているSさんに「きみ」の位置。

当日もどこにいるのかを確認しつつ、丁寧に丁寧に。
伝わりますように、りぼんの二人の気持ちがストレートに、そしてそれ以上に手話で伝わりますように。


いきさつを知らない人にも伝わりますように。






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 以前というか、教籍のある教会の方からも、はがきをいただいた。


詩篇37
主は人の一歩を定め。御旨にかなう道を備えてくださる。

栄光   在主

前略
今朝、新聞を読んでいましたら函館のページ上段にまーさんの笑顔。まことに受賞おめでとうございます。
手話通訳を音楽や映画にも広げ、聴覚障がいのある方々に幸せを広げておられること、何と尊いお働きでしょう。葉書の表に、聖書の言葉を書きましたが、主はまーさんによき道を定め、発見させ導いてくださったのではないでしょうか?

それはとてもむつかしいこととおもいますが、楽しい曲にはあなたの笑顔で表情でとろうあの方々に音楽のある幸せを感じることができますようにいっそうのお励みお祈りしております。母上様のお働き祝されますようにお祈りしております。

父上は網走に単身赴任の由、どんなにお喜びのことでしょう。

私も老いて娘夫婦に助けられて礼拝に出席、老いた今こそ信ある幸せ、何よりの感謝です。
あなたの上に、ご一家の上に神の愛、導き、豊かにありますように、祈りつつ一筆お祝いまで。平安。

この方は、いつも新聞やテレビで私たちを見かけると葉書をくださいます。

私が職業病で倒れた時も、そうでした。
そのころは、その関わりがとってもわずらわしく感じました。

大丈夫?と聞かれることが苦痛でした。

25年経って見ると、「大丈夫?」も、こうやって祈ってくださる人たちが回りにいっぱいいることに感謝できる私もいることに、神様ありがとうです。


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 kasumiさんお久しぶりですが・・・。お変わりございませんか?
朝夕めっきり寒くなり、冬も近づいてきそうな日々です。ご無沙汰しておりますが、内心はどうしていらっしゃるか?と案じ続けておりました。

今朝の新聞で娘さんの写真が出ていました。
すいぶんと大人になったことに驚いております。

一度しか見ていませんでしたので、新聞の写真を見た時はkasumiさんの娘さんとは思っていませんでした。
記事を読んでいるうちに、わかりました。
コミュニュティ賞を受けたとのこと。

以前kasumiさんが受けたようなことがあったのを思い出します。
(多分社協の表彰のこと)

すばらしい親子と心から尊敬しています。

本当におめでとうございます。
どうぞお身体に気をつけて、活躍の程を心から祈ります。
kasumiさんたち一家のような方がこの街にいらっしゃることを思えば、私たちは幸せです。心からお礼を申し上げます。
私は、すっかり老女になり筆不精になり書くのが苦手ですが、気持ちをして書きました。
本当におめでとうございます。


この方は、途中で聞こえなくなった人で、よく手話で歌を表現すると、とても褒めてくれ、特に夫の表現はべたぼれです。

聴こえていたころの記憶が蘇ると、いつも喜んでくれます。


私たちがすばらしいのではなく、その私たちを育ててくれた聴こえない人たちがすばらしいのです。
手話にその力があるのだと私は思うのです。

私たち親子が表現する手話が人の心を動かすことがあったならば、それはろう者の力であると私は思っています。


ろう者の使う手話がすばらしいのです。

通訳者を育てようという心、想いがすばらしいのだと、私は思います。


私は2度ろう者から、「kasumi死んじゃうぞ」って思われてるような状況に陥ったので、本当に心から心配されています。
頑張りすぎるな、走りすぎるなと、いつも言われます。
先日は、「それを言うとお前が嫌われるだろう」と真剣に怒ってくれた。
でも、それをしないから、伝わらないんだよ、そんなの変ジャン、何のための通訳者なの?と、久しぶりに本気モードで語りました。

そのあと、(゜ー゜)ニヤリと笑ってしましました。

わかりあえるってすごいことです。
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 祖母がなくなったという連絡後、私は「子ども」の私になり、また世間体が大切な私自身と戦い、超「あんただれ?」の世界で数日を過ごした。


言いようのない、言葉にならない想い。

いったいなに?

12月1日の夕方、妹からの電話。

直接私に
親戚から電話が来ているのかもしれないけれど、嫌な感じのする電話番号には反応しない。
妹から、「おばあちゃん、亡くなったって」今日夜お通夜らしいよ。

お姉ちゃん、どうする?

「いかない。」
今日も、明日もはずせない用事があるから、行かない。
あの親戚の中にいたら、私が壊れる。
それをまーさんにはこれ以上見せたくない。

102歳。
私は父の方が先に逝くのではないかと思っていたくらいなので、順番どおりでよかったね・・・と、思った。
それと、おいしいご飯はつくってもらっていたこともあるので、それには感謝。
けど、母の悪口全開で、「kasumiは母親にそっくり」と言われ続けた私の気持ちは、大好きなおばあちゃんではないので、それは「嫌だったよ」と伝える。

この日はライブだった。
ありがとうにありがとう。

しっかり伝えたいそう思って、踏ん張った。

りぼんが伝えたい届けたい想いを聞いていたので、その想いプラス、手話でさらに届くように、そう思って表現した。

その夜、子どもの私はギャンギャン泣いた。

なぜ私の居場所がなかったのか。
なぜ、私が我慢していたのか。

どうして、一般の人のように葬儀に参加できないのか?
なんで、私には「普通」がないのか?

悔しさと、悲しさと、なんで??がたくさんあふれた。


去年の今頃から、時々主人格になると、過呼吸を起こす勢いで感情があふれる。
そしてギャンギャン泣く。


そこに大人の私はいない。そして、自傷に走る。
頭をガンガンぶつけたり、(あとで痛いんだよ(笑))
ボールペンで穴を開けたり・・・。(笑)

この時は「本名を呼んでもらって戻してもらった」

kasumiさん、過去を切り取って嘆くのはもうやめよう。
過去があって、嘆きがあって、悲しみがあって、その過去は消えない。
もがきながら、生きてきて今のkasumiがある。
それはとても強いし、大きい。
だから、もう嘆くのはやめよう。
4人目に出てきて・・・って頼もう。
変わってって言おう。



記憶があいまいなので、よく覚えていないけれど、ぼんやり残っている言葉。

頭の中で、「わかってるよ、それは、過去が消えないのも、その過去があって今の自分があることも、わかってるよ。けど、泣きたいんだもん」ってだれかが反論していた。

でも、本名で「それは違うよ」って何度も言ってもらっているうちに、大人のkasumiになった。

そして、なんで泣いてたんだろう・・・・みたいな気持ちで、いつもの私に戻る。

疲れる。


記憶が飛ぶ。
その度に疲れる。

そんな時、kasumiちゃんかわいそうって、自分で思う。



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自分の嫌いな父にそっくりなところ。

母の私をなじる言葉。


それが私の中に見える度に「自分が嫌い」になる。


特に他人にむけてしまうこと。

1番されて嫌だったことをしてしまう。

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