虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
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この歌、大森イナリンさんが歌う。 手話訳を考えましょう・・・・。 わたげの譜面起こし、あと8小節で終わりなのに、どうしてもやる気が起きない。 なので、先にこっちをしようか・・・と。(笑) 気分転換です。
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プレスリリースです。
ライヴのですよ。
LIVE Di Sera プレスリリース 51
報道各社様
平素は多大なるご協力を賜り、心より御礼申し上げます。
『アコースティックライヴ ディ・セラ』は回を重ねこの度のライヴで5周年、開催回数も51回となります。
これも皆様の応援とご協力の賜物と心よりの感謝を申し上げる次第です。
この先もいつまでも愛されるライヴを目指しひた走る所存です。
この度は、函館の音楽シーンを長くけん引されてきたムックリ横内さんにもご協力をいただき、HAM・ライヴディセラゆかりのアーティストによるステージを、約3時間たっぷりとお贈りいたします。
また、音楽のバリアフリー化を推し進めるために、手話通訳士の鈴木三千恵さんにご協力をいただき、演奏全曲に手話をお付けいたします。
そしてオタジィラ様では、ほんの少しだけお酒もご用意していただく予定です。
10月25日(日)開催第51回の出演者が決まりましたのでお知らせいたします。
紙面掲載などのご一助となりましたら幸いでございます。
書面ではございますが、謹んでご報告申し上げます。
2009年10月9日
HAM 函館芸術会議 議長 木村ただかず
『KING BISCUIT TIME ~ LIVE Di Sera
5th ANNIVERSARY SUPER LIVE』
≪Di Sera in cafe オタジィラ vol.51≫
フリーライヴ(ただしワンオーダー)
2009年10月25日 日曜日 17:30スタート
キャスト りぼん ゆうげん 大森イナリン m○ka MAcCs
ムックリ横内とその七味 ちぃにぃ(木村公一) ≪出演順≫
スペシャルゲスト:ミュージックサインわたげ KAZU(byⅠ-K)
新合唱集団Haming
※当日は全曲に手話通訳をお付けします。 監修:手話通訳士 鈴木三千恵
りぼん全曲と他一部の曲にはミュージックサインが付きます
ところ cafe オタジィラ 函館市地域交流まちづくりセンター1階
〒040-0053 函館市末広町4-19 ℡0138-22-9700(代表)
お問い合わせ HAM 木村まで 090-6692-7373
☆ミュージックサインプロジェクト(MSP):
函館では数少ない手話通訳士の一人、鈴木三千恵さんとその娘のまなさんがミュージックサインを考案。インクルーシブ友の会代表の島信一朗さんが、ユニバーサル上映映画祭にて劇中音楽を聾者のみなさんにも感じてもらえるようにと採用をしています。
2008年12月4日のHAMクリスマスイベント『DiSera inカフェぺルラ』にて、りぼん・m○kaの楽曲に感涙した島信一朗さんが「この素晴らしい歌にもミュージックサインを!」とHAM木村に提案する。
島信一朗さんの呼びかけに、白百合学園吹奏楽団が賛同。
HAM木村が、ゆうげんファーストアルバム『朔hajime』のプロデューサーでもある東京在住の音楽家560(ゴロー)氏に、ゆうげん氏を通じ編曲・作譜を依頼。快諾をいただき、只今制作中。
エンタテインメントとしてのユニバーサルミュージックを、手話・音楽・映像のスペシャリスト達が手を取り合い構築していく。
『耳の不自由な方にも音楽を!すべての人が一緒に楽しめるように!!』
それが我々MSP関係者の共通の願いである。
ミュージックサインは、函館発の新しいユニバーサルアートです。
《出演者紹介》
りぼん … なみ(奥井直実)と、たっか(高島啓之)・パトリシアマミ(ピアノ)によるユニット。なみは2005年の交通事故により高次脳機能障害となり、左半身麻痺の体にも関わらず、音楽への夢をあきらめずに作詞とハーモニカにてりぼんを引っ張る。パートナーのたっかは、なみのような障害を持つ人たちの手助けをする施設に勤務している。なみの詩を見た時、そのあまりの素晴らしさに心を打たれ、曲を付け歌ったのがりぼんの始まりである。
たっかの力強いボーカルに、なみの巧みなブルースハープが響き渡り、流麗なるパトリシアのピアノがしっかりと二人を包み込みます。
そのあまりにも純粋な歌詞と3人の演奏はいつも爽やかであり癒しでもあり・・・。
その真っ赤なりぼんのハートを感じにきて下さい。
ゆうげん … 千葉県出身の32歳。函館市内のフリーライヴを中心に活動。
斬新な音運び、函館出身者ではないのに函館の風景を感じさせる歌詞や、自らの少年の頃の情景を叙情的に表す印象派シンガーソングライターです。2008年4月26日、自ら製作したファーストアルバム『朔(hajime)』をリリース。勢力的な活動にまた弾みがつきました。世代を超えて心に浸みわたる『ゆうげんワールド』を感じて下さい。
大森イナリン … 函館の多くのアーティストと共に音楽活動を続けるギタリスト。m○ka出演ライヴにてギター弾き語りを披露し、その素敵な声に圧倒された私木村が今回の出演を依頼いたしました。ハードな音楽を期待しております。必見です。
m○ka … m○kaの○は、アルファベットのO(オー)ではなく、≪まる≫の変換記号。それはモカ自身が選んだやさしさの記号。出会った人すべての輪の中にいつまでもいたい、モカの歌で人の輪を大きく拡げたいとの願いが込められている。
その端麗な容姿とストレートなソングライト。すぐそこにあるはずの言葉達を、想いの限りに歌い上げる心地よい中低音域の力強い美しさ。
誰もが持つはずのあたたかく、そしてやさしい心の内を表すm○kaの調べを、みなさんの心にもう一度焼き付けて下さい。
23歳という年齢を超越した感性の重みとまぶしいばかりの輝きが、その歌一粒一粒からは必ず感じられるはずです。
MAcCs … 演劇・音楽・司会・社会活動・・・マルチな才能を持つスレンダーダンディー『マックス』。今回はどんな楽しく素敵な音楽を奏でてくれるのか。彼の発する高音に人は心を癒し、未知なる分野へと挑む姿には我々仲間も感動を覚えます。この才能あふれる紳士の音楽を皆さんとともにスタッフ一同も楽しみたい。
そんなマックスの歌。聴いてください。
ムックリ横内とその七味 … 函館の音楽シーンを長くけん引し続ける横内さんと、その仲間たちが繰り広げる素敵なユニット。オタジィラ前は歌声酒場へと切り替わります。コーラス・ギター・バンジョー・フラットマンドリン・ブルースハープなど多彩な楽器と優しいムックリさんの歌声が合体いたします。『その一味』というありきたりなネーミングに飽き足らず付けました『その七味』。その洒落の利いた心意気も皆さんを楽しませるに足ることでしょう。
ちぃにぃ … 主催者木村公一が年に少ない数の歌声を披露いたします。
今回はパトリシアマミ(りぼん)・KAZU(byⅠ-K)・大森イナリン・ゆうげん・りぼん・ムックリ横内とその七味・わたげの皆さんにご協力をいただき、少しだけ大人な音楽をお贈りする予定です。さて…どんな感じになるのでしょうか?あまり期待はしないでください。でも…楽しんでいただけるよう努力をいたします。年に一度の晴れ舞台?今からちょっと怖いのです。。。
※会場では『HAM障害者芸術就労支援基金』の募金箱を設置し、ご来場のお客様に広く応援を求めています。また、カフェオタジィラ様では数人の障害者アーティスト達のポストカードも販売いたしております。
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この言葉って、あまり受け入れられない。
私には、そんな場所どこにもないもんなぁ・・と、つい思ってしまう。
生まれた街には、二度と足を踏み入れたくないし、高校時代に通った街も嫌い。
なつかしい・・とは思わない。
ざわっとする思いばかりが蘇る。
だから生まれた場所の話しってあまりしない。どうしても必要な時は、M町です・・・とはいうけれど、なんていったらいいか・・・。
きっと、一人でそこに行ったら、死んじゃうかもくらい、鳥はだが立つだろう。
私が一人の人として、尊重されたのは、専門学校時代のあたりから。
人として育ててもらったのは、ここ函館。
親のようにあれこれ心配してもらったのも、函館。
だから、私はここが故郷かな・・・って思う。
人生の中で、一番長くすんでいるところでもあるし、大切な人もたくさんいる。
出逢いもたくさんあった。
私自身を尊重してくれる人が多いもの、ここの人たち。
だから、生まれた場所がふるさとじゃなくて、人としての感情や、優しさをもらった場所が私にとって、ふるさとかな。
人を支援する仕事を選んで、自分が支援されている感じがいっぱいするけれど・・・。
単純に、小さかった時のことを「うれしい」という感情で思える人が少しねたましい。(笑)
思い出せる記憶が楽しいことがたくさんある人がうらやましい。
でも、
いいんだ。
私は今楽しいことをいっぱいできているし、出会う人たちがとっても素敵な人が多いから、その素敵さをちょっぴりもらって、自分も素敵な人になれたらいい。
親戚なんて、みんないなくなっちゃえばどんなに楽だろう。
私を「きちがい」だって言う人なんて、いらない。
(あえてつかいます)普段は使いません。<m(__)m>
ただ、その苦しみがあって、それを超えて今の出逢いが必然なのだから、苦難はありがとうって思って見る。
喉元過ぎれば・・・・って思って見る。
私には大きな夢があって、それを実現したいから、後ろを振り返ることはもうできるだけしない。
勝手に出てくるその感情とだけ、付き合う。
それでいいんだ。
そう思えてきた。
何が出てくるのか?なんて、恐れていても進めない。
出てきた時に、考える。
困ったら、誰かに泣きながら話せばいいじゃないの。kasumiさん。
そう思えてきた。
実家のあるところへは、葬式があろうと、なにがあろうと、絶対行かない。
小さなkasumiも大人のkasumiも、そこに行くと心が死んじゃうんだもの。
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私には、そんな場所どこにもないもんなぁ・・と、つい思ってしまう。
生まれた街には、二度と足を踏み入れたくないし、高校時代に通った街も嫌い。
なつかしい・・とは思わない。
ざわっとする思いばかりが蘇る。
だから生まれた場所の話しってあまりしない。どうしても必要な時は、M町です・・・とはいうけれど、なんていったらいいか・・・。
きっと、一人でそこに行ったら、死んじゃうかもくらい、鳥はだが立つだろう。
私が一人の人として、尊重されたのは、専門学校時代のあたりから。
人として育ててもらったのは、ここ函館。
親のようにあれこれ心配してもらったのも、函館。
だから、私はここが故郷かな・・・って思う。
人生の中で、一番長くすんでいるところでもあるし、大切な人もたくさんいる。
出逢いもたくさんあった。
私自身を尊重してくれる人が多いもの、ここの人たち。
だから、生まれた場所がふるさとじゃなくて、人としての感情や、優しさをもらった場所が私にとって、ふるさとかな。
人を支援する仕事を選んで、自分が支援されている感じがいっぱいするけれど・・・。
単純に、小さかった時のことを「うれしい」という感情で思える人が少しねたましい。(笑)
思い出せる記憶が楽しいことがたくさんある人がうらやましい。
でも、
いいんだ。
私は今楽しいことをいっぱいできているし、出会う人たちがとっても素敵な人が多いから、その素敵さをちょっぴりもらって、自分も素敵な人になれたらいい。
親戚なんて、みんないなくなっちゃえばどんなに楽だろう。
私を「きちがい」だって言う人なんて、いらない。
(あえてつかいます)普段は使いません。<m(__)m>
ただ、その苦しみがあって、それを超えて今の出逢いが必然なのだから、苦難はありがとうって思って見る。
喉元過ぎれば・・・・って思って見る。
私には大きな夢があって、それを実現したいから、後ろを振り返ることはもうできるだけしない。
勝手に出てくるその感情とだけ、付き合う。
それでいいんだ。
そう思えてきた。
何が出てくるのか?なんて、恐れていても進めない。
出てきた時に、考える。
困ったら、誰かに泣きながら話せばいいじゃないの。kasumiさん。
そう思えてきた。
実家のあるところへは、葬式があろうと、なにがあろうと、絶対行かない。
小さなkasumiも大人のkasumiも、そこに行くと心が死んじゃうんだもの。
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一昨日、昨日と本業の手話の方で、いろいろ忙しく、その合間をぬって、通訳を2件こなし、その前日はユニバーサルホームの幹事会。
通訳しながら、会議に参加して、ろう者の不安を少しでも解消し、忙しいなぁ。。。と思いながら、それでも、楽しい。
先週のライブで初披露した、「千の風になって」を確認して、すべては映っていなかったけれど、まぁ・・・イメージとしてはいけるかも?と思い、何度もこなすことができたら、完全版になるだろうと、確信した。風という、目に見えないものが吹いているというのが、伝わって欲しいと考えていたので、それはまぁ・・・できているんだねと自分を褒める。
りぼんの二人が帯広で歌っているとか、教育大学の吹奏楽団が吹いている時間には、心の中で、演奏が終わった時に、「笑顔」が出るといいなと念じながら、仕事をしていた。
メールはとても便利で、今演奏が終わったよとか、私も仕事が終わったよとか、お疲れさまとか、JRに乗っている時間は暇だろう・・と思って、結構やり取りをしていた。
タッカには、「私、三方六が好きなんだよね」なんて、いうと「買って来い!って言ってるの?」と笑われたけれど、「そういう意味じゃないし・・・」と出かける前にもやり取りをしていたんだけれど、メールで「買ってきたよ」と。(笑)
そして、りぼんが五稜郭駅につく時間がわかったので私は私でお疲れ様を伝えたくて、ご近所のチョコレートのお店で、二人に「ご褒美だよん。」と手渡した。真っ赤なりぼんをつけて。
その夜は、25日に初ミュージックサインを一緒につけてくれる「大森いなり」さんと、いつもまーさんと仲良くしてもらっているm○kaさんのライブがあったので、でかけました。
少し遅刻してしまったけれど、素敵な音楽を堪能して、「大森」さんの人となりをしって、少し不安が減りました。
大森さんのギターは、「ギターが歌っている」感じで、ピッチとか、ギターの扱い、そして音楽がとても丁寧でした。
彼は、去年のどのポリープで手術をしたそうで、今は歌がなかなか思うように歌えないそうです。それで、自分に表現できることは、ギターで歌を奏でることだと思っていると、私が、演奏後感想を伝えに言った時に、「ギターが歌ってる感じました。すごく一音一音が丁寧で、優しいですよね」と言うと、「そういってもらえるととてもうれしい」と、笑顔がとても素敵になりました。
今までできていたことができなくなるというのは、当事者にとっても、とても大変で苦しく、((“o(>ω<)o”))クヤシイー!!ことだろうと 私は思うし、私自身も今、その真っ只中にいるので、昨日出会えてよかった。
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通訳しながら、会議に参加して、ろう者の不安を少しでも解消し、忙しいなぁ。。。と思いながら、それでも、楽しい。
先週のライブで初披露した、「千の風になって」を確認して、すべては映っていなかったけれど、まぁ・・・イメージとしてはいけるかも?と思い、何度もこなすことができたら、完全版になるだろうと、確信した。風という、目に見えないものが吹いているというのが、伝わって欲しいと考えていたので、それはまぁ・・・できているんだねと自分を褒める。
りぼんの二人が帯広で歌っているとか、教育大学の吹奏楽団が吹いている時間には、心の中で、演奏が終わった時に、「笑顔」が出るといいなと念じながら、仕事をしていた。
メールはとても便利で、今演奏が終わったよとか、私も仕事が終わったよとか、お疲れさまとか、JRに乗っている時間は暇だろう・・と思って、結構やり取りをしていた。
タッカには、「私、三方六が好きなんだよね」なんて、いうと「買って来い!って言ってるの?」と笑われたけれど、「そういう意味じゃないし・・・」と出かける前にもやり取りをしていたんだけれど、メールで「買ってきたよ」と。(笑)
そして、りぼんが五稜郭駅につく時間がわかったので私は私でお疲れ様を伝えたくて、ご近所のチョコレートのお店で、二人に「ご褒美だよん。」と手渡した。真っ赤なりぼんをつけて。
その夜は、25日に初ミュージックサインを一緒につけてくれる「大森いなり」さんと、いつもまーさんと仲良くしてもらっているm○kaさんのライブがあったので、でかけました。
少し遅刻してしまったけれど、素敵な音楽を堪能して、「大森」さんの人となりをしって、少し不安が減りました。
大森さんのギターは、「ギターが歌っている」感じで、ピッチとか、ギターの扱い、そして音楽がとても丁寧でした。
彼は、去年のどのポリープで手術をしたそうで、今は歌がなかなか思うように歌えないそうです。それで、自分に表現できることは、ギターで歌を奏でることだと思っていると、私が、演奏後感想を伝えに言った時に、「ギターが歌ってる感じました。すごく一音一音が丁寧で、優しいですよね」と言うと、「そういってもらえるととてもうれしい」と、笑顔がとても素敵になりました。
今までできていたことができなくなるというのは、当事者にとっても、とても大変で苦しく、((“o(>ω<)o”))クヤシイー!!ことだろうと 私は思うし、私自身も今、その真っ只中にいるので、昨日出会えてよかった。
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今日の16時過ぎ演奏していた吹奏楽団から、連絡が来ました。
「kasumiさん、銀賞です。
いつも応援してくださってありがとうございます。
最高の演奏でした。」
そう学生指揮者のKくんから、メールが来た。
早速電話して、「おめでとう」と伝えた。
彼は、大学の編成後に、「僕たちには、今指導を受けられる先生が大学の編成によって、いなくなりました」と泣いて演奏を聴きに来ていた人たちに気持ちを伝えていたことがあった。
ずっと以前から、時々聴きに行くことが多い楽団だったので、社会の都合、大人の都合でこうやって振り回されてしまうことも、あるんだな・・・と、思って聞いていた。
無念そうだった。
去年の夏、演奏会に行った時には、中島誠一先生が指揮を振っていた。
とある先輩が、メールで「僕たちを指導して欲しい」とお願いしたことがきっかけらしい。
一部が終わり、学生指揮者が2部、3部を演奏している時に、私服で一般の人にまぎれて、客席に座っていた姿をみて、「この人すごい」と私は思った。
そして、演奏会が終わった瞬間、話しかけた。
自分が教育大学で手話を教えていること、そして、吹奏楽団の中に、授業を受けてくれている学生がいること、
そして、私は、その吹奏楽団が以前から好きだったこと、
我が子のように思えるその団をどうか、よろしく・・・みたいなことを話した。
とても気さくな人で、次にであった時に、(今年の2月)言葉をかけてもらったことがとてもうれしかったと教えてくれた。
6月の定期演奏会では、ミュージックサインは「第2の指揮者」だから、もっと動いていいと思うし、もっと気持ちを表現して欲しい。
僕はお客サマに背中しか見せられないけれど、ミュージックサインは、表情を伝えら得るのだから、僕の分まで伝えてくださいと、励ましてもらった。
電話で、学生指揮者のKくんが、「中島先生と変わりますね」と言ってくれて「先生、kasumiさんから電話です」とお話できるように計らってくれた。(Kくんありがとう)
おめでとうございますを直接伝えられることもうれしいし、先生とお話できることもとてもうれしい。
「私、20年ぶりにピアノを再会したんですよ、そして、小さいステージだけれど、歌も少し始めました。成長したら、弾き語りできるようにって思ってます」と伝えた。
とても喜んでくれた。
そして、成長したら、DVDで送りますね・・と言ったら、ぜひ見たいし聴きたいですと、言ってもらった。
そうやって、音楽と再び出会えるのも、彼らや、りぼん、ミュージックサインプロジャクトそして、志を同じくしている仲間がいるからなんだ。
そうやって「縁」ってつながるんだ。
やっぱり出逢いは、必然なんだね。
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「kasumiさん、銀賞です。
いつも応援してくださってありがとうございます。
最高の演奏でした。」
そう学生指揮者のKくんから、メールが来た。
早速電話して、「おめでとう」と伝えた。
彼は、大学の編成後に、「僕たちには、今指導を受けられる先生が大学の編成によって、いなくなりました」と泣いて演奏を聴きに来ていた人たちに気持ちを伝えていたことがあった。
ずっと以前から、時々聴きに行くことが多い楽団だったので、社会の都合、大人の都合でこうやって振り回されてしまうことも、あるんだな・・・と、思って聞いていた。
無念そうだった。
去年の夏、演奏会に行った時には、中島誠一先生が指揮を振っていた。
とある先輩が、メールで「僕たちを指導して欲しい」とお願いしたことがきっかけらしい。
一部が終わり、学生指揮者が2部、3部を演奏している時に、私服で一般の人にまぎれて、客席に座っていた姿をみて、「この人すごい」と私は思った。
そして、演奏会が終わった瞬間、話しかけた。
自分が教育大学で手話を教えていること、そして、吹奏楽団の中に、授業を受けてくれている学生がいること、
そして、私は、その吹奏楽団が以前から好きだったこと、
我が子のように思えるその団をどうか、よろしく・・・みたいなことを話した。
とても気さくな人で、次にであった時に、(今年の2月)言葉をかけてもらったことがとてもうれしかったと教えてくれた。
6月の定期演奏会では、ミュージックサインは「第2の指揮者」だから、もっと動いていいと思うし、もっと気持ちを表現して欲しい。
僕はお客サマに背中しか見せられないけれど、ミュージックサインは、表情を伝えら得るのだから、僕の分まで伝えてくださいと、励ましてもらった。
電話で、学生指揮者のKくんが、「中島先生と変わりますね」と言ってくれて「先生、kasumiさんから電話です」とお話できるように計らってくれた。(Kくんありがとう)
おめでとうございますを直接伝えられることもうれしいし、先生とお話できることもとてもうれしい。
「私、20年ぶりにピアノを再会したんですよ、そして、小さいステージだけれど、歌も少し始めました。成長したら、弾き語りできるようにって思ってます」と伝えた。
とても喜んでくれた。
そして、成長したら、DVDで送りますね・・と言ったら、ぜひ見たいし聴きたいですと、言ってもらった。
そうやって、音楽と再び出会えるのも、彼らや、りぼん、ミュージックサインプロジャクトそして、志を同じくしている仲間がいるからなんだ。
そうやって「縁」ってつながるんだ。
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