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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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 家で練習するのはもちろんだけれど、今日は14時にヤマハで教育大学の吹奏楽の人たちのサックスのアンサンブルがあると聴いていたので、まーさんと聴きに行ってそのあと、ご飯を食べ、まーさんはサインの練習をカホと、私はピアノを弾きに大学へ。


どうしても決めたい場所がある。

ずれても気にならないと、タッカからは言われているので、安心保障つきのフレーズだけれど、できれば決めたい。(笑)

歌のある場所ではないので、ある程度、私が弾き終わったら合わせてもらえる場所でもあるし、ためている場所なのでどうとでもなる。

けど、決められたらうれしい。

だから、運指の確認をした。

人差し指から始めるとタラララ~~~と引っかからずに最後がうまく行くと思うのだけれど、なんせ、今週の頭に作ったというか作り変えた旋律なので、どうだかな???(笑)


ピアノは本物の時もあり、それもアップライト、グラント。
そして電子ピアノ。

自分の楽器じゃないから、その場所、その場所でピアノの癖、ペダルの癖。
音のずれ具合・・・・。
いろんな事があるって最近気がついた。

自分で弾いている音が違うのかな?(間違った)とか思って指を見ても、間違ってないし・・・・けど、音違うし・・・とか。(笑)


ピアノはチューニングできないから、そのまま弾くことになる。
どうやっても音が変だと思ったら、低音を弾かないとか、高音にしないとか、私なりに、工夫しないとな・・・と思うようになってきた。

これって、私の耳が結構音楽よりの耳になってきたというか、使い分けが出来るようになってきたってことかな?(笑)

今日も3時間くらい手を変え品を変えピアノに触っていたけれど、あまり頑張ると肩こるし・・・・。(笑)

だるくなる。

それでも、弾きたいという気持ちがわいている時は、ストレッチしながら、使っていない指を使う曲を選ぶ。

スケールとアルペジオは長調なら、間違わなくなってきた。
あとは短調。

苦手な三度の運指。5度の運指。これを克服したら、もう少しいろんな事が出来るようになるだろう。

それには、ハノンをくり返し弾くしかない。

子どもの時は、なぜこれが必要なのかわからなかった。(笑)

けど、結構重要と思われる。
それもこれも、なみちゃんが、「忘れ物、取りにいこう」と言ってくれたおかげ。

りぼんとわたげに出逢いをくれた島さん、今年はおーちゃん。
長い事関わってくれた二人が「わたげ」をあちこちに飛ばす計画を練ってくれている。

二人とも視覚障害なのに聴覚の人たちのことも、いろいろ考えてくれる。
島さんは、「私、消えたい」と泣く私に「kasumiさんは、そのままで十分生きているかちがあるんですよ。何にも変わる必要なんてないです。」そう何度も諭してくれた。


うつで何もできないという私に、「今は休憩していていいですよ」と。

その後、おーちゃんが函館に来て、出逢いがあって、いつも助けてくれる。

おーちゃんは、まーさんを妹だと思って、いろんな知識をくれている。
今回のゴールデンコンサートも、音源には入らないまーさんを存在を知ってもらおうと、DVDでプロモーションビデオまで作ってくれた。

申し込み用紙の説明文を二人で考えた時に、どう訴えたら、PVを見てもらえるか、どうしたら、わたげの活動が全国に広まるか本当に真剣に考えてくれる。

りぼんとの出会いから、生まれたこの今の状況。

わたげも来てねという依頼があることも事態、すごいこと。

計画の中に、りぼんにも、わたげにもと考えてくれる仲間がいてその計画が実行されること事態もすごいこと。

その場所に今はなみちゃんは同行できないけれど、いつかきっと、一緒に行けるようになると信じる。

なみちゃんのハープがないのはとても寂しいから。

なみちゃんの姿が私のそばにあってほしいと、私が思うから。

昨日、本当に久しぶりになみちゃんとあった。ハープも聴こえた。
それで演奏自体がガラッと変わる。
そして、なみちゃんの技が増えていることも私は発見する。



いつでも一緒に練習できるといいのにと思うけれど、今はできない。

それがとても残念なことでもあるけれど、いるつもりでいる私。(笑) そして、なみちゃんの書いた詩をサイン化する作業が好きだから。 それは、私も、まーさんも、同じことを感じている。

ろう者に限らず、私たちわたげがいる事で音楽を聴きにくる人の幅が広がっていると思うから。

自閉症の親子、車いすの人たち、必ず最後までいてくれて人声かけてくれる人たち。 演奏会に来るのにためらっていた人たちが、足を運ぶようになっているのは、きっとりぼんの歌だけだと思う。

だって。 わたげがつくのは、りぼんが一番多いから。(笑) タッカの歌でも届くけれど、もっと、広く絵本のようによりわかりやすくなるのは、サインが広げているからだと、自画自賛。

どのアーティストよりも、きっと記憶に残るはず。 どの歌よりも、記憶に残って、歌いたくなるはず。

サインは誰が見ても、意味がわかるように訳しているから。


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 これからのこと。

あと10年元気で生きていられたら、できるかな?と思っていること。

それはミュージックサイン・わたげがひろがって、いろんな意味で誰かの手元に届いて、障がいを持つ人への差別、子どもへの虐待、人権の尊重、戦争のない世界へ。

わたげが飛んで欲しいの。

虐待を受けて「私のような人生を送る」つまりは、多重だったり、拒食だったり、結婚が怖くなったり、子どもを育てるのに自信がなくなったり。。。。

いろんなことにたくさん躓かないで楽に生きていける人が増えてほしい。

サバイバーがどれだけ苦しんで生きているかって知ってほしいし、「大丈夫だよ」って知っていてほしい。

こんなにはちゃめちゃでも、「楽しいって思う事見つけたよ。きっとあなたにもあるはずだから」そう伝えたい。

子どもには、CAPでの「安心。自信。自由」は誰にも奪われてはならない大切なもの。

だから。取り返しにいこうよ。と伝えたい。

聴こえない人達には、十分頑張って生きているから、わたげをみて、ほっとする時間や、語らいそんな余暇的な時間を増やしてほしいなぁ・・・と。


戦争は「大きな大人の都合の暴力ですよ」ってたくさんの人に知ってほしい。


これが、ばらばらじゃなくて、全部つながっていて、たくさんの子どもたちを苦しめてきた結果なのだと私は思う。

だから、いろんな人のところに、わたげが飛んで欲しいの。


私の人生は「山登り」で、困難があっても、進む道を変え、遠回りでも、とにかく進むことが大事なんだって。

あきらめないこと。


それが達成できたら、生きててよかったって本当に心の底から思えるかな。

だとしたら、もう少し頑張ろうかな。(笑)

左手の小指の指輪、なくしました。

たぶん通訳をするときに、はずしてどこかに置いてしまったのだと思います。

とほほ・・・。です。

今日は天気がいいので、気が向いたら金森へ、「石ころ館」に行ってこよう。
2時からはヤマハでアンサンブルを吹くって学生が行っていたので、聴きに行ってこようと思っています。

だから、ここまで弾けるようになったのだから、もう少しピアノ頑張ろうと思う。

歌は、ハモラーになりたいので、もう少し、ピアノが安定しないとどっちもバラけるので、しばらくは発声に取り掛かります。(笑)

ここ最近ピアノしか練習していないんだ。。。

発声も同じくらい時間かけないと声もでないし、歌にならないの。(笑)

体重が減ったという事は、腹筋も弱くなってしまっているはずなので。
保てない・・・ってことになっているのはあたりまえ。

あ~~あ。一からやり直し。
積み上がっていないと、声はでんわ・・・・。


と、理屈のわかるkasumiはとっても苦しいし、悔しいでござるが。

致し方ない私の体力のできる範囲で、6月は札幌。
7月は芸術ホールのオープンギャラリーでわたげワンマンなのだから。

ちゃんと準備しないとね。




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 23日に、アップルドリームコンサートと言うのがあって、七飯町でりぼんとフィットする。

演奏するのは3曲だけなので、いつもより時間も短いし、あっという間だろうと思う。

なんでも始まると終わるし、終わっちゃうと寂しい。

今回は私は「僕にあう為に」のピアノだけ・・・(ひそかにうれしい)(笑)

あれこれあるとめげる材料も増えちゃうし、できないことだらけになる。



この曲のピアノは、自然にできたというか、何度も何度も歌っているタッカの声を聴き、好きなように弾いていていいよと優しく手を引いてもらっているうちに、何ヵ所かのフレーズができ、少しづつピアノで主張できる旋律や、和音、アルペジオ、オクターブ、超にがてな3度の和音などなど。

いろんなアドバイスをもらって、セブンスの和音手が届かない・・・とかブツブツいいながら、練習をした結果、ちょこっと弾けるじゃんの域に入ってきた。

それでも、ちょっと間が変わるとあたふたしていまうのだけれど、おーちゃんや、なみちゃんに、きっちり♪を入れないで弾きたくなったら弾くとか、休符をいれるとか、あ!って思った時に、なんとか知らん顔をしてごまかすとか、ピアノのテクニックと同時に、ごまかすテクニックを身につけるといいよと、いろんなことを教えてもらった。

そうそう、手話通訳者にはそういって、励まして、元気づけて、失敗を恐れないでっていつも言ってきたよね。

それをちょっと、音楽に置き換えるといいわけで、今頃それに気がついた。

それくらい音楽・・・って失敗が多いから、びびるんだね。(笑)


タッカには、「アンドレギャニオンばりの伴奏になったよね」と最高の褒め言葉をもらったけれど、(たしかにアルベジオが多い)多分二人ともアンドレギャニオンが好きなのと、曲のイメージがそんな感じがするのと、曲を作る時は、必ずピアノが付いているイメージで作るって聞いたので、それらを合わせると、こうなりました・・・みたいな感じです。

けれど、自分で作ったピアノ譜だからといって、間違わない保証はないし、少し楽になってくると、また違う旋律を弾きたくなるので、困ったもんだ・・・・。(笑)


今日は夕方、カズくんの新しいハモリと、私のしたいこと変形バージョンを確認して、明日はできたら、練習しようか?でも無理しなくていいよで。

さて。私は島牧に行ったときに体重計にのり、40キロを切っていたことに気が付き、超まずい…状態です。

なので、これからは少し無理して食べ物と格闘しなければならないです。

興味がないとそのままにしているとまた30キロを下回ることになると、本当に体力がなくなってしまってとんでもないことになる・・・・。

うへ~~~。



ピアノ復活から演奏できるチャンスがあることに感謝しないいけないよね・・・と、ちょこっと、視点を変えてみました。(笑)








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 朝からのテンションで今日の授業大丈夫かな?なんて思っていた。
それには理由があって、今週の月曜日の授業、こともあろうか、通訳しながら、ぼ~~~ってしていて、多重人格で良かったみたいな、あってはならない事態が発生していた。
疲れていたのもあったし、月曜日の午前って、割ときついのだ。

毎年、月曜日の授業の方が、人数が少ないので、あまり感じていなかったけれど、今年はカリキュラムの関係で逆になっている。

年かな?なんて思ったりしたけれど本業がこれじゃ・・・。

そういう事例を自分で作ってしまったので、今日は初めてろう者が授業に参加してくれるのに、困ったなぁ…と思っていた。

そこに丁度、チャコから電話があって、「大丈夫、通訳モードになるから、こなせるよ、kasumiさんはろう者がそこにいたら、這ってでも通訳する人だから。大丈夫」と背中を押してもらった。

そう。そうなんだよね。


私はそういう人。
自分のためには何もできないとグダグダになるけれど、だれかのために・・・になると、しゃっきりする。

桜が散ってきたから、テンプレートも変えようと、アジサイを探したけれど、うまく見つけられず、最近月を見ることも増えたので、月にしてみた。

サバイバーでここまで回復できる人は稀と言われたゆりさんの言葉を思いだそう。
元気なのと、子育てできているのと、犯罪にはまっていない、依存症になっていない。

生きているだけで十分だって思う事にする。

こういう時通訳モードは役に立つ。

普段使っている脳の働きと全然違うから。

右脳も左脳もフル回転になるので、リフレッシュになるのかな。

昔はこれが切り替わらなくて、夢まで手話になった。

通訳モードは、スイッチが切れないと脳疲労をおこす。
だから、会話は聞き流す。
意味がわからない時は「なに?」って聞く。

要約して話を聴いていると、通訳モードになって辛いし、肩がこる。

腕は動いていないけれど、筋肉は動くからだ。

脳もフル回転。

ぼ~~っとしている会話ほど、なに??ってなる。

だから、会話に参加しない選択肢も使う。
言葉を聴くと通訳モードになるからだ。


本当に厄介な脳だし、体だけれど、あの身体からよく手話の世界に復帰できたと自分でも思うし、周りも思っている。

私と同じような状態で、手話が大好きなのに、できなくなった仲間を知っている。
だから、私は元気に手話の活動を続けら得る職業病の先輩で居る事が、大切なんだって、チャコと確認した。


パソコンを使っても、吐き気がした。
ピアノを弾いても吐き気がする。
姿勢が同じで、腕が宙ぶらりんになって固定されるから。

手話は、空中で位置を保持するから、もっと、辛い。


けれど、会話で使っている時は、楽しい。
通訳者として手話を使う時は、30分が限度。

表情だけをみて、楽しそうって思う人は多いけれど、実は辛い仕事でもある。

そこの所がわかってもらえなくて、20年前は苦しかった。

仲間同士でも、誤解されたし、体を触られて「痛い」と叫ぶ私に『オーバーだ』と言われた。
けれど、これは頸肩腕症候群にかかった人にしかわからない痛み。

そして、うつも同様。
消えたいと叫ぶけれど、嘆くけれど、死んでいない私、偉いと思う。(笑)

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 前向きじゃない私の独り言。

明日なんていらない。
過去もいらない。

本当は私自身も必要ない。


いらない人間なんだ。

かなしいけれど、そう思って生きる方が気楽なんだ。

2003年から、心の傷快復したいって思って、私なりに頑張ったし。
褒めたし、自己肯定感あげてきた。

けど、すぐもぐっちゃうし。嫌われているなぁ…って感じるし、疲れちゃうんだ。


食べ物。

食べたくないし、だただた毎日が過ぎて行って、未来の自分がどうなりたいのか、わからないまま。

けど、守りたい人もいて、娘、聴こえない人、こども・・・・それがあるから、この世に存在してできる事をしているだけで、自分を大切にしたいからとかじゃない。


いいの、嫌いな人は嫌いなままでいてて、だれにでも好かれたいわけじゃないし、それはむりだよってやっとわかったんだから、そのままでいい。

苦手な人は私に近寄らないでくれたら、それでいい。


人と関わりたくないんだ。



嘘つき。kasumi。うそつき。












何にも考えないでも生きている人っていっぱいいるのに、どうして私はこんな小さな事に、こだわって、その度に苦しくなって、泣いて、わめいて、消えてしまいたいって思って。

これの繰り返しばっかり。






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