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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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★注意
今現在が苦しくて記事を書いているわけではありません。
苦しいのが過ぎた後に記事にしているので、心配しないでくださいね。具合が悪いわけでもありません。(笑)
このことを思い出せるくらい快復してるってことなのでよろしく。





「生きる」ってことは、明日があるって信じていないと出来ないことなんだね。

私に、将来ってあったのかな?

18歳まで暮らした街はもう2度と行きたくない。
だれにも逢いたくない。

あの街で大切なものは何一つない。

通った学校、5年間泳いだプール 、汽車通をした駅。

あの街にあった優しさは、ひとつだけ。

一学年上のとある先輩。

「友達と笑っているkasumiの方がいいよ」


あの年齢で(14~15歳)、よく手紙をくれたな・・・・。

「死んでしまいたい」という私の書いた手紙の返事にそう書いてあった。

今考えると、かなり心配してくれていたと思う。

父からの、決定打になった性行為のあと、私は無意識でその彼の家の近くまで走っていた。

けれど、その彼に事実を話せるわけでもなく、ただ呆然と立ちつくし、自分がとても「汚いもの」になった気がして悲しかった。


それでも、その彼が「父が嫌い」という私に「おはよう」だけでも言うといいよと手紙で書いてくる。

そうかな?と挨拶だけして見る。

父は、「おまえ変わったな」と言ってた。

私は自分を好きだと言ってくれた男性をものすごい拒絶反応を出して、振って来た。

同時に「無防備」だとも言われた。

求められたら差し出すものと思っていたから。


リスカなんて常に。

けど、不思議なことに傷跡がない。
もっと、深く、もっと強くそう思っているのに、自分の中の誰かが「生きろ!」って止めていたんだろうと思う。

気がついたら、川のそばでびしょぬれとか、海の砂浜でびしょぬれとか。


けど、かなり泳げるから死ねないし、陸に戻ってくる。
車から飛び降りたことだってある。


冬、五稜郭公園にはだしでパジャマで走ったこともある。

雨の中をはだしで・・・とか。


けど、怪我をしないの。(笑)

飛び降りたところが
上手く草むらだったり・・・・。

明日なんていらない。

そう思って生きていたんだ・・・って。

明日が来たらまた怖いことが続く。

夢なんてない。


実家を出て、専門学校ではけっこう自分を見つけた。

学生自治会の副会長とか、歌声とか、社交ダンスとか。


社会人になってからも、明日は要らないって思っていた。

だから、宿直は好きだったし、夜勤のある仕事暦がながい。



明日になったら楽しいことがあるかもしれないって、信じなさいってことなんだろうか?


もし、苦しみと喜びの与えられている量が同じだとしたら、これから先は、楽しいことばっかりになるはず。




今、((o(^∇^)o))わくわくすることが多い。
早く明日にならないかな?と思うことも多い。





大切だと思う人は、傷つける前に離れてきた。
愛想をつかれるまえに。


傷つけ、私のことを嫌いになるように仕向けてきた。
そして同時に自分を責めてきた。

守りたいって思ってくれた人に、「私の何がわかるの?」とぐっさりさしてきた。


思い出すと、吐き気がするくらい人をめった刺しにしてきた私でも、生きるって思ってもいいのかな。


生き延びてきたには、きっとわけがあるんだろうと思うけれど、「幸せな人生だ」と、感じてもいいのだろうか?

少なくても、私は今、不幸ではない。

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