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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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もしもし・・・。

去年の2月にやっとあなたから解放されたヾ(*゜ー゜*)ノヾ(。。*)ノヾ(*゜ー゜*)ノヾ(。。*)ノ バンザーイ!!って思っていたのに、またいろんな事で思いださせてくれてありがとう。

良くわからないけれど、あなたの持っていた土地があるらしいね。

あなたのことだから「kasumiにも財産をのこしてやった」と恩着せがましく言いたいんでしょ?

いや、本当はKにだけ渡したいんじゃないかな?

私を巻き込むのはやめて欲しいって思うよ。

私は人と争う姿を見るのも見せるのもとっても嫌だよ。

それを知らずに娘に見せてきてしまってとっても後悔しているし、そんな自分がとても嫌だ。


私は思いだしたよ、わけも教えずいきなり汽車が出発したこと。
Kを妊娠してからずっと不機嫌だったね。
私はおじいちゃんのところに預けられてて、たまたま葬式を見てしまった。
怖かったよ。
おじいちゃんはかわいがってくれたけれど・・・。
おばあちゃんは家族の言いなりだったね。

弟が生まれてからも、毎週実家に帰るのに私は歩かされた。

雨の日も風の日も弟は背中で私は手をつないで。
時々その手が消えてひとりでバスにのって帰ったこともある。

バス停とT市の駅。
今私が歩いても結構な距離。

バスで帰るから先にバス停に言っていてとその言葉を信じてバス停で母を待つ。そう言うときは母は国鉄で帰る。

ずっとずっと待つ。

夕方になって、バスのおじさんにいい、自分の家の近くのバス停で降ろしてもらう。

毎度の事になるとおじさんはなにも言わず乗せてくれる。
その逆もある。

駅で先に行って待っていてと言われる。
何でも出来る幼児だったから一人で歩く。そして待つ。

けれど母はこない。

必死で家に帰ったら「あら?帰ってきたの?」だ。

ピアノの発表会も同様。

国鉄で行くというので、友達の家で待っていたら母はこない。
バスで行くのかと思い、バス停で待ってもこない。

しまいに時間がせまってくる。

道路で大泣きする。

近くの会社のお姉さんがトラックの運転手さんに「この子をT市まで連れて行って」と頼んでくれて会場に行った。
会場には母がいて、「あら、来たの?」って感じだった。


その母のもっていた土地があって、弟と二人で相続する手続きが必要になっている。

亡くなってから2年近くも経ってからなんだろう?って思っていた。

わずらわしい。

要らないって言おうと思っていたけれど、ちょっと考えが変わった。

現金が手にはいったら、自分が多重人格かどうか調べてもらおう。
こうかもしれない、ああかもしれないって思うのは嫌だから。

もし多重じゃなかったらそのまま私は私のままで生きればいいし、多重だったらひとりの私に戻してもらおうって。

自分のしたいことを出来る私である事を確認したい。

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