虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/26 (Sun)
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- 2010/04/14 (Wed)
わたしの本音7
わたしの本音1から、初めての経験として、「辛い」と感じている時に、記事にしたり、この関連の話を出来る人に「くるしい~~」とメールを送るなど、していた。
私は、いろんな事が終わって自分なりに処理をしてからじゃないと、「ちょっと聞いてよ」とはしないで生きてきた。
それには、神様に八つ当たりしつつ、「越えられない試練は与えない」というのを信じていて、いつかきっと楽になるというのは疑ったことがない。(笑)
それと「相談」するというアイテムを持っていないので、困ったら相談するということも、あまり経験がない。
・・・・がしかし、進行形で誰かに話をするということはまーさんの不登校時代にはリアルタイムで必要だったりして、3年間訓練されたように思う。
そして、それが割と共有してもらうことや、自分が怒りを持っていないことでも他人がかわりに怒ってくれたりすることで「あ!これって怒ってもいいんだ」と分かったり、「それくらい言わないとあの人には通じない」と言われる事で、あまり自分を責めなくなった。
自分の事であったならば、もっと自責の念のような気持ちが出たと思うのだけれど、娘のためというお題目というがはっきりとした、名目があって、それはとても相手に何を伝えるのか、何を怒っているのかなどを整理するのにはとても大切な経験だった。
不登校できるくらい我が家は安心できる場所であったことも、(学校よりは)わたしにとって、うれしい事だったし、自分にはなかった選択肢を娘に渡せることが出来るという宝物だ。
今は中学の3年間よりも、出席日数が多い(あたりまえだけれど)毎日学校に通っている。
それも、自分の目標、目指すものがあって、後で変化するかもしれないけれど、16歳にしては、いろんな経験をして、羽ばたこうとしている。
昨日も、「かあちゃん、まーが他の地域に行くと寂しい?」と聞くので「社会に出る前に一度親から離れた方がよいと思うから、寂しいかもしれないけど、だからといって、ここにいなさいとは、思わないよ」と以前から伝えていたことを話した。
最近の家庭でこんな話を娘からきちんとしてもらっている親ってそんなにいないだろうと、思う。
それか、親がこの学校へ行きなさいみたいな構図も多いと思う。
そんなことを考えると、まぁまぁ健全かな?
そう思う事にした。
なんだかんだいっても、「まーとかあちゃんは、仲良しだよね」と聞いてくる。
どうして?と聞くと、「ばばぁぁ・・・っていうと、嫌いなの?」って聞いてくる大人がいるから・・・ってことだった。
私は、周りの人がどう思っているかはわからないけれど、「ママ、お母さん、母さん、かあちゃん、かあか。」と呼び分けていたまーさんだから、呼び方については、その時の理由はあると思っているので、別に構わない(いい気持ちはしないが)。
そして、しつけのなっていないという家庭だと思われているかもしれないけれど、娘とのコミュニケーションが出来ていること以上に大切なことはないと思うし、外にでて他人に「ばばぁ」と投げかける人ではないと思うので、我が家は我が家と思っている。
ちなみに、夫は薄い頭だけれど、「はげ」と呼ばれているが、夫もその事で怒ったことはないと思う。
ただ、社会から見られた時に、「損」をするかもしれないよとは、伝えてある。
・・・・と、かあちゃんモードになると冷静になってきて、あの不安は沈静化するのです。
明日は、
大学の授業が始まります。そうなると指導者モードになるので、また冷静になっていくと思われるし、あのさわさわした感じはきっと消えていくと思う。
けど、ときどきこうやって「辛いわ!」と吐きだすこともそんなに悪い事でもないのかな?という気持ちしてきたので、自分のブログだし好きなこと、書いちゃえ!と思いました。
私は、もっともらしくあーだ、こーだ言われるのがとても嫌な人で・・。
父親を連想するので、「いちいちうるさい」と思います。
表面しかみていないのに、指示してくるのも嫌です。
このブログのすべてを読んでとは言いませんが、快復のころの記事を読んでいただくと、今なぜ私が、こんなことを書いているのかがわかると思うのです。
それもしないで、うわっつらだけで、PTSDの回復が出来ると影のコメントで書かれることは、私にとっては、「必要のない情報」だと思うのです。
しかも、返事ができないので、ストレスがたまります。
すると、眠れない事態が発生します。
もし、アドバイスをしていただけるのなら、自分の立場、経験、少なくてもサバイバーであるとかないとか、自分のことも、私に教えていただけるのでしたら、素直に受け止められるかもしれないです。
が・・・だれかもわからない人に、指示されるのは非常に嫌いなことなので、しないで頂ければ助かります。
私の快復の仕方は、結構力があって、早いと言われています。
それは自然治癒力がとても高く、多分たくさんの人格が力を合わせてくれていると思っています。
それは、考えられないくらい機能不全な家庭で培った、我慢できる力が強く、一人で解決できる力もかなり大きいのだと思います。
けれど、ふとよみがえってくる(記憶のない時代もまだ沢山あるので)おぞましい記憶と戦う時は、経験のないことなので、逐次揺れるのはある程度仕方がない事だと思っています。
そして、それにSOSを出す事が出来るようになったのはこの8年間で得た力だと思います。
私はこのブログで誰かに助けて欲しいと記事を書いているのではなく、虐待の重さ、性暴力の影響による被害の大きさを知ってほしいのです。
体罰は暴力です。
しつけではありません。
性暴力は、心の殺人です。
いたづらなんて言わないでください。
子どもの性に大人が介入しないでください。
被害にあった側は死ぬまでそれを心の中にしまって生きてく事を知ってください。
私があえて実名を出して性暴力にあったと語っているのは、その被害は周りの人たちが思っているよりも数が多くて、死ぬ思いをして、それと戦っている人が大勢いるという事を伝えたいのです。
いままで、性に関することはあまり触れてきませんでした。
けれど、こんなにひどいんだよと、伝えたいそれが私が生きてきた意味なのだと、誰もが内緒にしておきたい事を私は晒して被害者を減らすために生き延びているのだと、初めて、自分の体験をHPにした時の事を思い出しました。
今は一人で戦っているわけでもないし、夫とも友人とも話をしながら、生きてきた意味を改めて見つめて形にしようと思います。
なので、アドバイス的なコメントはご遠慮ください。
それは私は求めていません。
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Comments
無題
身体的、心理的虐待を受けましたが、自分自身はいまだにそのことを無かった事にしたいと思っています
ブログが率直な内容なので、こんな自分でも生きていていいんだなと、勇気をもらえました
ありがとうございます
カナエさんへ
なかったことにしたい出来事にしたい気持ち痛い位わかります。
こんな自分って思う気持ちも。
私もしょっちゅうだから。(笑)
けれど、「こんなに素敵な自分」もきっといるはずなのです。
だって、生き延びてきたのですから。
素敵な強い力をもっているからこそ、ここにたどり着いていただけたのだと思います。
生き延びましょう。
もしかしたら、楽しいこと万歳回かもしれませんよ(笑)
それを確認してから、考えてもいいのかもしれないですね。