虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/25 (Sat)
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- 2007/02/07 (Wed)
信頼できる大人に相談した。
今日母がらみで「信じられない~~~」出来事があり、小さいkasumiは、信頼できるおばちゃんに電話をした。そして、「今の自分の生活を大切にしなさい。」「とっても頑張ってたのは知ってるし、そんなに辛い思いをしていたなんて知らなくてごめんね」と言ってもらった。
さてその信じられないこととは・・・・。
先日記事で書いた通り、母親に「荷物はいらん!」と電話を切った。なので、しばらくは来ないだろうと思っていた。
ところがところが・・・・。
すごい執念で。
いつもより大きいので来た。(笑)
しかも???
ほとんどが古着だった。
しかも、何年前だ??ってもの。
ねぇねも、怒り心頭な私をみて、「おばあちゃんも、しつこいね」と言う。
なので、私は夫の職場に電話をして、自分の怒りが正当なものか判断をしてもらった・・・。
状況説明をしているだけでボロボロ涙は出るわ、鼻水は出るわ・・・。
しかも今日はお泊りな夫なわけで、電話口で泣かれても困る・・・という。それはもっとな話で・・・・。
意を決して母に電話をした。
「この荷物なに?どんな気持ちで送ったの?」と人が静かに話せば「電話が遠くて聞こえない」という。
だから、大きな声で話せば、「なんでいつも怒っているの?」という。
だから、一つ一つ確認した。
この古着はどうして欲しいの?
生地が上等だから、ねぇねにどうかと思って。
(あの、今戦争中じゃないんですけど)
私は、「いったいいつのもの?」と聞くと、「私が20代の時のもの」
「ところで、あなたはいくつなの?」と聞くと「73」。
「それじゃ。50年も昔の洋服をねぇねに着なさいって言ってんの?」と言うと、「要らないならバザーにでも出したらいい」と言う。
「あのね、ゴミに出すのだって今は有料なんだよ。バザーに出すんならそっちで出したらいいでしょう?」と言うと、「だって、使えるかと思って」と言う。しかも、「そんなに言うんだったら、車でおきに来ればいい」ときたもんだ。
「そんなガソリンと何時間もかけて置きに行く代物なわけ??」(怒)
「この間も言ったけれど、私はもうあなたからは何も要らないの、そんなに何かしたいんだったら、こうちゃんにしたらいいでしょう?あなたのだ・い・す・きなこうちゃんに。近いんだし・・・」
「だって、こうちゃんは要らないって言うし、取りに来ないもん」(このあたりから子どもに変身)
「あのね、こうちゃんの要らないものは私だって要らないの。わかる?」と私。
「なんていうか、謝るのがよっぽど嫌なんだね」というと「謝るほどのことはしていない」と言う。
このあたりからまじで切れてきた私。
「私にいやがらせしてんの?」と聞いたら生活の足しにってマジで思っているようだった。
だけど、首のとれた人形や、食べかけの腐った塩辛とか、きったな~~~い雑巾とか、気味が悪いほど嫌だったあの感触は忘れない。だから、「首のとれた人形・・・嫌がらせ意外の何があるの?」と聞いた。
それには答えず、「心配している」を繰り返す。
「それを受け取った私の気持ちは考えたことがあるの?」と聞いた。
そしたら、「kasumiの気持ちはわからない」という。
私は「そうだね、子どもの気持ちはわかりたくないよね。あなた自身が子どもだから。」と私。
「いい?私はあなたが死んでも葬式には行かないからね。あなたは親になるべきじゃなかったんだよ」
「そうだね」と、言う。
最後に「もう、話すこともないと思うし、電話ももう2度としない。バイバイ」と切った。電話欲しさに嫌がらせをしているのかとも思うけれど。
もしかしたら、責められてホッとしたいのかもしれない。
その後私は、誰かに話をしたくて相手を探した。
この叔母ちゃんは、実は夫の実家の母と同級生で、ひいおばあちゃんの葬式の時に、高校生だった私に、「K野の方にも、これだけ親戚がいるんだからね、忘れないでね」とわざわざ話しに来てくれた人だった。
実際には、相談したりしたことはないけれど、いつもkasaumiちゃん・・・って呼んでかわいがってくれた。自分の子どもが私を同い年だったり、そこの兄弟は男の子だったから、女の子だった私のことをいつも気にかけてくれていた。
ただ、遠いので実際にはあったことは数少ない。
よかったね、離れて暮らしていて。
そういった。
私の話をうそでしょうとか、信じられないなんて言わなかった。
性暴力の話もした。年齢が母より上だから「実の親子だよね」とは言ったけれど「それは悲しいし、辛かったでしょう」と言った。
私は結婚した時のことや、母の再婚先の息子との縁談の話や子どもをものとしてしか見ていない母親の話をした。
夫の母親をよく知っている人で、kenさんは優しい人だし、お母さんも優しいよね。
そのkenさんが私の傷について発見してくれたし、治療に行っておいでと言ってくれた事(実際にはけんかもしているし、離婚だ!!なんていうのは何度もある)(笑)についてはよかったね。これからは自分の家族だけを考えていていいと思うよ。
この叔母ちゃんは祖母の一番した(8人兄弟)妹で母とは3歳違い。
母はとっても裕福に暮らしてなんでもしてもらっていたよという。
お雛様は、70年前で御殿がついていたものだという。
てっきりkasumiちゃんがもらっていると思ったけれど。
私はおひな祭りという年中行事は知らない。
「女の子」だったからなのかしら?とも言われた。
これで父方の親戚と、母方の親戚に私達の育ちについて初めて語った。それぞれが私がひそかに信じてもいいと思っていた大人なのだろうと思う。
CAPのNO!。
嫌だという練習を初めて6年目。
GO!を先日のワークで実現。
そして「モヤモヤしていた気持ちを大人だった人たちに話しをして」
嘘だとか、まさか?!と言うことはしないで「あなたの気持ちを尊重していていいと思うよ」と言ってもらってこれで私の心の傷は、本当の意味で快復なのかもしれない。
プレイセラピーってこんな感じなのかな?
現場を再現して、助けてもらう。
助け出してもらうって、大切なことだ。
毎日SNOOPYの漫画の時間になると、「かあさん!!早く!」と呼んでくれるねぇね。
そのときは私にテレビを譲ってくれる。
私はねぇねに言った。
何があっても、ちゃんとかあさんに話をしてね。
何十年もたってから、かあさんみたいに爆発しないように。頼むよ。
たった一人で悩んだりしないでね。
そういったら、うん!(^^)って笑っていた。
母の恩着せがましいところは、また後で。
おばちゃんの話しぶりを聞いていて、お金はあって、おじいちゃんも子どもをアクセサリーにしたんだなってわかったような気がする。
おじいちゃんは水呑百姓の出身。その話は改めて。
憎しみって怖い、差別、偏見って嫌だ。
私の母性は母からじゃなくて、ひいおばあちゃんからもらったものだった。
今日も泣いた。今日の方がぎゃんぎゃんバスタオルを持って泣いた。
おばちゃん、いまさらの話を聞いてくれてありがとう。
小さいkasumiのこと、わかってくれてありがとう。
私は母も父も心底憎めない。
夫もあきれるくらいだ。
これがきっと愛着っていうか、歪んでいても親子なんだろうと思う。
だけど・・・・。
人として許せない。
信じられない。
いっそ他人だったらと思う。
親を思わない子どもはいないのだ。
でも、私はこの辛さは切りたい。
ねぇねの人生には渡したくない。
大人って勝手だ。
道具にしないでって本当に思う。アクセサリーも嫌だ。
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