虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/25 (Sat)
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
- 2010/04/25 (Sun)
子どもの生きる権利
福知山線の事故にしても、北朝鮮の拉致にしても、家族が自分の代わりに声をあげて社会に、その悲惨さ、事故をなくしてと訴えられる。
子どもの虐待は、子ども自身はなんの力も持たされていない。
お金も済むところも、食べる物も、大人に依存しなければ死んでしまう。
けれど子どもは自分で望んで生まれてきたわけじゃない。
逆に「生む」「育てる」選択肢を持っているのは親。
生んだだけの親が親権を握り、いいように子どもを振り回す。
里親家庭で家族という絆を作って行けるのに、親のエゴで養護施設に長年入れられ、人との関わりを難しくさせ、人格障害や、精神疾患にかかり、人として生きていくことにさえ困難を抱えさせられる。
現在の児童虐待法では、「親権の剥奪」が出来るとされているが、裁判所がそれを執行することはほどんとない。
つまり、身勝手な親にいつまでも振り回される。
そして、私のようにいくつになっても、心の隙間を埋められないと感じながら、生きていくのだ。
それでも私はパートナーがかなりの割合で子育てや私自身の自分育てに、力を貸してくれるし、仕事をしていく事で得た絆というものをもらえた。
娘からは無償の愛。
かなりラッキーな人だと私は思っている。
だがしかし、されてよかったことではない。
今日里親会の総会と、研修会があった。
私のような人を一人たりとも増やさないで欲しい。
今いる子どもの視点で考えてほしい。
子どもの成長は早い。
SOSが出ている時に助けに行ってほしい。
あきらめるまえに、大人なんて信じられないと思ってしまう前に、助けて欲しい。
何もできない、しない、そして、子どもの将来を考えられない親に「親権」なんて必要ないのだ。
しっかり親になるための学習をして、それから「家族再統合」なのだ。
親が変わっていないのに、子どもだけを動かされても迷惑な話だ。
にほんブログ村
子どもの虐待は、子ども自身はなんの力も持たされていない。
お金も済むところも、食べる物も、大人に依存しなければ死んでしまう。
けれど子どもは自分で望んで生まれてきたわけじゃない。
逆に「生む」「育てる」選択肢を持っているのは親。
生んだだけの親が親権を握り、いいように子どもを振り回す。
里親家庭で家族という絆を作って行けるのに、親のエゴで養護施設に長年入れられ、人との関わりを難しくさせ、人格障害や、精神疾患にかかり、人として生きていくことにさえ困難を抱えさせられる。
現在の児童虐待法では、「親権の剥奪」が出来るとされているが、裁判所がそれを執行することはほどんとない。
つまり、身勝手な親にいつまでも振り回される。
そして、私のようにいくつになっても、心の隙間を埋められないと感じながら、生きていくのだ。
それでも私はパートナーがかなりの割合で子育てや私自身の自分育てに、力を貸してくれるし、仕事をしていく事で得た絆というものをもらえた。
娘からは無償の愛。
かなりラッキーな人だと私は思っている。
だがしかし、されてよかったことではない。
今日里親会の総会と、研修会があった。
私のような人を一人たりとも増やさないで欲しい。
今いる子どもの視点で考えてほしい。
子どもの成長は早い。
SOSが出ている時に助けに行ってほしい。
あきらめるまえに、大人なんて信じられないと思ってしまう前に、助けて欲しい。
何もできない、しない、そして、子どもの将来を考えられない親に「親権」なんて必要ないのだ。
しっかり親になるための学習をして、それから「家族再統合」なのだ。
親が変わっていないのに、子どもだけを動かされても迷惑な話だ。
にほんブログ村
PR
Trackback
TrackbackURL
Comments