虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/24 (Fri)
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
- 2009/11/09 (Mon)
支援すること、されること
私はボランティアの活動の中にいて、自分の人生の4分の3は障がいを持つ人との関わりの中で生きてきました。
ボランティアは楽しくないと続かない。
これは自分自身の体験をもって、言えること。
苦しい顔をされてまで、手助けを求めてはいないから。
私は自分の体を犠牲にし、「死ぬんじゃないか?」という心配を2度もかけてしまいました。
それでも、「待っているよ」という言葉をもらったから、また同じ世界に戻れることもできたと思う。
特に職業病の時に、それほど心配しなくてもよくなった頃には、「よかった、よかった」と泣きながら手を握ってくれた人たち。
2度目に倒れた「激うつ」時代は、8年もの時間を待ってもらった。
だからこそ、私はいう。
人の支援は楽しくなければ続かない。
しんどそうな顔をしながら、支援をしてしてはいけない。
支援する側も、される側も楽しい時間を共有しなければ、それは心地よくならない。
たんなる押し付けでしかない。
もらってばっかりだと疲れる。
与えてばかりだと疲れる。
それを微妙に調整しながら、支援することができて、一人前になれる。
その評価は自分がするものじゃない。
満面の笑みをもらって、そこで成立する。
ほんの少しでいい。
楽しまないとできない。
甘えたっていい、泣きついたっていい。
そんな時は、彼らに支えられていればいい。
それが、ボランティアばっかり人生のkasumiが思うことです。
相互支援じゃないと、つぶれます。
にほんブログ村
ボランティアは楽しくないと続かない。
これは自分自身の体験をもって、言えること。
苦しい顔をされてまで、手助けを求めてはいないから。
私は自分の体を犠牲にし、「死ぬんじゃないか?」という心配を2度もかけてしまいました。
それでも、「待っているよ」という言葉をもらったから、また同じ世界に戻れることもできたと思う。
特に職業病の時に、それほど心配しなくてもよくなった頃には、「よかった、よかった」と泣きながら手を握ってくれた人たち。
2度目に倒れた「激うつ」時代は、8年もの時間を待ってもらった。
だからこそ、私はいう。
人の支援は楽しくなければ続かない。
しんどそうな顔をしながら、支援をしてしてはいけない。
支援する側も、される側も楽しい時間を共有しなければ、それは心地よくならない。
たんなる押し付けでしかない。
もらってばっかりだと疲れる。
与えてばかりだと疲れる。
それを微妙に調整しながら、支援することができて、一人前になれる。
その評価は自分がするものじゃない。
満面の笑みをもらって、そこで成立する。
ほんの少しでいい。
楽しまないとできない。
甘えたっていい、泣きついたっていい。
そんな時は、彼らに支えられていればいい。
それが、ボランティアばっかり人生のkasumiが思うことです。
相互支援じゃないと、つぶれます。
にほんブログ村
PR
Trackback
TrackbackURL
Comments