虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/23 (Thu)
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- 2010/10/24 (Sun)
昨日の講演 小桧山博さん
島さんから通訳の依頼を受けた時に、三千恵さんはきっと通訳したい!って思う人だよと、言われてた。
プロフをみて、そうかも・・・。
実際、良い通訳が出来たと思う。
私は最近ろう者にはもちろんだけれど、聴こえる人にもみててわかる通訳をしたいと思って、いままでにはない力を出そうとしている。
手話の単語がわからないから聴こえる人にはわからない通訳ではなくて、みててわかる通訳に挑戦している。
あたらしい手法かというと、そうじゃなくて、今は亡くなってしまって逢う事はできないけれど、「伊東しゅんすけ」さんがそうだった。
表情、間、要約の仕方。
いつも全国大会であうと、孫のような扱いで頭をなでてくれて、「元気か?」といつもいつも、気にかけてもらっていた。
亡くなった時は、肺がんだったけれど、彼もなかなか大変な子ども時代を過ごしてて、病弱だったから、学校には行けない時期があったとか、ろう学校で教師をしていたけれど、とてもろう者を愛していて・・・・・。
亡くなった日には、そばに来てくれていた。まーもそれは感じていて、2人で「おじいちゃん来てたよね」。
久しぶりに、逢いたいなぁ・・・って思った。
最近、父に逢いに行ってみようかななんて夢みたいなことを考えている。
多分行けないだろうと、思うけれど、手紙では「ありがとう」は伝えたけれど、「赦してあげるよ」って言った方がいいのかな?なんて思う事がある。
一方では、早く私を解放して!って願ってもいるんだけれどもね。
小桧山さんは淡々と話していたけれど、時代こそ違うけれど、壮絶な子ども時代を過ごしていて、それが原動力になって、小説を書いている。
一言、一言が重く、深くそして切実で、本気で日本という国、日本人、子どものことを考えている。
まだ本を読んだことはないけれど、いつか読みたい作家のひとりになったかなと思う。
夜、星をみて歩く。延々と・・・。
帰る家はあっても帰れない事情。
家に戻ると、母からの暴力。
貧乏が起こす感覚のひずみ。
いろんなことを経験して、今があって壮大だった。
会話の中で、「努力をしない人は、光らない」「壁があってこそ、乗り越える力がわくく」
こんなに簡単な言葉じゃなかったけれど、私には、「行きなさい」「生きなさい」生きるための努力をしなさいと言われているように聴こえた。
実父の高校の後輩だったけれど、近いものがあるのかな。
我が父も貧乏な家庭で育った。
しかも母子家庭。長男。
比較の毎日。
つらかったのかな?
会話をしたことがないので、想像でしかないけれど・・・・。
なににイライラしていたんだろうね。
正義感とか、他人に対する優しさはある人だった。
だれかを助けることは、嫌いじゃなかったはず。
でも、子どもにはやつあたりばっかりだったな。
お金持ちの家系(母の母)で育った母は、お勉強は出来たけれど「女は働くものじゃない」との教えを守って、27歳まで社会で何かをした経験がないし、家事も出来ない人だった。
そんな両親の子ども時代を想像した昨日だった。
もう、語り合う事はできないけれど、お金がすべてじゃないってことを両方から教わっていたんだなと、思った。
母はなんでもお金お金。
父は、仕事はまじめにしていたけれど、結局他人に騙されて、役所をやめなければならなかった。
新聞にも載って。
犯罪者みたいな扱いの記事だった。
あとで訂正記事が載ったけれどそれはだれも気づかないくらいの小さいものだった。
そのあと、いろいろ夢は大きかった。(石油を掘るとか、中国にいって、貧乏な人を救うとか)話しは大きかったし、いろいろ出かけていたけれど、実現したのかどうかは私にはわからないけれど、お金には困っていない。
いろんな人生があると思うけれど、似たような境遇でも生き方ってこんなに違うんだなと、改めて感じた。
私は、「自分は自分」と人格が別れているけれどそれは一貫してて、うだうだ悩むけれど、決めたことは突き進む。
自信がないと泣きわめくけれど、立ち上がる。何度でも。
転んでも何かを掴んで這いながらでも進む。
自分に起きた出来ことを無駄にして過ごして来たわけじゃない。
疲れきってしまったことも何度もあるけれど、生きてきた自分を持っていると思う。
よかったんだよ、これで・・・って思ったかも?(笑)
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プロフをみて、そうかも・・・。
実際、良い通訳が出来たと思う。
私は最近ろう者にはもちろんだけれど、聴こえる人にもみててわかる通訳をしたいと思って、いままでにはない力を出そうとしている。
手話の単語がわからないから聴こえる人にはわからない通訳ではなくて、みててわかる通訳に挑戦している。
あたらしい手法かというと、そうじゃなくて、今は亡くなってしまって逢う事はできないけれど、「伊東しゅんすけ」さんがそうだった。
表情、間、要約の仕方。
いつも全国大会であうと、孫のような扱いで頭をなでてくれて、「元気か?」といつもいつも、気にかけてもらっていた。
亡くなった時は、肺がんだったけれど、彼もなかなか大変な子ども時代を過ごしてて、病弱だったから、学校には行けない時期があったとか、ろう学校で教師をしていたけれど、とてもろう者を愛していて・・・・・。
亡くなった日には、そばに来てくれていた。まーもそれは感じていて、2人で「おじいちゃん来てたよね」。
久しぶりに、逢いたいなぁ・・・って思った。
最近、父に逢いに行ってみようかななんて夢みたいなことを考えている。
多分行けないだろうと、思うけれど、手紙では「ありがとう」は伝えたけれど、「赦してあげるよ」って言った方がいいのかな?なんて思う事がある。
一方では、早く私を解放して!って願ってもいるんだけれどもね。
小桧山さんは淡々と話していたけれど、時代こそ違うけれど、壮絶な子ども時代を過ごしていて、それが原動力になって、小説を書いている。
一言、一言が重く、深くそして切実で、本気で日本という国、日本人、子どものことを考えている。
まだ本を読んだことはないけれど、いつか読みたい作家のひとりになったかなと思う。
夜、星をみて歩く。延々と・・・。
帰る家はあっても帰れない事情。
家に戻ると、母からの暴力。
貧乏が起こす感覚のひずみ。
いろんなことを経験して、今があって壮大だった。
会話の中で、「努力をしない人は、光らない」「壁があってこそ、乗り越える力がわくく」
こんなに簡単な言葉じゃなかったけれど、私には、「行きなさい」「生きなさい」生きるための努力をしなさいと言われているように聴こえた。
実父の高校の後輩だったけれど、近いものがあるのかな。
我が父も貧乏な家庭で育った。
しかも母子家庭。長男。
比較の毎日。
つらかったのかな?
会話をしたことがないので、想像でしかないけれど・・・・。
なににイライラしていたんだろうね。
正義感とか、他人に対する優しさはある人だった。
だれかを助けることは、嫌いじゃなかったはず。
でも、子どもにはやつあたりばっかりだったな。
お金持ちの家系(母の母)で育った母は、お勉強は出来たけれど「女は働くものじゃない」との教えを守って、27歳まで社会で何かをした経験がないし、家事も出来ない人だった。
そんな両親の子ども時代を想像した昨日だった。
もう、語り合う事はできないけれど、お金がすべてじゃないってことを両方から教わっていたんだなと、思った。
母はなんでもお金お金。
父は、仕事はまじめにしていたけれど、結局他人に騙されて、役所をやめなければならなかった。
新聞にも載って。
犯罪者みたいな扱いの記事だった。
あとで訂正記事が載ったけれどそれはだれも気づかないくらいの小さいものだった。
そのあと、いろいろ夢は大きかった。(石油を掘るとか、中国にいって、貧乏な人を救うとか)話しは大きかったし、いろいろ出かけていたけれど、実現したのかどうかは私にはわからないけれど、お金には困っていない。
いろんな人生があると思うけれど、似たような境遇でも生き方ってこんなに違うんだなと、改めて感じた。
私は、「自分は自分」と人格が別れているけれどそれは一貫してて、うだうだ悩むけれど、決めたことは突き進む。
自信がないと泣きわめくけれど、立ち上がる。何度でも。
転んでも何かを掴んで這いながらでも進む。
自分に起きた出来ことを無駄にして過ごして来たわけじゃない。
疲れきってしまったことも何度もあるけれど、生きてきた自分を持っていると思う。
よかったんだよ、これで・・・って思ったかも?(笑)
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