虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/02/01 (Sat)
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- 2008/08/07 (Thu)
気持ちの整理のために
気持ちを整理したいので、期間限定で記事をかくことにした。
私には母親のちがう16歳年の離れた妹がいる。
四歳のときに、二度目の離婚ののち私が20才で引き取って育てた。
まだ若かったし、自分にされたことは「しつけ」の一つだと思っていたので、今であれば「虐待」にあたりするような行為もしてきた。
それは若気のいたりなどというのもでは済まされないことだと考えているし、それをないものにはしないように考えている。
私は、いつでもお母さん役をしてきた。
10歳の時は弟を、20才から妹を。
そして、34で実子を。
42で里子さんを。
今現在でもずっと子育て進行中である。
若いときにはだれにも手伝ってもらわないのが当たり前だと思っていたので、だれかに力を貸してもらうことはなかった。
今は、どんなこともだれかに相談するとか、してくれることは遠慮なくしてもらうとか、その行為に甘える術ももっている。
7月の末に妹の家を訪問し一泊した。
引越しをしたばかりだった。
実父のガンが転移したらしく、身辺整理をしているらしい。直接話を聞いたわけではないので、詳しい事はわからない。
ガンの治療をするとすれば手術しかない。・・・・が実父はそれによって行動を制限されるのがいやらしくそれを拒否。
免疫療法など効き目はないらしいがそれに頼っているらしい。
現在一人暮らし。
同居する女性はまれにいたものの、必ず「うつ」状態になる。DVな人だからあたりまえだし、みんな夜逃げのように実父を捨てて行く。
そりゃ、当然だって私は思う。
家も、財産も投げ捨てて、逃げていく人、持てるだけもって逃げる人、それぞれだけれど、「赦しがたい存在」になっていることは間違いない。
さて、死んでいく自分を見つめたらしく、妹には「家」をいう形を残した。
どれだけ資金を援助したのかはマッタクわからないし興味はない。
妹からの情報によると「kasumiには、残さない。あいつはろくでもない」とか言っているらしい。
私も別に必要はないので、欲しいともよこせ!とも思わない。
私は実父の存在はもうないものだと思っているし、親戚にも伝えている。
性虐待の事を実名を出していると伝えた日から彼は嫌がらせや意地悪をしてくる。
たとえば、夫の職場に朝の6時に「Sいるか?」と電話をかけてきたり。
泊まりのある職場なので、さぞ迷惑なことだろう。
ちなみに「妻の実父は認知症」ということになっている。
去年、ガンで手術する事になった時も父の妹に子どもが3人もいてだれも世話をしにこない。情けないと電話で話をしたが、「そりゃ、だれもいかないようにしたのは本人だし」って事で話はついている。
結局その妹が世話した。
私の妹は妊娠していたので、車で往復するもの大変だった。でも私も弟も近寄らなかった。
さて・・・。
私が実父を赦してやってもいいか?なんて思ったのは、その妹の家をみて、「どうしてこんなに扱いが違うんだろう?」と考えているうちに、「私はたった一言、kasumiもがんばったな」 と父から言われたかっただけなんだなと結論がでた。
ただの一度も褒めてもらった事はない。だから、一回くらい褒めてくれないかな?と思いつつ、私がされてもいいことではない理不尽な怒りと共に私は考えてきた。
いつかはわかってくれるのかもしれない。そんな子どもとして、ごく当たり前の感情を実は持っていたんだなと気がついた。
妹には社会人になったら車は買う。
学校の経費も惜しまずに出す。
家を買うのに援助もする。
私の娘の事は心配だからともし、S市の大学に通うことになったら、住まわせてやれと一部屋ねぇねが使えるようになっている。
私はその地域に行くとは限らないのに・・・と思った。
そういえば、S市に行かなくてもいいのか?って私にも聞いたよね。
実父はあこがれていたのかもしれない。
都会の学校で通学し、通勤することを。
私は看護師になれと言われたのを拒否した。
S市へ行けと言われたのも拒否した。
隣町だったら顔が聞くのでそこの試験を受けろと言われたが拒否した。
妹を拉致し自分のところに連れてきた。
(父は何度か連れ戻しに来たが拒否した)
妹を連れての結婚は反対されたけど、それも拒否した。
結婚する時に叩かれそうになったけれどよけた。
実父の話は「ふうん」とは聞くけれど労うことはしなかった。
ねぇねを言い負かすような事をし続けたので、会いに行くのをやめた。
電話で、「あなたのした事は私は忘れない。いつまでもとぼけていればいい。ないものには絶対しない」と戦った。
妹は「お父さんはいつまでもお姉ちゃんの事を考えていて、悪口ばかりいっているけど、気にしてるんだよ。私はお姉ちゃんの身代わりで、お父さんはお姉ちゃんにしてあげたい事を私にしているだけだと思うよ」と言っていた。
私は「あなたは、一緒に暮らしていない・・・という親としての負い目もあるだろうし、私の代わりだなんて考える必要はない。大人なんだからしたいようにしてるだけ。自己中なんだよ」
「してやった・・・・って感謝を強要されるとありがとうって言うのも疲れるよね」
してもらえても、してもらえなくてもため息が出てくる娘たちの気持ちを考えた事ってありますか??
なにをしても私はもうあなたにはあいたくない。会話もしたくない。
あなたも大変だったかもしれないけれど、それにあまんじて生きてきたって事をちゃんと一人の大人として結果を自分で見て欲しい。
他人の評価ではなく、自分で自分の人生に何点つけられる?
私はどうこれから先扱われようと何も感じない。
私の事が恐いんでしょ?
そうだよ。あなたを殺しにだっていけるんだよ。
でもそんなことしない。
それはあなたのためじゃなく、私と私の大切な家族のために。
あなたの名誉でなく、私のこれからの人生のために。
せっかく犯罪者にならないでこれたんだから。
私はあなたの道具である事はもうしない。
彼はどんな事をしてでも「おまえは俺の娘だ」と言いたいのだろう。
無視され続けている存在よりは逆らってでも怒鳴りあってでも、絡まりたいのだろうと思う。
けど、私はそんなのごめんだ。
あなたの母は今年で103才だよね。
お祖母ちゃんには死んでしまう前にもう一度会っておこうか?と思うけれど、あなたの顔は二度とみたくない。
妹には「俺は頭が悪かった」とか「姉と比べられて辛かった」とか言っているらしいね。
それは大変だったね。私も同じことをあなたから言われ続けたからその辛さは理解できるよ。
その気持ちは死んじゃう前に誰かに聞いてもらうといいよ。
でも、私は聞きに行かない。
80近くになってやっと降ろせる荷物なんだとしたら、私じゃない人に聞いてもらいなよ。
私は「そんなこと、私だって同じだった」と怒鳴る自分は見せなくないからね。
私はあなたの親じゃない。
私には母親のちがう16歳年の離れた妹がいる。
四歳のときに、二度目の離婚ののち私が20才で引き取って育てた。
まだ若かったし、自分にされたことは「しつけ」の一つだと思っていたので、今であれば「虐待」にあたりするような行為もしてきた。
それは若気のいたりなどというのもでは済まされないことだと考えているし、それをないものにはしないように考えている。
私は、いつでもお母さん役をしてきた。
10歳の時は弟を、20才から妹を。
そして、34で実子を。
42で里子さんを。
今現在でもずっと子育て進行中である。
若いときにはだれにも手伝ってもらわないのが当たり前だと思っていたので、だれかに力を貸してもらうことはなかった。
今は、どんなこともだれかに相談するとか、してくれることは遠慮なくしてもらうとか、その行為に甘える術ももっている。
7月の末に妹の家を訪問し一泊した。
引越しをしたばかりだった。
実父のガンが転移したらしく、身辺整理をしているらしい。直接話を聞いたわけではないので、詳しい事はわからない。
ガンの治療をするとすれば手術しかない。・・・・が実父はそれによって行動を制限されるのがいやらしくそれを拒否。
免疫療法など効き目はないらしいがそれに頼っているらしい。
現在一人暮らし。
同居する女性はまれにいたものの、必ず「うつ」状態になる。DVな人だからあたりまえだし、みんな夜逃げのように実父を捨てて行く。
そりゃ、当然だって私は思う。
家も、財産も投げ捨てて、逃げていく人、持てるだけもって逃げる人、それぞれだけれど、「赦しがたい存在」になっていることは間違いない。
さて、死んでいく自分を見つめたらしく、妹には「家」をいう形を残した。
どれだけ資金を援助したのかはマッタクわからないし興味はない。
妹からの情報によると「kasumiには、残さない。あいつはろくでもない」とか言っているらしい。
私も別に必要はないので、欲しいともよこせ!とも思わない。
私は実父の存在はもうないものだと思っているし、親戚にも伝えている。
性虐待の事を実名を出していると伝えた日から彼は嫌がらせや意地悪をしてくる。
たとえば、夫の職場に朝の6時に「Sいるか?」と電話をかけてきたり。
泊まりのある職場なので、さぞ迷惑なことだろう。
ちなみに「妻の実父は認知症」ということになっている。
去年、ガンで手術する事になった時も父の妹に子どもが3人もいてだれも世話をしにこない。情けないと電話で話をしたが、「そりゃ、だれもいかないようにしたのは本人だし」って事で話はついている。
結局その妹が世話した。
私の妹は妊娠していたので、車で往復するもの大変だった。でも私も弟も近寄らなかった。
さて・・・。
私が実父を赦してやってもいいか?なんて思ったのは、その妹の家をみて、「どうしてこんなに扱いが違うんだろう?」と考えているうちに、「私はたった一言、kasumiもがんばったな」 と父から言われたかっただけなんだなと結論がでた。
ただの一度も褒めてもらった事はない。だから、一回くらい褒めてくれないかな?と思いつつ、私がされてもいいことではない理不尽な怒りと共に私は考えてきた。
いつかはわかってくれるのかもしれない。そんな子どもとして、ごく当たり前の感情を実は持っていたんだなと気がついた。
妹には社会人になったら車は買う。
学校の経費も惜しまずに出す。
家を買うのに援助もする。
私の娘の事は心配だからともし、S市の大学に通うことになったら、住まわせてやれと一部屋ねぇねが使えるようになっている。
私はその地域に行くとは限らないのに・・・と思った。
そういえば、S市に行かなくてもいいのか?って私にも聞いたよね。
実父はあこがれていたのかもしれない。
都会の学校で通学し、通勤することを。
私は看護師になれと言われたのを拒否した。
S市へ行けと言われたのも拒否した。
隣町だったら顔が聞くのでそこの試験を受けろと言われたが拒否した。
妹を拉致し自分のところに連れてきた。
(父は何度か連れ戻しに来たが拒否した)
妹を連れての結婚は反対されたけど、それも拒否した。
結婚する時に叩かれそうになったけれどよけた。
実父の話は「ふうん」とは聞くけれど労うことはしなかった。
ねぇねを言い負かすような事をし続けたので、会いに行くのをやめた。
電話で、「あなたのした事は私は忘れない。いつまでもとぼけていればいい。ないものには絶対しない」と戦った。
妹は「お父さんはいつまでもお姉ちゃんの事を考えていて、悪口ばかりいっているけど、気にしてるんだよ。私はお姉ちゃんの身代わりで、お父さんはお姉ちゃんにしてあげたい事を私にしているだけだと思うよ」と言っていた。
私は「あなたは、一緒に暮らしていない・・・という親としての負い目もあるだろうし、私の代わりだなんて考える必要はない。大人なんだからしたいようにしてるだけ。自己中なんだよ」
「してやった・・・・って感謝を強要されるとありがとうって言うのも疲れるよね」
してもらえても、してもらえなくてもため息が出てくる娘たちの気持ちを考えた事ってありますか??
なにをしても私はもうあなたにはあいたくない。会話もしたくない。
あなたも大変だったかもしれないけれど、それにあまんじて生きてきたって事をちゃんと一人の大人として結果を自分で見て欲しい。
他人の評価ではなく、自分で自分の人生に何点つけられる?
私はどうこれから先扱われようと何も感じない。
私の事が恐いんでしょ?
そうだよ。あなたを殺しにだっていけるんだよ。
でもそんなことしない。
それはあなたのためじゃなく、私と私の大切な家族のために。
あなたの名誉でなく、私のこれからの人生のために。
せっかく犯罪者にならないでこれたんだから。
私はあなたの道具である事はもうしない。
彼はどんな事をしてでも「おまえは俺の娘だ」と言いたいのだろう。
無視され続けている存在よりは逆らってでも怒鳴りあってでも、絡まりたいのだろうと思う。
けど、私はそんなのごめんだ。
あなたの母は今年で103才だよね。
お祖母ちゃんには死んでしまう前にもう一度会っておこうか?と思うけれど、あなたの顔は二度とみたくない。
妹には「俺は頭が悪かった」とか「姉と比べられて辛かった」とか言っているらしいね。
それは大変だったね。私も同じことをあなたから言われ続けたからその辛さは理解できるよ。
その気持ちは死んじゃう前に誰かに聞いてもらうといいよ。
でも、私は聞きに行かない。
80近くになってやっと降ろせる荷物なんだとしたら、私じゃない人に聞いてもらいなよ。
私は「そんなこと、私だって同じだった」と怒鳴る自分は見せなくないからね。
私はあなたの親じゃない。
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Comments
はじめまして
いつも、読ませていただき感動しています
ありがとうございます
kasuniさんの記事を読んでFBしてしまいました
私は今二児の母で、上が男で9歳下に娘がいます
娘の育児がしんどいです…自分ではどうしようもない怒りがわいてきたりします
私は幼い頃、父の親戚を転々と預けられ、3歳過ぎて再婚するまでですが…再婚してからは、両親から吹っ飛ぶほど殴られたり、怒鳴られたり、小五からは家事もやり、5歳頃から親戚の叔父さんから性的虐待も受けました
私のように娘をしたくないのですが、精神科に行くのも怖くて…
初めてのメールで長々とすみません。
はじめまして
込み入ったお話があればメールを頂けるとお返事が出来ます。
連絡いただけませんか?
すぐさま解決と言うわけにはならないと思いますが、考え方のヒントになる事はあるかなと思っています。
明日の予定が終わると記事も書けるかもしれません。
いつでも、メールくださいね。