虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/02/01 (Sat)
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- 2008/08/16 (Sat)
父なる神の愛
一応クリスチャンなの。私・・・。
私は10歳の時には神様の存在を知っていて、たぶん・・・。
いつも読んでいた子どもようの「ぎんの星」って本。
放蕩息子が帰ってきて父親が喜んで迎えるという繰り返し読んでいた。
そばにいた別の息子が、「なぜ、好き勝手な事をしてきた弟?兄?をそんなに喜んで迎えるのか?」という疑問に、「おまえはいつもそばにいただろう」という言葉を返す。
私はどうしてこの話を繰り返し読んでいたのかと考えると、たぶん実父にこんな風に私を向かえて欲しかったんだろうと思う。
昨日里親の先輩でクリスチャンで、自分の子育てが終わっていて、サバイバーさんだったWさんと出会っていろんな話をした。
何年か前から知りあいだったけれどゆっくり話す機会はなくて、今回シンガポールの人たちを迎えるときに連絡をくれて、私と彼らをつなげてくれた。
その虐待を受けた子どもたちへのプログラムの実施にあたり、この夏私はいろんな人に出会い、そして、「神様の言葉」と再会した。
私は教会で「父なる神を信頼します」と言われると洗礼を受けてはいるものの、「父か・・・」とため息がでる。
私の中の「父」を連想すると神の愛は歪んだ物になりとても苦しい。
私は「重荷をもっているものは私のもとに来なさい。休ませてあげよう」という聖句が好きだ。
けれど、いつもいつも、「神様。私はそばに来てますから!!」と机や地面を叩きたくなる。
私は来ているのに気がついてくれないのは神様だ!!と叫びたくなる。
それはたぶん私が地面ばかりを見て、顔をあげないからだと自分を責めたりした。
教会の中にいると善意の塊で苦しくなる。
優しくされると息が出来ない。
神様に祈りましょうと言われても、「あんたになにがわかるんだ」と言いたくなる。そんな風になる自分が嫌で教会にはいかない。
けれど、先日のキッズキャンプはいつでも祈りの中にあった。
英語なので、感じ方は違うけれど、日本人の祈りよりも明快ですっきりしていて「ナイス」な感じがした。
なので、神様の家族に戻りたくなった。
私は人が煩わしい。
面倒くさい。
けれどいつも人間と関わる仕事をしている。
保育士、手話通訳、大学、里親、CAP。
なんでかな?と思ったけれど、人の顔色を伺って生きていた私の欠点が、生かされている仕事である。
相手の感情、行動を観察していないとスムーズには進んでいかない。
それが瞬時に出来るようになってしまった私の欠点か長所として生きているだなとそのWさんと話をしていて思った。
気を使いすぎるとマイナスの視点で考えるとどよ~~んとしてくるけれど、配慮が出来ると考えると少し嬉しい。
善意の人を見ていると私のような経験を持つ人間の入る隙間はないように思っていた。
けれど、神様は自分の子どもであるイエス様との関係を(親子の絆)を死を持って一度断ち切り、自分の力でよみがえりを実現させたとすれば、
全ての人間の罪はすでに赦されているのよと言われた。
・・・・ってことは「思い煩うな」とよく言われていることは、納得した。
人の力だけで何とかしようとすると困難が待ち受ける、だから祈りなさいって事。
それは良く聞いていて、知っていることだった。
でも昨日はその言葉の意味がよくわかった。
kasumiさん、あなたは父親を「赦さない」と思っている自分を赦していない。
でも神様はそんなあなたの全てをすでに赦している。
その中であなたの働きがあるのだから、自分を赦したらいいよと言われた時に涙が出てきた。
解放された。
神様はあなたの手をずっと握っているのよ。
私たちがもう駄目だと手を話しても神様はあきらめずにずっとつかんでいる。だから何度も何度も神様を思いだす場所にあなたが来るのよね。
神様はずっとあなたのそばにいるのよ。
そう言った。
私はサバイバーさんで子育てがあらかた終わった人に出会いたかった。
子どもの思春期をどう超えたのか?
名乗りをあげた事で(HPなどで)サバイバーさんと出会いは増えた。けれど、私よりも年上で、快復が終わっていて、それを意識して社会に発信している人には今まで出会えなかった。
けれど、とっても身近なところにWさんはいた。
Wさんの妹にしか話してない体験も聞いた。
そんなこと私が聞いちゃってもいいのか?と思うくらいの気持ちだった。
Wさんは、父親から受けたその暴力は「父」という存在を否定する気持ちになるから「父なる神」はとても怖いと思って当たり前だと思うわ。
でもkasumiさんの実父さんは、この世の肉の塊だから本当の意味での「父」ではなかった。
また私たちも人間の姿をした罪人だから、この姿のままでいるには制限がある。
魂(聖なる)、神様の言葉は目に見えないものだけれど、一度は「神様を信じます」と誓った私たちはとても強いものがある。神様の存在を知っているのだから。
今までも同じような言葉、祈りを聞いた。でもうそ臭いと思っていた。
けど、昨日は私のためにとても力強く、心を込めて祈ってくれたその言葉は信じて見てもいいかな?と思った。
祈りってこんなに力があるんだ・・・と思った。
児童相談所との武勇伝も聞いてくれた。
良く本気で怒ってくれたわと喜んでいた。(笑)
私はあの時、里子ちゃんが大人の都合で振り回された自分と重なっていた。
私とほぼ同じような体験をしてきた6歳のRちゃんに。
昨日話を聞いてもらって「怒った私」はそのままで良かったんだと思った。
児童相談所に性虐待を本気で考えろ!!と怒れるのは私くらいだと思う。
(その後の対応はかなり変わった)
あなたには善悪を判断する力と、それを伝える力を神様が用いているのだから、あなたはあなたのままでいていいのよと言われた。
いや~~、クリスチャンでこの話が出来る人がいるなんて取っても嬉しい。
私の父と言う言葉と父なる神様の父は同じ漢字だけれど、意味はまったく違うってわかってよかった。
神様、ナイス!(笑)
あ~~~すっきりした。
私は10歳の時には神様の存在を知っていて、たぶん・・・。
いつも読んでいた子どもようの「ぎんの星」って本。
放蕩息子が帰ってきて父親が喜んで迎えるという繰り返し読んでいた。
そばにいた別の息子が、「なぜ、好き勝手な事をしてきた弟?兄?をそんなに喜んで迎えるのか?」という疑問に、「おまえはいつもそばにいただろう」という言葉を返す。
私はどうしてこの話を繰り返し読んでいたのかと考えると、たぶん実父にこんな風に私を向かえて欲しかったんだろうと思う。
昨日里親の先輩でクリスチャンで、自分の子育てが終わっていて、サバイバーさんだったWさんと出会っていろんな話をした。
何年か前から知りあいだったけれどゆっくり話す機会はなくて、今回シンガポールの人たちを迎えるときに連絡をくれて、私と彼らをつなげてくれた。
その虐待を受けた子どもたちへのプログラムの実施にあたり、この夏私はいろんな人に出会い、そして、「神様の言葉」と再会した。
私は教会で「父なる神を信頼します」と言われると洗礼を受けてはいるものの、「父か・・・」とため息がでる。
私の中の「父」を連想すると神の愛は歪んだ物になりとても苦しい。
私は「重荷をもっているものは私のもとに来なさい。休ませてあげよう」という聖句が好きだ。
けれど、いつもいつも、「神様。私はそばに来てますから!!」と机や地面を叩きたくなる。
私は来ているのに気がついてくれないのは神様だ!!と叫びたくなる。
それはたぶん私が地面ばかりを見て、顔をあげないからだと自分を責めたりした。
教会の中にいると善意の塊で苦しくなる。
優しくされると息が出来ない。
神様に祈りましょうと言われても、「あんたになにがわかるんだ」と言いたくなる。そんな風になる自分が嫌で教会にはいかない。
けれど、先日のキッズキャンプはいつでも祈りの中にあった。
英語なので、感じ方は違うけれど、日本人の祈りよりも明快ですっきりしていて「ナイス」な感じがした。
なので、神様の家族に戻りたくなった。
私は人が煩わしい。
面倒くさい。
けれどいつも人間と関わる仕事をしている。
保育士、手話通訳、大学、里親、CAP。
なんでかな?と思ったけれど、人の顔色を伺って生きていた私の欠点が、生かされている仕事である。
相手の感情、行動を観察していないとスムーズには進んでいかない。
それが瞬時に出来るようになってしまった私の欠点か長所として生きているだなとそのWさんと話をしていて思った。
気を使いすぎるとマイナスの視点で考えるとどよ~~んとしてくるけれど、配慮が出来ると考えると少し嬉しい。
善意の人を見ていると私のような経験を持つ人間の入る隙間はないように思っていた。
けれど、神様は自分の子どもであるイエス様との関係を(親子の絆)を死を持って一度断ち切り、自分の力でよみがえりを実現させたとすれば、
全ての人間の罪はすでに赦されているのよと言われた。
・・・・ってことは「思い煩うな」とよく言われていることは、納得した。
人の力だけで何とかしようとすると困難が待ち受ける、だから祈りなさいって事。
それは良く聞いていて、知っていることだった。
でも昨日はその言葉の意味がよくわかった。
kasumiさん、あなたは父親を「赦さない」と思っている自分を赦していない。
でも神様はそんなあなたの全てをすでに赦している。
その中であなたの働きがあるのだから、自分を赦したらいいよと言われた時に涙が出てきた。
解放された。
神様はあなたの手をずっと握っているのよ。
私たちがもう駄目だと手を話しても神様はあきらめずにずっとつかんでいる。だから何度も何度も神様を思いだす場所にあなたが来るのよね。
神様はずっとあなたのそばにいるのよ。
そう言った。
私はサバイバーさんで子育てがあらかた終わった人に出会いたかった。
子どもの思春期をどう超えたのか?
名乗りをあげた事で(HPなどで)サバイバーさんと出会いは増えた。けれど、私よりも年上で、快復が終わっていて、それを意識して社会に発信している人には今まで出会えなかった。
けれど、とっても身近なところにWさんはいた。
Wさんの妹にしか話してない体験も聞いた。
そんなこと私が聞いちゃってもいいのか?と思うくらいの気持ちだった。
Wさんは、父親から受けたその暴力は「父」という存在を否定する気持ちになるから「父なる神」はとても怖いと思って当たり前だと思うわ。
でもkasumiさんの実父さんは、この世の肉の塊だから本当の意味での「父」ではなかった。
また私たちも人間の姿をした罪人だから、この姿のままでいるには制限がある。
魂(聖なる)、神様の言葉は目に見えないものだけれど、一度は「神様を信じます」と誓った私たちはとても強いものがある。神様の存在を知っているのだから。
今までも同じような言葉、祈りを聞いた。でもうそ臭いと思っていた。
けど、昨日は私のためにとても力強く、心を込めて祈ってくれたその言葉は信じて見てもいいかな?と思った。
祈りってこんなに力があるんだ・・・と思った。
児童相談所との武勇伝も聞いてくれた。
良く本気で怒ってくれたわと喜んでいた。(笑)
私はあの時、里子ちゃんが大人の都合で振り回された自分と重なっていた。
私とほぼ同じような体験をしてきた6歳のRちゃんに。
昨日話を聞いてもらって「怒った私」はそのままで良かったんだと思った。
児童相談所に性虐待を本気で考えろ!!と怒れるのは私くらいだと思う。
(その後の対応はかなり変わった)
あなたには善悪を判断する力と、それを伝える力を神様が用いているのだから、あなたはあなたのままでいていいのよと言われた。
いや~~、クリスチャンでこの話が出来る人がいるなんて取っても嬉しい。
私の父と言う言葉と父なる神様の父は同じ漢字だけれど、意味はまったく違うってわかってよかった。
神様、ナイス!(笑)
あ~~~すっきりした。
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Comments
初めまして
神学者によればキリスト教の信仰の根源はドグマなんですって。人に命を与えたのは神である事をただ信じる。この前提が無ければ、人間に人権も尊厳も存在しない。
私も同じような境遇にある人の援助を目指し、パストラルケアワークを勉強中です。よろしければお返事くださいますよう。
はじめまして<m(__)m>
>初めまして。網走探信からここへたどり着きました。
お世話になっています。(笑)
>私はサバイバーです。親からの親子関係拒否。下の子は20歳。クリスチャン。今年、神学研修を受けました。
同じような境遇ですね。
>そこで発見した事。自分の中には自己の生存そのものに対する深い罪悪感があること。これは親によって植え付けられ、道徳的な人たちによって強化されたもの。
その影響はかなり大きいですね。
生きて来た時間が長ければ長いほど、それ囚われているかもしれませんね。
>自分自身の中にあるこの存在不安と言えるものと戦い続けて、未だそれを克服したとはいえません。
私もかなりそれは山を超えてきたつもりだけれど、まだ山はあるかも知れないし、ないかもしれない。(いや、きっとまだまだかな?)
>ただ、神が私を母の胎に作ったと信じること。それを自分に言い聞かせて生きて来ました。しかしいつも不安がよぎる。
そうなんですね。
私はこの記事を書いた時に「なるほど」と気がつきました。
何度も同じ言葉を聴いてるはずなのに、自分に置き換えることは出来てませんでした。
>私が生きていることは許されざる事。少なくとも私が生まれた事を死ぬほど嫌がった人は何人もいたが喜んだ人はゼロ。多くの人を悲しませて生まれ、生をむさぼっている。それは事実。そんな私が生きていて良いのか。
誕生を喜んでもらえないというのは、いつまでも気にかかることですよね。
私は3歳くらいまでは大切にされていたのかもしれません。
けれど、弟が生まれた時にそれは消えてなくったかも知れないと思っています。
>神学者によればキリスト教の信仰の根源はドグマなんですって。人に命を与えたのは神である事をただ信じる。この前提が無ければ、人間に人権も尊厳も存在しない。
>すみません、ドグマって何だろう?って(カタカナとローマ字に弱い・・・)
調べて見ます。(笑)
>私も同じような境遇にある人の
援助を目指し、パストラルケアワークを勉強中です。よろしければお返事くださいますよう。
生き延びてくれてありがとうございます。
そして出会ってくれてありがとう。
私はイエス様は好きだって思うんですけれど、神様はまだ怖いかもしれないです。
けれど、全てを許して誕生させてくれているとすれば、生きる事、だれかと共に活動する事は大きな意義になると思っています。
私たちが叫び続けたら、きっと社会は変わるかも?と真剣に思っています。
これからも
ヨロシク( ゜ー゜)/゜*゛:¨*;.・';゛:..・お願いします。
返信有難うございます
あなたの記事に対するきわめて個人的感想。
気を悪くしないで聞いてね。
「父なる神と血縁の父!!うーん。
父なる神は血縁の父の否定とまでは行かなくとも、少なくとも軽視の上に成り立っているのだがなあ。軽視というより存在の無化により近い。ユダヤは母系社会だし。ほとんどの歴史を他国からの抑圧の中にあったユダヤでは、女は強姦されたりするのしょっちゅうだったはずだし。父系なんて無意味な社会だったからねえ。そんな子供が父なる神の子。
父なる神と血縁の父って実はものすごく遠い概念だよ。
でも日本の教会ってこんな事教えないんだよなあ。何故か知らないけどきれいごとばかり。これはキリスト教の問題ではなく日本と日本人の問題。わたしもその風潮に窒息しそうな気持を抱いている一人だが。」
ところで、「3歳ぐらいまで大切にされていたのかもしれません。けれど、弟が生まれたときにそれは消えてなくなったかも知れない」とありますが、それってやっぱり存在不安でしょう。人間の価値は存在そのものにある。誰かにとっての必要のためではありません。それが認めてもらえない状況そのものが苦痛の原因となる。
最後に
ドグマとは独断です。
証明は不能かつ不要。
神は存在する。
神はその御一人子を賜るほど人間を愛された。
神は母の胎に私を作った。
全て証明不能。でもこう言ってはばからないのが
キリスト教。
逆にそれは間違っていると言う人の意図は何?人間の価値を否定し、その人間をモノとして使用し消費しようとしているだけじゃないの?それが正しい事だと証明できるのか?
その証明もまた不能!!
どうもあなたも私もペテンにかけられていたと言う事なんだと思うよ。
あなたにも私にも人間としての尊厳が無いから、親たちによって使用され消費されて当然だ。自分たちに人間としての尊厳があると言うなら証明してみろ。できないだろう。
ずっとそのような意味のことをいわれ続けてきたような気がする。でも、私たちに人間としての尊厳が無い事も証明できない。その証明をせずに私たちが自分たちの尊厳の証明ができないことだけに注目が行くように仕向けられていた。
誰がペテンにかけた。
もちろん親たちだよ。
自分たちが子供を使用し、消費する事を正当化するため。意識していたかどうか知らないが、無意識下の意思もまた意思。
私自身の中に親との和解を希望する心はあります。だが、それが決してかなわない事も知っている。和解は子供側の一方的な努力ではできないからね。
好き勝手な事を書きました。
ここまで読んでくれて有難う。
これからも情報交換など出来るとうれしく思います。
遠い人さんへ
また、これから・・だとは思うけれど、今は現実をこなすことで精一杯かな。
私は感覚的に生きてるから、聖書のことも知っていることと、知らない事があります。
本はとても読むのが早いんですが、5回くらい読まないと知りえる情報が少ないのです。5人人格がいる分、それぞれが納得しないと知識として受け入れないと言えば想像がつくでしょうか?
今、来月の初めにある「ユニバーサル上映祭」の準備でとても忙しいです。
それが終わったらゆっくり考えます。
申し訳ありません。
私は言葉を聞いただけで混乱(頭の中が)する時があります。
その言葉は今のところ「父」「いたづら」「感謝」「ありがたく思う」「親なんだから」・・・。
この日本語は一度聞いて概念を確認しないと間違った意味で聞いてしまうことが多いです。
仕事をしているときは、そうでもないのですが・・・。