虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/02/01 (Sat)
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- 2009/09/21 (Mon)
白百合高校吹奏楽団の定期演奏会
金曜日に、妹の住んでいる札幌に行き、この演奏会を聴くために戻ってきた。
第2子が生まれて、私は初のご対面。
娘と、夫は夏休みに逢いに行っていて、私は「はじめまして」 だった。
夏は、肩が動かないのと、妹と喧嘩してしまうかもしれないと思っていたので、遠慮したんだ。
どっちも、人をあおるような口調になるの(笑)
私が何もわからない時に、子育てをしていたから、私のあまり好きじゃないところがお互いにぶつかり合ってしまう。
ながいこと、姉妹をしているのだけれど、どちらも言葉を「マイナス」で捉えてしまう習慣があるので、いつも言い合いのようになる。
悲しい習慣だと思っている。
言葉の暴力、力づくでのしつけ。(体罰ともいいます)
その反省があって、まーさんには、叩かないを基本にしているけれど、記憶のかぎりでは、3回ほど、パシン!としてしまった。Y(>_<、)Y ヒェェ!
妹をみてて、頑張ってるのもよくわかったし、いいかあちゃんしているな・・といつも思って見ている。
頑張りを痛くも感じる。
たとえ、愛のある拳骨だって痛い。
そして、それは増殖していく。
エスカレートしていく。
自分が育てられたように、子どもを育てる。
本当に妹には「ごめん」の言葉しかでない。
その札幌で、弟の子どもが少し発達が遅れているかもしれないと聴いた。
いつもの私だったら、連絡を取ったり、アドバイスをしたりしていると思うけれど、私は弟が怖い。父を思い出すから。
発達が遅れている要因になっているものも、思い当たらないわけでもないけれど、近寄れない。
怖いから。
その弟にもごめんって思う。
近くによると、フラッシュバックするのがわかるし、自分が不安定になるもの想像が出来る。
こう考えると、大人のモデルって大事だなぁとしみじみわかる。
そんな気持ちを持ちながら。
札幌からなみさんにメールをした。
「白百合の演奏会に行かない?招待状をもらっているんだ」
いままで、人ゴミとか疲れるかもしれないと思って、言わないで来たんだけれど、それはなみさんに選んでもらったらいいんだと思って、メールした。
返事は「行きたいかも?」。
仕事が終わってから、連絡が来た。
丁度JRに乗るために新札幌の駅だったけれど、すぐ電話をして、迎えに行く場所の確認をして、確実に逢える場所を教えてもらった。
私も方向音痴だし。
白百合の吹奏楽の面白いと思うところは、2部3部は生徒たちがいろんな工夫をして、楽しい音楽を発信しているところ。
今年も、間際になって「生徒がやっぱり手話で歌いたい」って言っているので、いつでもいいから、指導に来て欲しいと9月になってから電話が来た。
まーさんと、私で2度訪問させてもらった。
まーさんは
「今年は手話で歌わないのかな?」と少し寂しそうだったから、喜んで出かけた。
去年は、一緒に舞台に立っていたので正面から彼女たちをみることはDVDができてからだったので、今年は一人ひとりの顔と楽器をもっている姿を拝見できて、よかった。
特に3年生が頑張っている姿はキラキラしていて、素敵だった。
まーのお友達が、ちょっとミスをしたのを本人がこらえながら、演奏を続けていた。
それを3年生が「大丈夫」をメッセージを送りながら、勇気付けていた。
それを見ながら、まーが「M頑張れ、M頑張れ」と言葉にだして、見守っていた。
私は思う。
大人の役割は、見守ること。
踏ん張っている姿とただ見守ること。
あれがだめ。これがだめと言わずに、見守ること。
精一杯頑張っている時には、その子どもの持っている力を信じること。
なみさんが25日札幌の病院に経過を見てもらうために検査にいくこと、そしてその日がたまたまライブがあったこと、そしてその仲間が「だったら・・・」と言う話でライブに参加するんだ・・・・と教えてくれた。
そのd(゜-^*) ナイス♪なタイミング。
そして、それをすごく楽しみにしているのがわかった。
金曜にあったなみさんの復活の歌は私はJRの中だった。
聴きたかったなと思いつつ、「本人が喜んでくれたのが一番」という言葉を聴いて「そうだね」と思った。
届けたい人に届けるのが一番。
白百合の合唱はきれいだったし、気持ちが伝わってきた。
後ろの席の子が、「うちらもやりたい」と会話していた。
そうやって広がっていけば、いつか音楽が聴こえない人に届くのかもしれない。
駐車場までの道のりを二人で歩いていて、音楽は「アンサンブルなんだよね」となみさんの言葉でひとつ気がついた。
私も自分の中の他の人格さんと「アンサンブルを奏でたらいいのかもしれないな」と・・・・。
昨日は、私がなみさんから、処方箋をもらったな。ありがとう。
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第2子が生まれて、私は初のご対面。
娘と、夫は夏休みに逢いに行っていて、私は「はじめまして」 だった。
夏は、肩が動かないのと、妹と喧嘩してしまうかもしれないと思っていたので、遠慮したんだ。
どっちも、人をあおるような口調になるの(笑)
私が何もわからない時に、子育てをしていたから、私のあまり好きじゃないところがお互いにぶつかり合ってしまう。
ながいこと、姉妹をしているのだけれど、どちらも言葉を「マイナス」で捉えてしまう習慣があるので、いつも言い合いのようになる。
悲しい習慣だと思っている。
言葉の暴力、力づくでのしつけ。(体罰ともいいます)
その反省があって、まーさんには、叩かないを基本にしているけれど、記憶のかぎりでは、3回ほど、パシン!としてしまった。Y(>_<、)Y ヒェェ!
妹をみてて、頑張ってるのもよくわかったし、いいかあちゃんしているな・・といつも思って見ている。
頑張りを痛くも感じる。
たとえ、愛のある拳骨だって痛い。
そして、それは増殖していく。
エスカレートしていく。
自分が育てられたように、子どもを育てる。
本当に妹には「ごめん」の言葉しかでない。
その札幌で、弟の子どもが少し発達が遅れているかもしれないと聴いた。
いつもの私だったら、連絡を取ったり、アドバイスをしたりしていると思うけれど、私は弟が怖い。父を思い出すから。
発達が遅れている要因になっているものも、思い当たらないわけでもないけれど、近寄れない。
怖いから。
その弟にもごめんって思う。
近くによると、フラッシュバックするのがわかるし、自分が不安定になるもの想像が出来る。
こう考えると、大人のモデルって大事だなぁとしみじみわかる。
そんな気持ちを持ちながら。
札幌からなみさんにメールをした。
「白百合の演奏会に行かない?招待状をもらっているんだ」
いままで、人ゴミとか疲れるかもしれないと思って、言わないで来たんだけれど、それはなみさんに選んでもらったらいいんだと思って、メールした。
返事は「行きたいかも?」。
仕事が終わってから、連絡が来た。
丁度JRに乗るために新札幌の駅だったけれど、すぐ電話をして、迎えに行く場所の確認をして、確実に逢える場所を教えてもらった。
私も方向音痴だし。
白百合の吹奏楽の面白いと思うところは、2部3部は生徒たちがいろんな工夫をして、楽しい音楽を発信しているところ。
今年も、間際になって「生徒がやっぱり手話で歌いたい」って言っているので、いつでもいいから、指導に来て欲しいと9月になってから電話が来た。
まーさんと、私で2度訪問させてもらった。
まーさんは
「今年は手話で歌わないのかな?」と少し寂しそうだったから、喜んで出かけた。
去年は、一緒に舞台に立っていたので正面から彼女たちをみることはDVDができてからだったので、今年は一人ひとりの顔と楽器をもっている姿を拝見できて、よかった。
特に3年生が頑張っている姿はキラキラしていて、素敵だった。
まーのお友達が、ちょっとミスをしたのを本人がこらえながら、演奏を続けていた。
それを3年生が「大丈夫」をメッセージを送りながら、勇気付けていた。
それを見ながら、まーが「M頑張れ、M頑張れ」と言葉にだして、見守っていた。
私は思う。
大人の役割は、見守ること。
踏ん張っている姿とただ見守ること。
あれがだめ。これがだめと言わずに、見守ること。
精一杯頑張っている時には、その子どもの持っている力を信じること。
なみさんが25日札幌の病院に経過を見てもらうために検査にいくこと、そしてその日がたまたまライブがあったこと、そしてその仲間が「だったら・・・」と言う話でライブに参加するんだ・・・・と教えてくれた。
そのd(゜-^*) ナイス♪なタイミング。
そして、それをすごく楽しみにしているのがわかった。
金曜にあったなみさんの復活の歌は私はJRの中だった。
聴きたかったなと思いつつ、「本人が喜んでくれたのが一番」という言葉を聴いて「そうだね」と思った。
届けたい人に届けるのが一番。
白百合の合唱はきれいだったし、気持ちが伝わってきた。
後ろの席の子が、「うちらもやりたい」と会話していた。
そうやって広がっていけば、いつか音楽が聴こえない人に届くのかもしれない。
駐車場までの道のりを二人で歩いていて、音楽は「アンサンブルなんだよね」となみさんの言葉でひとつ気がついた。
私も自分の中の他の人格さんと「アンサンブルを奏でたらいいのかもしれないな」と・・・・。
昨日は、私がなみさんから、処方箋をもらったな。ありがとう。
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Comments
ありがとう誘ってくれて
また、いつでも誘ってください
アンサンブル
指揮者のようにアンサンブルをつくりだせばいいんだよ きっと
そうなんだね。きっと
自分が楽しんで、それを見てもらおうと思いました。
ありがとう。