虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/27 (Mon)
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- 2010/03/22 (Mon)
虐待を受けたものの、子育ての迷い
雑感です。
私には、何人がリアルな友人で、子どもの私が受けた暴力について語れる時間があります。
それは、電話だったり、直接あえて話が出来たりして、私にもその友人たちにも、貴重な時間だと思う。
今であれば、発見してもらえるような状況だったり、発見されても、その後の対応が間違っていたりで、私たちの感覚というのは、かなりマヒしていると思う。
昨日、電話で話をしてて思ったことは、「一見なんでもないように見える」子ども、たとえば学力が優秀で、真面目に学校生活を過ごしてきた、逆にいうとそうせざるを得ない状況を強いられる
たとえば、100点を取ってこないと、家に入れてもらえないそんな境遇で育った友人。そして、そればねにして、自分の目指した大学に入り、目指した職業を経て、子育てをしている。
初めてであったことは、「子どもをかわいいと思えないの」と目にいっぱい涙をためていた。
うつで、入院したこともあって、とても苦しそうだった。
けれど、実家に子どもを預けると「自分と同じになる」と思い、無理して退院をして、自分のもとに子どもを連れてきた。
私は彼女が好きだ。
一生懸命だし、勉強家だし、とってもかわいいと思う。
母をとても頑張ってこなしながら、仕事もしている。
子どもを突き飛ばす…なんてことをしたことがない人にはわからないと思うけれど、私たちは大好きな自分の子どもに「嫉妬」をする感情がいつも渦巻いていて、それをおさえるのに必死である。
自分とは同じになってほしくない。
それを実現させるのに、すごく必死である。
傍からみたら、「同じなわけじゃない」のに、必死で、自分を責める。
大きな声で話したといっては、落ちこみ、もっと違う方法はなかったのかと自分を責める。
けれど、子どもの一言、一言にも傷つき、また責める。
大人だから、受け止めようと、それも必死になる。
機能不全じゃない家庭がよくわからないから、どれが正しいんだろうと不安だし、人からどう思われているのか?と気になる。
私は私のスタンスで子育てをしているんだからと、誰にも出来ないことをしているという自負はあるものの、いつも迷う。
そのうち自分が自分の中で迷子になる。
これが、誰にも助けてもらえなかった子どもの姿だと思う。
自分が一番ひどい扱いを受けてたなんて思わないけれど、水面下でもがいていた子どもの苦しさ、やっとの思いで生き延びてきた子どもの苦しさ、それを誰が受け止めないでいられるのだろうと考えた時に、自分しかいない現実が苦しい。
自分を育てることと、自分の娘を育ていることを同時進行していかなければならない、その苦しさは、きっとその立場で考える人にしかわからない。
私は子どもの時から、母親であった。
母親の役割をしてもらっていないのに、母業をしている。
それは今でも変わらない。
よくわからないまま、親になるってとても大変なこと。
きっと、一般的な人はこんなことで悩まないだろう。
けど、私は苦しい。
取るに足りない母であることがとても苦しい。
そのわりにはまーさんはたくましく育っていると思うけど、やっぱり「ごめんね」と思うのだ。
誰しも迷いながらの子育てであるとは思うけれど、私にはいつまでたっても安心がないまま時間が過ぎる。
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私には、何人がリアルな友人で、子どもの私が受けた暴力について語れる時間があります。
それは、電話だったり、直接あえて話が出来たりして、私にもその友人たちにも、貴重な時間だと思う。
今であれば、発見してもらえるような状況だったり、発見されても、その後の対応が間違っていたりで、私たちの感覚というのは、かなりマヒしていると思う。
昨日、電話で話をしてて思ったことは、「一見なんでもないように見える」子ども、たとえば学力が優秀で、真面目に学校生活を過ごしてきた、逆にいうとそうせざるを得ない状況を強いられる
たとえば、100点を取ってこないと、家に入れてもらえないそんな境遇で育った友人。そして、そればねにして、自分の目指した大学に入り、目指した職業を経て、子育てをしている。
初めてであったことは、「子どもをかわいいと思えないの」と目にいっぱい涙をためていた。
うつで、入院したこともあって、とても苦しそうだった。
けれど、実家に子どもを預けると「自分と同じになる」と思い、無理して退院をして、自分のもとに子どもを連れてきた。
私は彼女が好きだ。
一生懸命だし、勉強家だし、とってもかわいいと思う。
母をとても頑張ってこなしながら、仕事もしている。
子どもを突き飛ばす…なんてことをしたことがない人にはわからないと思うけれど、私たちは大好きな自分の子どもに「嫉妬」をする感情がいつも渦巻いていて、それをおさえるのに必死である。
自分とは同じになってほしくない。
それを実現させるのに、すごく必死である。
傍からみたら、「同じなわけじゃない」のに、必死で、自分を責める。
大きな声で話したといっては、落ちこみ、もっと違う方法はなかったのかと自分を責める。
けれど、子どもの一言、一言にも傷つき、また責める。
大人だから、受け止めようと、それも必死になる。
機能不全じゃない家庭がよくわからないから、どれが正しいんだろうと不安だし、人からどう思われているのか?と気になる。
私は私のスタンスで子育てをしているんだからと、誰にも出来ないことをしているという自負はあるものの、いつも迷う。
そのうち自分が自分の中で迷子になる。
これが、誰にも助けてもらえなかった子どもの姿だと思う。
自分が一番ひどい扱いを受けてたなんて思わないけれど、水面下でもがいていた子どもの苦しさ、やっとの思いで生き延びてきた子どもの苦しさ、それを誰が受け止めないでいられるのだろうと考えた時に、自分しかいない現実が苦しい。
自分を育てることと、自分の娘を育ていることを同時進行していかなければならない、その苦しさは、きっとその立場で考える人にしかわからない。
私は子どもの時から、母親であった。
母親の役割をしてもらっていないのに、母業をしている。
それは今でも変わらない。
よくわからないまま、親になるってとても大変なこと。
きっと、一般的な人はこんなことで悩まないだろう。
けど、私は苦しい。
取るに足りない母であることがとても苦しい。
そのわりにはまーさんはたくましく育っていると思うけど、やっぱり「ごめんね」と思うのだ。
誰しも迷いながらの子育てであるとは思うけれど、私にはいつまでたっても安心がないまま時間が過ぎる。
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Comments
同じです
本を読んだり、考えたりしても、「普通」はどうなんだろう、「普通」ってどんなのなんだろう、が、解らない。きっと何もなく育っても、子育ては不安なもの。自分自身の回復と子育て、さらに日常生活が同時進行。
客観的に自分が育った環境や過去を見て「こんなのでよく今までやってたなぁ」と改めて感じるように、「いま、この時」もきっと大変なんだろうと思うだけで実感はありません。
kasumiさんが言葉に起こしてくれるだけで、「自分だけじゃない」と心が和らぎます。いつもありがとう。
Re:同じです
こんばんは。いつもコメントありがとう。
>本を読んだり、考えたりしても、「普通」はどうなんだろう、「普通」ってどんなのなんだろう、が、解らない。きっと何もなく育っても、子育ては不安なもの。自分自身の回復と子育て、さらに日常生活が同時進行。
多分普通っていう尺度は世の中に存在しないと思うんだけれど、きっとそれぞれが普通だと思って育っているんだと思うんです。
けれど、虐待を受けたとわかったら、「普通じゃない」っていうのがわかってしまって、混乱しているんだと思うのです。
あ・・私の場合ですね。
>客観的に自分が育った環境や過去を見て「こんなのでよく今までやってたなぁ」と改めて感じるように、「いま、この時」もきっと大変なんだろうと思うだけで実感はありません。
そうなのよね。
私は虐待の大御所のセラピスト二人から、「かなりの機能不全家庭で、よく生きてきたね」と言われて、そうなんだ・・・・と、人ごとのようにも思ったり、「そうなのに気付いてくれない!!」って怒っている人がいたりで、泣いたりわめいたりしながら、ひょうひょうとしている自分もいて、よくわからないです。(笑)
>kasumiさんが言葉に起こしてくれるだけで、「自分だけじゃない」と心が和らぎます。いつもありがとう。
そうだね、自分だけじゃないっていうのはとっても大切なことだけど、それを超えると、「自分の境遇ってたいした問題じゃない」ってならないように気をつけています。
嘆くのは終わったつもりだけれど、時々揺れるのは、事実なので、「平気」ではないことを自分に言い聞かせるつもりで記事にしました。