虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/31 (Fri)
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- 2009/10/02 (Fri)
転載記事 忘れてはいけない日
日本人って、他人事のようになんでも振舞う。
オウムのサリンにしても、この事故にしてもそうだ。
戦争だって・・・。
先日「白旗の少女」を娘とくいるようにテレビをみた。
実際はもっとひどいだろうと思いながら・・・・・。
沖縄に行ってみなければあの基地のおそろしさを知らない。
ひめゆりだって、美徳のように語られているけれど生き証人の人たちは、今もなお語るのが苦しそうだった。
長崎の記念館にしても、そうだと思う。
現実はもっとひどいんだろうと、私はそこにいて苦しかった。
世界でたった一つしかない被爆国であるのに、「安全性」しか表に出さない。
原子力発電だって本当に必要なのかな?
函館が一番近い都市であるのに、函館の人はまるっきり関心のない処理施設。
みえないものからは、逃れない。
逃げたいのに逃げられない経験のない人たちは、わからないのかもしれない。
それもこれも、暴力だと私は思う。
事実を知らされないことによって、逃れられない暴力と戦わなければならないなんて理不尽だと思う。
その理不尽さを抱えて生きていくってどう言うことかを知らない人たちが勝手に決めていくんだ。
性暴力だって、虐待だって、逃れられなかった人たちの叫びを聴いてくれる場所なんてない。
まるで、「逃げなかった」ことが悪いって言われるようで、語れないし、事細かに書くと、それを読んで喜ぶ人に楽しみを与えてしまうから、書けない。
私は逃げていいと知らなかった。
逃げる場所があるなんて知らなかった。
だから黙って耐えているうちに、交代人格ができた。
そうでもしても、私は「生きたい」と願ったから。
小さいkasumiを助けようとして、自覚のない私自身を助けるために、何人も交代しながら命を繋げた。いや、繋げてくれた。
けど、そうじゃない私を経験できるなら、一日私を体験したい。
いつもそう思う。
交代人格は邪魔じゃないけれど、悲しいと感じてしまう自分もいるんだ。
これが私。これが個性。これが本当の私。
いろんな人に助けてもらった命だから、もう少し楽しもうと思う。
でもね、一人でいられるあなたがうらやましいと思うのも、事実。
今、いろんな人格が交代してて、あちこちメロディを考えている。頭が痛い。
けど、録音して繰り返し聴いて、楽譜に起こそうとしているの。
つぎはぎだけれど、誰かの力を借りて、ひとつにするんだ。
絶対これは、作り上げる。
児童ポルノが大罪であるってことを知らない人が多すぎて、私はいつもクラクラする。
自分の子どもを・・・。
差し出せる親がいるなんてと、避難するのは簡単だけれど、治療施設だってない日本。
被害者も治療ができない。加害者の治療もできない。
精神科なんて、まだまだ力が及ばない。
いつも、簡単に言われるけれど、治せるんだった治して見やがれ・・・。(笑)
Drなんて、クライエントの後からついて来るんだ。
薬見つかった。・・・・っていうより、仕方がないな・・・って出してくれた感じ。
疲れてるから・・・ってDrは、延々と9年間私に言う。
けど、それって私の責任かよ。
私が悪いのかよ。
・・・と言いたくなる金曜日の雨の日の午後です。
オウムのサリンにしても、この事故にしてもそうだ。
戦争だって・・・。
先日「白旗の少女」を娘とくいるようにテレビをみた。
実際はもっとひどいだろうと思いながら・・・・・。
沖縄に行ってみなければあの基地のおそろしさを知らない。
ひめゆりだって、美徳のように語られているけれど生き証人の人たちは、今もなお語るのが苦しそうだった。
長崎の記念館にしても、そうだと思う。
現実はもっとひどいんだろうと、私はそこにいて苦しかった。
世界でたった一つしかない被爆国であるのに、「安全性」しか表に出さない。
原子力発電だって本当に必要なのかな?
函館が一番近い都市であるのに、函館の人はまるっきり関心のない処理施設。
みえないものからは、逃れない。
逃げたいのに逃げられない経験のない人たちは、わからないのかもしれない。
それもこれも、暴力だと私は思う。
事実を知らされないことによって、逃れられない暴力と戦わなければならないなんて理不尽だと思う。
その理不尽さを抱えて生きていくってどう言うことかを知らない人たちが勝手に決めていくんだ。
性暴力だって、虐待だって、逃れられなかった人たちの叫びを聴いてくれる場所なんてない。
まるで、「逃げなかった」ことが悪いって言われるようで、語れないし、事細かに書くと、それを読んで喜ぶ人に楽しみを与えてしまうから、書けない。
私は逃げていいと知らなかった。
逃げる場所があるなんて知らなかった。
だから黙って耐えているうちに、交代人格ができた。
そうでもしても、私は「生きたい」と願ったから。
小さいkasumiを助けようとして、自覚のない私自身を助けるために、何人も交代しながら命を繋げた。いや、繋げてくれた。
けど、そうじゃない私を経験できるなら、一日私を体験したい。
いつもそう思う。
交代人格は邪魔じゃないけれど、悲しいと感じてしまう自分もいるんだ。
これが私。これが個性。これが本当の私。
いろんな人に助けてもらった命だから、もう少し楽しもうと思う。
でもね、一人でいられるあなたがうらやましいと思うのも、事実。
今、いろんな人格が交代してて、あちこちメロディを考えている。頭が痛い。
けど、録音して繰り返し聴いて、楽譜に起こそうとしているの。
つぎはぎだけれど、誰かの力を借りて、ひとつにするんだ。
絶対これは、作り上げる。
児童ポルノが大罪であるってことを知らない人が多すぎて、私はいつもクラクラする。
自分の子どもを・・・。
差し出せる親がいるなんてと、避難するのは簡単だけれど、治療施設だってない日本。
被害者も治療ができない。加害者の治療もできない。
精神科なんて、まだまだ力が及ばない。
いつも、簡単に言われるけれど、治せるんだった治して見やがれ・・・。(笑)
Drなんて、クライエントの後からついて来るんだ。
薬見つかった。・・・・っていうより、仕方がないな・・・って出してくれた感じ。
疲れてるから・・・ってDrは、延々と9年間私に言う。
けど、それって私の責任かよ。
私が悪いのかよ。
・・・と言いたくなる金曜日の雨の日の午後です。
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