虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/23 (Thu)
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- 2010/12/31 (Fri)
ボランティアスピリットアワード・文部科学大臣賞に行きつくまで。
12月25日の朝、7時半に家を出て、さて・・・函館空港へ。
やっぱり東京からの飛行機は着陸していなかった。
家の前でも20センチくらいの積雪があったから、雪かきが間に合わないだろうなぁ・・・と思っていた。
着陸してくれないと、こちらからはナイトステイのない空港だから、飛びようがない。
なんとか、降りてきて~~~と祈りながら、飛行機に搭乗している人も気が気じゃないだろうなと想像しながら、待つこと2時間。
やっと、着陸してきて、さて・・・。
けれど、積雪と、風が邪魔して、飛べるかどうか調査中という放送ばかりが流れる。
欠航なら、すっきり別の方法を考えるのだけれど、大阪のほうの全国大会のスタッフとメールしながら、遅れてもいいから、「来て!」という言葉に背中を押される。
先にJALが10分先に飛び立った。それでも、2時間は遅れていた。
さあ・・・と、思っていたら、雪かきが始まった。それに1時間。
さて搭乗案内があり、飛行機に乗ったのはよいけれど、滑走路に出てからの横風がひどかった。
これじゃ、飛べないなと思っていたら案の定、空港まで戻ることになり、一度座ったのに、おろされた。
そこから、また1時間。
雪かき。
でも、搭乗口から見てると、必死に車を動かしている人たちがいた。
ものすごい勢いで雪をどけて、何とか飛ばそうとしている姿があった。
頑張れ~~って、思った。
そして、8時50分発が15時になって搭乗が開始された。
羽田で乗り継ぎで伊丹だったため、何度も乗り換えの飛行機を変更した。
いざ乗れるとなったときには、乗り継ぎの手配が間に合わないほどのめまぐるしさだった。
羽田に着きエア道の職員が待機して羽田空港を走る。
しかし、3分差で間に合わず。
結局会場に着いたのは、20時半。
今年から、アメリカの親善大使はブロック賞をもらったメンバーがグループワークや、活動の発表をして、自分たちで投票して選ぶ形になっている。
一日目の行程にほとんど参加していないまーさんは、自分は選ばれないことを知りつつ、自分の活動を息も切らしながら報告していた姿には涙がでた。
最善のことを尽くす。
それがまーさん。
その後のグループワークにも、周りが「たいへんやったろう」と声を掛けてくれたことと、本人なりに早く遅れを取り戻そうと努力していた。
二日目の発表も周りの保護者から、「素敵な娘さんですね」といわれた。
表彰式は、北海道・東北ブロックが最初なので、旗手を務めていた。
ブロック奨励賞には、北海道・東北ブロックは誰も入らず、ちょっと残念だった。
いよいよ、文部科学大臣賞の発表のときに、私は司会者の口元をみた。
口話が読み取れるって便利や。笑
2人選ばれることになっていて、最初の人は関東の人だった。
さて、もう一人・・・。
北海道のほが見てた。
おお~~同じブロックの誰かだ。
そして、鈴木のすの形が見えた。
そして、きいた。
すずき まなさん。
本人はまだ気がついてない。
私は背中を押した。
まーのことだよ。
やったね。
その後のインタビューも素敵だった。
来年のポスターには受賞者全員が写っている写真を使うそうだ。
賞が欲しくて活動しているわけでないのはモチロンだけれど、認められるってことがとても嬉しい。
そして、まーさんには、全国に友人ができた。
ミュージックサインも全国に広がった。
表彰式では、ブロックのときに、使ったPVが少しだけれど流れた。
編集してあるものだったので、少し画像が荒かったけれど、リボンやおーちゃん、かほが映っていた。
長い長い大阪の旅立だったけれど、よかったね。
2人で抱き合った。
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やっぱり東京からの飛行機は着陸していなかった。
家の前でも20センチくらいの積雪があったから、雪かきが間に合わないだろうなぁ・・・と思っていた。
着陸してくれないと、こちらからはナイトステイのない空港だから、飛びようがない。
なんとか、降りてきて~~~と祈りながら、飛行機に搭乗している人も気が気じゃないだろうなと想像しながら、待つこと2時間。
やっと、着陸してきて、さて・・・。
けれど、積雪と、風が邪魔して、飛べるかどうか調査中という放送ばかりが流れる。
欠航なら、すっきり別の方法を考えるのだけれど、大阪のほうの全国大会のスタッフとメールしながら、遅れてもいいから、「来て!」という言葉に背中を押される。
先にJALが10分先に飛び立った。それでも、2時間は遅れていた。
さあ・・・と、思っていたら、雪かきが始まった。それに1時間。
さて搭乗案内があり、飛行機に乗ったのはよいけれど、滑走路に出てからの横風がひどかった。
これじゃ、飛べないなと思っていたら案の定、空港まで戻ることになり、一度座ったのに、おろされた。
そこから、また1時間。
雪かき。
でも、搭乗口から見てると、必死に車を動かしている人たちがいた。
ものすごい勢いで雪をどけて、何とか飛ばそうとしている姿があった。
頑張れ~~って、思った。
そして、8時50分発が15時になって搭乗が開始された。
羽田で乗り継ぎで伊丹だったため、何度も乗り換えの飛行機を変更した。
いざ乗れるとなったときには、乗り継ぎの手配が間に合わないほどのめまぐるしさだった。
羽田に着きエア道の職員が待機して羽田空港を走る。
しかし、3分差で間に合わず。
結局会場に着いたのは、20時半。
今年から、アメリカの親善大使はブロック賞をもらったメンバーがグループワークや、活動の発表をして、自分たちで投票して選ぶ形になっている。
一日目の行程にほとんど参加していないまーさんは、自分は選ばれないことを知りつつ、自分の活動を息も切らしながら報告していた姿には涙がでた。
最善のことを尽くす。
それがまーさん。
その後のグループワークにも、周りが「たいへんやったろう」と声を掛けてくれたことと、本人なりに早く遅れを取り戻そうと努力していた。
二日目の発表も周りの保護者から、「素敵な娘さんですね」といわれた。
表彰式は、北海道・東北ブロックが最初なので、旗手を務めていた。
ブロック奨励賞には、北海道・東北ブロックは誰も入らず、ちょっと残念だった。
いよいよ、文部科学大臣賞の発表のときに、私は司会者の口元をみた。
口話が読み取れるって便利や。笑
2人選ばれることになっていて、最初の人は関東の人だった。
さて、もう一人・・・。
北海道のほが見てた。
おお~~同じブロックの誰かだ。
そして、鈴木のすの形が見えた。
そして、きいた。
すずき まなさん。
本人はまだ気がついてない。
私は背中を押した。
まーのことだよ。
やったね。
その後のインタビューも素敵だった。
来年のポスターには受賞者全員が写っている写真を使うそうだ。
賞が欲しくて活動しているわけでないのはモチロンだけれど、認められるってことがとても嬉しい。
そして、まーさんには、全国に友人ができた。
ミュージックサインも全国に広がった。
表彰式では、ブロックのときに、使ったPVが少しだけれど流れた。
編集してあるものだったので、少し画像が荒かったけれど、リボンやおーちゃん、かほが映っていた。
長い長い大阪の旅立だったけれど、よかったね。
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