虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/23 (Thu)
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- 2010/09/22 (Wed)
母を赦せる日が来るのかも?
親孝行(一般的な)をしたいと願っている人は、きっと親に感謝できて、素直に育ててくれてありがとう・・・っておもえるんだろうんぁ・・・と、なんとなく「いいなぁ・・・」と思う。
私は両親を反面教師にして、まーさんが私のところへ、「こんにちは!」ってきたくれた時は、本当に小さくて、かわいくて、目に入れても痛くないってこういう事かな?と、毎日沿い寝したり、本を何十冊も読んだりしてた。
お互いの鼻をくっつけてスリスリしながら、「まーちん、大好き」「ママ大好き~~」とか、大好きなぬいぐるみをつかって、「まーちん、あさですよ~起きてください~^^」とか劇団michieして遊びながら、起こしたり、なにかにつけて、「さ~すが、まーちんだねぇ」と夫とともに「さ~すが」といっていた。
ある時、お風呂で、髪を洗っていた時に、「さ~すがっていってぇ~~~」と催促されて、あわてたこともあった。
ことあるごとに、私は娘をほんとうにかわいいと思うのに、なぜ私の母はそう思えなかったのだろう?と、考えるようになった。
私が母から聞いた言葉の中に、「michieは細くて、小さくて、色が黒くて可愛げがない」と言うのがある。
これは、大人になって我が夫が私を手話通訳者として、とても頑張っていることなどを伝えても、変わらなかった。
褒めれば褒めるほど、同じ言葉がかえってくる。
もう彼女は2年前に亡くなって、もうすぐ3年になるけれど、私はそばに行かなかった。
最後に交した言葉は、このブログにも書いていあるけれど、5年くらい着信拒否にして、会話をせず、届く小包も本当なら受け取り拒否にもしたいくらいだったけれど、学生時代は助かったけど、日常に困らない私になっていたので、同時に入ってくる雑巾のような服や、ギトギトしているご飯ですよの食べかけ、ジャム・・・・。
新品のものも入って入るし、折り紙、画用紙、海苔、マヨネーズは、母がなくなってから買いに行っているので、それで、ああ・・いないんだなと、思う事が時々ある。
だれそれが、出世した、だれそれの孫がどこだか大学に入ったとか、卒業したけれどたいした会社には入れなかった・・・のオンパレードの人だった。
私は、親戚中でお利口さんの高校には入れなかった。
だから、進学できる学校も限られていて、かろうじて保育の短大か専門学校にという道があって、それでも学費だけ出してもらうことにしたので、生活を考えると、専門学校にっておもった。
同じ資格が取れればいいと思っていたから。
けど違ったのよね、給料や、卒業後の扱い。でも私は卒業したあの学校で楽しかった。
それで、なんで母を赦してもいいかな…という気になったのか?ということだけれど、昨日夕方練習が始まり、明日歌うんだというタッカが、以前から作り始めていた星(ハナ)という新しい曲ができたんだといって聞かせてくれた。
たぶん、来週にはそのライブの事が記事になると思うので歌詞の中身とか、その曲を作るきっかけとか、さらっとは聴いているけれど、想像でしかないので、はしょるけれど、大切な人を4人続けて看取って、今生きている女性の自分白書を読んでできた曲。
聴いているうちに涙が出て来て、「ごめんね」って声が聞こえてきたような気がしたのだ。
そして、2回頭をなでられた感触が今でも残っている。
そうなの、私は「michieは、良く頑張ってるね」って一言欲しかっただけなの。
彼女の「自慢の娘になりたかった」
お母さんの娘で良かった・・・って私の言いたかった言葉なんだ。
私のトラウマは赤ちゃんの時から、うっすらと母である彼女が、私を見てオロオロしている姿が見える。
多分精神疾患とか、発達障がいとか、いろいろもっていたんだろうと思う。
いまならサポートなしで、子育てしていたんだろうと思えば、「大変だっただろう」と想像がつく。
どう子どもを育てていいかわからない人には、たくさんの支援が必要なことは大切だと思う。
タッカが、「う~~涙がでてきちゃった」という私に「お母さんにありがとうって、言える人っていいよね・・・へっ!みたいな反応をするんじゃないかと、思っていた」と笑っていたけれど、自分もそう想像してたけれど、いい意味で違っていた。
一枚、一枚薄皮のようにはがれていくトラウマ。その度に泣いて、ボロボロになるくらい心が痛い。
ここまで死なないできた頑張りやのmichieちゃん、偉いね。さすが~~って言ってェと、まーさんが帰ってきたら、劇団michieをしてもらおう。
そして、自分に関わってくれる人、全てに感謝しよう。
そして悔いの残らない生き方、できますように。
この曲の伴奏はなんとなくできて、あとはなんどか煮詰めたらできるかな。(笑)
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私は両親を反面教師にして、まーさんが私のところへ、「こんにちは!」ってきたくれた時は、本当に小さくて、かわいくて、目に入れても痛くないってこういう事かな?と、毎日沿い寝したり、本を何十冊も読んだりしてた。
お互いの鼻をくっつけてスリスリしながら、「まーちん、大好き」「ママ大好き~~」とか、大好きなぬいぐるみをつかって、「まーちん、あさですよ~起きてください~^^」とか劇団michieして遊びながら、起こしたり、なにかにつけて、「さ~すが、まーちんだねぇ」と夫とともに「さ~すが」といっていた。
ある時、お風呂で、髪を洗っていた時に、「さ~すがっていってぇ~~~」と催促されて、あわてたこともあった。
ことあるごとに、私は娘をほんとうにかわいいと思うのに、なぜ私の母はそう思えなかったのだろう?と、考えるようになった。
私が母から聞いた言葉の中に、「michieは細くて、小さくて、色が黒くて可愛げがない」と言うのがある。
これは、大人になって我が夫が私を手話通訳者として、とても頑張っていることなどを伝えても、変わらなかった。
褒めれば褒めるほど、同じ言葉がかえってくる。
もう彼女は2年前に亡くなって、もうすぐ3年になるけれど、私はそばに行かなかった。
最後に交した言葉は、このブログにも書いていあるけれど、5年くらい着信拒否にして、会話をせず、届く小包も本当なら受け取り拒否にもしたいくらいだったけれど、学生時代は助かったけど、日常に困らない私になっていたので、同時に入ってくる雑巾のような服や、ギトギトしているご飯ですよの食べかけ、ジャム・・・・。
新品のものも入って入るし、折り紙、画用紙、海苔、マヨネーズは、母がなくなってから買いに行っているので、それで、ああ・・いないんだなと、思う事が時々ある。
だれそれが、出世した、だれそれの孫がどこだか大学に入ったとか、卒業したけれどたいした会社には入れなかった・・・のオンパレードの人だった。
私は、親戚中でお利口さんの高校には入れなかった。
だから、進学できる学校も限られていて、かろうじて保育の短大か専門学校にという道があって、それでも学費だけ出してもらうことにしたので、生活を考えると、専門学校にっておもった。
同じ資格が取れればいいと思っていたから。
けど違ったのよね、給料や、卒業後の扱い。でも私は卒業したあの学校で楽しかった。
それで、なんで母を赦してもいいかな…という気になったのか?ということだけれど、昨日夕方練習が始まり、明日歌うんだというタッカが、以前から作り始めていた星(ハナ)という新しい曲ができたんだといって聞かせてくれた。
たぶん、来週にはそのライブの事が記事になると思うので歌詞の中身とか、その曲を作るきっかけとか、さらっとは聴いているけれど、想像でしかないので、はしょるけれど、大切な人を4人続けて看取って、今生きている女性の自分白書を読んでできた曲。
聴いているうちに涙が出て来て、「ごめんね」って声が聞こえてきたような気がしたのだ。
そして、2回頭をなでられた感触が今でも残っている。
そうなの、私は「michieは、良く頑張ってるね」って一言欲しかっただけなの。
彼女の「自慢の娘になりたかった」
お母さんの娘で良かった・・・って私の言いたかった言葉なんだ。
私のトラウマは赤ちゃんの時から、うっすらと母である彼女が、私を見てオロオロしている姿が見える。
多分精神疾患とか、発達障がいとか、いろいろもっていたんだろうと思う。
いまならサポートなしで、子育てしていたんだろうと思えば、「大変だっただろう」と想像がつく。
どう子どもを育てていいかわからない人には、たくさんの支援が必要なことは大切だと思う。
タッカが、「う~~涙がでてきちゃった」という私に「お母さんにありがとうって、言える人っていいよね・・・へっ!みたいな反応をするんじゃないかと、思っていた」と笑っていたけれど、自分もそう想像してたけれど、いい意味で違っていた。
一枚、一枚薄皮のようにはがれていくトラウマ。その度に泣いて、ボロボロになるくらい心が痛い。
ここまで死なないできた頑張りやのmichieちゃん、偉いね。さすが~~って言ってェと、まーさんが帰ってきたら、劇団michieをしてもらおう。
そして、自分に関わってくれる人、全てに感謝しよう。
そして悔いの残らない生き方、できますように。
この曲の伴奏はなんとなくできて、あとはなんどか煮詰めたらできるかな。(笑)
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