虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/24 (Fri)
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- 2010/08/02 (Mon)
私の本音11
私はまだ、何もできない。
だから、kasumiに手伝ってもらいたい。
そう伝えてきた。
だから、書いているのはkasumi3(yochie)
捨てたもの。
親。これはこれから先もどうなってもいい。
捨てたのは、向こうだから。私はもう追わない。期待もしない。最後の会話もいらない。
理解もしない。
父には、早く死んでもらいたい。
そう願う。
私の前でちらちら親をして…とちらつかせるあの行為にもイライラする。
消えて。
いろんな人が言う。
彼がいて、私がいるのだと。
確かに生産的にはそうだけれど、感謝なんてしない。
できるのなら、こんなややこしい道を歩くのは嫌だった。
普通が欲しかった。
普通ってなに?と誰がに訪ねたことがあった。
10人いたとして、8ないし9人が自然に思うこと。
私はその8人の中に入りたかった。
DVもなく、離婚もなく、食卓に食事が並ぶ。家族の会話がある。
イキテイルことに、あたりまえに愛を感じて育ち、あたりまえに家庭を育み、あたりまえに愛をもった母になりたかった。
過去形の話だから、いまさらどうにもならないのは承知の上だ。
こんな私でもゆめがあった。
パイプオルガンを弾く。
音楽大学で音楽を学ぶ。
音楽を奏でる。
音楽の楽しさを教える人になる。
それがkasumi1、つまり本来の私の夢だ。
私は音楽の先生にレイプされている。
私の持っていた音楽を否定されて教える人のモデルを失った。
こいつもやつと同じなんだ。
すごく失望した。
この時までは、また捨てていなかったピアノ。
でも、買ってもらったピアノにも触りたくない、学校の音楽室も行きたいくない。
怖いくてたまらない。
合唱の練習だって、怖い。
男なんてみんな同じ。
そんな風にやさぐれてしまった高校時代。(笑)
さすがに、自分の大好きな世界で、こんなことになるなんて信じられなかった。
先日、独身時代に地域のお祭りで、歌わされている写真を見つけた。
それなりに若いし、そういやいや歌っているわけでもないけれど、やっぱりさみしげだった。
写真は、心が映ってしまうからとても嫌なんだ。
誰も気がつかなくても、自分が一番よくわかる。
そんな何重にも積み重なっているトラウマにつながっている音楽だから、ピアノだから、弾き始めるにはすごく抵抗があった。
きっと、いつまでも隠れていられない。
外に出なければならない日が来る。
そう私は思った。またkasumiも主人格が出てくるかもしれないと予想していた。
小さなkasumiは、自分が安全な場所を確保して、家出というか、距離を取っている。
時々「大丈夫だよ」と合図を送ってくるけれど、最近はなしのつぶてだ。
大人で解決してね・・・という意味かもしれない。
けれど、その小さなkasumiも怖いと感じているものがいまある。
だから、私はそこには近づかない。
一人ではそこに行かない。
人格を発見するたびに、心は揺れる。
当然のことだから。
家族でいえば、突然見知らぬ人がここで暮らすというのと、似ていると思う。
そして大切にしているものを採られるのも嫌だ。
私が大切だと思っているものは、一つ、二つしかないから。
それは、大事にしていたぬいぐるみを捨てられ、ごみ収集車をどこまでも泣きながら追い変えた子どもの私に戻ってしまうから。
やめて!ってやっと言えるようになった。
嫌だと思う気持ちを大切にしていいって、知ったから。
嫌なものは嫌って、気持ちを捨てなくていいって知ったから。
受け入れたくないものを受け入れるなんて、今の私には出来ない。
kasumiたちには、できるのかもしれないけれど、今の私には無理。
だから、それはやめて。。。
・・・・・と、泣きながらyochieに訴えてきた。
だから、もう少し考えようか。
本来なら、体も心もmichieのものだから。
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だから、kasumiに手伝ってもらいたい。
そう伝えてきた。
だから、書いているのはkasumi3(yochie)
捨てたもの。
親。これはこれから先もどうなってもいい。
捨てたのは、向こうだから。私はもう追わない。期待もしない。最後の会話もいらない。
理解もしない。
父には、早く死んでもらいたい。
そう願う。
私の前でちらちら親をして…とちらつかせるあの行為にもイライラする。
消えて。
いろんな人が言う。
彼がいて、私がいるのだと。
確かに生産的にはそうだけれど、感謝なんてしない。
できるのなら、こんなややこしい道を歩くのは嫌だった。
普通が欲しかった。
普通ってなに?と誰がに訪ねたことがあった。
10人いたとして、8ないし9人が自然に思うこと。
私はその8人の中に入りたかった。
DVもなく、離婚もなく、食卓に食事が並ぶ。家族の会話がある。
イキテイルことに、あたりまえに愛を感じて育ち、あたりまえに家庭を育み、あたりまえに愛をもった母になりたかった。
過去形の話だから、いまさらどうにもならないのは承知の上だ。
こんな私でもゆめがあった。
パイプオルガンを弾く。
音楽大学で音楽を学ぶ。
音楽を奏でる。
音楽の楽しさを教える人になる。
それがkasumi1、つまり本来の私の夢だ。
私は音楽の先生にレイプされている。
私の持っていた音楽を否定されて教える人のモデルを失った。
こいつもやつと同じなんだ。
すごく失望した。
この時までは、また捨てていなかったピアノ。
でも、買ってもらったピアノにも触りたくない、学校の音楽室も行きたいくない。
怖いくてたまらない。
合唱の練習だって、怖い。
男なんてみんな同じ。
そんな風にやさぐれてしまった高校時代。(笑)
さすがに、自分の大好きな世界で、こんなことになるなんて信じられなかった。
先日、独身時代に地域のお祭りで、歌わされている写真を見つけた。
それなりに若いし、そういやいや歌っているわけでもないけれど、やっぱりさみしげだった。
写真は、心が映ってしまうからとても嫌なんだ。
誰も気がつかなくても、自分が一番よくわかる。
そんな何重にも積み重なっているトラウマにつながっている音楽だから、ピアノだから、弾き始めるにはすごく抵抗があった。
きっと、いつまでも隠れていられない。
外に出なければならない日が来る。
そう私は思った。またkasumiも主人格が出てくるかもしれないと予想していた。
小さなkasumiは、自分が安全な場所を確保して、家出というか、距離を取っている。
時々「大丈夫だよ」と合図を送ってくるけれど、最近はなしのつぶてだ。
大人で解決してね・・・という意味かもしれない。
けれど、その小さなkasumiも怖いと感じているものがいまある。
だから、私はそこには近づかない。
一人ではそこに行かない。
人格を発見するたびに、心は揺れる。
当然のことだから。
家族でいえば、突然見知らぬ人がここで暮らすというのと、似ていると思う。
そして大切にしているものを採られるのも嫌だ。
私が大切だと思っているものは、一つ、二つしかないから。
それは、大事にしていたぬいぐるみを捨てられ、ごみ収集車をどこまでも泣きながら追い変えた子どもの私に戻ってしまうから。
やめて!ってやっと言えるようになった。
嫌だと思う気持ちを大切にしていいって、知ったから。
嫌なものは嫌って、気持ちを捨てなくていいって知ったから。
受け入れたくないものを受け入れるなんて、今の私には出来ない。
kasumiたちには、できるのかもしれないけれど、今の私には無理。
だから、それはやめて。。。
・・・・・と、泣きながらyochieに訴えてきた。
だから、もう少し考えようか。
本来なら、体も心もmichieのものだから。
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