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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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 一つ前の記事でも書いているように、音源がない中で、手話訳を考え本番で、しっかり「歌」「音楽」に見えるようにするためには、私自身の中でその曲想をイメージできていないと、どうしても、タイムラグができる。

通常の通訳であれば、それはあって当然だから、気にならないけれど、聴こえる人と聴こえない人に同時に、音楽をと考えた時に、そのラグは少ないほうがいい。

なっていっったって、音楽だから、ずれると不協和音になる。

そうなると、演奏者は、「違和感」を感じるだろうと思っている。

ただ、今回のライブで得たことは、同時も大切だけれど、「前説」があってもいいかもしれないということだった。

歌う前から、視線で何かを見ているとか、空を仰ぎ見ているとか、歌詞が始まる前に情報を出しておいたほうが、よりわかりやすいことが発見できた。


それと、へったぴいながら、りぼんにくっついて、歌うこと、ピアノを練習すること、音符を書くこと、ハモリをつくって見ること・・・・。

それがまだ短い間だけれど、音楽にふれる機会が増えていたことで、「この人は、このあたりで歌をためるだろう」という予測がついた。


一般的な手話通訳の場合、私はこの作業が得意。

言いたいこと、伝えたいことを予測して、同時に出す・・・、結構できるほうだと思う。



今回、不安でもあった初めて聞く曲。

ろう者からみたら、それはあまり気になっていなかったみたい。

質問した時に「おまえ聴こえるから不便だな。俺たちは音楽とずれているなんてわからないようなことで、悩んでるんだな」と笑われた。




りぼんが言ってくれているように、「エンジェルサイン」だったら、もう悩まなくていいってことかな??

今回はkasumiちゃん、かなりすごいじゃんって思えた時間でした。



それもこれも、Fさんがお師匠様ですから・・・・。

本当に楽しかったんだって。

音楽、楽しかったんだって。

学生の頃、ギターもって道路で歌っていた人がいたんだ。ジャズなのか、フォークなのかはわからないけれど、楽しそうだった。
いいなぁ・・・って思っていたんだ。
それを昨日知ったんだよと、教えてくれた。(奥さんが)

やっぱり、音楽と聴こえない人は隣りあわせで、知りたいって思っているんだ。

そして、今に表裏一体になるんだ。

そんな気がした。

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