虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/02/01 (Sat)
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- 2010/10/04 (Mon)
リンダ・ハリディ・サムナ―さん講演記録11
● 母や姉妹との断絶
そのとき、私は自分の姉妹と母親に対して公表することを事前に言っておかなければならないと考えました。
その頃、彼女たちと関係がうまくいっていたので、私のすることを理解してくれるだろうと、思い込んでいました。ななぜだかわかりませんが・・・。
そこで私はまず、姉妹のひとりひとりに電話をかけ始めました。これは虐待が起こった30年後の出来事です。
にもかかわらず、その話を聞いた時、姉は私の家までやってきてあなたを訴えると脅かしました。
「黙って告訴を取り下げなければ、あなたを訴えるわ」と言ったのです。
すぐ下の妹には、「姉さんがそうするなら仕方がない、でも2度と姉さんとは逢いたくない」と言われました。
そして本当に12年間、会いには来てくれませんでした。
一番下の妹は耳が不自由です。
彼女は赦してはくれましたが、それ以来手紙をくれることはなくなりました。
母はゲシュタポのような人で、メールボックスの鍵を持っているのは、彼女だけです。
非常に物事や、人々をコントロールしたがる人々です。
母に電話をかけると「おまえがどうしてそんなにしつこく、そんなことをやろうとするのか、まったく気がしれないよ」と言われました。
私はこう答えました。
「30年経っても、まだ私をしんじてくれないの、お母さん」すると母は、「おまえの父親はおまえたちをひとりだけにする機会があったというのかい?」と聞いてきました。
「お母さんはバンクーバーに出張していて、留守だったじゃない。」「確かにそうだったけど、いつだって必ずお土産を持って帰ったじゃないか」
この時の会話が母と交した最後の会話です。
1980年の9月でした。
そしてその状況は以来変わらないのです。
53歳になった今でも、私はクリスマスや誕生日にさえ母親に電話が出来ない。。
そのことが私にはつらいです。
このような状況をつつけていくことは私にとって、情緒的に健康な状態とは言えません。30年経ってもサバイバーにとって、カムアウトすることがどんなに困難かを分かっていただけたのではないかと思います。
どうかそのような人たちを裁かないでください。サバイバーはその時点で自分が対処できることから始めていかなければなりません。
私の姉妹と私は、それぞれ別の道を選びました。そして私も彼女たちの選択を尊重せざるをえません。
13年間かかりましたが、今彼女たちは私のしていることを尊重してくれています。しかし、このような悪循環を断ち切る勇気のある人たちには、ときどき困難が降りかかってくることがあるのです。
例えば、私は自分の家族の一員がなくなったことを新聞の死亡記事で知ります。事前に知らせてくれる人はだれもいません。そして葬式に参加してくれるなと、言われます。その中で一番つらいのは、私自身が家族全員を失っただけでなく、私の子どもや孫たちも彼らの家族を失ってしまうということです。
今私には8歳から、18歳までの孫娘が8人男の孫が1人います。私が一番誇りに思っているのは、家族の5代目にして初めて、彼女たちが6歳になるまで虐待をされていないという事実です。
ですから、悪循環は断ち切ることができるのだという事が分かりました。
このようなことがあるので私は常にいろいろな人に語ります。私たちすべてにとっても、これは大切なことだと思います。私たちが出来ることをやっていくということ。そして、他者を裁かない、判断しないということです。
そのとき、私は自分の姉妹と母親に対して公表することを事前に言っておかなければならないと考えました。
その頃、彼女たちと関係がうまくいっていたので、私のすることを理解してくれるだろうと、思い込んでいました。ななぜだかわかりませんが・・・。
そこで私はまず、姉妹のひとりひとりに電話をかけ始めました。これは虐待が起こった30年後の出来事です。
にもかかわらず、その話を聞いた時、姉は私の家までやってきてあなたを訴えると脅かしました。
「黙って告訴を取り下げなければ、あなたを訴えるわ」と言ったのです。
すぐ下の妹には、「姉さんがそうするなら仕方がない、でも2度と姉さんとは逢いたくない」と言われました。
そして本当に12年間、会いには来てくれませんでした。
一番下の妹は耳が不自由です。
彼女は赦してはくれましたが、それ以来手紙をくれることはなくなりました。
母はゲシュタポのような人で、メールボックスの鍵を持っているのは、彼女だけです。
非常に物事や、人々をコントロールしたがる人々です。
母に電話をかけると「おまえがどうしてそんなにしつこく、そんなことをやろうとするのか、まったく気がしれないよ」と言われました。
私はこう答えました。
「30年経っても、まだ私をしんじてくれないの、お母さん」すると母は、「おまえの父親はおまえたちをひとりだけにする機会があったというのかい?」と聞いてきました。
「お母さんはバンクーバーに出張していて、留守だったじゃない。」「確かにそうだったけど、いつだって必ずお土産を持って帰ったじゃないか」
この時の会話が母と交した最後の会話です。
1980年の9月でした。
そしてその状況は以来変わらないのです。
53歳になった今でも、私はクリスマスや誕生日にさえ母親に電話が出来ない。。
そのことが私にはつらいです。
このような状況をつつけていくことは私にとって、情緒的に健康な状態とは言えません。30年経ってもサバイバーにとって、カムアウトすることがどんなに困難かを分かっていただけたのではないかと思います。
どうかそのような人たちを裁かないでください。サバイバーはその時点で自分が対処できることから始めていかなければなりません。
私の姉妹と私は、それぞれ別の道を選びました。そして私も彼女たちの選択を尊重せざるをえません。
13年間かかりましたが、今彼女たちは私のしていることを尊重してくれています。しかし、このような悪循環を断ち切る勇気のある人たちには、ときどき困難が降りかかってくることがあるのです。
例えば、私は自分の家族の一員がなくなったことを新聞の死亡記事で知ります。事前に知らせてくれる人はだれもいません。そして葬式に参加してくれるなと、言われます。その中で一番つらいのは、私自身が家族全員を失っただけでなく、私の子どもや孫たちも彼らの家族を失ってしまうということです。
今私には8歳から、18歳までの孫娘が8人男の孫が1人います。私が一番誇りに思っているのは、家族の5代目にして初めて、彼女たちが6歳になるまで虐待をされていないという事実です。
ですから、悪循環は断ち切ることができるのだという事が分かりました。
このようなことがあるので私は常にいろいろな人に語ります。私たちすべてにとっても、これは大切なことだと思います。私たちが出来ることをやっていくということ。そして、他者を裁かない、判断しないということです。
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