虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
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昨日、ろう者の集まりにおいでと、声をかけられ、食事もし、その後喫茶店にも誘われていっぱい話をしてきた。
冬に再開したNさんとも逢い、あれこれ夢を語った。
Mさんの苦労話しも聞き、それが痛いほどに自分にリンクする。
そこから、ミュージックサインの話しになって、Nさんのアドレスを聴いて
YOU Tube を見て欲しいのと頼むと、二つ返事で「いいよ」。彼にお願いしたことは、足りないと思うもの、工夫が必要だと思うもの。
東京の人だから、そう何度も逢える距離じゃないけれど、メールでアドバイスして欲しいんだというと、笑顔でいいよって。
10年前に彼に言われた手話での歌。
もっと、リズムやメロディが欲しい。
今度逢う時までに、腕を磨いてねと言われて、「音楽が必要ないわけじゃない」ってわかった。
今ね、手話をつけるだけじゃなくて、楽器の演奏とか、聞こえてきた時の気持ちとか表現できるように、数人でいろいろやってるの、もっとよくしたいんだけれど、Nさんが見てどう感じるかを知りたいとずっと思っていたんだと話した。
あるがままでいいと、いう彼に昨日は勇気をもらった。
もう一人、私がこちらに来る前に活動していた女性にもであった。
中途失聴者で、いろんなことをしている人が、下手でもいいから、歌いたいと思って2月にコンサートをするの。
成功するかどうかわからないけれど、あなたたちも10年続けたらいい。
私たちが成功したら、ゲストで呼んであげるわよと、娘に話していた。
そうなったらいいのになぁ。。。
いろんな地域のろう者に受け入れられるミュージックサインを作りたいって、また夢が大きくなった。
試練もあるだろうけど、出来るかも・・・。
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冬に再開したNさんとも逢い、あれこれ夢を語った。
Mさんの苦労話しも聞き、それが痛いほどに自分にリンクする。
そこから、ミュージックサインの話しになって、Nさんのアドレスを聴いて
YOU Tube を見て欲しいのと頼むと、二つ返事で「いいよ」。彼にお願いしたことは、足りないと思うもの、工夫が必要だと思うもの。
東京の人だから、そう何度も逢える距離じゃないけれど、メールでアドバイスして欲しいんだというと、笑顔でいいよって。
10年前に彼に言われた手話での歌。
もっと、リズムやメロディが欲しい。
今度逢う時までに、腕を磨いてねと言われて、「音楽が必要ないわけじゃない」ってわかった。
今ね、手話をつけるだけじゃなくて、楽器の演奏とか、聞こえてきた時の気持ちとか表現できるように、数人でいろいろやってるの、もっとよくしたいんだけれど、Nさんが見てどう感じるかを知りたいとずっと思っていたんだと話した。
あるがままでいいと、いう彼に昨日は勇気をもらった。
もう一人、私がこちらに来る前に活動していた女性にもであった。
中途失聴者で、いろんなことをしている人が、下手でもいいから、歌いたいと思って2月にコンサートをするの。
成功するかどうかわからないけれど、あなたたちも10年続けたらいい。
私たちが成功したら、ゲストで呼んであげるわよと、娘に話していた。
そうなったらいいのになぁ。。。
いろんな地域のろう者に受け入れられるミュージックサインを作りたいって、また夢が大きくなった。
試練もあるだろうけど、出来るかも・・・。
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小学生くらいだったかな。
虹のふもとまで行って見たくて歩いたことがあった。
歩けど、歩けどそこへはいけなくて妙に悲しくなってしまい、泣いた。
そのうちに虹は消えちゃった。
大人の私なら、そんなことは当たり前なんだけれど、そのふもとに行ったらきれいな色の中にずっといれるんじゃないかって思って歩いた。
果てしなく・・・・。ずっとずっと。
まだこのころは、きれいとか、空を見上げる力があったってことかな。
今年は、季節感があって、春だなとか、夏なのになぜ涼しい?とか、秋になって来たとか、体感できる。
冬なんだと気がつくななかまども、いまころから赤くなっているんだ・・・と新発見。
札幌からの帰り、車窓なんてながめないのに、今回は苫小牧から、洞爺、豊浦と、トンネルに入る瞬間、でる瞬間の海を見ていた。
天気がよくて、海は静かで、青くきれいだった。
苫小牧付近はあまり思い出したくない場所。
けど、自分が通った高校を見た。
すがた形は変わっているけれど、母校なんだよね。
合唱コンクール、文化祭、私を好きだって行ってくれた彼を思い出した。
私はずっと、自分が汚らしい人間だと思って、心を閉じていた。
いつも緊張してて、言葉を出せなくて、一緒にいても苦しかった。
早く、別れたいって言ってくれないかな?と思っていた。
付き合わなければそんな思いをしなくていいのに「NO!」と何度か言っても「友達でいいんだ」と言われて、何度かライブとか見に行った。
けれど、50センチ以上は近寄れない。
いつも、二人で歩くけれど、後ろをうつむいて歩く。
私はうそつき。
自分にうそをついて生きて来た。
なにごともなかったように、普通の少女の振りをして生きてきた。
苦しくなんかない。
辛くなんかない。
その代わり、楽しさ、うれしさも捨ててきた。
いつもいつも当たり前です・・・って生きてきた。
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虹のふもとまで行って見たくて歩いたことがあった。
歩けど、歩けどそこへはいけなくて妙に悲しくなってしまい、泣いた。
そのうちに虹は消えちゃった。
大人の私なら、そんなことは当たり前なんだけれど、そのふもとに行ったらきれいな色の中にずっといれるんじゃないかって思って歩いた。
果てしなく・・・・。ずっとずっと。
まだこのころは、きれいとか、空を見上げる力があったってことかな。
今年は、季節感があって、春だなとか、夏なのになぜ涼しい?とか、秋になって来たとか、体感できる。
冬なんだと気がつくななかまども、いまころから赤くなっているんだ・・・と新発見。
札幌からの帰り、車窓なんてながめないのに、今回は苫小牧から、洞爺、豊浦と、トンネルに入る瞬間、でる瞬間の海を見ていた。
天気がよくて、海は静かで、青くきれいだった。
苫小牧付近はあまり思い出したくない場所。
けど、自分が通った高校を見た。
すがた形は変わっているけれど、母校なんだよね。
合唱コンクール、文化祭、私を好きだって行ってくれた彼を思い出した。
私はずっと、自分が汚らしい人間だと思って、心を閉じていた。
いつも緊張してて、言葉を出せなくて、一緒にいても苦しかった。
早く、別れたいって言ってくれないかな?と思っていた。
付き合わなければそんな思いをしなくていいのに「NO!」と何度か言っても「友達でいいんだ」と言われて、何度かライブとか見に行った。
けれど、50センチ以上は近寄れない。
いつも、二人で歩くけれど、後ろをうつむいて歩く。
私はうそつき。
自分にうそをついて生きて来た。
なにごともなかったように、普通の少女の振りをして生きてきた。
苦しくなんかない。
辛くなんかない。
その代わり、楽しさ、うれしさも捨ててきた。
いつもいつも当たり前です・・・って生きてきた。
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you Tubeにあがっているこの間の動画を夫、妹、まー そして甥っ子たちと見ながら言われた言葉。
「お姉ちゃん、ずっと手話で話していると優しいのに・・・」
はぁ・・。と思ってる横で残りの夫も娘も|゜ー゜||。_。||゜-゜||。_。|ウンウンと頷く。
あのさぁ・・・これ表現するのにどれだけ集中しているかわかってんの???と心の声。
私は家族だけになると語頭と語尾がつよくて、きつい物言いになる。わかっているんだけれど、他人と違って気が緩むのか、気をつけているつもりでも、そのいい方に陥る。そして指摘されると凹んでいるのに、さらに言い続ける。それがまた「きつい」。
夫いわく。楽器の演奏している姿は見たらわかるんだから、要らないんじゃないの?。
くっそ~~お前までそれを言うか?!
わかってますよ。感情表現が足りないってことでしょう??(○`ε´○)プンプン!!
今試行錯誤なんだから・・・。
自分でしないのに、きついアドバイスばっかり。
悔しい!!((“o(>ω<)o”))クヤシイー!!
超((“o(>ω<)o”))クヤシイー!!。(笑)
身内にも風あたりが強いこの活動。
まぁ・・・よくしようと思って言葉に出すってことで受け止めるけれどさ。
kasumiに悔しさを渡すととんでもない力が出てくるんだって知ってるんだろうね。(笑)
夫に、Love paeceを見て感動しないわけ?と聴いたら、「いや、すごいと思っているよ」と。
先に言えよ。それを。
まぁ・・・。私がすごいんじゃなくて、歌っているタッカと詩を書いたなみさんと、Pianoのまみさんがすごいんだけどさ。
3人のエネルギーをもらって出来る表現だから、私だけがすごいわけじゃない。
そんなのわかっているけど、「褒められたい小さいkasumiがいるってわかってるんだから、先に褒めろ!」とひそかに思う私でした。
そんなこと言わなくても当然だと思っているのかも知れないけど、「褒めて。褒めて」のkasumiさんがいるんだよね。
一番わかっていないのは、kasumiがすごい人だってことを自分が忘れちゃうことなんだよね。
今回は、映像が残っているから、なんども自分のいいところ、もう少し工夫をしたらいいところ、手話の間を上手く曲にのせるところ、ためるところ。
いろんなことがわかってくるから、 you Tubeにのっけてくれたりぼんに感謝。
子どもみたいにはしゃいでいるんだから、あわせてくれよ・・・。夫ken.
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「お姉ちゃん、ずっと手話で話していると優しいのに・・・」
はぁ・・。と思ってる横で残りの夫も娘も|゜ー゜||。_。||゜-゜||。_。|ウンウンと頷く。
あのさぁ・・・これ表現するのにどれだけ集中しているかわかってんの???と心の声。
私は家族だけになると語頭と語尾がつよくて、きつい物言いになる。わかっているんだけれど、他人と違って気が緩むのか、気をつけているつもりでも、そのいい方に陥る。そして指摘されると凹んでいるのに、さらに言い続ける。それがまた「きつい」。
夫いわく。楽器の演奏している姿は見たらわかるんだから、要らないんじゃないの?。
くっそ~~お前までそれを言うか?!
わかってますよ。感情表現が足りないってことでしょう??(○`ε´○)プンプン!!
今試行錯誤なんだから・・・。
自分でしないのに、きついアドバイスばっかり。
悔しい!!((“o(>ω<)o”))クヤシイー!!
超((“o(>ω<)o”))クヤシイー!!。(笑)
身内にも風あたりが強いこの活動。
まぁ・・・よくしようと思って言葉に出すってことで受け止めるけれどさ。
kasumiに悔しさを渡すととんでもない力が出てくるんだって知ってるんだろうね。(笑)
夫に、Love paeceを見て感動しないわけ?と聴いたら、「いや、すごいと思っているよ」と。
先に言えよ。それを。
まぁ・・・。私がすごいんじゃなくて、歌っているタッカと詩を書いたなみさんと、Pianoのまみさんがすごいんだけどさ。
3人のエネルギーをもらって出来る表現だから、私だけがすごいわけじゃない。
そんなのわかっているけど、「褒められたい小さいkasumiがいるってわかってるんだから、先に褒めろ!」とひそかに思う私でした。
そんなこと言わなくても当然だと思っているのかも知れないけど、「褒めて。褒めて」のkasumiさんがいるんだよね。
一番わかっていないのは、kasumiがすごい人だってことを自分が忘れちゃうことなんだよね。
今回は、映像が残っているから、なんども自分のいいところ、もう少し工夫をしたらいいところ、手話の間を上手く曲にのせるところ、ためるところ。
いろんなことがわかってくるから、 you Tubeにのっけてくれたりぼんに感謝。
子どもみたいにはしゃいでいるんだから、あわせてくれよ・・・。夫ken.
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金曜日に、妹の住んでいる札幌に行き、この演奏会を聴くために戻ってきた。
第2子が生まれて、私は初のご対面。
娘と、夫は夏休みに逢いに行っていて、私は「はじめまして」 だった。
夏は、肩が動かないのと、妹と喧嘩してしまうかもしれないと思っていたので、遠慮したんだ。
どっちも、人をあおるような口調になるの(笑)
私が何もわからない時に、子育てをしていたから、私のあまり好きじゃないところがお互いにぶつかり合ってしまう。
ながいこと、姉妹をしているのだけれど、どちらも言葉を「マイナス」で捉えてしまう習慣があるので、いつも言い合いのようになる。
悲しい習慣だと思っている。
言葉の暴力、力づくでのしつけ。(体罰ともいいます)
その反省があって、まーさんには、叩かないを基本にしているけれど、記憶のかぎりでは、3回ほど、パシン!としてしまった。Y(>_<、)Y ヒェェ!
妹をみてて、頑張ってるのもよくわかったし、いいかあちゃんしているな・・といつも思って見ている。
頑張りを痛くも感じる。
たとえ、愛のある拳骨だって痛い。
そして、それは増殖していく。
エスカレートしていく。
自分が育てられたように、子どもを育てる。
本当に妹には「ごめん」の言葉しかでない。
その札幌で、弟の子どもが少し発達が遅れているかもしれないと聴いた。
いつもの私だったら、連絡を取ったり、アドバイスをしたりしていると思うけれど、私は弟が怖い。父を思い出すから。
発達が遅れている要因になっているものも、思い当たらないわけでもないけれど、近寄れない。
怖いから。
その弟にもごめんって思う。
近くによると、フラッシュバックするのがわかるし、自分が不安定になるもの想像が出来る。
こう考えると、大人のモデルって大事だなぁとしみじみわかる。
そんな気持ちを持ちながら。
札幌からなみさんにメールをした。
「白百合の演奏会に行かない?招待状をもらっているんだ」
いままで、人ゴミとか疲れるかもしれないと思って、言わないで来たんだけれど、それはなみさんに選んでもらったらいいんだと思って、メールした。
返事は「行きたいかも?」。
仕事が終わってから、連絡が来た。
丁度JRに乗るために新札幌の駅だったけれど、すぐ電話をして、迎えに行く場所の確認をして、確実に逢える場所を教えてもらった。
私も方向音痴だし。
白百合の吹奏楽の面白いと思うところは、2部3部は生徒たちがいろんな工夫をして、楽しい音楽を発信しているところ。
今年も、間際になって「生徒がやっぱり手話で歌いたい」って言っているので、いつでもいいから、指導に来て欲しいと9月になってから電話が来た。
まーさんと、私で2度訪問させてもらった。
まーさんは
「今年は手話で歌わないのかな?」と少し寂しそうだったから、喜んで出かけた。
去年は、一緒に舞台に立っていたので正面から彼女たちをみることはDVDができてからだったので、今年は一人ひとりの顔と楽器をもっている姿を拝見できて、よかった。
特に3年生が頑張っている姿はキラキラしていて、素敵だった。
まーのお友達が、ちょっとミスをしたのを本人がこらえながら、演奏を続けていた。
それを3年生が「大丈夫」をメッセージを送りながら、勇気付けていた。
それを見ながら、まーが「M頑張れ、M頑張れ」と言葉にだして、見守っていた。
私は思う。
大人の役割は、見守ること。
踏ん張っている姿とただ見守ること。
あれがだめ。これがだめと言わずに、見守ること。
精一杯頑張っている時には、その子どもの持っている力を信じること。
なみさんが25日札幌の病院に経過を見てもらうために検査にいくこと、そしてその日がたまたまライブがあったこと、そしてその仲間が「だったら・・・」と言う話でライブに参加するんだ・・・・と教えてくれた。
そのd(゜-^*) ナイス♪なタイミング。
そして、それをすごく楽しみにしているのがわかった。
金曜にあったなみさんの復活の歌は私はJRの中だった。
聴きたかったなと思いつつ、「本人が喜んでくれたのが一番」という言葉を聴いて「そうだね」と思った。
届けたい人に届けるのが一番。
白百合の合唱はきれいだったし、気持ちが伝わってきた。
後ろの席の子が、「うちらもやりたい」と会話していた。
そうやって広がっていけば、いつか音楽が聴こえない人に届くのかもしれない。
駐車場までの道のりを二人で歩いていて、音楽は「アンサンブルなんだよね」となみさんの言葉でひとつ気がついた。
私も自分の中の他の人格さんと「アンサンブルを奏でたらいいのかもしれないな」と・・・・。
昨日は、私がなみさんから、処方箋をもらったな。ありがとう。
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第2子が生まれて、私は初のご対面。
娘と、夫は夏休みに逢いに行っていて、私は「はじめまして」 だった。
夏は、肩が動かないのと、妹と喧嘩してしまうかもしれないと思っていたので、遠慮したんだ。
どっちも、人をあおるような口調になるの(笑)
私が何もわからない時に、子育てをしていたから、私のあまり好きじゃないところがお互いにぶつかり合ってしまう。
ながいこと、姉妹をしているのだけれど、どちらも言葉を「マイナス」で捉えてしまう習慣があるので、いつも言い合いのようになる。
悲しい習慣だと思っている。
言葉の暴力、力づくでのしつけ。(体罰ともいいます)
その反省があって、まーさんには、叩かないを基本にしているけれど、記憶のかぎりでは、3回ほど、パシン!としてしまった。Y(>_<、)Y ヒェェ!
妹をみてて、頑張ってるのもよくわかったし、いいかあちゃんしているな・・といつも思って見ている。
頑張りを痛くも感じる。
たとえ、愛のある拳骨だって痛い。
そして、それは増殖していく。
エスカレートしていく。
自分が育てられたように、子どもを育てる。
本当に妹には「ごめん」の言葉しかでない。
その札幌で、弟の子どもが少し発達が遅れているかもしれないと聴いた。
いつもの私だったら、連絡を取ったり、アドバイスをしたりしていると思うけれど、私は弟が怖い。父を思い出すから。
発達が遅れている要因になっているものも、思い当たらないわけでもないけれど、近寄れない。
怖いから。
その弟にもごめんって思う。
近くによると、フラッシュバックするのがわかるし、自分が不安定になるもの想像が出来る。
こう考えると、大人のモデルって大事だなぁとしみじみわかる。
そんな気持ちを持ちながら。
札幌からなみさんにメールをした。
「白百合の演奏会に行かない?招待状をもらっているんだ」
いままで、人ゴミとか疲れるかもしれないと思って、言わないで来たんだけれど、それはなみさんに選んでもらったらいいんだと思って、メールした。
返事は「行きたいかも?」。
仕事が終わってから、連絡が来た。
丁度JRに乗るために新札幌の駅だったけれど、すぐ電話をして、迎えに行く場所の確認をして、確実に逢える場所を教えてもらった。
私も方向音痴だし。
白百合の吹奏楽の面白いと思うところは、2部3部は生徒たちがいろんな工夫をして、楽しい音楽を発信しているところ。
今年も、間際になって「生徒がやっぱり手話で歌いたい」って言っているので、いつでもいいから、指導に来て欲しいと9月になってから電話が来た。
まーさんと、私で2度訪問させてもらった。
まーさんは
「今年は手話で歌わないのかな?」と少し寂しそうだったから、喜んで出かけた。
去年は、一緒に舞台に立っていたので正面から彼女たちをみることはDVDができてからだったので、今年は一人ひとりの顔と楽器をもっている姿を拝見できて、よかった。
特に3年生が頑張っている姿はキラキラしていて、素敵だった。
まーのお友達が、ちょっとミスをしたのを本人がこらえながら、演奏を続けていた。
それを3年生が「大丈夫」をメッセージを送りながら、勇気付けていた。
それを見ながら、まーが「M頑張れ、M頑張れ」と言葉にだして、見守っていた。
私は思う。
大人の役割は、見守ること。
踏ん張っている姿とただ見守ること。
あれがだめ。これがだめと言わずに、見守ること。
精一杯頑張っている時には、その子どもの持っている力を信じること。
なみさんが25日札幌の病院に経過を見てもらうために検査にいくこと、そしてその日がたまたまライブがあったこと、そしてその仲間が「だったら・・・」と言う話でライブに参加するんだ・・・・と教えてくれた。
そのd(゜-^*) ナイス♪なタイミング。
そして、それをすごく楽しみにしているのがわかった。
金曜にあったなみさんの復活の歌は私はJRの中だった。
聴きたかったなと思いつつ、「本人が喜んでくれたのが一番」という言葉を聴いて「そうだね」と思った。
届けたい人に届けるのが一番。
白百合の合唱はきれいだったし、気持ちが伝わってきた。
後ろの席の子が、「うちらもやりたい」と会話していた。
そうやって広がっていけば、いつか音楽が聴こえない人に届くのかもしれない。
駐車場までの道のりを二人で歩いていて、音楽は「アンサンブルなんだよね」となみさんの言葉でひとつ気がついた。
私も自分の中の他の人格さんと「アンサンブルを奏でたらいいのかもしれないな」と・・・・。
昨日は、私がなみさんから、処方箋をもらったな。ありがとう。
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