虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
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昨日、ある教会へ行った。
以前から行って見たいと思っていて、友人のKさんも連れて行って欲しいと言っていたので、娘と3人で夕礼拝にでかけた。
賛美チームと言うのがあって、ミニコンサートでも聞いたような気持ちになる賛美だった。
夏に知り合ったようさんとつながった教会で、教会に戻りたい気持ちもあるけれど、教会が怖いんだ・・・という私に「祈るね」と言葉少ないけれど、いつも言ってくれる。
教会で話しかけられると私は固まる。
親切にされることが怖いと感じる。
父なる神の愛と聞くと、自分の父親の姿がダブり、苦しくなる。
昨日のお話で「神は全てを知っておられ、そしてその罪も赦しておられる」とあった。
この言葉は今までにも何度も聞いている。
よくわからないけれど、昨日は「そうか、そうなんだ」とその言葉を受け入れている自分がいたように思う。
私のために祈るといわれても、なんか胡散臭さを感じていたけれど、昨日は「そうか、祈っててくれるんだ」と思えた。
なんだろう、このちがい。
賛美歌を聴きたい、歌いたい。
ずっと思っていた。
そろそろ自分のために何かをしなさいということなのかもしれない。
以前から行って見たいと思っていて、友人のKさんも連れて行って欲しいと言っていたので、娘と3人で夕礼拝にでかけた。
賛美チームと言うのがあって、ミニコンサートでも聞いたような気持ちになる賛美だった。
夏に知り合ったようさんとつながった教会で、教会に戻りたい気持ちもあるけれど、教会が怖いんだ・・・という私に「祈るね」と言葉少ないけれど、いつも言ってくれる。
教会で話しかけられると私は固まる。
親切にされることが怖いと感じる。
父なる神の愛と聞くと、自分の父親の姿がダブり、苦しくなる。
昨日のお話で「神は全てを知っておられ、そしてその罪も赦しておられる」とあった。
この言葉は今までにも何度も聞いている。
よくわからないけれど、昨日は「そうか、そうなんだ」とその言葉を受け入れている自分がいたように思う。
私のために祈るといわれても、なんか胡散臭さを感じていたけれど、昨日は「そうか、祈っててくれるんだ」と思えた。
なんだろう、このちがい。
賛美歌を聴きたい、歌いたい。
ずっと思っていた。
そろそろ自分のために何かをしなさいということなのかもしれない。
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昨日、うどんを食べながらねぇねはこう言った。
誕生日っていう歌を私に聞かせながら(ネットウォークマンを使って二人で頭をくっつけながら)
「かぁさん、かぁさんがいなかったら、ねぇねはこの世にいないんだよ。かぁさんがいてくれてありがとうって思ってるよ。
かぁさんは自分の親の事を嫌いでもいいから、この世にいてくれて、ありがとうって思ってね。じいちゃんたちがいなかったら、かぁさんもねぇねも今ここにいないんだよ」と、悟りを拓かれた。
またもや、ぽか~んとなる私でした。
この人つい最近まで、「自分なんていらない人間だ」って言っていたのになぁ・・・。
昨日担任と話をして、「先生たちは、内申が悪くなるって、S高校にいけなくなったらどうするって私を脅すけれど、教室に行っても内申があがるなんて本気で思っているんだろうか?」と。
自分は最高に頑張っても別室登校だけで、教室に戻る気なんてない。
それに虐めを解決して欲しいなんて一言も言っていない。
それは先生たちの自己満足だろうと思う。
大人が先に解決しようなんて甘い。
・・・ってことでした。
そうだね~~~って、思うし。
どれだけ相手に話を大人からしたって、「ちくった」って言うに決まっている。
だから、それはしなくていいって言ってんのに・・・・(# ̄З ̄) ブツブツ
なので、助言を。
「されたら、困る」とか、「そんなことしたら、もう絶対学校に来ない」と言ってもいいよと。
なるほど・・・。そうか。
子どもは大人に遠慮して、「~しなくてもいいよ」って優しく言うんだ。
けれど、それは困るって意味なんだよ。
かぁさん、O先生に通訳してきて!!とかなり本気だった。
「感謝」かあ・・・。とっても難しいなぁ・・・。(;´д`)トホホ
それにしても、「心の応急手当」をされた人の快復力は見事です・・・って感じ。
先を越されて「やや悔しい~~」(笑)
誕生日っていう歌を私に聞かせながら(ネットウォークマンを使って二人で頭をくっつけながら)
「かぁさん、かぁさんがいなかったら、ねぇねはこの世にいないんだよ。かぁさんがいてくれてありがとうって思ってるよ。
かぁさんは自分の親の事を嫌いでもいいから、この世にいてくれて、ありがとうって思ってね。じいちゃんたちがいなかったら、かぁさんもねぇねも今ここにいないんだよ」と、悟りを拓かれた。
またもや、ぽか~んとなる私でした。
この人つい最近まで、「自分なんていらない人間だ」って言っていたのになぁ・・・。
昨日担任と話をして、「先生たちは、内申が悪くなるって、S高校にいけなくなったらどうするって私を脅すけれど、教室に行っても内申があがるなんて本気で思っているんだろうか?」と。
自分は最高に頑張っても別室登校だけで、教室に戻る気なんてない。
それに虐めを解決して欲しいなんて一言も言っていない。
それは先生たちの自己満足だろうと思う。
大人が先に解決しようなんて甘い。
・・・ってことでした。
そうだね~~~って、思うし。
どれだけ相手に話を大人からしたって、「ちくった」って言うに決まっている。
だから、それはしなくていいって言ってんのに・・・・(# ̄З ̄) ブツブツ
なので、助言を。
「されたら、困る」とか、「そんなことしたら、もう絶対学校に来ない」と言ってもいいよと。
なるほど・・・。そうか。
子どもは大人に遠慮して、「~しなくてもいいよ」って優しく言うんだ。
けれど、それは困るって意味なんだよ。
かぁさん、O先生に通訳してきて!!とかなり本気だった。
「感謝」かあ・・・。とっても難しいなぁ・・・。(;´д`)トホホ
それにしても、「心の応急手当」をされた人の快復力は見事です・・・って感じ。
先を越されて「やや悔しい~~」(笑)
かあさんの事は大好きだよ。
kasumiさん、お願いだから一人になって。
ねぇね、疲れたよ。
これってかあさんのせいでも、ねぇねのせいでもないよ。
かあさん以外のkasumiさんは怒ったりすると、怖いんだよ。
kasumiさん、なんで別れているのかな?
kasumiさんの環境がそうさせたって事はわかっているよ。
だからkasumiさんは悪くないんだよ。
でも、ねぇねも
どうしていいかわからない。
だから、かあさんに戻ってよ。
ねぇねは疲れるよ。
このことばを聴いて、なんだろう、きょとん・・(*・o・)としてた私。
私はだれ?って久しぶりになった。
ああ・・そうか、ねぇねが受け入れてくれるからっていつまでもそれをしてちゃいけないってことか。
そうだね。ねぇねはまだ子どもだもんね。
かあさんもねぇねも悪くないって、ねぇねが言ったよ。
だけど、疲れるんだって。
kasumiさん、お願いだから一人になって。
ねぇね、疲れたよ。
これってかあさんのせいでも、ねぇねのせいでもないよ。
かあさん以外のkasumiさんは怒ったりすると、怖いんだよ。
kasumiさん、なんで別れているのかな?
kasumiさんの環境がそうさせたって事はわかっているよ。
だからkasumiさんは悪くないんだよ。
でも、ねぇねも
どうしていいかわからない。
だから、かあさんに戻ってよ。
ねぇねは疲れるよ。
このことばを聴いて、なんだろう、きょとん・・(*・o・)としてた私。
私はだれ?って久しぶりになった。
ああ・・そうか、ねぇねが受け入れてくれるからっていつまでもそれをしてちゃいけないってことか。
そうだね。ねぇねはまだ子どもだもんね。
かあさんもねぇねも悪くないって、ねぇねが言ったよ。
だけど、疲れるんだって。
一応クリスチャンなの。私・・・。
私は10歳の時には神様の存在を知っていて、たぶん・・・。
いつも読んでいた子どもようの「ぎんの星」って本。
放蕩息子が帰ってきて父親が喜んで迎えるという繰り返し読んでいた。
そばにいた別の息子が、「なぜ、好き勝手な事をしてきた弟?兄?をそんなに喜んで迎えるのか?」という疑問に、「おまえはいつもそばにいただろう」という言葉を返す。
私はどうしてこの話を繰り返し読んでいたのかと考えると、たぶん実父にこんな風に私を向かえて欲しかったんだろうと思う。
昨日里親の先輩でクリスチャンで、自分の子育てが終わっていて、サバイバーさんだったWさんと出会っていろんな話をした。
何年か前から知りあいだったけれどゆっくり話す機会はなくて、今回シンガポールの人たちを迎えるときに連絡をくれて、私と彼らをつなげてくれた。
その虐待を受けた子どもたちへのプログラムの実施にあたり、この夏私はいろんな人に出会い、そして、「神様の言葉」と再会した。
私は教会で「父なる神を信頼します」と言われると洗礼を受けてはいるものの、「父か・・・」とため息がでる。
私の中の「父」を連想すると神の愛は歪んだ物になりとても苦しい。
私は「重荷をもっているものは私のもとに来なさい。休ませてあげよう」という聖句が好きだ。
けれど、いつもいつも、「神様。私はそばに来てますから!!」と机や地面を叩きたくなる。
私は来ているのに気がついてくれないのは神様だ!!と叫びたくなる。
それはたぶん私が地面ばかりを見て、顔をあげないからだと自分を責めたりした。
教会の中にいると善意の塊で苦しくなる。
優しくされると息が出来ない。
神様に祈りましょうと言われても、「あんたになにがわかるんだ」と言いたくなる。そんな風になる自分が嫌で教会にはいかない。
けれど、先日のキッズキャンプはいつでも祈りの中にあった。
英語なので、感じ方は違うけれど、日本人の祈りよりも明快ですっきりしていて「ナイス」な感じがした。
なので、神様の家族に戻りたくなった。
私は人が煩わしい。
面倒くさい。
けれどいつも人間と関わる仕事をしている。
保育士、手話通訳、大学、里親、CAP。
なんでかな?と思ったけれど、人の顔色を伺って生きていた私の欠点が、生かされている仕事である。
相手の感情、行動を観察していないとスムーズには進んでいかない。
それが瞬時に出来るようになってしまった私の欠点か長所として生きているだなとそのWさんと話をしていて思った。
気を使いすぎるとマイナスの視点で考えるとどよ~~んとしてくるけれど、配慮が出来ると考えると少し嬉しい。
善意の人を見ていると私のような経験を持つ人間の入る隙間はないように思っていた。
けれど、神様は自分の子どもであるイエス様との関係を(親子の絆)を死を持って一度断ち切り、自分の力でよみがえりを実現させたとすれば、
全ての人間の罪はすでに赦されているのよと言われた。
・・・・ってことは「思い煩うな」とよく言われていることは、納得した。
人の力だけで何とかしようとすると困難が待ち受ける、だから祈りなさいって事。
それは良く聞いていて、知っていることだった。
でも昨日はその言葉の意味がよくわかった。
kasumiさん、あなたは父親を「赦さない」と思っている自分を赦していない。
でも神様はそんなあなたの全てをすでに赦している。
その中であなたの働きがあるのだから、自分を赦したらいいよと言われた時に涙が出てきた。
解放された。
神様はあなたの手をずっと握っているのよ。
私たちがもう駄目だと手を話しても神様はあきらめずにずっとつかんでいる。だから何度も何度も神様を思いだす場所にあなたが来るのよね。
神様はずっとあなたのそばにいるのよ。
そう言った。
私はサバイバーさんで子育てがあらかた終わった人に出会いたかった。
子どもの思春期をどう超えたのか?
名乗りをあげた事で(HPなどで)サバイバーさんと出会いは増えた。けれど、私よりも年上で、快復が終わっていて、それを意識して社会に発信している人には今まで出会えなかった。
けれど、とっても身近なところにWさんはいた。
Wさんの妹にしか話してない体験も聞いた。
そんなこと私が聞いちゃってもいいのか?と思うくらいの気持ちだった。
Wさんは、父親から受けたその暴力は「父」という存在を否定する気持ちになるから「父なる神」はとても怖いと思って当たり前だと思うわ。
でもkasumiさんの実父さんは、この世の肉の塊だから本当の意味での「父」ではなかった。
また私たちも人間の姿をした罪人だから、この姿のままでいるには制限がある。
魂(聖なる)、神様の言葉は目に見えないものだけれど、一度は「神様を信じます」と誓った私たちはとても強いものがある。神様の存在を知っているのだから。
今までも同じような言葉、祈りを聞いた。でもうそ臭いと思っていた。
けど、昨日は私のためにとても力強く、心を込めて祈ってくれたその言葉は信じて見てもいいかな?と思った。
祈りってこんなに力があるんだ・・・と思った。
児童相談所との武勇伝も聞いてくれた。
良く本気で怒ってくれたわと喜んでいた。(笑)
私はあの時、里子ちゃんが大人の都合で振り回された自分と重なっていた。
私とほぼ同じような体験をしてきた6歳のRちゃんに。
昨日話を聞いてもらって「怒った私」はそのままで良かったんだと思った。
児童相談所に性虐待を本気で考えろ!!と怒れるのは私くらいだと思う。
(その後の対応はかなり変わった)
あなたには善悪を判断する力と、それを伝える力を神様が用いているのだから、あなたはあなたのままでいていいのよと言われた。
いや~~、クリスチャンでこの話が出来る人がいるなんて取っても嬉しい。
私の父と言う言葉と父なる神様の父は同じ漢字だけれど、意味はまったく違うってわかってよかった。
神様、ナイス!(笑)
あ~~~すっきりした。
私は10歳の時には神様の存在を知っていて、たぶん・・・。
いつも読んでいた子どもようの「ぎんの星」って本。
放蕩息子が帰ってきて父親が喜んで迎えるという繰り返し読んでいた。
そばにいた別の息子が、「なぜ、好き勝手な事をしてきた弟?兄?をそんなに喜んで迎えるのか?」という疑問に、「おまえはいつもそばにいただろう」という言葉を返す。
私はどうしてこの話を繰り返し読んでいたのかと考えると、たぶん実父にこんな風に私を向かえて欲しかったんだろうと思う。
昨日里親の先輩でクリスチャンで、自分の子育てが終わっていて、サバイバーさんだったWさんと出会っていろんな話をした。
何年か前から知りあいだったけれどゆっくり話す機会はなくて、今回シンガポールの人たちを迎えるときに連絡をくれて、私と彼らをつなげてくれた。
その虐待を受けた子どもたちへのプログラムの実施にあたり、この夏私はいろんな人に出会い、そして、「神様の言葉」と再会した。
私は教会で「父なる神を信頼します」と言われると洗礼を受けてはいるものの、「父か・・・」とため息がでる。
私の中の「父」を連想すると神の愛は歪んだ物になりとても苦しい。
私は「重荷をもっているものは私のもとに来なさい。休ませてあげよう」という聖句が好きだ。
けれど、いつもいつも、「神様。私はそばに来てますから!!」と机や地面を叩きたくなる。
私は来ているのに気がついてくれないのは神様だ!!と叫びたくなる。
それはたぶん私が地面ばかりを見て、顔をあげないからだと自分を責めたりした。
教会の中にいると善意の塊で苦しくなる。
優しくされると息が出来ない。
神様に祈りましょうと言われても、「あんたになにがわかるんだ」と言いたくなる。そんな風になる自分が嫌で教会にはいかない。
けれど、先日のキッズキャンプはいつでも祈りの中にあった。
英語なので、感じ方は違うけれど、日本人の祈りよりも明快ですっきりしていて「ナイス」な感じがした。
なので、神様の家族に戻りたくなった。
私は人が煩わしい。
面倒くさい。
けれどいつも人間と関わる仕事をしている。
保育士、手話通訳、大学、里親、CAP。
なんでかな?と思ったけれど、人の顔色を伺って生きていた私の欠点が、生かされている仕事である。
相手の感情、行動を観察していないとスムーズには進んでいかない。
それが瞬時に出来るようになってしまった私の欠点か長所として生きているだなとそのWさんと話をしていて思った。
気を使いすぎるとマイナスの視点で考えるとどよ~~んとしてくるけれど、配慮が出来ると考えると少し嬉しい。
善意の人を見ていると私のような経験を持つ人間の入る隙間はないように思っていた。
けれど、神様は自分の子どもであるイエス様との関係を(親子の絆)を死を持って一度断ち切り、自分の力でよみがえりを実現させたとすれば、
全ての人間の罪はすでに赦されているのよと言われた。
・・・・ってことは「思い煩うな」とよく言われていることは、納得した。
人の力だけで何とかしようとすると困難が待ち受ける、だから祈りなさいって事。
それは良く聞いていて、知っていることだった。
でも昨日はその言葉の意味がよくわかった。
kasumiさん、あなたは父親を「赦さない」と思っている自分を赦していない。
でも神様はそんなあなたの全てをすでに赦している。
その中であなたの働きがあるのだから、自分を赦したらいいよと言われた時に涙が出てきた。
解放された。
神様はあなたの手をずっと握っているのよ。
私たちがもう駄目だと手を話しても神様はあきらめずにずっとつかんでいる。だから何度も何度も神様を思いだす場所にあなたが来るのよね。
神様はずっとあなたのそばにいるのよ。
そう言った。
私はサバイバーさんで子育てがあらかた終わった人に出会いたかった。
子どもの思春期をどう超えたのか?
名乗りをあげた事で(HPなどで)サバイバーさんと出会いは増えた。けれど、私よりも年上で、快復が終わっていて、それを意識して社会に発信している人には今まで出会えなかった。
けれど、とっても身近なところにWさんはいた。
Wさんの妹にしか話してない体験も聞いた。
そんなこと私が聞いちゃってもいいのか?と思うくらいの気持ちだった。
Wさんは、父親から受けたその暴力は「父」という存在を否定する気持ちになるから「父なる神」はとても怖いと思って当たり前だと思うわ。
でもkasumiさんの実父さんは、この世の肉の塊だから本当の意味での「父」ではなかった。
また私たちも人間の姿をした罪人だから、この姿のままでいるには制限がある。
魂(聖なる)、神様の言葉は目に見えないものだけれど、一度は「神様を信じます」と誓った私たちはとても強いものがある。神様の存在を知っているのだから。
今までも同じような言葉、祈りを聞いた。でもうそ臭いと思っていた。
けど、昨日は私のためにとても力強く、心を込めて祈ってくれたその言葉は信じて見てもいいかな?と思った。
祈りってこんなに力があるんだ・・・と思った。
児童相談所との武勇伝も聞いてくれた。
良く本気で怒ってくれたわと喜んでいた。(笑)
私はあの時、里子ちゃんが大人の都合で振り回された自分と重なっていた。
私とほぼ同じような体験をしてきた6歳のRちゃんに。
昨日話を聞いてもらって「怒った私」はそのままで良かったんだと思った。
児童相談所に性虐待を本気で考えろ!!と怒れるのは私くらいだと思う。
(その後の対応はかなり変わった)
あなたには善悪を判断する力と、それを伝える力を神様が用いているのだから、あなたはあなたのままでいていいのよと言われた。
いや~~、クリスチャンでこの話が出来る人がいるなんて取っても嬉しい。
私の父と言う言葉と父なる神様の父は同じ漢字だけれど、意味はまったく違うってわかってよかった。
神様、ナイス!(笑)
あ~~~すっきりした。