虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
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私は季節を肌で感じることが少ない。
11月になってぼんやりうっすらとナナカマドの赤い実に白い雪が積もっているのを発見して・・ああ・・冬が来るんだなと思う。
寒いのにはめっきり弱いのでそこだけ季節を感じて、1年が経ったのだとわかる。
森田ゆりさんに出会ってから、さくらを意識して「春」がわかるようになった。
ゆりさんは潔いさくらが好きだと聞いたり、本に書いていある言葉を読んで「さくら」を認識できるようになった。
日本を象徴してるさくら。
外国に住んでいるときに、日本の歌を歌って!とか「さくら」を歌って!とか言われることが多かったと聞いた。
北海道では、早い時で4月の下旬、通常5月の連休にさくらが咲き始める。
今年は昨日が開花宣言だった。
春を意識できると暖かくなって花が咲くとか、木の芽が出てるとか新しい発見もあって今年は楽しかった。
あ・・・。
その後についてまだ報告してないや。
また、自分の人生をまとめないいけないと思っているんだ。
自分が思っているよりも完全主義で。(笑)
出来ないのに、150%の結果を出そうとしてしまう。
出来ない・・じゃなくて、めざしてしまうから疲れるんだよね。
そして、自分に落第点をつけたがる。
できる時に出来る事。
それは十分すぎるくらい頑張っているんだから、及第点を自分につけるべし。
いくら自分に必要なことだったと思って見ても、その事態を振り返るのは痛いなぁ。。。とぼんやり。
生きているだけまし(普段は使いたくない言葉)だけど、ふとそんな風に思ってしまう。
神様は私にどう計画を立てたのだろうか?
反抗した私が単に道にそれてしまっただけの事なんだろうか?
私が歩く道は、なんでこんなに壁だらけなんだろう。
それとも、私がそう感じているだけの事?
枠にとらわれすぎて頭がいたい。
考えてると凹むんだと思いつつも、考えてしまう。
なにか別の事をしようかな?と思っても、疲れててできない。
自己肯定感、持ち続けたい。
とりあえず、内科的には健康だからそれで良しとするか。
PTAの役員を引き受けるだけの体力、不登校の娘への対応、仕事、いろんな事が出来るようになった自分。
とりあえず褒めようか。
出来ないことばかり数えてる。
自分でだめだししてちゃ、ダメだ。
ε=ε=ε=ε=ε=(o;´ρ`)o-3ハァハァ~ってなるよ。
あ・・そうか、新年度だから疲れるんだね。
新しい人間関係が出来てるから気を使っているんだ。
じゃ、疲れて当然か。(笑)
先日道路でタンポポを見つけました。我が家のちいさな庭(?_?)にも水仙がやっと咲きました。
今年はイチゴを一株プランターに移しました。かすみ草のタネを植えてみました。
実は近くに花屋さんがあって、そこに苗が売っていると友人から聞いてパチッ☆-(^ー'*)bナルホドと思って給料が出たら買いに行こうかな?と思っています。
今年はハーブを植えたいというか、育てたいというか、はやしてみたいというか、生のハーブを使いたいと思っています。
でも庭と言うほどの面積はないし、砂利が出てくることはあっても土は雨で流れるわ・・・。
・・・・かあさん、ゲオにビデオ返しに行くよとせかされているので、続きはまた今度。
5月にはいっったら修学旅行です。
いまのところ、家庭訪問も終わってそれなりに順調です。私は明日不登校の親の会に行こうかな?と思っています。<m(__)m>
2度目の不登校も始まって、今年は中3じゃん・・・と思いつつも、本人が歩き出さないとどうしようもないと思ってはいるけれど、自分の中の中学生である2ちゃんのイライラ・・・なんでお前だけ優先されるんだよ・・・という気持ちが治まらない。
1ちゃんと違って、「~したい」と伝えてこないので、どうしたいの??ときいても返事をせずにだまってにらむ。
その状態で娘とにらみ合うときは、柄の悪い高校生みたい。(笑)
普段は気持ちを押さえて娘に対応するけれど、この日はだめだった。
朝起きるのが得意じゃない娘に「何の気してんだ」と胸倉をつかみすごんだ。
やくざだよ。まるで・・・・。
その日から娘は家出した。
やみくもにどこかに言ってしまったのではなく、ちゃんと友達の家に3日(こちらからも泊めてもらえるように連絡済)私の友人宅に6日と、9泊10日の家出だった。
そしてその家出先から学校へ行き、クラスに戻り、自分の決めた役割をこなしていた。
私は友人や夫の進めもあり「ゆりさん」に連絡をして、セッションの時間をとってもらうことにした。
当時の私はこれから先どうなってしまうのか?とても不安で本当にゆりさんの力がないと親子としてどう生きて行ったらいいのかもわからないとまじめに思っていた。
飛行機のチケット、時間の予約、ホテルの手配などなにがあってもユリさんは私に手助けをしてくれると思うと、冷静になってきた。
家出(外泊)している娘と冷静に話せる場所は?
ああ・・スクールカウンセラーさんに入ってもらおう。
着替えはどうしようか?
ああ・・・学校に持って行こう。
お金は?
ああ・・学校で預かってもらおう。
娘に直接逢えなくても手渡してくれる大人はどこにいる?
そんなことを一つ一つ考えた。
とてつもなく大きな山に見えた問題も、こなすことが出来ると低くなっていく。
実際にゆりさんと逢って話をした時は、その当時抱えた問題は整理されてしまって、「取り立てて困っていることはなさそうだけど?」と質問がきた。
私は「ゆりさんに逢えると思ったら解決できることが増えて、今は困ったことにはなっていない」と告げた。
そうよね。
連絡をもらった時は、とんでもないことになっている?と思って心配したのだけれど、それはないみたいだから安心したわ。
私は「今回とんでもないことになる前に、助けて欲しいと伝えたことで、予防が出来た」ってことなのかな?と思っている。
これは「こんなささいな事」で大げさに・・・とも思わないでもないけれど、ここを通過しなければこれから先きっともっととんでもない事になる自分がいると思っている。
ご迷惑をおかけしました・・・と言う気持ちもある。
でも、被害者を出さずに予防することが出来て良かったと思う。
一番ほっとしたのは、「こんな私がCAPをつづけていてもいいですかね?」と聞いた時に、「もちろんよ、あなたにしかできないことがたくさんあるじゃないの」という言葉だった。
凹む前に凹まない方法を見つけた。
それは自分の中で「こんなささいなこと」のあたりで助けを求めることだ。
こちらのブログはあまり更新していないんだけれど、最近ご訪問いただいているなぁ・・・と感じています。
読んでいただいた方、ありがとうございます。
最近私は「性」のゆがみについて考えることが多く、なんだかな??となることが多いです。
親戚の中では「被害妄想」として扱われている部分もあって、ふうんと思いながら、「お前らがちゃんと連鎖を止めなかったことが私に不利益を与えている」と思いつつも、なにをいっても「kasumiのせい」にされる習慣には辟易としていて、まぁ・・・いいやと思うこともしばしばです。
本当に私は離れた土地を選んでいて正解!だったと思います。
これがスープの冷めない距離に住んでいたら即あしたのテレビにでていることでしょう。
そんなことはしない、させないためにももう少し踏ん張らないとな・・とは思います。
娘は春から中3です。
北海道は異様に内申点にこだわる地域で、不登校を選んだ彼女には高校進学はまた新しい挑戦になると思います。
けれども、めざすもの、道はすでにあって親としてはそんなにハードルを高くしなくても・・・とも思いますが、頑張りたい娘を素直に応援できるように自分の感情もコントロールできるといいなぁ。。。と思います。
今委託はないけれど、里親会に関わることや子どもに関わる期間とのつながりがあることにとても救われます。
地域で子どもを育てると言うのは本当に大切なことだと思います。
とるに足りない親でも、回りの力を借りて娘の支援が出来るようにと自分に魔法をかけたい気持ちです。
私はこの同じ時期に「性暴力」をはっきり認識し、何かが違うと感じてきましたが、世間の「親子なんだから」と言う言葉にごまかされてきたように思います。
娘の存在によって自分の子ども時代を振り返ることは時にはとても辛いですが、それが出来ることに感謝です。