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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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 五十肩・・・なにもぴったり年齢に合わせなくても・・・って思うんだけれど、「痛い」
一時期より軽くなっているのは事実だけれど、通院できないのが、嫌かな。

湿布にも、塗り薬にもまけてきて、上腕、肩のあたりの肌がかさかさ・・・です。

けど、塗らないと痛いし。


多分、心が快復していなければ、どってことのない痛み何だろうと思うけれど、かなり一般的な人にちかくなっているから、痛みを感じる部分が浅いんだわ・・・。

明日からは、通院できるし、痛みも緩和してもらえるはず。

すこし休みなさいってことなんだけど、まだ休むのかしらね。(笑)

なんでなるんだろう?五十肩・・・。調べてみよう。(いまころかい!)


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 私はどうも、年末のクリスマスからお正月という時期が苦手で、でも今回はそんなに意識しないで過ごしたかもしれません。

なんで、五十肩が痛くて、何もできない・・・っていうか、「痛いし・・・」ってなることばっかりで、元旦にも、近くを歩いていただけで3度も転び、腕をかばうので、身体ごと、スケートのように滑り、しまいには頭をが~~ん。

たんこぶだし・・・。


笑うに笑えない。


なんかこんな時に限って♪の神様が君臨してくるし・・・。

ノートに音階をメモリ、ちょこっと弾いてみたらはまること。(笑)

っていっても、音あそびなので、楽しいです。

おそるおそる左手を伸ばし、痛い・・・ってなりながら、夫と娘は実家へ。
札幌に出かけました。



体調が悪い時には、人に逢わないことにしているので、まーさんは先日頂いた「表彰状」を持参し、PVも持っていくというので、焼きましして。

いってらっしゃい~~~。

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 12月25日の朝、7時半に家を出て、さて・・・函館空港へ。 

やっぱり東京からの飛行機は着陸していなかった。 

家の前でも20センチくらいの積雪があったから、雪かきが間に合わないだろうなぁ・・・と思っていた。 

着陸してくれないと、こちらからはナイトステイのない空港だから、飛びようがない。 

なんとか、降りてきて~~~と祈りながら、飛行機に搭乗している人も気が気じゃないだろうなと想像しながら、待つこと2時間。 

やっと、着陸してきて、さて・・・。 

けれど、積雪と、風が邪魔して、飛べるかどうか調査中という放送ばかりが流れる。 

欠航なら、すっきり別の方法を考えるのだけれど、大阪のほうの全国大会のスタッフとメールしながら、遅れてもいいから、「来て!」という言葉に背中を押される。 

先にJALが10分先に飛び立った。それでも、2時間は遅れていた。 

さあ・・・と、思っていたら、雪かきが始まった。それに1時間。 

さて搭乗案内があり、飛行機に乗ったのはよいけれど、滑走路に出てからの横風がひどかった。 

これじゃ、飛べないなと思っていたら案の定、空港まで戻ることになり、一度座ったのに、おろされた。 

そこから、また1時間。 

雪かき。 

でも、搭乗口から見てると、必死に車を動かしている人たちがいた。 

ものすごい勢いで雪をどけて、何とか飛ばそうとしている姿があった。 

頑張れ~~って、思った。 

そして、8時50分発が15時になって搭乗が開始された。 
羽田で乗り継ぎで伊丹だったため、何度も乗り換えの飛行機を変更した。 

いざ乗れるとなったときには、乗り継ぎの手配が間に合わないほどのめまぐるしさだった。 


羽田に着きエア道の職員が待機して羽田空港を走る。 

しかし、3分差で間に合わず。 

結局会場に着いたのは、20時半。 
今年から、アメリカの親善大使はブロック賞をもらったメンバーがグループワークや、活動の発表をして、自分たちで投票して選ぶ形になっている。 
一日目の行程にほとんど参加していないまーさんは、自分は選ばれないことを知りつつ、自分の活動を息も切らしながら報告していた姿には涙がでた。 

最善のことを尽くす。 
それがまーさん。 

その後のグループワークにも、周りが「たいへんやったろう」と声を掛けてくれたことと、本人なりに早く遅れを取り戻そうと努力していた。 

二日目の発表も周りの保護者から、「素敵な娘さんですね」といわれた。 

表彰式は、北海道・東北ブロックが最初なので、旗手を務めていた。 

ブロック奨励賞には、北海道・東北ブロックは誰も入らず、ちょっと残念だった。 

いよいよ、文部科学大臣賞の発表のときに、私は司会者の口元をみた。 
口話が読み取れるって便利や。笑 


2人選ばれることになっていて、最初の人は関東の人だった。 

さて、もう一人・・・。 

北海道のほが見てた。 

おお~~同じブロックの誰かだ。 

そして、鈴木のすの形が見えた。 

そして、きいた。 

すずき まなさん。 

本人はまだ気がついてない。 
私は背中を押した。 
まーのことだよ。 

やったね。 

その後のインタビューも素敵だった。 


来年のポスターには受賞者全員が写っている写真を使うそうだ。 

賞が欲しくて活動しているわけでないのはモチロンだけれど、認められるってことがとても嬉しい。 

そして、まーさんには、全国に友人ができた。 

ミュージックサインも全国に広がった。 

表彰式では、ブロックのときに、使ったPVが少しだけれど流れた。 
編集してあるものだったので、少し画像が荒かったけれど、リボンやおーちゃん、かほが映っていた。 

長い長い大阪の旅立だったけれど、よかったね。 

2人で抱き合った。
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1月、イラクの子どもたちへのチョコ募金。 

無謀にもピアノを弾いて歌うなんてことをした。 

教育大学の吹奏楽のメンバーの力もあって、精一杯演奏した。 




2月 NPO法人を立ち上げるための設立総会。 

障がいがあっても、なくても住みなれた地域で生涯を終えたい、だれしもが願うこと。 
そんな「終の棲家」を仲間と作りたいと、願いを込めて総会を開いた。 

3月 ひな祭りコンサート 
渡島支庁のロビーで、100人を越える人が来てくれた。 

vocalのタッカの喉は最悪。(笑) 
あれだけ、病院に行け!って言ったのに、早めに行かない頑固者(笑) 

でも、いいコンサートだった。 
教育大学のwinterコンサート。 

モンゴルの馬頭琴、「スーホの白い馬」のコラボが素敵だった。 
廉売横丁で、子どもにも楽しんでもらおうと、ドロップスやサンポ、オリジナル曲だけじゃなく、知っている歌にも挑戦(タッカやカズ、そしてわたげのメンバーが歌った) 


4月 おーちゃんの、「なんもなんも」ユニットの練習やPVの撮影が始まった。レコーディングもした。 

5月 憲法 9条の会の依頼で わたげデビュー 

島牧慈光園、ユースホステルでのライブ 

アップルドリームのライブ  う~みさんとの出逢い 

6月 ユニバーサル上映映画祭in 七飯 「アンダンテ 稲の旋律」 
これが今のタッカの夢に繋がった。 

札幌手稲のイオンで、ライブの時に 桜庭 和くんと出逢う。 

中島廉売横丁で、路上ライブを含めて、二日間演奏。 


7月  どどんと道南ラジオ  

初の「わたげワンマンライブ」芸術ホールのオープンギャラリー。 
雨が降って中での演奏だったけど、100人を越えた。 

花火の日にも、カルフォルニアベイビーの隣のお店でライブ。 

8月 おーちゃんのなんもなんもで、どどんと道南ラジオ公開放送。 

9月 北海道ユニバーサル上映映画祭 
初のデフ・パフォーマンス  那須さんとアトムさんが出演、そしてゆずり葉の上映も出来た。 

ヨサコイソーランにも、サインをつけたら、喜んでくれたろう者がいっぱいいた。 

NPO祭りで、 
わたげに出演依頼。タッカがいない状態でも、30分演奏出来ることを学んだ 

10月 廉売横丁でライブ 
ハロウィンパーティー 
静岡での国際UDデザイン会議でミュージックサインデビュー。 

ユニバーサルホームを作る会での初事業、手話講座を開催。 

11月 ライオンズクラブで「なんもなんも」で演奏。 

北海道ユニバーサル上映映画祭in函館 

12月 国立視力障害センターでFMいるかで公開放送の中で、「なんもなんも」の演奏。 


まーさんは、ボランティアスピリットアワードで「文部科学大臣賞」を頂く。 

私は、母を赦し、昨日父とも会話し、父を赦し 

過去に縛られないみちえの出発への、スタートを切った。 

激動の一年だった。 

50歳になって、五十肩を経験しているけれど、少し痛みが消えてきた。 

りぼん。 

プレゼントをあけるたびに解かないといけないけれど、新しいりぼんはまた結べると実感。 

そして、それがいつのまにか、大きな和(輪)になることも実感。 

ありがとう。 

自分で曲も作った。 

この信じてはインチャイのkasumiの言葉をつないだもの。 

たくさんの人に届くといいなぁ・・・・と思っているので、みなさまいい曲だと思ったら、だれかにプレゼントしてください。
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 今年の最後の仕事、虐待をした父にあい別れを告げることが出来ました。 


私の家族と妹と甥っ子たちの力を借りて初めて親子らしい会話が出来たように思います。 

先日ま-さんが頂いた「文部科学大臣賞」の表彰状、表彰式のDVDを持ち見せて来ました。 

「偉いexclamation偉いexclamation」と何度も褒める姿があり、お年玉を「奮発しよう」と追加分のご褒美を渡していました。 


私はそれを「自分のこどもにもしたかっただろうなぁ…」と父の苦しさをホンの少しかいま見ることが出来ました。 


小学校6年生の時にアメリカ軍に攻撃された時の話しも初めて聴き戦争が残した傷の大きさも知り「この人も自分が生きてることに運命的なものを感じたり引け目を持って生きてきたんだ」とわかりました。 


DVDプレイヤーがなく見たいものがあるけれど見ることができないというのですぐ近くにヤマダ電機があったので夫がお金をもらい買いに行き、使い方を説明しました。 

認知症もかなりあるのでだんだん支援者になっていく私がいました。 


何度も何度も使えるようになるまで…(笑) 

孫との会話を聴いていると本来はこどもが大好きな人であることも私が昨年送った新聞記事も毎日眺めているだろうもいう形跡もありでした。 


写真も飾ってあり親としての彼は私や私の家族を案じているのだということも理解できました。 


多重であることは多獣でもあるんだとやっぱり暴力の連鎖を切るために私は生まれ生きて来たのだと思います。 

最後に「元気でね。ありがとう」と父の顔を見て目を見て伝えてきました。 


びっくりしてましたが、一瞬だけ心が通った気がしました。 


見送ってくれていた父は一度家に戻りかけましたが車が見えなくなるまでずっと外にいました。 


やっと親子に戻れた、そう思います。 
来てよかった。 

やっぱりパパは大好きな存在だった。 


なのに認められないことが私は悲しかった。 


ただそれだけ。 


それがわかるのには傷が深すぎた。 


ただそれだけ…。

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