虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
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先週、ライブで函館に戻ってきたタッカに有精卵を買ってきてもらって今日シフォンを焼いてみた。
お菓子って新鮮な卵向きじゃないって聞いたことがあったのと、やっぱり時間がなくて今日になってしまった。(笑)
けど、卵黄がプルンってしてて、卵白もプルンってしてて、「おお~~」って思った。
そして、泡だて器と格闘して、小さいお持ちかえりようの容器で3つ焼いた。
まだ食べてないので、お味はわからないけれど、膨らみ方が違うように思う。
明日、ユニット「なんもなんも」でライブがあるんだけれど、その時に、試食してみてもらおうと思う。
タッカのお家にももっていってもらって、食べてみてもらおうかな。
明後日はユニバーサル上映があるんだけれど、ボランティアの数が足りないって電話が来ていたので、あちこちに声をかけて、ひとり、またひとりと数を増やしている途中。
昨日は映画チームに4年生が1人入ってくれて、友達に声をかけてくれるって言っていた。
今日連絡が取れた学生さんは、友達も誘ってみてみると言ってくれた。
少しでもいいから、ぼちぼち関わってくれる若い人が集まるといいなって思う。
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お菓子って新鮮な卵向きじゃないって聞いたことがあったのと、やっぱり時間がなくて今日になってしまった。(笑)
けど、卵黄がプルンってしてて、卵白もプルンってしてて、「おお~~」って思った。
そして、泡だて器と格闘して、小さいお持ちかえりようの容器で3つ焼いた。
まだ食べてないので、お味はわからないけれど、膨らみ方が違うように思う。
明日、ユニット「なんもなんも」でライブがあるんだけれど、その時に、試食してみてもらおうと思う。
タッカのお家にももっていってもらって、食べてみてもらおうかな。
明後日はユニバーサル上映があるんだけれど、ボランティアの数が足りないって電話が来ていたので、あちこちに声をかけて、ひとり、またひとりと数を増やしている途中。
昨日は映画チームに4年生が1人入ってくれて、友達に声をかけてくれるって言っていた。
今日連絡が取れた学生さんは、友達も誘ってみてみると言ってくれた。
少しでもいいから、ぼちぼち関わってくれる若い人が集まるといいなって思う。
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昼ころ、関西方面に向かう友人を見送ってきました。
仕事でけがをして、高次脳機能障害を持ち、そしてリハビリ中の彼ですが、自宅に戻ることになっていた今日。
去年函館に来たときとはずいぶん機能的には快復をして、めでたし・・となる道しるべが夏ころから、違った方向へ進んでいました。
細かいことはかけないのだけれど、これから先苦難があることは分かっていて、でもそれを越えてどんな人生を送っていくことになるのは、とんでもなく不透明。
そんな彼に私は何が出来るか?
笑って、またね!と手を振る。
写真、嫌いだけれど「michieちゃんに逢えるとうれしいんだ」という言葉をいつももらっていたので携帯で撮り、彼の携帯へメールで送り、保存。
そして、こっち向いてという声に、振り返り、私の写真を撮って保存。
「僕、大丈夫と思う?」という不安そうな声に「大丈夫だよ、みんながついている。遠くても心の中でいつでも応援しているから」
具体的には、何もできないけれど、「大丈夫」
よくわからないけれど、私はそう思うから、「大丈夫」
そう伝えた。
メールしてもいい?
電話してもいい?
この一年何度も聞かれたこと。
「いいよ、出られない時もあるけれど折り返しかけるから大丈夫」
遠慮して、長くても3分以上は、話をしてこないけれど、「ごめんね」という彼に幾度となく「大丈夫だよ」。
あなたのままでいいんだよ。
頑張らなくてもいい、踏ん張ってね。
そう交した別れ際の言葉。
お互い逢えてよかったね、本当にそう思うから。
いろんな事がトラウマになって、怖くてたまらないだろうと思うととても切ないけれど、彼なら「大丈夫」
そう思う。
見て分かりにくい障害をもつということ。
分かってもらいにくい部分を持っていること、生きにくさ。
でも、命がある限り「大丈夫」
だから私は笑顔で姿を見送り、飛行機が飛び立つ瞬間まで、デッキで見送った。
私の姿を見ているかどうかは、関係なくそうして見送りたかった私がいるから、手を振って「いってらっしゃい」
そう言った。
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仕事でけがをして、高次脳機能障害を持ち、そしてリハビリ中の彼ですが、自宅に戻ることになっていた今日。
去年函館に来たときとはずいぶん機能的には快復をして、めでたし・・となる道しるべが夏ころから、違った方向へ進んでいました。
細かいことはかけないのだけれど、これから先苦難があることは分かっていて、でもそれを越えてどんな人生を送っていくことになるのは、とんでもなく不透明。
そんな彼に私は何が出来るか?
笑って、またね!と手を振る。
写真、嫌いだけれど「michieちゃんに逢えるとうれしいんだ」という言葉をいつももらっていたので携帯で撮り、彼の携帯へメールで送り、保存。
そして、こっち向いてという声に、振り返り、私の写真を撮って保存。
「僕、大丈夫と思う?」という不安そうな声に「大丈夫だよ、みんながついている。遠くても心の中でいつでも応援しているから」
具体的には、何もできないけれど、「大丈夫」
よくわからないけれど、私はそう思うから、「大丈夫」
そう伝えた。
メールしてもいい?
電話してもいい?
この一年何度も聞かれたこと。
「いいよ、出られない時もあるけれど折り返しかけるから大丈夫」
遠慮して、長くても3分以上は、話をしてこないけれど、「ごめんね」という彼に幾度となく「大丈夫だよ」。
あなたのままでいいんだよ。
頑張らなくてもいい、踏ん張ってね。
そう交した別れ際の言葉。
お互い逢えてよかったね、本当にそう思うから。
いろんな事がトラウマになって、怖くてたまらないだろうと思うととても切ないけれど、彼なら「大丈夫」
そう思う。
見て分かりにくい障害をもつということ。
分かってもらいにくい部分を持っていること、生きにくさ。
でも、命がある限り「大丈夫」
だから私は笑顔で姿を見送り、飛行機が飛び立つ瞬間まで、デッキで見送った。
私の姿を見ているかどうかは、関係なくそうして見送りたかった私がいるから、手を振って「いってらっしゃい」
そう言った。
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迷子になっている心
ちゃんと、探しに行こう
そして歩きだそう、自分の力で
信じよう、自分を
未来を見つめて
夢を見つけて
自分の力で歩き
手に取ろう
できるよ、きっと
忘れないで・・・・
悲しんでる あなたに
届けたい
ほんの少しだけ 顔を
あげたら 僕が
ずっと君のために
歌い続ける
ほんの少しの笑顔
僕に伝えてよ
ららら~~
悲しんでる あなたに
届けたい
ほんの少しだけ 顔を
あげたら 僕が
ずっと君のために
歌い続ける
ほんの少しの笑顔
僕に伝えてよ
ラララ~~~♪
タッカの曲で大変珍しいことに、曲が先にできたと聞かせてもらったものをiphoneのボイスメモで取った時に、一日半聴いているうちに、言葉が浮かんできたものとを、メロディに合わせて歌ってもらいました。
メロディがあいまいだった部分はその時にまた演奏してもらって、しばし・・・・うなり・・・。
あ!とひらめいた部分が「ほんの少しだけ 笑顔伝えてよ」です。
これはピアノも割とひらめきで弾いています。
けれど、結構感じがいいというか、曲にあった伴奏が出来た2曲目です。
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ちゃんと、探しに行こう
そして歩きだそう、自分の力で
信じよう、自分を
未来を見つめて
夢を見つけて
自分の力で歩き
手に取ろう
できるよ、きっと
忘れないで・・・・
悲しんでる あなたに
届けたい
ほんの少しだけ 顔を
あげたら 僕が
ずっと君のために
歌い続ける
ほんの少しの笑顔
僕に伝えてよ
ららら~~
悲しんでる あなたに
届けたい
ほんの少しだけ 顔を
あげたら 僕が
ずっと君のために
歌い続ける
ほんの少しの笑顔
僕に伝えてよ
ラララ~~~♪
タッカの曲で大変珍しいことに、曲が先にできたと聞かせてもらったものをiphoneのボイスメモで取った時に、一日半聴いているうちに、言葉が浮かんできたものとを、メロディに合わせて歌ってもらいました。
メロディがあいまいだった部分はその時にまた演奏してもらって、しばし・・・・うなり・・・。
あ!とひらめいた部分が「ほんの少しだけ 笑顔伝えてよ」です。
これはピアノも割とひらめきで弾いています。
けれど、結構感じがいいというか、曲にあった伴奏が出来た2曲目です。
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ヘネシーさんと出会ったあとから、本当にいろんな変化がありすぎたのと、公私ともに忙しくて、こんなにブログの記事を書かなかったことはないくらい、バタバタしていました。
まーさんの表彰式のあと、ライブ、そして今日は札幌に出かけ、人形劇の公演。
そして、日常的には、映画の準備。
映画の会場の下見や打ち合わせ。
毎週末、家にいることなく、飛び回っていました。
昨日は、里親会の研修の日で、今年から役員になりその研修の補佐をしつつ、夜行で札幌に向かいさっき自宅につきました。
来週はユニバーサル上映映画を函館で開くので、最終準備。
そして、また次の週には、クリスマスでのライブ。
ここまでバタバタと忙しくなっています。
その傍ら、広報紙をつくり、パソコンに触るのが嫌なくらい、カチャカチャしていて、気持ちにゆとりがなく、記事の更新も、ミクシーと、わたげの方だけが精一杯。(笑)
先週札幌に向かった時は妹とも久しぶりにゆっくり話しが出来、昨年亡くなった祖母の形見を3つもらい、「お姉ちゃんが一番長くかかわったんだから何か持っていって」という言葉をもらって、そんなに必要なものではないけれど、もらってきました。
祖母は料理がうまい人で、小学校の高学年の時に、しばらく祖母の家から学校に通っていたこともあって、作ることは、そこで覚えたかもしれないと思っています。
それでも「母はだらしない」と悪口を聞き、その母にそっくりだという言葉で傷ついていた小さな私は、祖母も苦手ではあったけれど、認知症になってからの祖母の世話をしたのも私だったりします。
基本、困っている人を放ってはおけない性格なので、それはそれで仕事と同じように接していたように思います。
里親会の方では、「両親を赦してもいいかな?」とやっと思えるようになったと発言したら、里子さんが同じようにそんな日が来るかしら?と話をされて、いつとはわからないけれど、段階を踏んで、その都度相談に乗っていけば、若いうちにできるかもしれないねと、話が弾みました。
私のように、信じられる大人が一人もいない場合と、あと1年で措置が切れるけれども、毎日同じ顔で過ごして来た年月を持っている子どもでは、雲泥の差があるだろうと思うからです。
こんな私でもこの8年間で大きく変化していくわけだから、可能性はゼロではないはず。
先日300人を越える人の前で、ライブがあり、落ち着いてピアノが弾けました。
ミスタッチはあり変わらずあるけれど、(笑)それも「ハラハラしないで聴ける」と言ってくれる人がいて、和音がきれいだとか、繊細な音ですねとか、私らしさを奏でる力を持てることにこの一年半、とても頑張ったなと自分をすごく褒めてあげたいのです。
出来ないと思っていたことが出来るようになることはとてもうれしいし、人との関わりで、いろんなこと、いろんなものをプレゼントしてもらったり、気遣ってもらったりで、「生きててよかったな」という事がとても増えています。
生まれる前から、決まっていた道なんだと、虐待を受けたことはとても嫌だったけれど、それを丸ごと引き受けて自分を肯定していくことが、今の私につながって、気持ちも穏やかになれるんじゃないかなと、少しワクワクしています。
努力したことは手話でも、ピアノでも、人間関係でも、実っていくことがわかって、とてもうれしいです。
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まーさんの表彰式のあと、ライブ、そして今日は札幌に出かけ、人形劇の公演。
そして、日常的には、映画の準備。
映画の会場の下見や打ち合わせ。
毎週末、家にいることなく、飛び回っていました。
昨日は、里親会の研修の日で、今年から役員になりその研修の補佐をしつつ、夜行で札幌に向かいさっき自宅につきました。
来週はユニバーサル上映映画を函館で開くので、最終準備。
そして、また次の週には、クリスマスでのライブ。
ここまでバタバタと忙しくなっています。
その傍ら、広報紙をつくり、パソコンに触るのが嫌なくらい、カチャカチャしていて、気持ちにゆとりがなく、記事の更新も、ミクシーと、わたげの方だけが精一杯。(笑)
先週札幌に向かった時は妹とも久しぶりにゆっくり話しが出来、昨年亡くなった祖母の形見を3つもらい、「お姉ちゃんが一番長くかかわったんだから何か持っていって」という言葉をもらって、そんなに必要なものではないけれど、もらってきました。
祖母は料理がうまい人で、小学校の高学年の時に、しばらく祖母の家から学校に通っていたこともあって、作ることは、そこで覚えたかもしれないと思っています。
それでも「母はだらしない」と悪口を聞き、その母にそっくりだという言葉で傷ついていた小さな私は、祖母も苦手ではあったけれど、認知症になってからの祖母の世話をしたのも私だったりします。
基本、困っている人を放ってはおけない性格なので、それはそれで仕事と同じように接していたように思います。
里親会の方では、「両親を赦してもいいかな?」とやっと思えるようになったと発言したら、里子さんが同じようにそんな日が来るかしら?と話をされて、いつとはわからないけれど、段階を踏んで、その都度相談に乗っていけば、若いうちにできるかもしれないねと、話が弾みました。
私のように、信じられる大人が一人もいない場合と、あと1年で措置が切れるけれども、毎日同じ顔で過ごして来た年月を持っている子どもでは、雲泥の差があるだろうと思うからです。
こんな私でもこの8年間で大きく変化していくわけだから、可能性はゼロではないはず。
先日300人を越える人の前で、ライブがあり、落ち着いてピアノが弾けました。
ミスタッチはあり変わらずあるけれど、(笑)それも「ハラハラしないで聴ける」と言ってくれる人がいて、和音がきれいだとか、繊細な音ですねとか、私らしさを奏でる力を持てることにこの一年半、とても頑張ったなと自分をすごく褒めてあげたいのです。
出来ないと思っていたことが出来るようになることはとてもうれしいし、人との関わりで、いろんなこと、いろんなものをプレゼントしてもらったり、気遣ってもらったりで、「生きててよかったな」という事がとても増えています。
生まれる前から、決まっていた道なんだと、虐待を受けたことはとても嫌だったけれど、それを丸ごと引き受けて自分を肯定していくことが、今の私につながって、気持ちも穏やかになれるんじゃないかなと、少しワクワクしています。
努力したことは手話でも、ピアノでも、人間関係でも、実っていくことがわかって、とてもうれしいです。
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私は、今回のヘネシーさんの講演会で、日本の大御所ともいえる人、森田ゆりさん、服部さん、そして今回と、偉大な人と出会って、自分のことを話して「よく生きてきた」「頑張ってきたわね」「いっぱい勉強したんでしょう?」とハグされたり、父親のことについても、分析してもらって、すごくすっきり出来た。
それなりに、私が受けてきた虐待は「すごい」ってことと、そのすごさを生きにくさはあっても、生き抜いてきた自分を誇っていいんだと、心底思えたこと。
これがなりよりも「自分の誇り」なんだと思った。
そして、それを「超うれしいこと」として、受け入れていける器がどんどんできている自分の心の広さがとても風船のように受け入れようと、広がっている。
ふわり、ふわりわたげのように、飛んでいける、そんな感じがするのだ。
本当に「生きててよかった」そう思う日がどんどん増えていく。
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それなりに、私が受けてきた虐待は「すごい」ってことと、そのすごさを生きにくさはあっても、生き抜いてきた自分を誇っていいんだと、心底思えたこと。
これがなりよりも「自分の誇り」なんだと思った。
そして、それを「超うれしいこと」として、受け入れていける器がどんどんできている自分の心の広さがとても風船のように受け入れようと、広がっている。
ふわり、ふわりわたげのように、飛んでいける、そんな感じがするのだ。
本当に「生きててよかった」そう思う日がどんどん増えていく。
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