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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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 島さんから通訳の依頼を受けた時に、三千恵さんはきっと通訳したい!って思う人だよと、言われてた。
プロフをみて、そうかも・・・。

実際、良い通訳が出来たと思う。

私は最近ろう者にはもちろんだけれど、聴こえる人にもみててわかる通訳をしたいと思って、いままでにはない力を出そうとしている。

手話の単語がわからないから聴こえる人にはわからない通訳ではなくて、みててわかる通訳に挑戦している。

あたらしい手法かというと、そうじゃなくて、今は亡くなってしまって逢う事はできないけれど、「伊東しゅんすけ」さんがそうだった。
表情、間、要約の仕方。

いつも全国大会であうと、孫のような扱いで頭をなでてくれて、「元気か?」といつもいつも、気にかけてもらっていた。

亡くなった時は、肺がんだったけれど、彼もなかなか大変な子ども時代を過ごしてて、病弱だったから、学校には行けない時期があったとか、ろう学校で教師をしていたけれど、とてもろう者を愛していて・・・・・。


亡くなった日には、そばに来てくれていた。まーもそれは感じていて、2人で「おじいちゃん来てたよね」。

久しぶりに、逢いたいなぁ・・・って思った。

最近、父に逢いに行ってみようかななんて夢みたいなことを考えている。


多分行けないだろうと、思うけれど、手紙では「ありがとう」は伝えたけれど、「赦してあげるよ」って言った方がいいのかな?なんて思う事がある。

一方では、早く私を解放して!って願ってもいるんだけれどもね。


小桧山さんは淡々と話していたけれど、時代こそ違うけれど、壮絶な子ども時代を過ごしていて、それが原動力になって、小説を書いている。

一言、一言が重く、深くそして切実で、本気で日本という国、日本人、子どものことを考えている。

まだ本を読んだことはないけれど、いつか読みたい作家のひとりになったかなと思う。


夜、星をみて歩く。延々と・・・。

帰る家はあっても帰れない事情。

家に戻ると、母からの暴力。

貧乏が起こす感覚のひずみ。

いろんなことを経験して、今があって壮大だった。

会話の中で、「努力をしない人は、光らない」「壁があってこそ、乗り越える力がわくく」

こんなに簡単な言葉じゃなかったけれど、私には、「行きなさい」「生きなさい」生きるための努力をしなさいと言われているように聴こえた。


実父の高校の後輩だったけれど、近いものがあるのかな。


我が父も貧乏な家庭で育った。

しかも母子家庭。長男。
比較の毎日。

つらかったのかな?

会話をしたことがないので、想像でしかないけれど・・・・。


なににイライラしていたんだろうね。

正義感とか、他人に対する優しさはある人だった。

だれかを助けることは、嫌いじゃなかったはず。

でも、子どもにはやつあたりばっかりだったな。

お金持ちの家系(母の母)で育った母は、お勉強は出来たけれど「女は働くものじゃない」との教えを守って、27歳まで社会で何かをした経験がないし、家事も出来ない人だった。

そんな両親の子ども時代を想像した昨日だった。


もう、語り合う事はできないけれど、お金がすべてじゃないってことを両方から教わっていたんだなと、思った。

母はなんでもお金お金。

父は、仕事はまじめにしていたけれど、結局他人に騙されて、役所をやめなければならなかった。
新聞にも載って。

犯罪者みたいな扱いの記事だった。
あとで訂正記事が載ったけれどそれはだれも気づかないくらいの小さいものだった。


そのあと、いろいろ夢は大きかった。(石油を掘るとか、中国にいって、貧乏な人を救うとか)話しは大きかったし、いろいろ出かけていたけれど、実現したのかどうかは私にはわからないけれど、お金には困っていない。




いろんな人生があると思うけれど、似たような境遇でも生き方ってこんなに違うんだなと、改めて感じた。

私は、「自分は自分」と人格が別れているけれどそれは一貫してて、うだうだ悩むけれど、決めたことは突き進む。

自信がないと泣きわめくけれど、立ち上がる。何度でも。


転んでも何かを掴んで這いながらでも進む。

自分に起きた出来ことを無駄にして過ごして来たわけじゃない。

疲れきってしまったことも何度もあるけれど、生きてきた自分を持っていると思う。


よかったんだよ、これで・・・って思ったかも?(笑)







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 まーさんが修学旅行に行かないと札幌の友達に伝えたら、「じゃ、くれば?」と小学校卒業以来だから、5年ぶりにご対面しているころ。

母、私はライブも終わり、少し脱力感の中、ぼ~~~っとしている。

ケーキでも焼こうかな。

その前に強力粉や薄力粉を買ってこないとなぁ・・・・。大槻遠いなぁ…と、うだうだしております。


昨日はライブの前に小桧山博さんの講演会を通訳させてもらって、気持ちのいい通訳だったと思うし、考えていること、私がクリスタルになったら、もっと違う力ももてるのかしら?と、勘違いくするくらいの力のあるお話だった。


廉売はというと、先日よりお客さんがいない・・・・くらい閑散としていて、演奏も最小限。

タッカは、帰ろうとしてギターをしまい、後は持つだけ・・・・の状態になっていて、でもHさんがリクエストしてもいいかなとか、いつもピアノを貸してくれている「リッチ」さんが、セッションしたいと、申し出があって・・・・・。


高島、じゃっかん火が付きました。(笑)

前日、一度一緒にピアノが弾きたいなと思ってるんだと、リッチさんの気持ちは聞いていたいので、「セッション」したら面白ろしそう・・・と、思っていた私は、リッチさんの技を盗みたい・・・(笑)

そう思って、ずっと鍵盤を見ながら、サインを。(笑)


タッカはタッカで、どんな音がピアノからでてくるか、わからないでも、楽しそうっているか、「あ!僕の曲に違うピアノがついてる」キラリン!!!ってなったはず。(笑)


よく見ていると、同じ音を選んでいたり、ベースの音になるリズムの弾き方がつまりは左手が良く動く。

私は去年出来なかった、左のオクターブがやっとで、まだそこには到達できないんだけれど、少しコツを教えてもらったので、ちょっと自分の幅をふやせるのかもしれない。

あと、半音間で下がる、あがるをいれると、コード進行が楽になるかも?など、私の演奏もみて教えてもらった。


みちえさんは、コードをよく知っているね、それに和音の出し方がきれいだなって、思うよね。
やっぱり習ってた人との違いってあるんだよね。。。

リッチさんは友人に弾いてみな・・って言われて鍵盤に触ったそうで、その時は、かなり弾きこんだので、その時代の曲は忘れないし、人前で弾いてくようになると、変わるんだよ。自分もまだ7年だけれど、いっぱい弾いたら変わってくるのは間違いないって、教わった。


前にも、いっぱい弾いたらいいよ・・・って今よりも、何だこりゃの時に、同じこといってくれたっけ。。。(笑)

伴奏って難しいんだよね。でも20曲も弾けるようになってるのはすごいよ~~~と、かわいい笑顔で言われるとちょっとその気になりました。あはは。

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 1日目終わりました。

ピアノは・・・そんなに気にならないくらいの失敗というか、あ!でしたが、自分で作った曲が・・・。

タッカに「全然だめだったね」と、「うん」としか言えない状態で・・・。
あはは・・・じゃないくらい、だめだめで。

っていうか、語りすぎちゃって、気持ちが泣くモードにはいってしまって。

もう・・・。ってくらい歌えませんでした。

途中から、ピアノを弾くのをやめても、歌えなく叫びに近かったと思いますが。自分的には心がほわっとしていて、軽くなった感じがしています。

ある程度想像していたんだけれど、それを大幅に超えてしまって。。。

ろう者もたくさんいてくれて、一緒に泣いてくれて・・・。

わかる、わかる、気持ちわかるって、手話だから歌っていても、表現されている言葉が目に入ってきて、「ありがとう」って思うと、余計つらかった時や悲しかったんだとか、苦しかったんだなって自分で確認しながらの、時間でした。


聞いている人には本当に申し訳ないくらいぐちゃぐちゃだった。(笑)

でも、1年前の私じゃなくて、進化しているだもんね。本当にクリスタルになる日が来るんじゃないのかな。
今も心の中はあったかいんです。




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 先日の記事にも書きましたが、こんな賞です。
昨年は全国の中での150組に選ばれたんですね。そしてその表彰式が北海道・東北ブロックでの開催という事だったのです。

今年も、応募人数は3万2000人(1800組)を越えていて、その中での40人、そしてそのブロックの表彰が秋田県で行われるのです。



全国規模なので、ブロックによっては、コミュニティ賞が多かったりブロック賞が多かったり、またその逆もあるってことなんですね。

そして、全国大会に行ったならば、さらにブロック賞をもらった方々の中で、スピリットコミュニティ奨励賞とか、文部科学大臣賞とか、日米親善大使賞(これをもらうとアメリカに行ける)という仕組みになっているらしい。


・・・・・ってことが1年かけてやっとわかりました。(笑)


全国へいって賞を何ももらえなかったとしても、全国のいろんな活動をしている中高生との出会いは、きっと学校の枠を越えて、まーさんの栄養になると思うし、いろんな刺激を受けてまた、成長する瞬間があるんだと思うと、ドキドキもするし、ワクワクもします。(笑)

同じ年齢が少し苦手な彼女だけれど、きっと学校にはない空気が流れるのかな??


我が娘はとってもすごいんだなと、家にいるとめんこいだけだけど、「さすが~って言って!!」と催促するだけの道を歩いていると思います。

今時期、生徒会の立候補を決めるんですが、彼女は小学校で3度立候補し、(まー以外にいないと言われ、また本人もそれをしたかった)3度落選をしています。

なので、去年も、クラスで立候補したのですが、落選しています。
クラスメイトは自分じゃなければだれでもいい・・・そう思っているんだろうなと、感じていても、「絶対やだ!」を押しきれないし、今回はじゃんけんで・・・で負けてしまったそうです。


私は、演説の時に本音を話したらどうか?
自分が今したいこと、やり遂げたいこと、それは立候補しておいて、変な話だけれど、別にあるんだという話をしたらよいのではないかと・・・・。

けれど、それは多分選択肢の中にはないみたいで・・・・・。

昨日は保健室に2時間籠城して家に帰ってきた。
籠城している間、母さん呼んでよ~~~って叫んでいたらしい。


どうなるんだろう。

立候補したからには、当選したいという欲望も当然人間には、あると思うんだけどね。


私も一度落選した経験があるけれど、再選で立候補して、副会長をしたことがあります。
単に、先輩から生意気だって、意地悪されただけなんだけれど、それ以上に、励ましてくれた先輩とか、自分よりも落ち込んでくれたクラスメイトがいたからこそ、再度立候補したんだけれども。


まーさんの人生もなかなか波乱万丈です。







コミュニティ賞
全国より150名(グループ)
2万円のボランティア活動支援金と表彰状、銅メダル
ブロック賞
全国より40名(グループ)
5万円のボランティア活動支援金と表彰状、銀メダル
※10月下旬に指定の連絡先に通知いたします。
また、このホームページ上でも発表いたします。
SPIRIT OF COMMUNITY奨励賞
ブロック賞受賞者より8名(グループ)
10万円のボランティア活動支援金と表彰状、クリスタルトロフィー
※10月下旬に指定の連絡先に通知いたします。
また、このホームページ上でも発表いたします。
文部科学大臣賞
ブロック賞受賞者より2名(グループ)
10万円のボランティア活動支援金と表彰状、金メダル、クリスタルトロフィー
米国ボランティア親善大使
全国表彰式&フォーラムに招待されたブロック賞受賞者の中から2名を米国ボランティア親善大使として選出し、翌年5月にアメリカ・ワシントンD.C.で開催される全米表彰式へご招待いたします。
※グループ受賞の場合は、表彰式へのご招待は代表1名とさせて頂きます。
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 まーさんが、中2の時10日間ほどの家出をしながら登校していた時期があった。

私の記憶は、朝うだうだとしている彼女にどうしても心の中では近寄ると、暴力的な私が出てしまうのがわかっていたので、出来るだけそうならないように、していた。

が・・・・。


ある日ベットの上まで、あがって胸倉をつかんで「てめぇ いい加減にしろ。登校拒否も自由にやって、塾にも行けて、何の不足があるんだ」とすごんだ。

これについても、私はとても反省している。


でも、夫のブログをみると、まーさんに、馬乗りになり、首を絞めたと書いてあって、妹には高校生の時に、あざがつくほど力を込めたことがある。

それも、ごめん・・・なんですが。


まーには、それだけはしていないと自分では、思っていたのだけれど、先日勇気を出して聞いてみた。

「ねぇ。まー。中2の時の家出って、かあさん君の首絞めたの?」


「胸倉をつかんだだけじゃなくて?」


そう聞いたら、「うんとね・・・」


「胸倉をつかんだ日と、首を絞めた日は違う日でね、かあちゃんは、覚えてないだろうなって思ったから、言わなかった。もちろんとうちゃんには、相談したよ。」


「それでね、いつもなら、まーがかあちゃんには、力で勝つじゃん。でも馬乗りになってきた時は、顔も目もちがってね、ああ。。。男の人なんだってわかったんだ。ちょっと母さんをどついても、びくともしなかったし」


「それでね、ちょっと大きな声を出して、ひるんだすきに倒したら、いつもの母ちゃんになったんだ」


「でもさ、まーそのままだと、大好きなかあちゃんを殺してしまうかもしれないって思ったから、逃げたんだよ。
もちろん、かあちゃんが怖いって気持ちもあったけれど、自分が母ちゃんを殺しちゃったら困るし。」


そういう会話をした。


それについては、まったく記憶がない。

私が傷つくと思って、黙っていてくれていたんだ。
けど、私は登校拒否を続けるまーの理解者で学校と闘いながら、「なんでおまえだけ優遇されるんだ」という自分の中の声があることを知っていた。

それが、朝の時間に自分じゃない自分に交代したってことなんだろうと思う。




妹も、まーも、ある程度私より力があるので、払いのけてくれることで、私のしている暴力的な行為に歯止めがかかる。

たった1回でも、してはならないこと。



ごめんね・・・って泣く母に、「かあちゃんが悪いんじゃないんだよ」と、抱きしめたり、頭をナデナデしてくれるが、なんともつらい。




こうやって、危険とか、嫌なことから子どもの時は、回避してきたのだろうと、脳の回路がつながったんだろうと、人格交代することで、死なないで来たんだろうと思うけれど、自分の愛しい、大好きな娘の首を絞める母も、あわせもっている。


してしまったことを悔やまないけれど、「なんで?」って。

自分で大切に育ててきたまーに、何すんの?

そう自分に言いたい。

それでも「かあちゃん、大好き」と、毎日布団の上ででんぐり返しをしたり、スリスリしに来たり、寝るときには、う~みさんのCDをこっそりかけてくれたり。

まーの器の大きさに、完敗です。



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