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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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 私、三千恵だよ。
直子じゃない。

いっつも言ってたね、本当は直子だったって。

私、三千恵だよ。
直子じゃないよ。

いっつもいっつも、本当は・・・って言ってたね。

あれはどんな意味だったの?

体の成長が遅いのは2月うまれだから、仕方がないんだよ。

食べる量が少ないのは、子どもの時から食べてないんだから、私にはどうしようもないんだよ。

そう育てたのはママ、あなただよね。

私、べつにそれを恨んだり、憎んだりして生きてないよ。

そういう気持ちをもってもいいんだって、教えてもらったけれどね。

憎しみや憎悪からは、笑った顔は出てこないって私知っているから。

よく頭が悪いって言ってたね。

でも、私そうでもないみたいだよ。


それよりも、ママの言葉でそうなんだって思い込んでいたから、勉強に興味が持てなかった。

特別に憎むなんてことも、ないけれど・・・。
憎むほど
愛着もないんだよ。たぶんね。


押しつけられた愛、自己満足の愛はいっぱいもらったけれど、思い出すと吐き気がするくらい、嫌な愛だったね。

おじいちゃんや、おばあちゃんと楽しそうにしている私を見ている時の視線、いまでも背中にべっとり絡みついているね。


今だって、そうなんでしょ?

三千恵ばっかり…って思うんでしょう?

ママ、かわいそうだね。

人と仲良くできなくて、かわいそうだね。

夫にも、殴られて、強気で強情だから、いっぱい殴られて怪我もして・・・・。


助けてあげたのに、

かばってあげたのに、

かかっていくからもっとひどい目にあって・・・・。

なんでも三千恵が悪いんだよね。

けどね。


生まない選択肢も、あったんだよ。

育てない選択肢もあったんだよ。

ママは自分では努力しない人だったよね。

周りの人の悪口しか聞いたことないよ。私・・・・。

その割には私陰口嫌い。

反面教師かな(笑)

今度生まれてくるときは、私が愛をあげるよ。

私が友人になるよ。

イキテイル時には、私は苦しすぎて、あなたを分かりたいとは思っても、できなかった。

あなたの毒がつよいから、近寄れなかった。


あなたのつらさを聴いてあげたかったけれど、まーの方が大切だったから、出来なかった。

ごめんね。


次生まれてくる時は、私がいっぱい抱っこして、スリスリしてあげるよ。

だから、もう私を解放して。




大好きだったんだよ、私。
ママ。

けど、捨てたんだよ。私のこと。
そこは自分がしたことだって、ちゃんと覚えていてね。

あなたが生んで、あなたが私を捨てたんだよ。



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 ● 母や姉妹との断絶

そのとき、私は自分の姉妹と母親に対して公表することを事前に言っておかなければならないと考えました。
その頃、彼女たちと関係がうまくいっていたので、私のすることを理解してくれるだろうと、思い込んでいました。ななぜだかわかりませんが・・・。

そこで私はまず、姉妹のひとりひとりに電話をかけ始めました。これは虐待が起こった30年後の出来事です。
にもかかわらず、その話を聞いた時、姉は私の家までやってきてあなたを訴えると脅かしました。
「黙って告訴を取り下げなければ、あなたを訴えるわ」と言ったのです。

すぐ下の妹には、「姉さんがそうするなら仕方がない、でも2度と姉さんとは逢いたくない」と言われました。

そして本当に12年間、会いには来てくれませんでした。
一番下の妹は耳が不自由です。

彼女は赦してはくれましたが、それ以来手紙をくれることはなくなりました。
母はゲシュタポのような人で、メールボックスの鍵を持っているのは、彼女だけです。
非常に物事や、人々をコントロールしたがる人々です。

母に電話をかけると「おまえがどうしてそんなにしつこく、そんなことをやろうとするのか、まったく気がしれないよ」と言われました。
私はこう答えました。
「30年経っても、まだ私をしんじてくれないの、お母さん」すると母は、「おまえの父親はおまえたちをひとりだけにする機会があったというのかい?」と聞いてきました。
「お母さんはバンクーバーに出張していて、留守だったじゃない。」「確かにそうだったけど、いつだって必ずお土産を持って帰ったじゃないか」

この時の会話が母と交した最後の会話です。

1980年の9月でした。
そしてその状況は以来変わらないのです。
53歳になった今でも、私はクリスマスや誕生日にさえ母親に電話が出来ない。。
そのことが私にはつらいです。

このような状況をつつけていくことは私にとって、情緒的に健康な状態とは言えません。30年経ってもサバイバーにとって、カムアウトすることがどんなに困難かを分かっていただけたのではないかと思います。
どうかそのような人たちを裁かないでください。サバイバーはその時点で自分が対処できることから始めていかなければなりません。

私の姉妹と私は、それぞれ別の道を選びました。そして私も彼女たちの選択を尊重せざるをえません。
13年間かかりましたが、今彼女たちは私のしていることを尊重してくれています。しかし、このような悪循環を断ち切る勇気のある人たちには、ときどき困難が降りかかってくることがあるのです。

例えば、私は自分の家族の一員がなくなったことを新聞の死亡記事で知ります。事前に知らせてくれる人はだれもいません。そして葬式に参加してくれるなと、言われます。その中で一番つらいのは、私自身が家族全員を失っただけでなく、私の子どもや孫たちも彼らの家族を失ってしまうということです。


今私には8歳から、18歳までの孫娘が8人男の孫が1人います。私が一番誇りに思っているのは、家族の5代目にして初めて、彼女たちが6歳になるまで虐待をされていないという事実です。
ですから、悪循環は断ち切ることができるのだという事が分かりました。

このようなことがあるので私は常にいろいろな人に語ります。私たちすべてにとっても、これは大切なことだと思います。私たちが出来ることをやっていくということ。そして、他者を裁かない、判断しないということです。




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 夫のブログを読んでてて、浦河に行ってたのは知ってたけどDrとの話は、初耳。

っていうか、発見!みたいなことって3度以上話す人なので、記憶にないってことは、よっぽど私が私じゃなかったのか、話しても無駄だと思って話さなかったのか・・・・。(笑)


私もマイナス×マイナスで、プラスになっている親になれたけれど、夫も結構マイナス×マイナスの家庭で育っているので、その親の姿をみて「違う親になろう」という視点では、妹を力で抑え込んだ子育てをしてきたおかげでまーには、それをしないで済んでいる。


妹には本当に申し訳ないけれど・・・・。


森田ゆりさんが、「たった一人でいい、信頼できる大人と出会えれば子どもは生きていける」というのは、こういう意味もあったのかしら?

最近は逢えないので確認ができないけれど、「そうよ」って声が聞こえてきそう。


私がう~みさんの歌が好きなのは、大人が謝ってくれる「some ~ミマモッテイルヨ」の歌詞。
それと、プリン。

泣けるお話なのだろうけれど、私は「まーは、もっと~すればよかった」とは言わないだろうと確信している。(笑)
理由は何の根拠もないけれど、きっと、「かあちゃんの子どもでよかったよ」って真っ先に言ってくれるだろうと期待している。


いっぱい触れて、いっぱい語って、いっぱいじゃれて、いっぱいゴロゴロして。

これから先秘密や、なんでも知っている母さんではなくなっていくけれど、(そうじゃないと困るし)子どものころ(今も子どもだけれど)の、話しはいっぱいしてる。

生まれてきた時のこと、どんなに心待ちにしていたか。
名前。

断乳。
コアラ抱っこ。お鼻スリスリ。

あいたかったよ~~~ぎゅう~~~の儀式。

いっぱい触れて、いっぱい抱きしめあって。
人格が変わって、一度だけ玄関に突き飛ばしたこともあったけど、次の瞬間にすぐごめんね・・・ってしたこと。


中学になって、一度「いい加減にして」とひっぱたいたほっぺ。
不登校にイライラして、胸倉をつかんで脅し、家出先から学校へ通った10日間。

すべてにごめんって思っているし、「かあちゃん死んじゃうかも?」なんて心配をされていた事実。

それもこれも、私が「虐待を受けていた事実がわかってから」まーのなかにあったトラウマが見えてきた。

私がまーを嫌いなはずないのに、「かあちゃん、まーのこと好き?」と聞かれること。

どれもこれも、う~みさんの歌の歌詞に書いてある。

想~yes~はきっとまーが母になったら感じるだろう気持ち。

Re myselfと、imajnationは  いまの私。

イキテイルは子どもの頃の私。


愛されているあなたへ はまーの生まれたころに感じた私の気持ち。

ありのまま は、ありのままであるがままで生きたい私の気持ち。


アリのママ  は子ども守るママ=私。



今のままでいいんだよって言われている感じがして、楽になるんだ。
生きてていいのよって。そう言われている気持ちになれる。



連鎖は切ったよ。

まーが教えてくれたよ。







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 手話通訳の世界も、いじめにあったよね・・・って(笑)


私は若い時から、手話の世界にいたから、いつでも自分よりも年齢の上の人に手話を教えたり手話通訳養成講座とか、研修会を担当していた。

その実績があって、大学で教えられる道ができたけれど、楽しかったかと言われると、「そうでもない、逆に若造が・・・」っていっぱい言われたなぁ…って。

夫もそうだけれどね。

昨日もそうだったけれどスペシャルみちえこと、五千恵、六千恵が登場するとなんでもできる人になるし、それらを楽しむ人が出てくる。

まーは、七千恵とか、八千恵が出てきたんじゃないの?と言っていたけれど、まーはあまり見ていない、しきりやのさらに仕切れる人が六千恵。




昨日の打ち上げで、ミックコーポレーションの社長こと、しゅんさんは、「三千恵さんって、なんだかんだ楽しんでるよね。実は好きでしょ」と、笑いながら言っていました。

それは、作業所のみなさんの作品がいろんな人の手に触れること、ウガンダの支援が出来ることを知ってもらうにはあの瞬間しかないのだから、声を出してなんぼだから、なんだってできるわけ。(笑)


それが私にできることで、いつもお世話になっている仲間を支えることにもなるから。


それが呼びこみのおばちゃんになろうが、押し売り?になろうが、手に取ってもらって決めてもらうためのツール。

だって、作業所の仲間はそこで生きてるんだもの。

作品が一つでも売れたら、それがお給料になったり、するんだもの。

自己犠牲精神が強い私は作業所みたいなところで働くと、また倒れてしまうから、そういう仕事をしたいけれど、自分でストップをかける。

3度も体壊したら、もう復帰できないよって自分に言い聞かせて。


見かけタフだけど、もろいんだ。精神・・・。(笑)


自分のことをよく知らない時の方が、良かったかなと思うのは、こうやってフルで仕事ができない自分を思い知らされる時で、でも、これから「手話の指導」を始めようとしている。

自分の仕事は自分で作っていくんだって、決めたから。

自分の適性、キャリア、特性を生かして自分の仕事を、職場を作るんだ。

枠の中ではなく、自分の世界を作るんだ。

ずっと枠の外にいたのだから、あえて枠の中に入る必要がないってやっとわかったから、いまのままで、ありのままの私でいいんだもん。

私は活動と私生活がごちゃ混ぜになってることに、今日気がついた。

私個人と、活動の私は一人だと思っていた。
でも、違うんだね・・・って気づいたような。

一般的な人の感覚はわからないけれど、自分自身に境界線を作らなければ、いけないのかな?って、気がついたような。


気づいたけれど、さて・・・・どう扱ったらよいのかが、いまいちだけれど。

午前中の嘆きは役に立ったようです。


6人が共同作業して、疲れるとバラける。
そして、それぞれが主張する。

けど、一千恵はどこに行ったんだろう。
だれかと融合してるのかな。。。謎。(笑)

でもあのエネルギーは一千恵(kasumi)しかいないはず。

それとも、michie劇場で発散されているのか、ピアノ弾けてるからそれでいいのか・・・。

自分のことだけどよくわかんない!!(笑)


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 桜庭和さんのコンサート、無事終わりました。

開場はピーク時で100人近くいたと思いますが・・・。

今回はステージに自分が立っていないので、後ろからだと、人数が把握できませんでした。(笑)

陰アナの予定が、最後には表アナになってしまい、娘から「笑いをとってどうする」と失笑されましたが、作業所の作品を紹介していると、すっと、清水さんが、マイクを持ってきてくれるので、しゃべりまくりました。


打ち上げではピアノのふくちゃんとか、和さんともゆっくりお話して、まーさんはまーさんでステージ上で和さんから、「師匠」と言われてれながらも、楽しそうでした。

和さんはミュージックサインを本当に練習されたのが分かるくらい、しっかりはっきり表現されていて、「自分を表現できる人の力ってすごいなぁ」と思いました。

・・・・とすると、私は逆バージョンで本来なら、違うすごさを持っているはずなんだけれど・・・・・。(笑)

まーさんは、「やっとまーが評価された」と喜んでいます。

みちえさんの娘だからではなく、一人の人間として、ステージに立って、「感動した」と言われるのは、りぼんとの出会い、そしてタッカの曲、なみちゃんの詞、そしてタッカの歌。そしてサイン。



この日のために、出逢いがあって、活動があって。。。

いいことばかりがあった訳じゃないけれど、それなりに、議論してそして練習。

そのうち私のピアノでもまーのようになれる日があるかもしれないな(笑)

それにしても、ふくちゃんのピアノは素敵でした。

青森、聴きに行こうかな。ピアノが見える席に座れたらいいんだけどな。

自由に弾いていいのよ、コード書いて、マーク付けて、その日の気持ちで弾いたらいいのよ・・・って、「リハの時、あれ?、こうだっけ?とか言っていたの知っているでしょう?って、」枠にはまらないで「これだけ練習したんだから、大丈夫」って思えたらそれでOKなんだよ・・・って。


そして、以前私を訪ねて来てくれたTさんと一緒に、JAZZピアノ演奏もしたことがあるとお話されていて、「この夏にあったんですよ」と伝えると、「彼の歌も素晴らしいから札幌に行くことがあったら、是非聴きにいって」と話された。


取り組んでみたことはどんなことも、どっかこっか、この先の人生につながるってことなのかもしれない。


けど、私の中の一人は、「先なんて・・・」と苦笑しています。まだまだ私の体には、「明日が来ないでほしい」という感覚が私を襲ってきます。
特に、イベントが楽しく終われば終わるほど、その失意というものは、喪失感に変わり、抜け殻になり、そして、空っぽの心がしばらく続いて・・・・。

6人の足並みがそろうのは、イベントが始まるまでの時間だけなので、これから先が少しつらいかな。(笑)


楽しい気持ちが続かないのって、損臭い(笑)











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