虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/24 (Fri)
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- 2010/07/16 (Fri)
マザーテレサの言葉と、イラクの子どもたち
マザーテレサの生誕100年を迎えて映画が、7本。そのうち5本を今週、朝一番で見ていた。
マザーの「愛があれば」と言う言葉にひかれたのが28歳の時に見た、マザーの活動の映画だった。
そのころは、「愛がない」ってことに気づいていないので、とても感銘をうけて、その時の仕事だった認知症の患者さんにも、優しく出来てた。
優しくないなぁ・・・と思いはじめたのは、虐待があったってわかってから顕著になった。
若いころ、傷つけた人もいっぱいいるのは自覚していたけれど、さらにさらに、自分の傲慢さ、醜いものが父にそっくりだってわかってしまって、それは今でも苦しい。
その父も多重だっただろうと、H氏に言われて、「ため息」だらけ。
確かに、妹と語る父は「kasumiを心配する一般的なおじいちゃん」のようだ。
だから、私だけが悪者?って気になるし、子どもの時から、悪い事は全部私の責任だったから、「私が悪いんだ」ってついなってしまう。
ぶつけるところがない。
犯罪に走るわけでもなく、今は自傷するわけでもなく、もんもんと自分と戦う。
妬ましいと思う感情、羨ましいと思う感情、なにもかも壊したくなる感情、それは凄まじい勢いで、葛藤し始める。
何かに没頭出来ればいいのだれど、こういう時に限って、ピアノが弾けない状況になってる。
怒りで出していた感情を止めようとする。
怒りだすととんでもないことを言いそうになるし、それこそ「悪魔のささやき」の「ぶち壊せ」に負けそうになるから。(本当は、すご~~~い意地悪だからね。わたし・・。)
今年は、自分の車の事故、まーさんの事故、突発性難聴(だいぶ快復してきたけど、まだまだ聴こえにくい)仕事の時は困らないけれど、普段の会話、電話・・・・。厳しいです。
だから、電話しないようにしていたけれど、言葉がわからないから、聴き返す。
話をしたくないのに、結構重大な電話が来る。
今日は、自分からかけた電話、しなければよかったと、心からそう思った。
自分でしたことに後悔は最近しない自分になっていたんだけれど、今日は本当に、『しなければよかった。』
ぼろぼろの自分なのに、まだ踏ん張るのか?って。
そう思うけれど、踏ん張っていないと倒れる私。(笑)
それくらい根っこがないってことか・・・・・。
6倍しんどいこともうれしいこともあるんだったら、眼に見えるものが欲しいなぁ。Orz
マザーの言葉に「もっとも小さき者に愛を」ってあるんだけれど、子どもに愛を手渡すとか、孤独な人をたった一人で死なせてはいけないと何度も言っていた。
死ぬ間際に、誰かの手のぬくもりを感じて亡くなってほしい、だれかに感謝する気持ちで天国へ・・・という事だと思う。
たしかにそうだよね。
けど、私は誰もいなくてもいいかなって思っている。 伝え聞いて、かなしいとか、寂しいとか、思ってくれている人が一人いればいい。(笑)
それで、私が生きていた意味が伝わっていれば、いいなって思う。 家族には正直なところ、「迷惑掛けてごめん」って気持ちだから。
自死は選ぶことはないけれど、孤独でいいかな。(笑)
その方がkasumiらしいような気がする。
聴こえない人からもらった愛。 でもそれじゃないよって思う人格もいるってことなんだね。 だから、いつまでも「親の愛」を探すんだ。わたし・・・・。
変化するのが嫌な私もいるってことなんだね。 わかったよ。 だから、邪魔って言葉や、違うって言葉に反応するんだね。 わかったよ。
イラクの子どもたちへの「チョコ募金」の生みの親の佐藤さんのお話を聴いて、「もっとも小さき者」は子どもだよね?って確認できたことと、なぜ「イラク?」と思っていた部分が解消された。
そうですね。
日本の自衛隊が海外に派遣されたのは、この戦争でしたね。
過ぎた事は忘れちゃう。
それが人間の常だから。
けど、忘れたい記憶はいつまでも残っているのはなぜだろう。
死んでしまう側の子どもだったら、また違う事を考えるんだろうけれど、未来が見えないのは虐待を受けている子どもも、似たようなものだと思う。
理不尽な怒りと戦うのだ。
だれも味方はいない。
親も、大人も。
そして、同じ立場の人間にも会えない。
そういう意味では、もっとも孤独かな・・・・。
大人になれて運が良ければ、サバイバーに出会える。
今はネットでね。
10年前なら考えられないこと。
自分だけではないというのは、力になるんだなと、実感。
誰からも支援されない立場の人を支援できる社会、世界でありたい。
作りたい。
あ・・・・
仲間がいないとできないよね。じゃ、孤独じゃだめじゃんね。(笑)
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マザーの「愛があれば」と言う言葉にひかれたのが28歳の時に見た、マザーの活動の映画だった。
そのころは、「愛がない」ってことに気づいていないので、とても感銘をうけて、その時の仕事だった認知症の患者さんにも、優しく出来てた。
優しくないなぁ・・・と思いはじめたのは、虐待があったってわかってから顕著になった。
若いころ、傷つけた人もいっぱいいるのは自覚していたけれど、さらにさらに、自分の傲慢さ、醜いものが父にそっくりだってわかってしまって、それは今でも苦しい。
その父も多重だっただろうと、H氏に言われて、「ため息」だらけ。
確かに、妹と語る父は「kasumiを心配する一般的なおじいちゃん」のようだ。
だから、私だけが悪者?って気になるし、子どもの時から、悪い事は全部私の責任だったから、「私が悪いんだ」ってついなってしまう。
ぶつけるところがない。
犯罪に走るわけでもなく、今は自傷するわけでもなく、もんもんと自分と戦う。
妬ましいと思う感情、羨ましいと思う感情、なにもかも壊したくなる感情、それは凄まじい勢いで、葛藤し始める。
何かに没頭出来ればいいのだれど、こういう時に限って、ピアノが弾けない状況になってる。
怒りで出していた感情を止めようとする。
怒りだすととんでもないことを言いそうになるし、それこそ「悪魔のささやき」の「ぶち壊せ」に負けそうになるから。(本当は、すご~~~い意地悪だからね。わたし・・。)
今年は、自分の車の事故、まーさんの事故、突発性難聴(だいぶ快復してきたけど、まだまだ聴こえにくい)仕事の時は困らないけれど、普段の会話、電話・・・・。厳しいです。
だから、電話しないようにしていたけれど、言葉がわからないから、聴き返す。
話をしたくないのに、結構重大な電話が来る。
今日は、自分からかけた電話、しなければよかったと、心からそう思った。
自分でしたことに後悔は最近しない自分になっていたんだけれど、今日は本当に、『しなければよかった。』
ぼろぼろの自分なのに、まだ踏ん張るのか?って。
そう思うけれど、踏ん張っていないと倒れる私。(笑)
それくらい根っこがないってことか・・・・・。
6倍しんどいこともうれしいこともあるんだったら、眼に見えるものが欲しいなぁ。Orz
マザーの言葉に「もっとも小さき者に愛を」ってあるんだけれど、子どもに愛を手渡すとか、孤独な人をたった一人で死なせてはいけないと何度も言っていた。
死ぬ間際に、誰かの手のぬくもりを感じて亡くなってほしい、だれかに感謝する気持ちで天国へ・・・という事だと思う。
たしかにそうだよね。
けど、私は誰もいなくてもいいかなって思っている。 伝え聞いて、かなしいとか、寂しいとか、思ってくれている人が一人いればいい。(笑)
それで、私が生きていた意味が伝わっていれば、いいなって思う。 家族には正直なところ、「迷惑掛けてごめん」って気持ちだから。
自死は選ぶことはないけれど、孤独でいいかな。(笑)
その方がkasumiらしいような気がする。
聴こえない人からもらった愛。 でもそれじゃないよって思う人格もいるってことなんだね。 だから、いつまでも「親の愛」を探すんだ。わたし・・・・。
変化するのが嫌な私もいるってことなんだね。 わかったよ。 だから、邪魔って言葉や、違うって言葉に反応するんだね。 わかったよ。
イラクの子どもたちへの「チョコ募金」の生みの親の佐藤さんのお話を聴いて、「もっとも小さき者」は子どもだよね?って確認できたことと、なぜ「イラク?」と思っていた部分が解消された。
そうですね。
日本の自衛隊が海外に派遣されたのは、この戦争でしたね。
過ぎた事は忘れちゃう。
それが人間の常だから。
けど、忘れたい記憶はいつまでも残っているのはなぜだろう。
死んでしまう側の子どもだったら、また違う事を考えるんだろうけれど、未来が見えないのは虐待を受けている子どもも、似たようなものだと思う。
理不尽な怒りと戦うのだ。
だれも味方はいない。
親も、大人も。
そして、同じ立場の人間にも会えない。
そういう意味では、もっとも孤独かな・・・・。
大人になれて運が良ければ、サバイバーに出会える。
今はネットでね。
10年前なら考えられないこと。
自分だけではないというのは、力になるんだなと、実感。
誰からも支援されない立場の人を支援できる社会、世界でありたい。
作りたい。
あ・・・・
仲間がいないとできないよね。じゃ、孤独じゃだめじゃんね。(笑)
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