虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/24 (Fri)
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- 2009/11/11 (Wed)
楽しいばかりじゃないのさ・・・。
ボランティア楽しいか?って、聴かれたら「楽しいよ」って答えるよ。(笑)
けどね、人間関係やら、上下関係やら、いろんなものが付随してくるから、長くいればいるほど理不尽なことっていっぱいあるよ。
辛いけど、痛いけど、続けられるのはそこにいてくれる対象者の笑い顔だったり、喜びを分かち合うことだったり、悔しさを共有できることだったりするわけです。
それを私、ボランティアを長いこと続けている私たちは、楽しいさと表現するわけです。
ボランティアが世の中をだめにしたわけじゃなくて、国がそのボランティアを生み出したわけです。
福祉の世界はボランティアなしでは、成り立たないし、本来であれば職業として認められてもいい
ボランティアだってたくさんある。
たとえば、点字図書館の点字の本を作っているのはほとんどボランティア。
いまは、パソコンで印刷できるけれど、昔はすべて手で打っていました。
たとえば、手話通訳。
専任通訳者の月給は、非常勤職員ですから、正職員のよくて4分の3、ボーナスなんてもらっていない人がほとんどで、退職金はありません。
そして、活動も重なってくるわけで、家族への負担は最たるものです。
登録の通訳者は、1時間千円程度。
そこそこになるのだって、10年以上の時間が必要だし、お金もかかる。
手話通訳士だって、職業独占できるわけじゃないし、合格したってだけのもの。(端からみれば)それでも受験するのは、育ててくれたろう者が「おめでとう」と自分のことのように喜んでくれるから。
自分たちが育てた通訳者が増えるのがうれしいから。
私だって、最初に通った手話サークルで、伝説の人になっていると聴くけれど、私がうれしいんじゃなくて、その地域のろう者が、私のことをそう誇らしく思っていてくれることがうれしいだけ。
大切にしてくれた人への恩返しでもある。
25年経った今でも、抱きしめてくれる。頑張ってるねって。
それが楽しい、うれしいと思うんだ。
人の最後を看取ったり、自殺したことを知ったり、余命を宣告される時にだって、通訳してることだってある。
その人の人生を引き受けたり、その人生そのものから、得られる人生観だって、楽しいことばかりじゃない。
知らなくてもいいことや、知らなかったことで打ちのめされたり、なにもできない自分を見つめたり、通常ではありえないことに遭遇したり・・・・・。
それでも、自然に「ありがとう」って言ってくれることや、「迷惑ごめんねって、言わないでいいよ」と伝えられたり、「迷惑サンキューって思うんだよ」って伝えられたりできると、うれしいんだよ。
私は、仕事やボランティアを含めると、生まれたばかりのあかちゃんから認知症の方、そして、いろんな障がいをもつ人と関われたことで、自分の生きる道を見つけられた。
ホッとした表情をみれることがなによりも、贅沢な時間をもらったなと思えるからこそ、やめないで来たんだよねって思う。
そして、いろんな人との出逢いがあってこそ、今ミュージックサインが広がるかも?って気がするんだ。それが楽しいって思えなくちゃ、なにもできない。
生まれてきたのが迷惑なんかじゃない。
生きていていいんだよ。
そのままのあなたが大切なんだよ。
私もあなたも大切な人。
だたそのことだけ、伝えられたら私は、楽しい、うれしいって思うんだよ。
つないでもらった命を、大切にしたい。
親からの愛がなくっても、たくさんの大人に出会えることができたら。
そこから、愛はつながるんだよ。
愛をもらって生きてなくても、愛を育むことはできるんだよ。
心を何十回、何百回殺されたって、あなたは大切な人なんだからねって、私は伝えたい。
伝え続けたい。
私は大切な人、あなたは大切な人。
それを一番知っていると思う私だから、続けられるんだよ。
にほんブログ村
けどね、人間関係やら、上下関係やら、いろんなものが付随してくるから、長くいればいるほど理不尽なことっていっぱいあるよ。
辛いけど、痛いけど、続けられるのはそこにいてくれる対象者の笑い顔だったり、喜びを分かち合うことだったり、悔しさを共有できることだったりするわけです。
それを私、ボランティアを長いこと続けている私たちは、楽しいさと表現するわけです。
ボランティアが世の中をだめにしたわけじゃなくて、国がそのボランティアを生み出したわけです。
福祉の世界はボランティアなしでは、成り立たないし、本来であれば職業として認められてもいい
ボランティアだってたくさんある。
たとえば、点字図書館の点字の本を作っているのはほとんどボランティア。
いまは、パソコンで印刷できるけれど、昔はすべて手で打っていました。
たとえば、手話通訳。
専任通訳者の月給は、非常勤職員ですから、正職員のよくて4分の3、ボーナスなんてもらっていない人がほとんどで、退職金はありません。
そして、活動も重なってくるわけで、家族への負担は最たるものです。
登録の通訳者は、1時間千円程度。
そこそこになるのだって、10年以上の時間が必要だし、お金もかかる。
手話通訳士だって、職業独占できるわけじゃないし、合格したってだけのもの。(端からみれば)それでも受験するのは、育ててくれたろう者が「おめでとう」と自分のことのように喜んでくれるから。
自分たちが育てた通訳者が増えるのがうれしいから。
私だって、最初に通った手話サークルで、伝説の人になっていると聴くけれど、私がうれしいんじゃなくて、その地域のろう者が、私のことをそう誇らしく思っていてくれることがうれしいだけ。
大切にしてくれた人への恩返しでもある。
25年経った今でも、抱きしめてくれる。頑張ってるねって。
それが楽しい、うれしいと思うんだ。
人の最後を看取ったり、自殺したことを知ったり、余命を宣告される時にだって、通訳してることだってある。
その人の人生を引き受けたり、その人生そのものから、得られる人生観だって、楽しいことばかりじゃない。
知らなくてもいいことや、知らなかったことで打ちのめされたり、なにもできない自分を見つめたり、通常ではありえないことに遭遇したり・・・・・。
それでも、自然に「ありがとう」って言ってくれることや、「迷惑ごめんねって、言わないでいいよ」と伝えられたり、「迷惑サンキューって思うんだよ」って伝えられたりできると、うれしいんだよ。
私は、仕事やボランティアを含めると、生まれたばかりのあかちゃんから認知症の方、そして、いろんな障がいをもつ人と関われたことで、自分の生きる道を見つけられた。
ホッとした表情をみれることがなによりも、贅沢な時間をもらったなと思えるからこそ、やめないで来たんだよねって思う。
そして、いろんな人との出逢いがあってこそ、今ミュージックサインが広がるかも?って気がするんだ。それが楽しいって思えなくちゃ、なにもできない。
生まれてきたのが迷惑なんかじゃない。
生きていていいんだよ。
そのままのあなたが大切なんだよ。
私もあなたも大切な人。
だたそのことだけ、伝えられたら私は、楽しい、うれしいって思うんだよ。
つないでもらった命を、大切にしたい。
親からの愛がなくっても、たくさんの大人に出会えることができたら。
そこから、愛はつながるんだよ。
愛をもらって生きてなくても、愛を育むことはできるんだよ。
心を何十回、何百回殺されたって、あなたは大切な人なんだからねって、私は伝えたい。
伝え続けたい。
私は大切な人、あなたは大切な人。
それを一番知っていると思う私だから、続けられるんだよ。
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