虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/02/01 (Sat)
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- 2007/02/25 (Sun)
母が亡くなりました。
先ほど弟からの電話で母が亡くなったことを知りました。
夕方5時40分くらいだそうです。
糖尿病を長い事患っているのに節制の出来ない人でした。祖母もそう言う人でしたし、祖父母と同年年齢まで生きて来れたのは七不思議でもあります。
父の不健康が先かな?と思っていたので、あら・・・?って感じもしないわけではありません。
夫が風邪でダウンしているのですが、夕方誰かが家にいて立ってたそうです。私もねぇねも出かけていました。
夫はそういうものは感じない人なので、「へえ?」だけれど、もしかしたらきていたのかもしれません。
最後にあったのはいつなのかも私は覚えていません。
葬儀には行かないと思うと、弟に告げました。なんで?とは言わずに「うん」と言ってくれたのでそれなりに対応をしてくれるかもしれないと思います。
2年ばかり、着信拒否をしていたので声を聞いたのは、私の誕生日の2日前。
そして、最後の手紙は、「親子だから何でも言いやすいと思っているのでしょうが、もう少し穏やかに話をしたいものです」そう書いてあった。
私は47年近く心の中にしまっておいた言葉を伝えて見たけれど、暖簾に腕押しだった。
だけど、着信拒否のまま死なれたら「私が悪かった」と思わされてしまったかもしれない。そう言う意味では「私の思い」を伝えられるチャンスがあって良かった。
穏やかに話たいのは私の方だった。
一度でいいから「ごめん」を聞きたかった。
あなたも大変だったねと言ってあげられなかったけれど、こんなもんかもしれないね。
戸籍上は、再婚もしているし、私たち兄弟は遺族にもならない。
小さいkasumiはわかっていたのかもしれない、もう2度とあうことはないんだって。
だから、あんなに泣いたのかな?
私は、春に「温泉にでも連れて行って話を聞いてあげようかな?」なんて甘っちょろいことを考えていた。
だけど、きっとその気持ちを持つことも後悔してしまうと思ってだれにもその話はしなかった。
外出もままならないその母だった・・・。
祖父母もそうだったけれど、食べたいものを食べ、飲みたい物を飲み、自由気ままに生きてきて、それでぽっくりいけるんだから、本当にラッキーな人たちだ。
こんな言い方冷たいようだけれど、最後の子孝行してくれてありがとう。
葬儀にでると、自分を責めてしまいそうだからやっぱり行かないよ。
バイバイ、ママ。今度はもし人間に生まれたら、愛をもらってください。お金じゃなくて「愛」だよ。
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