虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/24 (Fri)
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- 2010/09/24 (Fri)
母を赦せる日が来るのかも?5
朝、やっと涙が治まったかな。(笑)
昨日の映画は2本。
一つは深層心理世界の話で、渡辺兼だっけ。。。でていたような。
けど、寝ちゃったんだわ。(笑)多分少しだと思うけれど。
英語を聴き取ろうとしていて。笑っちゃった。
もうひとつは「孤高のメス」
生体肝移植が中心になるんだけれど、まだ脳死の整備が進んでいない時に、目の前にいる二つの命を結びつけるという中身で、なんだか自分にも、似ているし、タッカにも似ているような・・・・(笑)
新しいことを始めるのには、山やら谷やらあって・・・・。
いろんなものにぶつかっていくけれど、それが浸透して、広がっていくと感じた時の瞬間は何とも言い難い。
もちろん反論もされるのだけれど、チャンスがあってそれを見逃すのは惜しい。(笑)
赦そうとするとね、別の人が「あんなこと」「こんなこと」って記憶を出してくる。そして、その時の気持ち悪さや、感触は体が覚えている。
例えば・・・・。
まーさんが生まれた時のこと。
お産扱いにきたんだれど、ほぼ一カ月一緒に寝起きをしただけで、なにもしないで、毎日美術館や、公園に散歩に出かけ、スナッフルズのチーズケーキをほおばり、夫の作るグラタンを今か、今かと心待ちにして椅子に座っていた。
何しに来たのかな?ってくらいだったけれど、まぁ・・・喧嘩にはならなかったから、好きなようにって。
夫はかなりイライラしていた。(笑)
そんな状態でも、親戚には「お産扱いにいった」という自分の行動の見せびらかしになっていた。
その後の小包には、首の取れた人形とか、足の取れた人形とか「いやがらせか?」と思うようなものも、入ってきて、「本当にこの人大丈夫?」と思ったけれど、関わるのが嫌だったから、なにも言わなかった。
けど、呪いのような怨念みたいで嫌だった。
この話を先日「星」(はな)という曲を聴いた時に、タッカに話したら、「愛だね」と言いながら、食べかけのご飯ですよ、とかジャムのことは苦笑していた。
首の取れた人形はどうよ?って、聴くと「あ…ここに隙間があるわ、人形があるけど、ちょっと大きいわね、じゃ。首を取っていれようかしら?」かもしれないよ・・・と、演技力満点で・・・・・。
いつもなら、「ふざけるな!」って怒りたいところだけど、「ああ・・・新聞紙のかわりかぁ・・」なんて、ありあえるのかもしれないな・・・って気になった。
そういう年代の人とか、なんでも「送ってやった」「作ってやった」って思う人って、箱の中の空間が許せないのかもしれないね・・・と聴くと「ふうん」と・・・・・・。
私は、「なんか恨みでもあるの?」って首の取れた人形には反応した。しかもまーさんが生まれたばっかりだったし・・・。気持ち悪かったよ・・・・。
そう伝えたら、「それも思うかも?」と、いつもは、諭される方に話が行くのだけれど、共感してもらって、私は物やお金よりも、自分を認めてもらえたらそれでよかったんだよね・・・・と。
けど彼女は、言葉にはだせないから、いつも物を送りつけてきて、「感謝せよ」と私を支配しようとしていた。
でも、見たくないものまで入っていて、それには感謝より、「いらない」気持ちが高まっていく。
断っても、断っても、毎回何が欲しいか?という電話がかかってくるし、その短い会話すら苦痛だった。
つい油断して、その辺のおばちゃんモードになってしまう事もあって、人の陰口にどうちょうしていまう私も時々いるけれど、基本それは好きじゃない。
昨日の映画をみて思ったのは「いのち」がそこにあって、心も見えないけれどそこにあって、両方が健康じゃないと、、人は生きられないってこと。
私は自分以外の人に分かれてしまったけれど、それぞれにも心があって、痛みも受けてきた。
夫は、四千恵と、五千恵、六千恵の区別がつかないらしいけれど、まーさんはそれがわかる。
四千恵は普段外で動いている人だけれど、家にいて泣いているのは三千恵。
家の中では、幼い年齢の人が泣いたり、慰め合ったりしているし、外では四千恵さんを中心に、
助け合っている。
それが現状の私。
母はしつこいくらい、私を指導しようと必死だったけれど、私は今風でいうと「うざい」と感じていたし、「なにとんちんかんなこと言ってんだろう」だったので、ハイハイと電話にでては、さっさと切り、顔を見せにいって、買い物をしてくるのも、2時間が限度だった。
それでもまーさんが生まれてからは、10年間は家族で「おばあちゃん」の役をしてもらう為に、出かけた。
う~~吐き気がしてきたよん。
あんなこんないろいろあるわけだけど、赦そうかな?って思っただけでも「私、えらい」って思う事にする。
今以上に受け入れるのは、少し自分に取ってよい方には進まない感じがするので、一度、また思い出の箱にしまいます。
マジ…苦しい。
けど、もういいよ。って自分を解放したい。
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昨日の映画は2本。
一つは深層心理世界の話で、渡辺兼だっけ。。。でていたような。
けど、寝ちゃったんだわ。(笑)多分少しだと思うけれど。
英語を聴き取ろうとしていて。笑っちゃった。
もうひとつは「孤高のメス」
生体肝移植が中心になるんだけれど、まだ脳死の整備が進んでいない時に、目の前にいる二つの命を結びつけるという中身で、なんだか自分にも、似ているし、タッカにも似ているような・・・・(笑)
新しいことを始めるのには、山やら谷やらあって・・・・。
いろんなものにぶつかっていくけれど、それが浸透して、広がっていくと感じた時の瞬間は何とも言い難い。
もちろん反論もされるのだけれど、チャンスがあってそれを見逃すのは惜しい。(笑)
赦そうとするとね、別の人が「あんなこと」「こんなこと」って記憶を出してくる。そして、その時の気持ち悪さや、感触は体が覚えている。
例えば・・・・。
まーさんが生まれた時のこと。
お産扱いにきたんだれど、ほぼ一カ月一緒に寝起きをしただけで、なにもしないで、毎日美術館や、公園に散歩に出かけ、スナッフルズのチーズケーキをほおばり、夫の作るグラタンを今か、今かと心待ちにして椅子に座っていた。
何しに来たのかな?ってくらいだったけれど、まぁ・・・喧嘩にはならなかったから、好きなようにって。
夫はかなりイライラしていた。(笑)
そんな状態でも、親戚には「お産扱いにいった」という自分の行動の見せびらかしになっていた。
その後の小包には、首の取れた人形とか、足の取れた人形とか「いやがらせか?」と思うようなものも、入ってきて、「本当にこの人大丈夫?」と思ったけれど、関わるのが嫌だったから、なにも言わなかった。
けど、呪いのような怨念みたいで嫌だった。
この話を先日「星」(はな)という曲を聴いた時に、タッカに話したら、「愛だね」と言いながら、食べかけのご飯ですよ、とかジャムのことは苦笑していた。
首の取れた人形はどうよ?って、聴くと「あ…ここに隙間があるわ、人形があるけど、ちょっと大きいわね、じゃ。首を取っていれようかしら?」かもしれないよ・・・と、演技力満点で・・・・・。
いつもなら、「ふざけるな!」って怒りたいところだけど、「ああ・・・新聞紙のかわりかぁ・・」なんて、ありあえるのかもしれないな・・・って気になった。
そういう年代の人とか、なんでも「送ってやった」「作ってやった」って思う人って、箱の中の空間が許せないのかもしれないね・・・と聴くと「ふうん」と・・・・・・。
私は、「なんか恨みでもあるの?」って首の取れた人形には反応した。しかもまーさんが生まれたばっかりだったし・・・。気持ち悪かったよ・・・・。
そう伝えたら、「それも思うかも?」と、いつもは、諭される方に話が行くのだけれど、共感してもらって、私は物やお金よりも、自分を認めてもらえたらそれでよかったんだよね・・・・と。
けど彼女は、言葉にはだせないから、いつも物を送りつけてきて、「感謝せよ」と私を支配しようとしていた。
でも、見たくないものまで入っていて、それには感謝より、「いらない」気持ちが高まっていく。
断っても、断っても、毎回何が欲しいか?という電話がかかってくるし、その短い会話すら苦痛だった。
つい油断して、その辺のおばちゃんモードになってしまう事もあって、人の陰口にどうちょうしていまう私も時々いるけれど、基本それは好きじゃない。
昨日の映画をみて思ったのは「いのち」がそこにあって、心も見えないけれどそこにあって、両方が健康じゃないと、、人は生きられないってこと。
私は自分以外の人に分かれてしまったけれど、それぞれにも心があって、痛みも受けてきた。
夫は、四千恵と、五千恵、六千恵の区別がつかないらしいけれど、まーさんはそれがわかる。
四千恵は普段外で動いている人だけれど、家にいて泣いているのは三千恵。
家の中では、幼い年齢の人が泣いたり、慰め合ったりしているし、外では四千恵さんを中心に、
助け合っている。
それが現状の私。
母はしつこいくらい、私を指導しようと必死だったけれど、私は今風でいうと「うざい」と感じていたし、「なにとんちんかんなこと言ってんだろう」だったので、ハイハイと電話にでては、さっさと切り、顔を見せにいって、買い物をしてくるのも、2時間が限度だった。
それでもまーさんが生まれてからは、10年間は家族で「おばあちゃん」の役をしてもらう為に、出かけた。
う~~吐き気がしてきたよん。
あんなこんないろいろあるわけだけど、赦そうかな?って思っただけでも「私、えらい」って思う事にする。
今以上に受け入れるのは、少し自分に取ってよい方には進まない感じがするので、一度、また思い出の箱にしまいます。
マジ…苦しい。
けど、もういいよ。って自分を解放したい。
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