虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/27 (Mon)
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- 2007/02/11 (Sun)
社会の常識の枠
相談会でNさんと差し向かいで話をした。
その人と出会ったときは、いつだったんだろう。
もうどっちが先だったのか、覚えていない。
児相の職員だったり、児童自立支援施設の課長さんだったり・・・・。
彼が「不登校」のことを自助グループで記事にしていたのを読んですごく嬉しかった記憶がある。
あるがままの姿を受け入れると言う話だッたと思う。
娘さんが二人不登校だった10年くらい前???
障碍者の家族にも似ているものがあって、とても共感した。
ちらちらと、いろんな所で話を10分くらいしたり、ねぇねが休みはじめたときも、「これから揺さぶりが来るよ」とか要所要所でアドバイスをくれていた。
面と向かって話をしたのは初めてかもしれない。
実は夫が19才くらいの時から知っていると言うのを初めて今週母のことで語り合うのが増えて知った。
へぇ・・・・。
公務員だけれどかなり異質だと思われる人権の問題にも若いときにはしていたと言う。(笑)
そこで・・・。
「うちもそうだけれど、Sさん(kasumi宅)も社会のものさしで見ると、かなりはみ出しているわけさ。だからいまさら社会の常識の枠にはまろうなんて考えていないでしょう?」(うん、そうですね。)
「だからね、娘さんが社会に訴えている不登校は健全だと思うわけ」(はい、そうです)
「変えがたいその価値観とか、感受性を上手く使ってどう、生きていくかを手助けするだけでいいと思うんだわ」(あ・・・やっぱり??)
「ねぇねさんは、とても社会をしっかり見ているし、CAPなんかも知っているから中学の枠にははまらないけれど(多分痛いと思う)親の姿を知っているから大丈夫・・・っていうか、不登校を薦める気持ちじゃないけれど・・・・生きていくのには困らないっていうか・・・」
つまりは、今のままで充分です・・・ってことだった。
さいきんのねぇねの表情は明るいし楽しそう。
今が無駄になることはないと思うよと、ねぇねを「不登校」だと知っている人はいう。
元気で明るい不登校(それを目指しているわけじゃないけど)
安心して休める環境にあるってことだ。
世の常識は変るものだし、変えて行くのは私たち。
なので、行けないのではなく、行かない選択をしていくとすれば、それを支えればいいと言うことだった。
もちろん、本人が行きたいと言うのを引き止める気持ちはまったくない。
平気な振りをして傷ついているのに、親にも話せないでいる子どもにはならないでくれたらそれでいい。
私のようにもうすぐ50歳を目の前にしてから、叫んでも子ども時代は帰って来ない。
子ども時代に叫べるように、無理をしたら壊れると、心はあなたのものでどんな気持ちを持っていてもそれは大切なあなたの気持ちであるということ。
それは多分私は命をかけて伝えていると思う。
かあさんのようには、ならないでねと言う気持ちと、かあさんの子どもでよかったと思えるようにと言う気持ちでとても複雑だけれど、ねぇねが大好きなのはかわらない。
親は子どもの鏡だったか、子どもは親の鏡だったか忘れたけれど(あまりいい印象の本ではなかった)私が安定するとねぇねも安定するのはよくわかったから、私がねぇねといる時間を大切に出来ればきっと娘は進んでいくんだと思った。
だって・・・。
あの地面をはいつくばって生きてきたあの時間を彼女は共有して来たのだし、私が沢山の人に支えられている事、私が支えてきた事をしっかり見てきたのだ。
他人からはとるに足りない親に見えても、きっとねぇねは私を大切な母親として見てくれている。
そのことは、充分わかっているから私は自分の生きてきた道をしっかり誇りに思うことがねぇねの思いに答えられることになるのはないかと。
自分を好きだと言えるかあさんでいて欲しいって、多分思っているだろうし、そうなれると信じている娘に感謝したい。
そうそう。充分社会の常識ってものから外れている私。
派遣の品格じゃないけれど「それがなにか?」って思っていてもいいんだと気が付いた。
ただ、それをむき出しにしないように気をつけよう。(笑)
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