虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/28 (Tue)
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
- 2010/03/08 (Mon)
CAPの研修で学んだこと。
CAPの研修を受けたのが2005年の夏で、あれから5年。
その間就学前とスペシャルニーズ、そして今回のティーンズとプログラムになっているものは、一通り受講し終わった。
あとはプログラムができたら養護施設に行ける資格だけ。
実際、WSを経験しているのは、小学生版だけれど、ティーンズも、是非実施してみたい。
あの苦しかった中学生時代の私を救えるのかもしれないと、思うくらいだった。
実際、苦しい経験も思い出したり、それをあっちに行って!!と頭の中を切り替えることも習得できて(特段それを勉強したのではない)なるほどね・・・・と、いう体験をした。
いままでの私の中の中学生時代は、父親からの性虐待と、いじめの数々。
それだけしか思い出せない自分がいた。
けれど、このたびいろんなことを勉強して、まーさんの心の変化、ロールモデルがそばにたくさんいることで、親以外の信頼できる人をどう探すのか?
それには、たくさんの出会いが必要で、私には暴力の世界から救い出してくれた人はいないけれど、見守ってくれていた大人がいたのかもしれないと気がついた。
誰も助けてくれなかった。
誰も気がついてくれなかった。
そう思っていたけれど、違ったかもしれない。
私が「あの子大丈夫かな?」と声をかけるように、私にも声をかけてくれていた人がいたのかもしれない。
けれど、私の耳には届いていなかった。それだけのことかもしれない。
下しか見ていない、そこしか知らない。だから、気がつかなかった。
そして気がつかなかった私が悪いわけでもない。
悪いのは暴力で私を育てた人。
それを止めなかった人。
ただそれだけのこと。
私が悪いなんてことは一つも無かったんだ。
本当にそう思えた。
これで、私の子ども時代の振り返りは終わったかなって思った。
長かった。
2002年からだから、8年間。
苦しかったけど、終わったって思った。
今回は、まーさんの苦しさの再現でもあったけれど、しっかり思春期に動く心の発達についても、学んだし、私の対応がそんなに的外れじゃないこともわかったし、去年受けるより、今年でよかったのかもしれない。
タイミング、出会いは必然。
時間はかかったけれど、自分のペースだったんだと思う。
本来の私は、根暗でもなくて、明るい性格だったかもしれないと思うのだ。
中学生の時の写真を持っていくにあたり、アルバムを覗いた。
結構、笑っているものや、リーダーになっているものもあった。
もちろん暗い顔をしているものあったけれど、それがすべてじゃないんだと、思い返した。
その基盤があったからこそ、専門学校で、「あこがれの先輩」にもなっていたわけだし、人まえでも、マイクを持ったり、踊ったりできたんだなと思う。
そういえば、実習の時に自分の通っていた保育園に行った時に、「あのkasumiちゃんがね・・・・」って言われて、引っ込み思案で、話すこともどきどきしてた幼児期の私を知っている人が、びっくりしていた。
家から出て、自由になった私は、校長先生の推薦で仕事を紹介してもらえるくらい、授業も、自治会活動も楽しくしていた。
出来ないことをあきらめないのは、水泳時代に培ったもの。
だから、今の私がいるんだねって、思う。
被害にもあったけど、自信ももらっていたんだって思い出したら、とってもすっきりした。(笑)
子ども会で、ゲームの指導をしたり、歌ったりしてたんだから、元気な私が本来の私だって、気がついた。
親による、kasumiは何もできない…っていう言葉の刷り込みで、根暗だって思い込んでいただけなのかもしれないなぁ・・・て思い始めている。(笑)
にほんブログ村
その間就学前とスペシャルニーズ、そして今回のティーンズとプログラムになっているものは、一通り受講し終わった。
あとはプログラムができたら養護施設に行ける資格だけ。
実際、WSを経験しているのは、小学生版だけれど、ティーンズも、是非実施してみたい。
あの苦しかった中学生時代の私を救えるのかもしれないと、思うくらいだった。
実際、苦しい経験も思い出したり、それをあっちに行って!!と頭の中を切り替えることも習得できて(特段それを勉強したのではない)なるほどね・・・・と、いう体験をした。
いままでの私の中の中学生時代は、父親からの性虐待と、いじめの数々。
それだけしか思い出せない自分がいた。
けれど、このたびいろんなことを勉強して、まーさんの心の変化、ロールモデルがそばにたくさんいることで、親以外の信頼できる人をどう探すのか?
それには、たくさんの出会いが必要で、私には暴力の世界から救い出してくれた人はいないけれど、見守ってくれていた大人がいたのかもしれないと気がついた。
誰も助けてくれなかった。
誰も気がついてくれなかった。
そう思っていたけれど、違ったかもしれない。
私が「あの子大丈夫かな?」と声をかけるように、私にも声をかけてくれていた人がいたのかもしれない。
けれど、私の耳には届いていなかった。それだけのことかもしれない。
下しか見ていない、そこしか知らない。だから、気がつかなかった。
そして気がつかなかった私が悪いわけでもない。
悪いのは暴力で私を育てた人。
それを止めなかった人。
ただそれだけのこと。
私が悪いなんてことは一つも無かったんだ。
本当にそう思えた。
これで、私の子ども時代の振り返りは終わったかなって思った。
長かった。
2002年からだから、8年間。
苦しかったけど、終わったって思った。
今回は、まーさんの苦しさの再現でもあったけれど、しっかり思春期に動く心の発達についても、学んだし、私の対応がそんなに的外れじゃないこともわかったし、去年受けるより、今年でよかったのかもしれない。
タイミング、出会いは必然。
時間はかかったけれど、自分のペースだったんだと思う。
本来の私は、根暗でもなくて、明るい性格だったかもしれないと思うのだ。
中学生の時の写真を持っていくにあたり、アルバムを覗いた。
結構、笑っているものや、リーダーになっているものもあった。
もちろん暗い顔をしているものあったけれど、それがすべてじゃないんだと、思い返した。
その基盤があったからこそ、専門学校で、「あこがれの先輩」にもなっていたわけだし、人まえでも、マイクを持ったり、踊ったりできたんだなと思う。
そういえば、実習の時に自分の通っていた保育園に行った時に、「あのkasumiちゃんがね・・・・」って言われて、引っ込み思案で、話すこともどきどきしてた幼児期の私を知っている人が、びっくりしていた。
家から出て、自由になった私は、校長先生の推薦で仕事を紹介してもらえるくらい、授業も、自治会活動も楽しくしていた。
出来ないことをあきらめないのは、水泳時代に培ったもの。
だから、今の私がいるんだねって、思う。
被害にもあったけど、自信ももらっていたんだって思い出したら、とってもすっきりした。(笑)
子ども会で、ゲームの指導をしたり、歌ったりしてたんだから、元気な私が本来の私だって、気がついた。
親による、kasumiは何もできない…っていう言葉の刷り込みで、根暗だって思い込んでいただけなのかもしれないなぁ・・・て思い始めている。(笑)
にほんブログ村
PR
Trackback
TrackbackURL
Comments